第八話 忘れていた笑顔

賑やかな話し声、薪の割れる音、肉が焼ける匂い。


ぐうと腹が鳴り、目を覚ます。


ぬくぬくとした毛布から離れがたく、しばらく毛布に潜り込んでいると扉が勢いよく開かれた。


「おーい。ルシア、そろそろ起きろ!」


グレンが毛布を引き剝がそうとするので、私は慌てて起き上がる。


「乱暴よ。」


「嫌なら日の出と共に起きるんだな。」


グレンは私を見てニヤニヤ笑う。


「何。」


「昨日は随分泣いてたからな。瞼が腫れてる。」


「なっ…。」


「おっと怒るなよ。可愛い顔が台無しだぜ。」


彼はそう言うと足早に部屋を去っていった。


鏡を見ると確かに瞼が腫れていて、いかにも泣きはらしたという顔だった。


私はむくれながらも着替えを急いで済ませ食卓に向かった。




「ほら嬢ちゃん食わないのか?俺が全部食っちまうぞ。」


差し出されたのは塊の肉となみなみと注がれたスープ、固そうな大きなパン。


団の男たちは皆猛烈な勢いで食べ進めている。


私は料理に手を付けようとするが、口元に持ってくる際の匂いだけで顔を顰めてしまう。


悪阻は以前の妊娠の時よりもいくらか軽くなってはいたが、どうにも食が進まなかった。


「ああ、嬢ちゃん妊婦なんだっけか。悪阻ってやつで食べられないのか。」


「それは悪いことしたなあ。あとで果物でも買ってきてやるからスープだけでも飲んでくれ。」


団員の一人が「ほれ。」と口元にスプーンを持ってきた。私は慌てて自分でスプーンを手に取り、スープを啜った。


「ははっ。振られちまったな。」


「うるせえ。」


どっと笑いが起こり、背中をバシバシと叩かれる。


「そうだ、ちゃんと食えよ。母ちゃんが食わないと腹の子は大きくなれないんだからな。」


そう言いながらパンを小さくちぎってスープに入れてくれた。


「ありがとう…。」


「おお、ちゃんと礼が言えるんだな。」


私は赤くなった顔を隠すように俯いた。


胸がほんのり温かくなっていくのはスープだけのせいではなかった。




「そうだ。しっかり皺を伸ばして干すんだぞ。」


団員たちは私に洗濯、掃除、料理の基本を教えた。


傭兵団の生活の基本原則は「自分のことは自分で」というだけあって、団員は皆基本的な家事は当たり前にこなしていた。


「嬢ちゃん筋が良いねえ。こりゃ立派なママになれるさ。」


「そうかな…。あれ?これは?」


「ああ、それは俺の下着だよ。」


私は顔を真っ赤にして、下着を手から落としてしまった。団員は皆大笑いしている。


「ははっ、嬢ちゃんそんな顔しなくても!」


「俺はちょーっと傷ついたぜ。」


そんな様子を通りがかったグレンも見ていたのか腹を抱えて笑い転げている。


「もう、そんなに笑わなくたっていいじゃない。」


「悪い悪い。でも、家事覚えてくれて助かるぜ。」


私は頬を膨らませるが、そんな様子もおかしいのかグレンはますます笑う。


そんな屈託のない笑顔に私も思わず口元が緩む。


誰かの笑顔がこんなにも気持ちを明るくしてくれるのだということをその日私は初めて知った。




「ごめんなさい…。何にもできなくて。」


「いいんだよ。絶対安静って言われたんだから。」


腹は順調に大きくなっているが、時折鋭い痛みが走る。医師に診せたところ流産の危険性があるということで絶対安静を命じられた。


「でも、何かしないと。一日中寝台でぼーっとしているのも気がおかしくなりそう。」


「そうだな…。ああ、そういえばいいものがあるぞ。」


グレンはそう言うと紙袋を差し出した。


中を覗くと白い毛糸と編み棒が入っていた。


「これは…。」


「新しい趣味を探してたら街でたまたま目にはいってさ。お前と一緒に作ったら楽しいかと思って。」


「新しい趣味って…。編み物をしようと思っていたの?」


「別にいいだろ。酒や女に走るより。」


「でも…なんだか似合わなくて…。」


グレンが夜なべして編み物に取り組んでいる姿を想像し、思わず口元が綻ぶ。


「なんだよ。そんなに変に遊んでるように見えるか?」


「ううん。そういえばグレンはお酒も飲まないし、夜遊びもしないものね。」


「ああ、そうだよ。俺は真面目なの。」


真顔で言い切ったグレンがおかしくて思わず吹き出してしまう。


「な…笑うとこかよ!」


「ごめんなさい…なんだか可笑しくて…。」


グレンは笑い転げる私の額を軽く弾く。


「やっと笑ったな…。」


「…え?」


「お前、ここに来た日は泣いていたし、ずっと一歩引いてるって感じだった。」


「そんなこと…。」


「でも、だんだん良い顔するようになって安心したぜ。その調子でどんどん心開いてくれよ。」


グレンは心底嬉しそうだった。






とある夜中。


王城の影に迫られる夢に魘され、目を覚ました。


「なんで今更こんな夢…。」


水でも飲みにいこうと調理場に向かうと、ダイニングにはヴァレンティーノとグレンがいた。


「どうした。眠れないのか。」


ヴァレンティーノは優しく手招きをした。酒を吞んでいるようで、少し酒臭い。


グレンはただ付き合わされているだけのようで杯の酒はなみなみ注がれたままだ。


「少し…悪い夢を見たの…。」


「そうか…。それは怖かったな。」


グレンは私の頭を優しく撫でる。


ヴァレンティーノもグレンも夢の内容までは聞いてこなかった。


いつもそうだった。団員の皆は私が触れてほしくないことについて執拗に聞いてくることはなかった。


腹の子についても父親はどんな人なのか聞いてくる人はいなかった。


そんな団員の皆の気遣いをありがたく思うと共に、少し後ろめたい気持ちもあった。


「私ね…不安なの。こんな温かな日々は本当は夢なんじゃないかって。本当は今も牢獄の中にいて、逃げるように眠り続けているだけなんじゃないかって…。」


私は不安な胸の内を吐露する。ヴァレンティーノとグレンは真剣な顔で私の話を聞いていた。


「お腹触ってみてもいいか。」


「え?良いけど…。」


グレンは恐る恐る腹に触れた。


「ああ…、動いてる!ほら、触ってみろ!」


ヴァレンティーノもグレンに促されてそっと触れると、胎動を感じたのか目を大きく見開いた。


「これは夢なんかじゃない!俺らが今ちゃんと胎動を感じたのがその証拠だ!」


二人とも涙ぐんでいる。


「何で泣いてるの…?」


「いや、この齢になるとどうも涙もろくてな…。」


「団長、何言ってるんだよ…。そんなこと言ったら俺も齢じゃねえか…。」


二人の純粋な涙に胸がいっぱいになる。私まで涙が溢れてきた。


「何だよ…お前も泣いてるじゃねえか。」


グレンに頬を抓られる。私は笑いながらグレンの頬を抓り返した。


ヴァレンティーノもそんな私たちをみて笑う。


笑い声は私の凍り付いた心を融かしていく。


頬が熱を帯びるほど笑っている。そんな自分が信じられなかった。


(ああ、私、笑えてる…。)


ひとしきり笑ったあと、これまでにないほど幸せな気持ちで眠りに就いた。




この幸福も、長くは続かないことなど知らずに――



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