第十一話 再会

血と鋼の臭いが立ち込める戦場にも慣れてきた頃―


「ミゲル、今日の戦闘もお手柄だったな。」


ヴァレンティーノは杯を片手に上機嫌だった。


「いや、まだだ。もっと強くならないと。」


「これ以上強くなったら他の奴らはお前に近づかなくなっちまうぞ。」


ヴァレンティーノは冗談めかして言うが、実際のところ最近は傭兵団の団員から距離を置かれていた。


「それでも良い。グレンがいない今、オレが強くなって皆を守らないと。」


「そう気負い過ぎるのもどうかと思うがね…。そういえば、お前宛に手紙が届いていたぞ。」


そう言って手渡したのは白い封筒。何気なく差出人を見ると、手紙を持つ手が震えた。


「ソヨル…?」


「ん?知り合いか?」


慌てて封を切る。


几帳面な字で書かれたそれは、確かにソヨルの字だった。




「拝啓 ミゲル様




あなたの戦場でのご活躍ぶり、確かな耳に届いております。その並外れた勇気と卓越したご功績に、心より敬意を表します。


実は、この度、新たな時代の幕開けを担うべく、旧ノックス王国革命軍を創設する運びとなりました。そこで、ぜひとも、あなたのその比類なきお力をお借りしたいと強く願っております。


もしこのお誘いを前向きにご検討いただけるようでしたら、ぜひ、旧ノックス王城の跡地まで足をお運びください。


お会いできる日を、心より楽しみにしております。


敬具


革命軍主宰 アマンド 代理 ソヨル」




「革命軍…?」


アモル王城で騎士を務めていたはずのソヨルが、なぜノックスの革命軍を立ち上げようとしているのか。私の今の姿を見たのか、それとも噂だけが彼の耳に届いているのか。考えるだけで胸がざわつき、鼓動が早まる。


「気になるなら行ってみたらどうだ。」


ヴァレンティーノの一言に、私は決心する。もう逃げられない。あの人の顔を、自分の目で確かめなければ。




荒れ果てた地面を踏むたび、胸の奥がひりつくように痛む。


瓦礫と化した王城跡に人影が二つ。


一際長い影はこちらを見るなり、駆け寄ってきた。


その姿は懐かしさよりも罪悪感が胸を締め付けた。


「お待ちしておりました。初めまして。僕がお手紙を出したソヨルです。」


記憶より僅かに大人びた柔和な笑顔。しかし、瞳には強い意志が宿り、決意の炎が燃えている。


「こちらこそ初めまして。」


私はなるべく目を合わさずに一礼する。


すると、隣にいた隻腕の男性がにこやかに話しかけてきた。


「私は旧ノックス王国の元国王アマンドだ。ソヨルから君の噂は聞いていたが、てっきり屈強な大男だと思っていたよ。」


「そうですか…。」


青白い顔に笑みを浮かべるその姿に、私も思わず肩の力を抜く。


「早速で悪いが、二人で一戦を交えてみないか。」


「一戦を?」


私は目を見開く。ソヨルと手合わせができる日が訪れるとは夢にも思っていなかった。




「さあ、いきましょうか。」


私は大鎌、ソヨルは槍を手に前に踏み出した。


ソヨルの動きは素早く隙が無い。私の大鎌が振り下ろされるたび、地面が震え、火花が散る。緊張の中、身体の隅々が感覚を研ぎ澄ます。彼の瞳を見据えると、以前の彼の面影が一瞬ちらつき、胸がぎゅっと締め付けられる。


「そこだっ!」


読み切った動きに合わせて大鎌を振ると、槍が弾き飛び、火花が空に舞った。荒野に呼吸音だけが残る。


「ミゲルさん…あなたはもしかして…。」


ソヨルが目を見開き、言葉を詰まらせる。その瞳に、あの日見た優しさと決意が重なった。


「見事だった。団長はミゲル、君にしよう。」


「え?」


「この革命軍は王国の誇りを取り戻すための重要な組織だ。できれば一番実力のある者に率いてほしい。」


「待ってください。オレに団長の器なんてないです。それに…。」


「それに?」


私は意を決して銀の輪の耳飾りを外す。


耳飾りが耳から離れた瞬間、心臓が跳ね、喉の奥が乾いて音を立てる。見せてはいけない秘密を、ついに曝け出してしまう――その恐怖で視界が白む。


「オレ…いや、私は女です。」


「なんと…。」


「ルシア様…!?やっぱり…。」


ソヨルは私の顔を見つめる。


瞳がまるで記憶の奥をたぐるように揺れる。息を呑む音が耳に届き、周囲の空気がぴたりと凍りついた。私の全身が汗ばんで震える。逃げ出したいのに足が大地に縫いつけられたように動けない。


「その瞳…。ルシア様ですよね。良かった…生きていらっしゃったんですね。」


ソヨルは私を抱きしめた。


大きくなった腕に包まれた途端、懐かしい匂いと体温が一気に押し寄せる。胸の奥が熱で弾け、涙が喉からせり上がった。抵抗の言葉を探すほどに、腕の力は強くなり、鼓動は互いに重なっていく。


「ちょっ…。」


「本当に良かった…。もう一生お会いできなくてもいいから、どこかで生きていてほしいと思っていたんです。」


その言葉に私は胸が痛んだ。


「私は…あなたにそんな風に思ってもらう資格はない。あれだけのことをあなたに言っておいて今更あなたに許してもらうつもりもない…。」


「あなたがあの日僕を突き放したのは僕を思ってのことでしょう。あなたの不器用な優しさちゃんと届いています。」


ソヨルはさらに抱擁をきつくする。


「でも…私の気持ちを分かっていながらあなたはなぜ、王城付きの騎士を辞めて革命軍なんかに入ったの?やっぱり首にされてしまったの?」


「いいえ、革命軍に入ったのは僕の意志です。あなたを苦しめた王家に復讐をするために…。」


「そんな…どうして。」


「詳しいことはいずれお話します。」


ソヨルはそう言うと私に向き直る。


記憶よりも凛々しさを増したはずの彼の顔は涙に濡れていた。




「二人とも知り合いなのか?随分親密そうだが…。」


アマンド様は眉間に皺を寄せる。


「すみません。ついお会いできたことが嬉しくて…。」


「それよりも、先ほどの話…。」


「ああ、君が男性と偽っているということは特に悪いとは思わない。だが、そうしている事情は何かあるのかね。」


「話しても信じていただけないかと…。」


「信じるよ。話してくれ。」


涙を堪え、声を震わせながら、父との別れ、奴隷としての日々、牢獄のような王城、傭兵団での希望と絶望--全てを語った。


アマンド様は目にいっぱいの涙を浮かべていた。


その涙に私も胸が締め付けられるようだった。


「私がここに来た理由は、ソヨルの顔がもう一度見たいと思っただけなんです。」


「構わん。君の実力は本物だ。是非とも団長になってほしい。」


「団長…。それも変わらないのですか。」


「ああ、私には君しか団長を頼みたくないという直感があるのだよ。」


その言葉が胸に重くのしかかる。直感――それだけで国の未来を託されるのか。肩に乗るのは仲間の命、大陸の行く末、そして自分の誇り。ヴァレンティーノのように人をまとめられるわけではない。笑って士気を鼓舞することもできない。ただ、死神のように刃を振るうだけの私が、本当に「団長」と呼ばれるにふさわしいのか。


不安げな表情を浮かべる私にソヨルがそっと囁く。


「お子さんもいると大変でしょう。僕からも断りを入れましょうか。」


「それは…。」


私は頷くことができなかった。ここで逃げてしまってはまた守られるだけの女になってしまう。私は強くなりたいのだ。団長であろうが何であろうが私を強くしてくれるものは何でも利用したい。


胸の奥で小さな声が囁く。「逃げればまた弱さに戻る」と。刃を握るたびに思い知ったあの日の悔しさ、グレンを失った夜の絶望、それを二度と繰り返さないために――私には前へ進むしかなかった。


「大丈夫だ。」


「でも…。」


「お前が支えてくれるのなら大丈夫。オレはもう弱いままは嫌なんだ。」


ソヨルは私の瞳から決意を感じ取ったのか力強く頷いた。


「分かりました。僕があなたを支えます。だから、どうか無理だけはしないで…。」


ソヨルはそっと右手を差し出す。私はその右手をしっかりと握った。




出会った頃とは違う大きく硬くなった手。


だが、温もりだけは変わらなかった。




今度こそこの温もりは失うまいと心に誓って―


その誓いこそが私の新たな運命の始まりだった。



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