第六話 無力な者

「姉さん。クリフと話したんでしょ。どうだったの。」


アンリは先ほどから俯いているアンナの顔を覗き込む。


目に映った顔は酷く暗い。結果がどうであったかなんて聞かなくても分かった。


「ごめんなさい…噂を止められなさそうです。私の力不足です…。」


「別に最初から姉さんに期待なんかしていないよ。なんでこんな馬鹿な真似したかは聞くことはできたの?」


「はい…本人は嫉妬とおっしゃっていました。ミゲルさんはアモルの正規軍にも目を付けられていた方ですから。アモルの正規軍をクビにされてしまった彼の逆恨みでしょう。」


「くだらない…。」


アンリは軽く舌打ちをすると腕を組んで考え込んだ。


噂は数日で軍全体に広まってしまった。恐らく本人の耳にももう届いていることだろう。


彼女のことだからまた一人で辛いことを抱え込むつもりだろう。


アンリはそんなミゲルに少し苛立ちを覚えた。


「だいたい団長も団長だよ。軍の混乱を招くようなことをする奴なんて団長命令で即刻クビにしてしまった方が良いに決まってる。」


「それができないのがあの人の優しさなのでしょう。」


アンナとアンリは打開策を完全に失ってしまった。


春の陽気も二人の心には爽やか過ぎた。




国境の警備からの帰り道。


団員たちを覆うのは実に重苦しい空気だった。


誰もミゲルには話しかけようとしない。レオもずっとどこか遠くを見ながら歩くことしかできない。


すると、ミゲルは前方から物々しい気配を感じ取った。


「全員武器を取れ。」


低い声で告げるとミゲルは指輪に手をかざし、大鎌を取り出す。


それと同時に十数人規模の軍隊が目の前に現れた。


「お前たち、アモルの軍か。」


ミゲルが短く尋ねると、軍の首領らしき男が剣を構えながら近づいてくる。


「そうだ。お前らは見たところアマンドの犬か。」


「そうだが、我々もアモルの軍として警備に当たっていた。お前たちに邪魔をされる筋合いはない。」


「邪魔をしているのはお前たちだ。亡国の王の犬如きにアモルの名を語っては欲しくない。」


男はそう言うと剣を大きく振り下ろした。ミゲルはすかさず大鎌で剣を受け止める。


その隙に他のアモル軍の兵士たちは後ろの団員たちに刃を向けた。


(…っ。このまま戦闘か…。)


ミゲルは一瞬後ろを振り返る。その一瞬の隙を突いた首領の男の剣先がミゲルの頬を掠め、白い頬に赤い華が散った。


「戦闘中に油断するとは良い度胸だ。」


ミゲルは頬を指先で拭うと目の前の男を鋭く睨みつける。


「油断している内に喉元に剣先を当てられないのは、単純に実力不足ではないのか?」


そう言うとミゲルは大鎌を男の喉元に突き付けた。


「それで勝ち誇ったつもりか…。」


男は低く呟くと、ミゲルはすぐさま振り返った。


しかし、矢は容赦なくミゲルの腹を貫いた。


「ミゲルっ!!」


レオは目の前の敵の腕に一撃を見舞うと急いで駆け寄る。


「大丈夫か!」


「あ、ああ。平気だこれくらい…。」


ミゲルの腹に目をやると確かに赤黒く染まっているものの、血が大量に流れているという様子ではなさそうだ。


ミゲルはすぐさま立ち上がる。


「なぜ、立てる…。」


「これぐらいで死んでたまるか。」


ミゲルはそう言うと目の前の男を素早く切り捨てた。


男は血を流すことなく意識を手放す。


「あとの奴らも片付ける…。降参するのなら今のうちだ…。」


兵士たちはあっけなく降参の意を示し、去っていった。




兵士が去り、野営地に戻ろうと再び足を進めようとした瞬間。突如、ミゲルの足は動かなくなった。


「…っ。」


膝が笑いその場に崩れ落ちる。


「ミゲル?おい、大丈夫か!」


レオはミゲルの肩を揺する。


ミゲルは力なく頷く。


「平気だ…矢に毒が塗られていたんだろう…。大した物じゃないから…。」


掠れた声で弱々しく告げるミゲルはどう見ても大丈夫には見えない。


レオは奥歯を噛みしめ、しゃがみ込んだままミゲルに背を向けた。


「乗れ。歩けないんだろ。」


「駄目だ…迷惑、かけられない…。」


「そこで蹲られる方が迷惑だろ。良いから乗れ。」


レオは強引にミゲルを背負う。身長差がないので上手くおぶれるか心配だったが、背に乗る重みは驚くほど軽く逆に不安になるほどだった。


他の団員たちは皆顔を見合わせる。やがてひそひそと話始めるのでレオは団員たちに向かって声を張り上げた。


「お前らのその声や態度がどれだけ団長を苦しめてるのか分かってんのか!それでも、命懸けで戦う姿にお前たちは何とも思わないのか!?」


レオの逞しい背中にしがみつくミゲルの腕は僅かに震えていた。


「悪い…大声出して。」


「ううん…ありがとう…。」


震える小さな声はレオにしか届かなかったが、その幼さが滲んだ声にレオは胸が締め付けられるようだった。


背に当たる冷え切った身体は、レオの心の波をいっそう荒れさせた。


他の団員たちは沈黙の中、ただレオの背を目で追うことしかできなかった。




「おかえりなさい。ミゲルさんどうかしたんですか…?」


ソヨルが青い顔をして駆け寄ってくる。


「毒を塗られた矢が刺さったらしい。腹のところの傷も診てやってくれ。」


「そうですか…カイさんお願いしてもよろしいですか。」


「ああ、救護用の天幕へ連れて行くぞ。」


レオはミゲルを救護用の天幕の寝台に座らせる。


ミゲルの意識はしっかりしているようで、一瞬だけ目が合ったものの、すぐに逸らされる。


「ここか?傷は。」


カイは布が赤黒く染まっている箇所を指差し、服を捲り上げる。しかし、そこには傷らしいものは一切なく、雪のように白い肌があるだけだった。


「あれ?どうして…。」


「治ったということか…?凄まじい回復力だな。」


ふとミゲルの顔の方に目をやると、胸の辺りを押さえ苦しそうに息をしている。


「おい!ミゲル!」


「平気…少し…魔力が…。」


「さっきから全然平気じゃないだろう。魔力そんなに使ったのか?」


「レオ、耳飾りを外してやれ。」


カイが淡々と告げる。


「は?でも…。」


「これ以上無理をさせると危険だ。」


レオは恐る恐る耳飾りに触れる。耳飾りは熱を帯びていて、何か異常が起きていることは明らかだった。


「外すぞ。」


耳を傷つけないように慎重に外そうとするが手が震えてしまう。


上手く外そうとしてもミゲルの耳に触れてしまうので、どうも鼓動が落ち着かない。


やがて、耳飾りが外れるとミゲルはレオに倒れ込んだ。


「お、おい。その姿でくっつかれると…。」


話しかけても返事が返ってこない。不思議に思ってミゲルの顔を覗き込むと穏やかな寝息を立てながら眠っている。


「魔力の使い過ぎだな。その様子を見るに毒はそれほど危険な物ではないだろう。」


カイはミゲルを寝台に横たえてやると、淡々と片付けを始めた。


「団長の目が覚めたらここを立とう。それまで様子を見てやってくれ。」


「はあ!?俺が?」


「俺は忙しいんだ。ソヨルに頼んでも良いがあいつは副団長の仕事がある。本当はアンナに頼みたいところだが、噂を変に肯定することになりそうだしな…。」


「わ、分かった。なら俺が見てやるよ。」


「くれぐれも変な気は起こすなよ。」


「起こすか!」


カイは意地の悪い笑みを浮かべると天幕を後にした。


レオは警戒心の欠片も抱かず安らかに眠るミゲルを目の前に、わけの分からない悶々とした気持ちを抱えたままひっそりとため息をついた。

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