僕と魔王と世界滅亡の異世界転位
猪去
プロローグ 転移×転移
それには、なんの予兆もありはしなかった。
たとえば誰かの声を聞いたとか。
雷に打たれたとか、トラックに轢かれそうになっていたとか、そういう類のことは一切なにもなく。
通学途中。昨晩、いつものように夜更かしをしていたせいで寝不足気味の頭を振りながら歩いていると、ふと意識が立ち眩んで。
危ない――っと前に投げ出しかけていた右足であわてて踏ん張ろうと力を込めた、その瞬間にはすべてが変わっていた。
踏みしめた先にあったのはコンクリートではなく、敷き詰められた石の床。
さっきまで降り注いでいたはずの日差しはどこかへ行ってしまったのか、なぜか視界は薄暗い。
なにより強烈だったのは、匂いだ。
今まで嗅いだことのないような異臭が、つんと鼻の奥まで突き刺さってくる。
不快感に顔をしかめながら、顔をあげて――
唖然とする。
そこには自分と同じように唖然とした大勢の顔があって、こちらを見つめていた。
そこはどこかの室内のようだった。
外じゃない。
ついでにいえば、知っている場所でもなかった。
最初に思ったのは、映画の1シーン。
明らかに日本人ではない顔立ちの俳優たちが、古めかしい武器や鎧を身にまとっている。
彼らの顔は土や血に塗れていて、手に持つ武器は折れ曲がり、それどころか身体の一部を欠損している相手だって少なくなかった。
まろびでようとする腸を押さえながら呆然自失としている誰かを眺めながら、思う。
――すごいCGだな。
最近のVR技術の発展は本当に凄い。いや、この場合はARかな、なんて能天気に考えていると、
「お、おお……」
こちらを見つめていた大勢のなかの一人が唇を震わせた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
咆哮が轟く。
獣のような雄叫びだった。
「やった! やったぞおおおおおおおおおおおお!」
喉も裂けろとばかり、声を荒らげる。
その右目からは涙が流れていて、もう片方からは血が流れていた。――その人の左目は潰れていた。
「やった! やった! ついにやりましたね!」
「ああ、神様。信じられない……! 本当に成し遂げるなんて!」
「うわ、うわああああああああああああああああ!」
続いて、周囲からも続々と声が上がり始める。
それが、心からの“歓声”なのだと気づくのにしばらくかかった。
そのくらい、それらの声は鬼気迫るものがあった。
今まで生きてきて聞いたことがないくらいに迫真の感情が籠もっていて、いっそ不気味に思えるくらい。
「やったわね、クリュウ!」
片目から血の涙を流す男に飛びつくように、金髪の美女が駆け寄ってくる。
叫ぶのを止め、ふらりと倒れそうになる男を慌てて支えながら、
「クリュウ!? しっかりして!」
「っ、……大丈夫だ」
美女の肩に寄り掛かって、男はなんとかその場に踏みとどまってみせる。
血に塗れた顔で、ぐるりと周囲を見回して――こちらと目があうと、男は引き攣らせるように口角を吊り上げた。
大きく息を吸って、
「――俺たちは、ついに“転移”を成し遂げたぞ!!!」
沈黙。
次の瞬間、辺りで歓喜が爆発した。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
冗談なしに爆音といっていい大音声に、あわてて耳をふさぐ。
鼓膜が破れるかと思った。
痛いくらいの狂声から逃れながら、混乱した頭で今聞いた言葉を思い出す。
明らかに日本人の風貌じゃない相手が流暢な日本語をしゃべったことは、気にもならなかった。
よく見れば、相手の口の動きと聞こえてきた言葉がまるで違っていたことになんか、気づきもしなかった。
……転移?
今、この人は転移って言ったのか?
異世界転移、という言葉なら知っている。
最近のゲームや漫画でよく見るシチュエーションだ。
中学の頃、友人連中と「もし異世界にいくなら~」なんて馬鹿話をしたことだってあったから、その言葉を聞いてなにも思わなかったわけではない。
そういう、体験モノだろうか?
異世界体験AR。
確かに、どこかの企業がやっていそうなイベントだ。
そういうイベントに応募した覚えはなかったけれど、突発的な、飛び入り的な参加者募集だってあるかもしれない。ドッキリとか。
昨今の配信系なら、そういう「巻き込まれ系」だって可能性はある。
だけど、周囲にいるのは狂ったように歓喜の声を上げ続ける人たちばかりで、それを撮影している人間や、撮影用のドローンはどこにも飛んではいなかった。
隠しカメラなのか?
だとしたら、随分と大掛かりなセットだ。
半ば呆れながら、あらためて周囲を観察する。
狂喜乱舞する大勢の人たち。は無視してその背後を見ると、そこにあるのはボロボロの壁で、まるで大砲でも撃ち込まれたようだった。
どうやらこの場所では、なにか大規模な戦闘があったらしい。
その証拠に、あちこちでは死体が倒れている。それが迫真の演技を見せる役者のそれなのか、それともバーチャルなのかはまるで見分けがつかない。
恋人同士という設定なのか、倒れた死体にすがりついて泣く姿を見て、眉をひそめる。
……おかしい。
転移モノといえば、転移した先にはお偉いさんとかが待っていて、「ようこそ、勇者殿」なんていう口上から始まるのがスタンダートな始まり方のはずだ。
あるいは、神様が云々とか――いや、そっちは“転生”の方だったかもしれない。
少なくとも、こんな殺伐としたところじゃなくて、もっと落ち着いた場所で行われるのが普通だろう。
ということは、よほどの緊急事態だったのか。
魔王軍とかの攻撃を受けて、緊急的に転移の儀式を行った。とか。
そういう設定なら、こういう状況もありえる。
ってことは、すぐに魔王を倒せとか言われるのかな?
ウダウダしているより展開が早い方が好みだから、別にそれでもかまわないけど、なんて思いながら、違和感に顔をしかめる。
……どうして誰も、なにも話しかけてこないんだ?
周りの連中はさっきから、転移に成功したことを喜んでいるばかりだ。
転移してきた相手のことなんて、まるで気にも留めていない。
なんというか、それじゃ本末転倒だ。
それとも、これは自分から話しかけないといけないパターンなのか?
そうしないとイベントが先に進まない――ゲームとかでよくあるやつだけど、こういう場合はちょっと不親切に思える。
ただでさえこっちは巻き込まれているんだから、そのくらいは主催側からの誘導があってもいいはずだ。
あとで感想アンケートでも頼まれたら、そう答えておこう。なにかもらえるかもしれないし。
内心で考えながら、近くの人に足を向ける。
さっきからずっと叫び続けている人たちはちょっと怖かったので、少し離れたところで静かに腰を落としている相手の肩を叩いた。
「あの」
反応はない。
まだ若い男の人は、呆然とどこかを見つめている。
この人だけ、さっきから一度もこちらを見なかったから、なにかのイベント待ちだろうと思ったのだけど、そうではなかった。
肩を叩かれた相手はこちらを見ないまま、ぐらりと頭をかたむかせて、そのまま床に倒れ込んだ。
けっこうな勢いで頭を地面にぶつけたので、こっちも慌ててしまい、
「大丈夫ですか!?」
思わず手をかけてから、その柔らかい感触に今更のようにびくりとした。
――触れられた。
ということは、この相手はバーチャルじゃない。
人間だ。
いや、それも違う。
今触れた相手には、はっきりと温度があった。体温。徐々に失われつつある、温度が。
つまり、これは死体だ。
元人間の死体。まるで本物の。
「ついに、あの魔王を追いやったぞおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
誰かの叫びが耳に入った。
魔王。気になる言葉ではあったけど、もっと重要なのは後半の部分だった。
追いやった。
魔王を追いやった。
――いったい、どこに?
顔をあげて、あらためて周囲の人々の様子をうかがう。
相変わらず、彼らはこちらを気にした様子は見せない。
涙を流しながら、歓喜の叫びをあげ続ける人々。
彼らは確かに喜んでいた。狂喜していた。
傷つき、血を流しながら、仲間と抱き合い、なかにはこちらを見ている相手だっている。
だが、彼らは決して自分を見ていなかった。
彼らは全員、自分じゃないなにかを見つめていた。あるいは、なにかを見ていた結果としての自分を。
この連中たちにとって、自分は残滓に過ぎないのだ。
なにかの。あるいは、誰かの。
……魔王。
ぞくりと背筋が震えた。
不安と不快とが、全身を這い上がって怖気をおぼえる。
吐き気がした。
それは、さっきからあたりに充満する異臭のせいだったかもしれない。
唐突に、それがなんの匂いか思い至った。
焼け焦げた肉の匂い。
……臭覚をVRで再現させることはできない。
急に胃液が喉元までせりあがってきて、その場に嘔吐した。
食べたばかりの朝食を盛大に吐き戻す。
胃の中のものを全部、外にだす勢いで吐瀉しながら、頭のなかで考えていた。
これは体験イベントなんかじゃない。
これは異世界転移だ。
そして、もうひとつ。
転移したのは自分だけではない。
――その日、僕は異世界に転移した。
この世界の魔王を、どこかへ転移させることと引き換えに。
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