第十話 死神の誕生

夜の静寂を裂くようにソニアの鳴き声が響く。


私は夜着をはだけさせ、母乳を与える。


必死に胸に吸い付くソニアの姿は見ていて愛おしいもののはずなのに、心の空虚は大きくなっていくばかりだ。


「何で…私を置いて…。」


悲しみも怒りも私を蝕んでいく。


腕に抱く体温は、私の再び凍り付いてしまった心を融かしてはくれない。


ソニアを傍らに寝かせ、銀色に輝く指輪を手に取る。


かつてソヨルが「眠っている何かがあるはず」と言っていたもの。


「ねえ…。どうか、グレンを生き返らせて…。」


指輪は淡い光を放った。


だが、一瞬でその光は消え、何も起こらなかった。


「どうして…!どうして生き返ってくれないの!?返して…返してよ!」


喉が切り裂かれるような叫び、胸が締め付けられるような痛み。


再びソニアが泣き出すのも構わず、私は泣き叫んだ。




「なあ、飯ぐらい食えよ。その様子だと碌に寝てもないようだし…。そのうちぶっ倒れるぞ。」


ロイドは毎日こうして私の部屋に食事を持ってくる。


グレンが死んでからというもの食事にほとんど手を付けようとしない私を案じてくれるのだった。


「良いわ…倒れても。それで死ねたら本望よ。」


私はただ虚ろな目をして天井を見上げるだけでロイドの顔を見ようともしなかった。


「ふざけんな…。」


「え?」


「あんた…それで兄貴に会えるとでも思ってんのか。冗談じゃねえ!」


ロイドの叫びが鼓膜を震わす。


「兄貴が…どんな思いであんたを守ったと思ってるんだ!兄貴は…グレンは…。」


ロイドは肩を震わせ、必死に言葉を紡ごうとする。


「本気で…ソニアの父親になりたいって言っていたんだ。あんただけじゃなくてソニアのことも愛したいって…。だから俺が守るんだって…。」


「そんな…。」


信じられない告白に息が詰まる。


「ああ、グレンが死んで辛いだろうよ。けど、さっきの言葉は絶対に言って欲しくなかった!俺たちだって死んで会えるのならそうしたいさ!」


「ごめんなさ…。」


「でも、そんなことグレンは望まない。だから、死んでも生きろ!」


「分かってる…でも…。」


「あんたは幸せだよ。命がけで守って愛してくれた人がいて…。けど、所詮あんたは守られるだけの女なんだよ…。だから、グレンが死んでもなお、まだ守ってもらおうとしてる…。」


「そんなこと…。」


「ない。」とは言えなかった。ロイドが言っていたことは痛いほど図星だった。


私は守られてばかりだった。


私は何一つ守ることができず、失っては涙を流す。


そんなことの繰り返しだった。


「悪い…言い過ぎた…。」


ロイドはバツが悪そうに目を逸らす。


「いいえ…。あなたの言っていることは正しい…。私は…そうよ。所詮守られることしかできない女…。」


私はまた溢れそうになる涙を堪え、拳を握りしめた。




私は鏡の前に立ち、小刀を取り出す。


この長い髪が守ってもらうだけの女の象徴なら―


小刀を髪へ振り落とそうとした瞬間、手首を掴まれた。


振り向くとヴァレンティーノがいた。


「綺麗な髪なんだから勿体無いだろう。」


「離して。私はもう守られるだけの女じゃない。」


「グレンが…お前に渡そうとしていた物があるんだ。」


そう言って渡されたのは掌に乗るほどの小箱。


蓋を開けると銀の輪の耳飾り―


「これは、願いを叶えてくれるお守りらしい。本当はグレンがルシアに対しての願いを込めて贈るつもりだったんだろう。」


「願い…。」


「なんでもいい。祈ってごらん。」


願いはただ一つだった。


「私を…強くして。どんな姿になってもいいから!」


耳飾りを着けた瞬間、耳飾りが強烈な光を放った。

全身が焼けるような熱に包まれ、視界が白に覆われる。




――そして光が収まったとき、鏡に映っていたのは別人だった。




短い白銀の髪。鋭い瞳。引き締まった身体―


そこにいたのは少女ではなく、一人の青年だった。


「これが…私…。」




私は息を吐き目を閉じる。


――ルシアはここで終わりだ。


涙に縋る子どもも、男に抱かれる女も、守られる母も、もういらない。




私はルシアじゃない。


オレは――ミゲルだ。




決意の言葉を胸にした瞬間、指輪が眩い光を放つ。


魔力の光が私の身体を焼き尽くすように覆った。




「オレも戦う。もう泣いてばかりの守られるだけの女じゃない。」


ヴァレンティーノは驚いたようだったが、私の目を見ると静かに頷いた。






初陣―


数十人の敵兵がこちらに向かってくる。


「ミゲル!頼んだぞ!」


ヴァレンティーノの声が響く。


私は指輪に力を込める。


魔力で形を成した大鎌で一気に敵を薙ぎ払う。


敵兵は一滴も血を流すことなく次々と倒れる。


私は怯むことなく、地面を蹴り、次の一撃を繰り出す。


指輪が力強い光を放つ。


足元に転がる抜け殻を見ると胸に何かがせりあがってくる感覚を覚える。


それでも、私は止まらなかった。


敵も味方も私の姿を恐れを抱いた目で見つめる。




「死神だ…。」


誰かの声が震えて響いた。




その名はすぐに広がり戦場へ響いた。




「死神か…大層な二つ名だな…。」


グレンは今の姿を見てどう思うだろうか。




シリウスは目を見てくれるだろうか。




ソヨルはそれでも傍にいると言うだろうか―




私は涙を胸に閉じ込め、ミゲルとして歩き出した。


死神の名を背負いながら――。







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