第7話 静寂の裏で

2014年、年の瀬が迫る頃。

浜田順太郎――土竜は、ついに疲れ果てていた。

ナプキン待ちぼうけ事件の炎上、父と妹からの罵倒。

「俺はもう配信なんてやめる。全部消して、普通に生きるんだ」

PCの前でそう宣言し、YouTubeチャンネルを更新停止状態にした。


だが、彼が忘れていたものがひとつあった。

数週間前に投稿していた「自宅紹介」動画である。


――『俺の部屋ツアー!貧乏YouTuberの生態w』


ネタ半分で撮影した動画には、家の外観や窓の形、さらには近所の商店の看板まで映り込んでいた。

視聴者たちは、細かな特徴を繋ぎ合わせていった。

地元掲示板に「土竜ハウスの場所わかった」というスレッドが立ち、住所は瞬く間に拡散された。


それからの生活は地獄だった。


ある晩、家のインターホンが鳴る。

出てみれば、頼んでもいない寿司が届く。

翌朝にはピザの宅配が立て続けにやって来る。

さらに深夜、玄関先に「モグラ死ね」と書かれた紙が貼られていた。


「順太郎! お前のせいで!」

父は拳を震わせ、スーツ姿のまま玄関で怒鳴り散らした。

「俺の立場まで危うくなるんだぞ! 入国管理局の職員の家に嫌がらせなんて、洒落にならん!」


妹も顔を歪めて叫ぶ。

「もう学校で噂になってるんだよ! “土竜ハウス”って! 私まで笑われてる! 最悪!」


順太郎は自室に逃げ込み、布団をかぶって震えた。

外からは、近所の子供たちの囁き声が聞こえてくる。


「あそこが土竜の家だって」

「うわ、やべえ」


彼はガラケーを握りしめた。

もう何も見たくない、何も聞きたくない。

それなのに、受信箱に光る一通のメールに目を奪われる。


差出人:「美咲」

件名:「大丈夫?」

本文:「順ちゃんの味方は私だけだよ。また会おうね」


土竜の細い目が潤んだ。

心の中で何度も繰り返す。

「俺には、美咲がいる」


――こうして、彼は再び奈落に足を踏み入れていった。


「順ちゃん、本当はあのとき会いたかったんだよ。

でも、悪い男に騙されていたの。本当にごめんね」


――美咲。

差出人を見た瞬間、浜田順太郎の胸は熱くなった。

あれほど晒され、笑われ、家族にも罵倒された自分に、まだ手を差し伸べてくれる人がいる。

彼は震える指で「大丈夫、僕は信じてる」と返信した。


迎えた約束の日。

順太郎は鏡の前に立ち、必死に髪を撫でつけた。

安物の香水を首に吹きかけ、愛用のオーバーグラスを丁寧に拭いた。

ガラケーをポケットに入れ、心臓を早鐘のように打たせながら、指定された郊外の駅前広場へと向かった。


平日午後一時。人影はまばらだった。

ベンチに腰掛け、何度もガラケーを取り出しては時間を確認する。

やがて彼の前に現れたのは、美咲ではなかった。


「うわ、ほんとに来てるw」

「土竜だ!マジでいるぞ!」


スマホを構えた男子高校生の集団だった。

レンズが彼を取り囲み、嘲笑と罵声が飛ぶ。

「コンドーム持ってきた?w」

「ナプキンは?ww」


順太郎は顔を覆い、走り去った。

背中に響く笑い声とシャッター音。

すでにその瞬間、ネットに新たな祭りの火が点けられていた。


帰宅した順太郎は布団をかぶり、息を荒げた。

「もう……もうネットなんて信用しない」

YouTubeチャンネルを削除し、ガラケーを解約した。

配信者「土竜」は、この世から消えたはずだった。


だが、ネットは彼を許さなかった。


まとめサイトの見出しが踊る。

――「土竜、失踪www」

――「幻のオフ会 in 駅前広場」


Twitterには「#土竜チャレンジ」のタグが生まれ、若者たちがオーバーグラスをかけてナプキンを持つ真似をする動画が拡散されていく。

彼のいないところで、順太郎は延々と消費され、笑いの種として生き続けた。


布団の中で、順太郎は狭い細目をぎゅっと閉じた。

だが、まぶたの裏にまで「土竜」という烙印は焼き付いていた。

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