第二話 噂

事件から数日後、レオは朝早くに訓練場に向かった。


春から夏に移り変わろうとするこの時期の早朝の空気は一層爽やかで清々しかった。


そんな団員が少ない早朝の時間帯から自主練をするのがレオの日課だった。


いつも同じく早朝に来ている仲間がなにやら含みのある笑みを浮かべながら近づいてきた。


「なあ、レオ聞いたかあの噂。」


「何だよ噂って。どうせくだらないデマだろ。」


「分かんねえけどよ。もし本当だったら俺たちの軍での生活も少しは潤ってくるんじゃねえか?」


「で、どんな噂なんだ。」


「うちの軍の団長が女だっていう噂なんだ。」


その瞬間、レオの手に持っていた剣が指先から滑り落ち。乾いた音を立てて地面に転がった。


「お前、その情報どこから。」


「ブルーノだかクリフだかが言ってたぞ。この前お前らが捕えた人身売買の首謀者から聞いたって。」


「マジかよ…。」


レオは頭を抱えた。ミゲルはこんな形で自分の素性が広まることは望んでいないだろう。


頭に血が上っていく。何とかミゲルの耳に届く前に噂を止めなくては。


「しかも、奴隷出身らしいぜ。すげえ話だよな。」


「そうだな…。俺ちょっと便所行ってくる。」


厄介なことになってしまった。レオは冷や汗を拭いながら訓練場を抜けだした。




「で? その噂が広がるのを止めたいから、僕たちに協力してほしいってわけ?」


倉庫の隅で、アンリが腕を組んで呆れ顔をしている。


「そうなんだよ…。」


アンリは暑苦しそうにレオから遠ざかる。アンリも鬱陶しそうにしてはいるが噂のことが気にかかっているようだった。


「でも、その噂…言ってしまうと事実ですよね。私たちが否定したところで事実は覆せないと思うのですが…。」


アンナは冷静に言葉を選んだが、その胸中には重いものがあった。ミゲルを守りたい。けれど、事実を隠し続けることの難しさも分かっている。


「まあ、そうだけどよ。こんな形で素性を知られるのはミゲルだって嫌だろう?あいつはあくまで男として戦うって言ってるんだから。」


「そうですね…。」


レオの真剣な眼差しにアンナは考え込むがいい案が思いつかない。


「そんなの身体検査でもして結果を見せれば良いんじゃない?団長は魔法で身体を男にしているわけだし。」


アンリが投げやりに言うと、レオの顔が明るくなる。


「おお、それはいいな!」


「やめておけ。」


カイの声だった。彼はいつの間にか部屋の倉庫の入り口に立っていた。


「なんでだよ!」


レオは食い下がる。カイは深くため息をついた。


「結果なんていくらでも誤魔化せる。それを見せたところで納得しない者もいるだろう。それに…。」


「それに?」


アンナは首を傾げる。


「噂はいずれ広まる。無駄だからやめておけ。」


「じゃあ、どうしろって言うんだよ。」


「団長が乗り越えるべき問題だ。俺たちが口を挟むことじゃない。」


カイはそう言い捨てると倉庫から出て行った。重苦しい沈黙が残された三人を包んだ。




訓練の休憩中ミゲルは汗を拭いながら周囲の様子を見回していた。


これはミゲルなりの仲間との交流なのだが、どうもこの日は目を合わそうとすると露骨に避けられているように感じた。


(気にし過ぎか…?)


疑念を晴らそうと近くにいた仲間に話しかけようとする。しかし、ミゲルが近づくと途端に会話をやめてしまう。


「どうだ調子は?」


ミゲルは努めて自然に話しかける。


「あ、ああ…。珍しいな団長が話しかけてくるなんて。」


団員はそう言うと足早に去ってしまう。


仕方なく元いた場所に戻ろうとすると囁き声が耳に入った。


「あいつ…女…。」


「しかも…奴隷…。」


(え…?)


振り返るとその団員もわざとらしく足早に去っていく。


(オレのこと…?)


問いただしたい気持ちもあったが、聞いてしまえば取り返しのつかないことになってしまいそうで、口を噤むしかなかった。






「ミゲルさんどうしたんですか。顔色が優れませんが。」


ソヨルはミゲルの変化にいち早く気付く。こうして少しでもミゲルの様子がおかしいと声を掛けてくれるのであった。


「ああ、ちょっとな。」


「もしかして、今日の皆さんの様子がおかしいことですか?」


図星だった。


昔からのソヨルの察しの良さがときどき恐ろしくなる。


しかし、ソヨルが気づいているのであれば、自分の気のせいなのではないということだろう。


「オレは…何か避けられるようなことをしたのだろうか…。それとも…。」


沈み込んでいく声が柔らかな声に遮られる。


「あなたが気にする必要はないですよ。もし、何かあれば僕が全力でお守りしますから。」


ソヨルはいつも自分が欲しい言葉を掛けてくれるのであった。


ミゲルはそんなソヨルの優しさに何度も救われてきたのだ。しかし、いつまでもソヨルの優しさに甘えてはいけない。


「守ってくれなくても大丈夫だ。ただ、傍にいてくれればそれでいい。」


「もちろんです。今度こそは突き放されても傍にいますから。」


二人は顔を見合わせて笑い合う。


ミゲルもソヨルもお互いの笑顔が守りたいという気持ちは一緒だ。






そんな二人の姿を陰から見つめる者が新たな争いを火種を生むことになろうとは誰一人思いもしなかった。







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