第九話 本当の私
ミゲルとソヨルは拠点からカルシダの屋敷に帰宅した。
道中二人は一言も交わすこともなく、ただ沈黙が流れていた。
「おかえりなさい。あら、二人ともどうしたの?」
カルシダは不思議そうな顔をして出迎えた。
「別に…。」
ミゲルはソニアを受け取るとさっさと自室に入ってしまった。
「本当にどうしたの?」
「…任務で疲れたのでしょう。お食事の用意は僕が手伝います。」
ソヨルはもっともらしい理由を述べて誤魔化す。
本当のことを言えばカルシダは軍に行くことを止めるだろう。それはきっとミゲルは望んでいない。
ソヨルは自分の無力さを嘆くことしかできなかった。
「どうしたらいい…?」
眠るソニアに問いかけても答えは返ってこない。
寝台に身を沈めながらただ天を仰ぐ。
瞼を閉じると脳裏に焼き付いたクリフの歪んだ笑みが浮かんでくる。
『あなたはもう限界だ。本当は泣き叫びたくて誰かの胸に縋りたくてしょうがないのに誰も信じることができない。そんな哀れな17歳の少女が今、僕の目の前にいる。』
クリフの言葉は紛れもない事実だった。
本当は誰かに泣いて縋りたい。もういいよと抱きしめて頭を撫でてほしい。
だが、そうすれば自分が今まで必死に張り付けてきた仮面は壊れてしまいそうで――
そして、誰かをまた信じれば失ってしまうのではないか。
恐怖はしきりにミゲルの胸を締め付ける。
ミゲルは胸の痛みに顔を顰めるが、助けを呼ぶことはできない。涙すら流れない。
(オレは…ただの哀れな17歳の少女…。)
「やっと気づいたの?」
「…!」
どこからか聞こえてきた声には聴き覚えがあり過ぎた。
「私のこと忘れたフリをしていたでしょう。忘れられるわけないのにね。」
「どうして…。」
目の前にいたのは自分と同じ色の瞳を持つ絹糸のような長い髪を垂らした少女だった。
「逆にどうして私が死んだと思った?私…ルシアはまだ生きているわ。あなたの中で確実に。」
「お願い…消えて…。お前なんかもういらない…!」
「なんでそんなこと言うの…?」
“ルシア”は顔を歪めると大粒の涙を流し始めた。
「私はあなたよ…!紛れもなくあなたなの!あなたは自分に死ねというの…?」
「違う…。いや、そうなのかも…。こんな弱い自分は殺してしまいたくて仕方ない…。」
「殺して強くなれると思う?」
「…!」
ルシアはミゲルを見つめる。真っ直ぐ射抜くような目は自分の何もかもを見透かされているようだった。
「でも、強くならなきゃ…もう、何も失いたくないんだ。」
「強くなりたいなら私から目を逸らさないで。自分に嘘をつかないで。」
「どうして…。」
「いい?強い人っていうのは自分の弱さも受け入れて乗り越えたから強いの。でも、今のあなたはかつての“ルシア”をなかったことにして、まるで他の誰かになろうとしているみたい。」
「それの何が悪い…!」
「あなたに私は殺せない…。もし私を殺すのなら今のあなただって死んでしまうから。」
「じゃあ、どうしたら乗り越えられる?もう泣いてばかりは嫌なんだ…。」
「泣けばいいじゃない。好きなだけ。」
「え?」
「強い人が一切泣いていないと思った?泣かないことが強さだと勘違いしていない?泣きたいときは泣けばいい。泣くことは弱さじゃない。」
ルシアはミゲルの耳にそっと触れた。
「あなたが今まで耐えてきた涙は無駄じゃない。でも、流した涙だって何一つ無駄じゃない。私はずっと泣いてばかりだったけど、だからこそ強くなりたいと思えた。そうでしょう?」
ミゲルは俯きながらもルシアの手を取る。
「ねえ。あなたの手冷え切っているのわかる?怖いのでしょう。自分すら知らない秘密をバラされることも、軍にいられなくなるかもしれないことも。」
「うん…。」
「皆、あなたが本音を言ってくれるのを待っている。皆あなたの力になりたいと思ってくれている。だからもう強がるのはやめて…。私のことを受け入れて…。」
「分かった。ありがとう…。あなたがいたから私はここまで来られたよ。」
頬に温かいものが流れたのと同時に目の前にいたルシアは淡い光に包まれて消えて行った。
「ミゲルさん。お食事ができましたよ。」
聞き慣れた優しい響きが耳を撫でると、ミゲルは目を覚ました。
気付かない内に眠ってしまっていたようだ。
ミゲルの顔を覗き込むソヨルは心配そうな顔をしている。
「何か悪い夢でも見ましたか?」
「別に。どうして?」
「涙を流しながら眠られていたようなので、心配になって。」
「涙…。」
頬に触れると確かに濡れた感触があった。
「そうか…泣いていたんだな。」
「ミゲルさん?」
「ソヨル。オレはミゲルになっても心の中では泣き虫なルシアがまだ生き続けているんだ。それはきっとこの先オレが死ぬまで変わらない。それでも、ついてきてくれるか?」
「もちろん。あなたはルシア様だった過去も含めてあなたですから。」
ソヨルの言葉が胸を締め付けていた何かをするりと取り払っていった。
急に軽くなった胸には温かいものが込み上げてくる。その感覚に思わず涙が溢れ、頬を絶えず濡らしていく。
「ミゲルさんどうしましたか?」
「分からない…。情けないんだか嬉しいんだか分からない…。でも…私、あなたに会えてよかった…!」
「そんなの僕の台詞ですよ…。」
「こんな…泣き虫だけど、格好悪いけど、私は私を受け入れて強くなってみせる。だから、力を貸してくれる…?」
「当たり前じゃないですか。その言葉を待っていましたよ。」
ミゲルはソヨルの胸に顔を埋めると、ソヨルはミゲルの背に手を回した。
子どものように泣きじゃくるミゲルの耳飾りは優しい温もりを纏い、一瞬淡い光を放った。
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