幕間
第一話 吸血鬼伝説
軍の編成が正式に決まったことにより、軍の活動も本格的に始まった。
この日は朝早くから訓練が始まり、走り込みから筋力を上げるための鍛錬、実戦形式での訓練などやや厳しい予定が組み込まれていた。
「もう、根を上げるのが早すぎますよ。アンリ。」
「しょうがないだろ。僕はあまり体力がないんだから。」
アンリは読んでいた本から顔を上げると、口を尖らせた。
体力が少ないアンリは走り込みで体力を使い果たしてしまい、訓練場の休憩室で休んでいた。
アンナはそんなアンリに呆れて訓練に連れ戻しに来たのだ。
周囲はアンナの方が軍人としての素質があると言っているが、それは事実であった。
幼いころから活発でさまざまな経験ができたアンナと違い、アンリは幼いころは病気がちで屋敷の外に出ることが少なかった。
それ故に今でも運動全般には苦手意識があるようだった。
とはいえ、軍に入った以上は訓練も満足にこなすことができないようでは話にならない。
アンナとしてはもう少し無理をしてでも訓練に取り組んでほしいというのが本音であった。
「さあさあ、本を読める元気があるならもう少し訓練しましょう。あら…?その本は?」
「懐かしいでしょ。姉さんが小さいころよく読んでいた本だよ。」
その本はかつてノックス王国で暮らしていたという吸血鬼について書いた本だった。
アンナは当時、自分たち人間と姿は似ていてもその生態はまるで違うという吸血鬼の存在を信じて読むたびにわくわくしていたものだ。
「それは良いのですけど、その本どうしたのですか?家にあるものはもうボロボロだったと思うのですが。」
「ああ、この本ならそこの本棚にあったよ。」
アンリは休憩室の隅にある小さな本棚を指さした。
そこにある本はどれもジャンルがバラバラでまるで統一性がないが、どの本もかなり状態が良い。恐らく戦いに役立てるというよりも本好きな者が趣味で揃えたと考えた方が良さそうだ。
「姉さんは吸血鬼はまだ存在すると思う?」
「存在するわけないじゃないですか。吸血鬼はアモル王国が作り上げた『太陽の十字架』でもれなく皆殺されてしまったのですから。」
アンナは呆れ顔で言う。
実際に十数年前の戦争では吸血鬼は皆殺しにされてしまったことがノックス王国の敗戦要因の一つであるのだから、今生き残りが存在するのであれば大騒ぎであろう。
しかし、アンリは納得のいかない表情である。
「吸血鬼は人間よりも遥かに優れた能力を持っている。そんな種族が人間におとなしく滅ぼされるかな?」
「はいはい。あなたがロマンチストなことは分かりました。さあ、早く訓練に戻りますよ。」
アンナはアンリの手を引いて訓練場に向かう。アンリは釈然としないまま大人しくアンナに手を引かれていた。
「戻ってきたのか?無理しないでいいんだぞ。」
団員たちに指導をしていたカイが戻ってきたアンリを見て目を丸くする。
「いいえ、本を読むくらいの元気はありますから。」
アンナはにこやかな笑みを浮かべているが、周囲に否と言わせない圧を感じる。
アンナを怒らせると相当怖いらしい。
団員は皆アンナを怒らせないようにしようと心に決めた。
「まあ、読書ですか。どんな本を読んでいたのですか?」
ソヨルがアンリに優しく声を掛ける。
アンナとは違いその顔に浮かべられた笑みには威圧感がない。
しかし、アンナやレオと話すのとは勝手が違い緊張するのか、返事はぎこちないものになってしまう。
「吸血鬼の伝説が書かれた本…。」
「ああ!僕が休憩室に置いた本ですね!面白かったですか?」
「まあ、そこそこ…。」
素っ気ない返事しかできないアンリにアンナが茶々を入れる。
「この子そうは言っていますけど、私に吸血鬼は今でもいると思う?って聞いて来たのですよ?よっぽど本の内容に興味をそそられたのでしょう。」
「そうなのですか?」
ソヨルがアンリの顔を覗き込む。
「あんたも馬鹿馬鹿しいと思うか?」
「いいえ、僕も吸血鬼はいると思いますよ。」
「え?」
アンナとアンリはソヨルの顔を見つめる。
「ご存じですか?『太陽の十字架』は純粋な血統の吸血鬼しか滅ぼすことはできないのですよ。一方で吸血鬼と人間の血を受け継ぐ者がそう数多くないものの何人か存在するという噂があります。なので、純粋な吸血鬼はもう存在しないにしても吸血鬼の血を受け継ぐ者が存在している可能性は十分にあります。」
「そうなのですか…。」
「だから、アンリさん。恥ずかしがることはないのですよ。」
「そうなんだ…、ありがとう教えてくれて。」
「さあ、訓練を始めますよ。弓の練習でしたらそれほど身体に負担はかからないでしょう。僕と二人で練習しましょう。」
ソヨルが訓練用の弓をアンリに渡すと、弓の練習場所に案内した。
「なあ、あんた、グレンヴィル家の人間だったって本当か?」
「どなたからその情報を?」
「レオのバカから聞いた。」
アンリは何となく近寄りがたかったソヨルと話すことができる機会を得たので、レオから聞いていた情報の真偽を確かめる。
「そうですね。まあ、養子という形でしたが。」
「でも、今は名字を名乗っていないよな。どうしてだ?」
ソヨルはしばらく考え込んだ後、アンリを見つめた。
「僕はもうグレンヴィル家の人間ではないからです。ただのソヨルとして生きる道を選んだのですよ。」
「そうなのか…、少し羨ましいよ。僕は散々家柄でしか見てもらうことしかできなかったから…。」
「では、その『アルヴェール』という名を捨ててみてはいかがですか?」
「え?」
アンリは驚いてソヨルの顔を見上げる。
ソヨルは今までに見たことがないまるで凍てつくような目でアンリを見つめていて、アンリは思わず息を呑んだ。
「なーんて。冗談ですよ。」
ソヨルは先ほどの冷たい表情が嘘のような笑顔を見せ、アンリの肩に手を置いた。
しかし、アンリは姉のアンナ以上に怒らせると怖い人物の存在を発見し、恐怖におののいた。
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