第二話 鎖の王城
私は上等な軍服を着た男に手を引かれ、ボロボロの小屋から馬車に乗せられた。
馬車の中は少し窮屈で天井が私に迫ってきて押しつぶされてしまうのではないかと思った。
馬車の揺れは眠気を誘って、私はいつの間にか眠ってしまった。
身体を激しく揺すられ目を覚ますと、窓から見えた景色はまるで絵本を貼りつけたようだった。
青い空に、真っ白なお城、色とりどりのお花、人々は皆一目で上等と分かる服を着ていて、裸足で走り回る子どもなんて一人もいなかった。
「着いたぞ、降りろ。」
私はまた手を引かれるまま進んだ。
周りにいた人は私を見るなり皆目を丸くした。
目を丸くしたあとはキッと睨みつけた。
当然だ。
襤褸切れ同然の服を着て、髪もボサボサで薄汚れた裸足の子どもは絵本の景色には似合わない。
手を引かれるまま真っ白なお城の中に入れられた。
煌びやかなシャンデリア、真っ赤で毛足の長い絨毯、至る所に飾られている花。
そのどれもが私の心をざわつかせた。
すると、コツコツという足音と共に一人の少年が現れた。
真っ黒な髪に長い手足、瞳の色は深紅で顔立ちはやや幼さを残していた。
「シリウス様がお呼びです。」
やや幼さの残る声でそう言うと彼は私の前で片膝をついて深く頭を下げた。
「そうか、しかし、こんな薄汚い格好のまま会わせるのは失礼だ。こいつに会わせるのは明日にしよう。君、こいつの世話をしてくれないか。」
「僕が、ですか…。」
「誰もこいつの世話をしたがらなくてな。どうせ君はまだ騎士として実戦には出られないんだ。これも修行の一環だと思ってくれ。」
男はそう言うとそそくさと去ってしまった。
少年は私を見るとどこか寂しそうな笑顔を見せた。
寂しそうに見えたのは私の思い違いかもしれない。それでも、不思議とその笑顔は私の心に温かいものを注いでくれた。
「ここは…?」
少年に手を引かれ、連れてこられたのは多くの花やレースで飾り立てられている部屋だった。
壁や家具は温かみのある淡いピンク色を基調としたもので統一されていたが、私にはどれも冷たく感じた。
少年は私に手招きをして椅子に座らせた。座ると体が深く沈み込んで、心まで沈み込んでいくようだった。
少年は私の後ろに回るとそっと髪に触れた。
「髪が絡みあっていますね。汚れもありますし、お召し替えの前にお風呂に入られた方がいいですね。」
「お風呂?」
私は少し前に私を一晩買った客に入浴中に悪戯をされたことを思い出してしまった。
途端に息が苦しくなってしまう。
少年は私の呼吸が途切れ途切れになっているのに気づいて、慌てて背中をさする。
その手は柔らかく、温かった。
「大丈夫ですか?」
「う、うん…。」
呼吸が落ち着くと、少年はやや年かさの女性を連れてきた。
女性が私を見つめる瞳は冷たく、氷のようだった。
女性は私を湯殿へと連れて行くと、やや乱暴に私を磨いた。ゴシゴシと力強く。
私は涙目になりながら耐えた。
女性はその反応が気に食わなかったのか「これくらいで泣くんじゃない!」と𠮟りつけた。
私は涙を引っこめると、湯殿から出される。
真っ白な下着にレースがふんだんにあしらわれたドレスを身につけさせられ、鏡の前に座らせられ、髪を梳かされる。
「まったく、あの汚い姿のまま殿下の前に出て、幻滅されればよかったのに。」
女性はそういうと部屋を出ていった。
鏡に映った私はまるで私ではないようで、瞳に光はなく、口も弧を描くことがないただの人形のようだった。
次の日、少年は私に昨日とはまた違うドレスを着せ、窮屈な靴を履かせて部屋の外へ連れ出した。
やがて、大きな扉の前にたどり着くと、少年は扉を叩いた。
「入れ。」
低く冷淡な声が聞こえると、扉が開かれた。
声の主は私よりも10は年上に見える青年だった。
青年は青空を思わせる髪と瞳の色をしていた。
青年の隣に立つ老齢の男が口を開いた。
「本日からお前はこのシリウス様の側室になるのだ。ほら、挨拶なさい。」
言葉の意味は分からなかったが、隣の少年の見様見真似で頭を下げる。
シリウスと呼ばれた青年の方を見ると私とは一切目を合わさず、明後日の方向を見つめていた。
その目はまるで私の存在を最初からなかったことにしたいように見えた。
「ほら、シリウス様。何かお話することは…。」
「何だこのガキは。俺はこんなガキ側室にする趣味はない。以上。」
シリウス様はそう言うと広間の奥へ行ってしまおうとするので、急いで従者に止められる。
「まあまあ、アウルス様の言いつけですから…。もう、わがままは通じないのですよ。」
彼は舌打ちをすると、私の前に立った。
「とりあえずよろしくとは言っておく。だが、勘違いするなよ。俺は父上の命令に従っているだけだからな。あと、まずは礼儀作法を一通り覚えろ。それまでお前は俺の前に現れるんじゃない。いいな。」
「れいぎさほう、ってなに?」
私は思わず聞き返してしまった。
その言い方があまりにも間抜けだったのだろう。シリウス様は心底呆れた顔でため息をついた。
「…。その調子でよくも側室になると言えたな。」
シリウス様は今度こそ広間の奥に引っ込んでしまった。
私に一瞬だけ向けられた瞳は何も映していなかった。
「ねえ、れいぎさほうってなんなの?そくしつってなに?」
私は部屋に戻ると少年を質問攻めにする。
少年は困った顔をして、私を見た。
「それはたぶん礼儀作法をお教えしないと上手く説明できないのですよ。側室についても本を読んで調べるのが一番いいかと。」
「じゃあ、あなたが教えて。私、れいぎさほうも分からないし、文字も読めないの。」
「ええっ!僕が!?」
「ダメなの?」
「いや、良いですけど…。」
少年は参っているようだった。
そんな少年を見て私はあることに気が付いた。
「私、あなたをなんて呼んだらいいの?」
「ああ、名前ですか。そういえば挨拶していませんでしたね。僕の名前はソヨルです。よろしくお願いいたしますね。」
「私はルシア。よろしく。」
一人ぼっちの子ども同士、小さな手を握り交わして、お互いの手の温もりを感じあった。
その温もりは、これまで触れたどんなものよりも優しくて、離したくないと思った。
けれど同時に――胸の奥に小さな影がよぎる。
「また、これも奪われてしまうのではないか」と。
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