第三話 凍傷

訓練が終わり団員たちが解散しようとする中、レオは聞き捨てならない会話を聞いてしまった。


「なあ、見たかよ。さっきの団長と副団長。」


「目と目で通じ合ってるってやつか。あれは完全に怪しいな。」


「残念だなあ。やっぱり“そういう関係”なんじゃねえか。」


くぐもった笑い声。


くだらない冷やかしだと分かっていても、レオは気が気でなかった。


(ちげぇんだよ…。あの二人はそんな安っぽいもんじゃねえ…。 )


今すぐ声を張り上げて言ってやりたかったが、喉の奥がつっかえて言葉にならない。


ミゲルがこんなことを聞いたらどんな顔をするか想像もしたくなかった。


「どうした。そんなとこに突っ立って。」


「うおっ、なんだカイか。」


「その反応は不服だが今は目を瞑ってやろう。それよりも…。」


「ああ、ミゲルの噂、お前が言った通りすぐ広まっちまった。」


「くれぐれも余計な事はするなよ。」


しっかりと釘を刺すカイの言葉にレオは納得がいかなかった。


「でも、あいつが今みたいな話聞いたらどんな顔するか…。」


「行き過ぎた声には俺とソヨルが注意をする。お前は何もするな。」


「なんだよそれ!」


レオはつい声を荒らげてしまう。視線が一気にレオに注がれた。


「ほら、そういうところだぞ。」


カイはレオを鋭く睨みつける。


鋭い一言にレオは返す言葉を失った。




翌日―


旧ノックス王国の国境付近の警備のため、軍全体で野営を敷いていた。


警備といっても交代で行うため、それほど過酷ではない。それ故か軍の団員たちの気もいくらか緩んでいるようで野営地には時折笑い声が響いていた。


「やっぱり、あのアンナって子は可愛いよな。この前も『お疲れ様です!』なんて可愛い笑顔で言ってくれてよ。」


「うちは女が少ないからな。まさに荒野に咲く一輪の花って感じだぜ。」


「あーあ。女に飢えてる。」


食事中にひそひそと繰り広げられる会話は一応周囲を気にして抑えているつもりなのだろうが、どうしても耳に入ってきてしまう。


警備から戻ってきたミゲルは団員たちの下世話な会話もしっかりと聞き取ってしまっていた。


「女と言えばよ。団長が女だって話聞いたか?」


「それ本当なのかよ。」


「ああ、どうも本当らしいぜ。しかも、捕虜の奴らから聞いたんだけどよなかなかイイ身体してるんだとよ。」


「まじか。しかも、奴隷出身なんだろ?てことは夜の方も慣れてんじゃねえか。」


「いつか相手してもらおうぜ。」


ミゲルの耳に入った言葉は背筋を凍らせた。


(やっぱり…気のせいなんかじゃなかった…。)


知られてしまった。しかも、捕虜から情報が漏れていたとは。


――その瞬間、頭に鋭い痛みが走った。


「…っ。」


拳を握りしめて耐えるが、額に脂汗が滲む。耳飾りが熱を帯びているようで、胸の奥から吐き気が込み上げてきた。


10年以上の時を経てもなお、ミゲルの心を踏みにじり続ける彼らが恐ろしかった。


笑い声に混じった下卑た響きはミゲルを過去へと引きずり戻す。


息が詰まり気づけばその馬鹿を駆け出していた。




「はあ…はあ…。」


誰もいない池の畔にミゲルは腰を下ろす。


鼓動の音だけが耳に響く。


あまり姿を見せないと心配されるだろうが、今のミゲルは到底野営地に戻る勇気などなかった。


胸の奥が苦しい。吐き気がおさまらず、思わず手で口を覆う。


「そんなところで何をしている。」


低く冷たい声が暗闇の静寂を切り裂いた。


「カイ…。ちょっと顔を洗いに…。」


「団長か。妙なところで会ったな。」


カイは呆れた顔でミゲルを見つめる。その視線は氷のような冷たさを感じた。


「カイこそ何をしているんだ。」


「見回りだ。団長が一人でふらついていると示しがつかないだろう。早く戻れ。」


カイはそう言い捨てると、背を向けて歩き出した。ミゲルはその背についていく。


「そういえば、団長水浴びはしたか?」


「なっ…。臭うか?」


「違う。もしするなら誰か見張りを連れていけと言いたかったんだ。今の状況で一人にさせられない。」


「そうか…。やはり噂は広まっているのか…。」


「ああ。」


そう言うとカイは突如ミゲルの方を振り返った。


「これからいろいろと厄介なことが起こるかもしれない。お前の覚悟が試される時が来るかもしれない。でも、俺は団長のことを認めている。それだけは忘れないでくれ。」


ミゲルを見つめるカイの瞳には先ほどの冷たさはなかった。




野営地に戻るとほとんどの団員は天幕に入ってしまったようで閑散としていた。


ミゲルも天幕に自身の戻ると、ほっと息をついた。


耳飾りを外してしまいたかったが、噂が広まっている以上迂闊に外すことは危険だった。


(男の身体でいるのも楽じゃないんだがな…。魔力も少しずつ消耗するし…。)


胸の奥がずきりと痛み、額にはまた脂汗が滲む。


もう眠ってしまおうかと目を閉じかけた瞬間、天幕の外から声が聞こえた。


「にしても、やっぱり観察すると所々仕草が柔らかいってか艶っぽいよな。」


「身体なんて魔法でいくらでも誤魔化せるんだろうけど、仕草はな。」


「でも、証拠としては弱くねえか。今時なよなよしてる男なんていっぱいいるぜ。」


証拠を手に入れてどうするつもりなのだろうか。握りしめた拳が震える。


思わず触れた耳飾りは冷たく、ミゲルの心を凍らせていくようだった。


(これからどうしていけばいい…。)


ミゲルは息を殺して団員が去っていくのを待つ。


二、三人の足音が遠ざかっていく中、だんだんとこちらに近づいていく足音も聞こえてきた。


(誰かいる…?)


鋭い視線を感じ、耳を澄ませる。明らかに自分ではない息遣いが聞こえた。


だが、つぎの瞬間には、足音が遠ざかり、再び静寂が戻ってくる。


しかし、胸には不安が残るばかりであった。


誰がどこまで秘密を知っているのか。


噂は止むどころかますます広まっていく。


もしかしたら、誰かが意図的に広めているのではないか。


ミゲルとて団員を疑うような真似はしたくない。どうか考え過ぎであってくれと願いながら。ミゲルはそっと耳飾りに手をやる。


耳飾りは冷たく、ミゲルの心までも凍らせていくようだった。



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