第四話 取引

野営地での朝。アンナはなかなか起きてこないアンリを起こし、食事の用意を手伝っていた。


「よお、アンナ相変わらず弟のおもりしてのか。」


団員の一人が通りすがりに声を掛けてきた。


「おはようございます。おもりなんて大げさですよ。」


「そうだよ。あと、姉さん手元危ない。」


アンリに注意され慌ててナイフを置く。


「この調子じゃ朝食が昼食になっちまうな。ほら、俺も手伝うよ。」


「ありがとうございます!」


「いーよいーよ。それにしても誰かさんと違ってアンナは愛想がよくていいね。やっぱり女には愛嬌がないとな。」


「誰かさん?」


「団長だよ。噂だと女だって言うじゃねえか。でも、いくら顔が良くてもいつも無表情で何考えてんだか分かんねえような奴は可愛くねえな。」


アンナとアンリは顔を見合わせた。


まさか噂が軍全体に広まっているのではないか。もしかしたら既にミゲルの耳にも入っているのはないか。


「おい。二人とも手止まってるぞ。」


「すみません。」


アンナはつい暗い顔になってしまう。一方、アンリは団員をじっと見据えた。


「ねえ。今みたいなこと団長に言ったら殺すから。」


「言わねえよ。何ムキになってんだ。」


団員は茶化すように言うが、アンリは表情を崩さない。


「団長が落ち込むといろいろと面倒だから。」


アンリはじろりと団員を睨んだ。




「あれ?ミゲルは?」


レオは朝食の時間になっても姿を現さないミゲルの姿を探していた。


「昨日はだいぶ思い詰めていたようだからな。すこし様子を見に行ってやれ。」


カイに背中を押されミゲルの天幕に向かった。


(緊張するな…一応、女性の天幕に入るわけだし。)


意を決して声を掛けると中からミゲルではない一人の青年が出てきた。


「クリフ…どうして。」


「ちょっと相談事があってね。大したことじゃないよ。」


クリフはそう言うが普通団長の天幕に気軽に相談に行こうとは思わないはずだ。


ましてや今、女性ではないかと噂されている人物と天幕で二人きりというのは、あまり賢明な判断とは言えない。


胸の奥に得体の知れない違和感が膨らむ。


「レオ…どうしたんだ…。」


天幕から掠れた声が聞こえた。


「あ、ああ、朝メシの時間だから呼びに行こうと思ってな。」


「そうか…。今行く。」


天幕から出てきたミゲルの顔は酷く青白い顔をしていた。


「おい、大丈夫かよ。」


「あ、ああ…。今日で任務は終わりだし何とか…。」


「それ、大丈夫じゃねえだろ。今日は休んだ方が…。」


「そんなのいらない!」


ミゲルは声を荒らげる。自分でも驚いたのか慌てて口元を抑えている。


「わりい。余計なお世話だったな。」


レオはミゲルの顔を見ることができず、俯いたまま乾いた地面を踏みしめた。




半刻前―


ミゲルは一睡もできなかった重い身体を起こし、今日の任務の編成について考えていた。


すると、天幕に近づいてくる足音が聞こえてきた。


(また誰か…。)


鼓動が速くなり、ペンを握る手が震えた。


「団長、少しよろしいですか。」


天幕の外から聞こえたやや訛りのある高めの声には聞き覚えがあった。


「クリフ?こんな時間にどうしたんだ?」


天幕から顔を出すと、柔和だがどこか陰のある笑顔を浮かべた青年クリフが立っていた。


「少しご相談があって、中に入ってもいいですか。」


「少し待ってくれ。片付けるから。」


ミゲルは急いで片付けると、クリフを天幕の中に招き入れた。


入り口の布が閉じられると、お互いの呼吸が良く聞こえる。


クリフはじろじろと天幕を見回している。


「色気ない天幕ですねえ。期待して損しました。」


ミゲルは一瞬眉を顰めたが、その瞬間クリフの右手が伸びた。


ミゲルは咄嗟にクリフの手首を掴む。


「おや、流石ですね。」


「どういうつもりだ。耳飾りに手を出そうとするなんて。」


「僕は耳飾りなんて狙ってないですよ。虫がいたので払おうとしただけです。」


「…っ。嘘を言うな。」


クリフは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「ではお聞きしますが僕が嘘をついてまで耳飾りに触れようとしたと言える根拠は何ですか?そんなに価値のある物なんですか?その耳飾りは。」


ミゲルは黙り込むことしかできなかった。握りしめた掌には汗が滲んでいる。


「そんな怖い顔しないでくださいよ。あなたの言う通り確かに僕は耳飾りに触れようとしましたし、その耳飾りの秘密も知っています。」


「…何がしたい。」


「僕はね。あなたに憧れていたんですよ。戦場では細身の身体で屈強な男たち以上戦う勇敢な姿に。」


ミゲルは息を飲む。


「でも、同時に年齢も体格もそれほど違いがないあなたに勝てない自分に嫌気が差したんですよ。」


「だから何だ。」


「だから僕、捕虜の尋問のときに聞いてみたんですよ。“何か弱点はないか”って。…教えてくれましたよ。」


「ふざけるな…!」


ミゲルはクリフの胸ぐらを掴んだ。クリフは嫌らしく笑う。


「団員に対して暴力ですか。性別が変わると気性まで変わるんですか?」


ミゲルは我に返りクリフから手を放す。


「知っているのなら早くここから出て行ってくれないか。女の天幕に男が上がり込むもんじゃない。」


「まだ本題に入っていないのですが…。」


「本題?」


「はい。僕と取引きしませんか。」


クリフはあっけらかんとした笑顔で言う。


「僕、あなたの大きな秘密を三つ持っているんですよ。一つ目は女性であること、二つ目は奴隷出身であること、三つ目は――あなた自身も知らない秘密。」


ミゲルの瞳が揺れる。


「最初の二つはもう広まってしまいましたが、最後の一つはまだ誰も知りません。この秘密が知られてしまえばあなたはこの軍にはいられなくなってしまう。そんな大きな秘密です。」


「それと何かを天秤にかけろということか。」


「話が早いですね。天秤にかけるのはこの軍の命です。僕はアモルの正規軍とも繋がりがあるんですよ。こんな弱小軍すぐに潰すことができます。もし噂の火消しと三つ目の秘密を守ることを僕に頼むのであればこの軍は終わりです。でも、あなた一人で耐え抜くのであれば僕はこの軍に命を捧げます。どうですか?」


「そんなの…軍を売れるわけない…。」


震えながらも即答したミゲルにクリフは目を細める


「いいですね。流石我らが団長だ。」


外からレオの声が聞こえた。


クリフは軽く笑みを浮かべ立ち上がる。


「では、そろそろ行きますね。すぐには言いませんから気が変わったらいつでも言ってください。」


張り付けた笑みはミゲルには酷く醜く思えた。



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