第31話 大陸横断鉄道


 この世界に国と呼ばれる枠組みは存在しない。

 人々を支配、統治するような支配階級もなく、行動力やリーダーシップのあるカリスマ性を持つ者が、群れのボスのようにコミュニティを取り仕切る。それらは大陸の各地、あらゆる場所に存在していて、村や町、集落などが一まとめにされる事なく無数に点在している。故に国や国家のような枠組みは無く、例えるならば古代ギリシャのように大きな都市が、そのまま周囲に対する強い発言力を持ち、影響を及ぼしていた。


 内政干渉はせず、互いに適度な距離を保ち、持ちつ持たれつが社会の流儀だ。

 だからこそ、大罪の王が各地の枢要罪をまとめ上げ、巨大な勢力を作り上げた際には抗う事が出来ず飲み込まれてしまった。

 大陸に戦火を広げ、女神殺しを成し得ようとした文字通りの大罪人であったが、それでも王が世界に刻んだ恩恵は少なくは無い。

 その一つが大陸を走る蒸気機関車、大陸横断鉄道だ。


 エンドシティ。

 大陸の辺境に位置するこの町が、大陸横断鉄道の始発駅であり終着駅でもある。


☆★☆★☆


 憂鬱のメランコリックの一件を解決してから四日後。アイチ達はようやく、目的地であるフランフルシュタットへの鉄道が発着するエンドシティに辿り着いた。


「けほけほ」


 町の入り口まであともう少しという場所まで到着した途端、アイチは軽く咳き込んだので、仕込み杖を引き先を歩くアンジェリカが振り返る。


「今日は咳が多いわね。お水でも飲む?」

「すいません、いただきます」


 鞄から取り出した水筒を受け取り、中に注がれた温い水で喉を潤す。


「……ふぅ。ありがとうございます。どうも朝から、喉の奥がむず痒いモンでして」

「ここ数日、雨が少ない所為で空気が乾燥しているからかしら」

「そこは普通、体調不良を心配する場面じゃないかしら。気の利かない女ね」


 そうチクッと嫌味が聞こえたのは、アンジェリカの背負うリュックから。中に隠れているジゼルの声だ。荒野や街道のど真ん中ならともかく、人通りも多くなるであろう町中で、喋る人形を連れて歩くのは人の注目を集め過ぎてしまうだろう。


「うるっさいわね。聞こうと思ったわよ、思ったけど……」

「問題ありませんよ。至って健康体です」

「……って、絶対に言うもん」


 アイチの発言に少し拗ねたよう唇を尖らせた。

 咳の多さに気が付いたのは今朝。広げていた野営を片付けている最中、苦しそうに何度も咳き込んでいたので、心配になったアンジェリカが声をかけたのだが、熱を測ろうとする手から逃れるように、先ほどと同じ言葉を告げられた。


「ここまでの道中、足取りも確りしてたから、余計な心配はしてないけど……」

「下手に迷惑をかけるより、早めに報告して貰いたいモノね」

「わかりましたよ。やれやれ、口煩いのは二人に増えちまった」


 少女二人に詰められて、アイチは小さく肩を竦めた。


「まぁ、ともかく、徒歩での旅は一時終了……見えてきたわよ!」


 顔を上げるアンジェリカの視線の先には、街道からの旅人を出迎えるアーチ状の大きな看板が建てられていた。


『ようこそ、旅立ちの街エンドシティへ』


 遠目からでも古ぼけた大看板に書かれている文字が読めた。

 そして町の方角から緩く吹いた風に、アイチはひくひくと鼻を反応させる。


「煙っぽい、煤の匂いがしますね」

「それは機関車の燃料に使う石炭の匂いね。優雅とは言い難いわ、煙臭さが染みついちゃう」


「リュックの中なら心配いらないでしょ。さぁ、目的の駅舎まで後少しよ」

 ここまでの旅路で疲れも溜まっていたが、明確な目的地が目に見えて確認する事が出来たおかげで元気を取り戻したのか、アンジェリカは空いている手を振り上げてから、歩む速度を早くして町の入り口を目指した。


「けほ」


 小さく咳をしながら、仕込み杖を引かれアイチも後に続く。

 目的地が間近という事もあり、疲労の溜まった足も軽くなったのか、歩き始めて数分でもう入り口の目前まで到着。ここまで来れば町の全貌を眺めるのに十分であったが、目視したエンドシティの姿は想像とはちょっと違っていた。


「……意外に殺風景な町なのね」


 興味を引かれてリュックから顔を出し、アンジェリカの肩越しに町並みを眺めたジゼルは、拍子抜けしたような声を出す。

 アイチは少し警戒心を滲ませ。


「異常事態、って事ですかい?」

「いいえ、これは単純に……寂れてるだけ、かな」


 アンジェリカも予想外だったらしく、歩く速度を緩めながら入り口から町を見回した。

 大陸に一つしか存在しない鉄道。長い道のりを踏破するとはいえ、停車する駅は全部で九つと数は少ない。故にその駅舎がある町なだけに、内と外を問わず方々から様々な人間が集まり賑わっているモノと勝手に思っていたが、それはとんだ思い違いだったようだ。


 木々は殆ど無い広陵とした荒野に、ポツンと存在するエンドシティの町並みは、一見するとゴーストタウンを連想するほど静まり返っていた。アーチ状の看板を潜った先には大通りが伸びていて、左右には鉄道目当てでやってきた旅人を受け入れる為か、宿を営む木造の建物が複数立ち並んでいたが、その殆どは入り口に板が打ち付けられ、営業しているようには思えなかった。普通の町より横の幅が広い大通りは、恐らく荷馬車の往来や、露天商が店を開くスペースを確保するモノだろうが、露店どころか荷物一つ置かれていない大通りは、広さもあって余計に殺風景に感じられる。


 かといって、本当にゴーストタウンなのかと言うとちょっと違う。

 住人らしき人間がぽつんぽつんと、大通りを歩いている姿が確認できたし、入り口が空いている食堂らしき店舗からは、地元民が集まっているのか、ささやかな喧騒が風に乗ってアイチ達の下まで届いていた。


「寂れてるだけで、人が住んでないってわけじゃなさそうね」

「この規模の町にしては少々、物足りない数ではありますけど」

「長居するわけじゃ無いんです。鉄道が動いてりゃ構いませんよ……駅舎はこのまま真っ直ぐでいいんですかい?」


 アンジェリカが顔を大通りの正面に向けると、木造立ての駅舎が目視できた。


「目と鼻の先ってところね。今日のところは宿を取って一息入れるくらいの、懐の余裕はあるけど、どうする?」

「今日中に乗れるんなら、乗っちまいましょう」


 悩む間も無くアイチは答えた。

 普段からテンションが低いのでわかり辛いが、ここ数日のアイチは内心で強いジレンマを抱えていた。幼馴染みを殺した創世の女神とその使徒達。想定外とはいえ刃の届く範囲に使徒達に近づいていたり、彼らの残り香がある企みに遭遇したりと、アイチの燃える復讐心に燃料をくべるには十分の事態ばかりだ。


「どうせ数日は、けほ。汽車の中なんです。休養なら十分取れるでしょう」


 どことなく熱の籠った声色に、リュックの中のジゼルは呆れと心配、半々の感情でため息を漏らす。


「そんな顔を真っ赤にして主張しなくても、わかっているわマスター」


 ジゼルは視線を鋭くする。


「連中に借りを返したいのはわたくしも同じよ」

「頼りになりすぎて、獲物が横取りされやしないか、心配になっちまいますよ。けほけほ」

「あら、それは早い者勝ち。精々、頼ってくれてよろしくてよ」

「わ、わたしだって!」


 仲良さげな二人に割って入るように、杖を引きながらアンジェリカが息巻く。


「戦うのは無理だけど、金銭面のサポートならバッチリなんだから」


 そう言って背負ったリュックをジゼルごと揺らす。


「憂鬱の一件で賭場のボスからは違約金をたっぷり脅し取ったからね。一等級の客室は無理でも、二等級くらいの席は買えるんだから」

「そりゃ心強い。苦労して金を換金した手間があったってわけですが、別に無理に上等な客室でなくても構わんですよ」


 アンジェリカの自宅から持ち出した金塊を、高レートで換金できた事も旅の懐が温かくなった要因の一つ。賭場のボスから毟り取った報酬を加えれば、数ヵ月は豪遊できるだけの金額は、一等級の客室も十分に抑えられただろうが、果てが読めない旅路なので出費はなるべく抑えるのが旅の方針だ。


「それでも休養の為の出費は必要経費でしょ」


 急くアイチの内心に気が付いてか、やんわりとアンジェリカが窘める。


「フランフルシュタットじゃ何が待ち構えてるか、わかったモンじゃないんだから。二等級だったら個室で、ベッドもあるし休むくらいはできるわ。三等級の硬くて揺れる椅子の上じゃ、ゆっくりする事だってできやしない」

「……なるほど。お心遣い、痛みいります。けほ」


 素直に頭を下げると、アンジェリカは嬉しそうに鼻の頭を掻いた。


「えへへ。まぁ、わたしに出来る事はこれくらいだしね。お礼なんて別にいいのよ」

「そうよマスター。町の情報収集で得た知識なのだから、ことさらの感謝は不要だわ」

「情報収集だって立派な役割りでしょ。まぁ、別に感謝されたくてやってるわけじゃないから、いいんだけどさ」

「いや、感謝してますよ」


 予想外だったのか、驚いたようにアンジェリカは振り返る。


「一人じゃここまで順調な旅は難しかった。飯や宿の金まで世話して貰ってるのに、感謝の一つもできないほど、俺ぁ恩知らずじゃありません」

「あら、殊勝なのねマスター。謙虚なのは良い心掛けだわ」

「なんでアンタが偉そうなのよ」


 何故か後ろでふんぞり返るジゼルにジト目を向けてから、アンジェリカは歩みを止めず視線を仕込み杖で引かれるアイチに向ける。


「こそばゆいから本当にお礼とかいいわよ。目的があるのはわたしも一緒だし……ああ、それでも感謝したいって言うなら、そろそろわたしの事、アンジェリカさん、じゃなくってアンジェって呼んでよ」

「それは別の話ですよ、アンジェリカさん」


 軽く一笑されてしまい、アンジェリカは唇を尖らせた。

 人気が予想以上に少なくとも、人が営みを続ける町らしい雰囲気は、踏み入れただけで何処となく安堵感を与える。耳を澄ませば顔も名前も知らない住人の、他愛の無い会話が風に乗って聞こえるだけで、暗く閉ざされたアイチの視界に僅かな彩りを添えてくれた。特に駅の方から聞こえる汽笛の音は、すっかり忘れていた少年心を呼び起こしてくれるようだ。

 駅に近づくと流石に人の姿は増えてきたが、それでも予想よりはずっと少ない。


「とりあえずは駅舎でチケットを買わなきゃね。上手い具合に出発の早い便に、乗れればいいんだけど」

「その心配は無用だぜ、姐さんにアイっちゃん」


 突然、会話に割り込まれてアンジェリカ達は思わず足を止める。


「げっ、あの男」


 アンジェリカは露骨に顔を顰める。

 声の主は直ぐに判明した。駅舎の入り口に立ち塞がるよう待ち受けていたのは、傾きかけた陽光に頭部を鈍く光らせるハゲ頭。最後に見た時より、僅かながら頭皮に毛が生えつつあったが、紛れもなくホランドの姿だった。

 洋館の前で行方を眩ました以来の再会だが、へらへらとした笑みを浮かべ近づいてくるホランドとは対照的にアイチ達、特にアンジェリカの表情に歓迎の色は皆無だ。


「へっへっへ、久しぶり……ってほど時が立ってるわけじゃないけど、早めに再会できて俺っちは喜ばしいぜ。なぁ、アイっちゃ……っいてぇ!?」


 親愛を示す為か不躾に抱き付こうとするホランドの胸元を、仕込み杖の先端で突くように押し留めた。


「二度と会う事は無いと思ったんですがね。さて、どの面下げて待ち構えてたんです?」

「そうよそうよ! アンタがわたし達を罠に嵌めた事、許した訳じゃないから」

「……よくは事情を知らないけど、とりあえずは招かれざるお客様のようね」


 呆れた様子のアイチの他に、殺気立つアンジェリカとジゼルに気圧され、逃げるよう一歩後ろに飛び退きながら激しく両手を左右に振る。


「いやいや、待ってくれってば!?」

「なによ。言い訳くらいなら聞いてやってもいいけど」

「言い訳聞いてくれるんなら、ついでのこれも見てくれよ」


 慌てて取り出したのは三枚の紙切れだった。


「これって……フランフルシュタット行きのチケット。それも一等席じゃない!?」

「流石は姐さん、わかってるぅ」


 理解の早さにホランドはニッと歯を見せるよう口角を上げ渾身のドヤ顔を晒す。

 大陸横断鉄道の乗車チケットは三等席ならともかく、それ以上の席となると値段が一桁以上違ってくる。アンジェリカが手に入れる予定だった二等席のチケットも、一般庶民には手が届かない高級品ではあったが、一等席はその更に上を行くプラチナチケットだ。


 驚きに打ち震える気配を察して、アイチは首を傾げて訝しがる。


「そんなに言葉を失うようなモノなんですかい。たかだか、汽車のチケットでしょう」

「ところがどっこい、一等席はレヴェルが違うんだな、レヴェルが」

「不愉快な巻き舌ね」


 ジゼルが顔を顰めるのも構わずホランドは滑りの良い舌を更に回転させた。


「このチケットで乗れる列車『イーストパシフィック号』の一等席は、四つしか席の無い超激レア。一等席がどんなモンか知ってっか?」

「馬鹿に、すんなっての!」


 調子よく喋りながら肩を抱こうとするホランドを、ジト目で突き飛ばした。


「ベッドとお湯の出るシャワー付きの個室でしょ。確かに魅力的だけどフランフルシュタットへの到着日は二日後。終点がある大陸の端っこまで行くならともなく、二日ぽっちに支払う額としてはつり合いが取れてるとは思えないわね」

「おいおい、それだけじゃ無いんだぜ」


 肩越しに覗くジゼルが嫌そうに顔を顰めるくらい、得意げな表情をしながらホランドは、丸めてズボンのポケットに突っ込んであった冊子を広げた。


「このプレミアムチケットは、プライベートルームのある客室だけじゃなく、食堂車での飲み放題に食い放題のおまけつきだ。イーストパシフィックのスイーツは、絶品らしいぜ」

「……絶品、スイーツ」


 ここまで無関心を貫いていたアイチが反応を示し、ゴクッと生唾を飲み込む。


「更にこのパンフレットによると、専属の楽団が朝昼夜の三ステージ、音楽や朗読劇で旅路の退屈を紛らわせてくれるそうだ」

「へぇ、それは少々、面白そうね」


 歌劇人形だけあってか、ジゼルが興味を示す。

 最後のひと押しとばかりに、ホランドは三人の前でペラペラとチケットを振った。


「どうだい、アイっちゃん。こんなプレミアムチケットが無料で手に入るんだぁ、受け取らない理由は、無いよな?」

「……昔っから、タダより高いモンは無いって言います。単純にお詫びの品ってだけじゃないんでしょう」

「そいつは誤解だぜアイっちゃん。まぁただ……」


 大袈裟に肩を竦めた後、媚びるような笑みで猫なで声を出す。


「俺っちのお願いを、ちょ~っとだけ聞いてくれれば……」

「二等席で問題は無いでしょう」

「オーケー、アイチ」


「ちょちょちょ!? 待って待って、待ってくれよ!?」


 条件を出そうとした途端、会話を打ち切られ横をすり抜け駅に向かおうとする一行を、ホランドは慌てて呼び止めた。

 胡散臭げに振り返るアンジェリカに見せつけるよう、その場で両膝と手を突く。


「頼むよアイっちゃん、姐さん、ジゼルちゃん!」

「ジゼル様、よ」

「ジゼル様!」


 間髪入れずの言い直しに、ジゼルは満足そうな顔をする。


「俺っちもフランフルシュタットに、アイっちゃん達と一緒に連れてってくれよ!」


 唐突な申し出にアイチとアンジェリカは顔を見合わせた。


「そいつは、また、珍妙な条件ですね」

「アンタがわたし達とフランフルシュタットに行って、どうするってのよ。行きたきゃ一人で行けばいいじゃん」

「……そいつはぁ」


 当然の質問にホランドは言葉を詰まらせたが、頭を土下座の状態で伏せていたので、アンジェリカからは表情は見えなかったが。


「そいつは……フランフルシュタットは、大陸随一で唯一の金融都市だぜ? 世界中の金持ちが集まって、世界中の金が集まる場所。警備だって厳重だ。何せ大罪の王の侵攻すら防ぎ切ったほどだからな……俺っちみたいな見るからに小悪党、駅に降りた途端に豚箱へ放り込まれちまう」

「いや、流石にそこまでは……あり得る、のかな?」


 アンジェリカもフランフルシュタットの事は、大銀行がある都市という情報しか知らないので、内情がどうなっているかまでは把握していない。

 だが、それはアイチとアンジェリカも同様だ。


「別にわたし達と一緒に居たからって、怪しまれないとは限らないじゃない」

「おやおや姐さん、知らないのかい?」


 ホランドはムカつく顔で両目を見開く。


「姐さん達は大銀行にご両親の遺産を取りに行くんだろ?」

「……まぁ、そうだけど」


 迂闊だったとアンジェリカは内心で舌打ちをする。憂鬱の洋館に向かう道中、しつこく旅の目的を聞いてきたので、フランフルシュタットの大銀行を目指している事を離してしまった。流石に金塊の事は秘密にしていたが、もう二度と顔を合わせる筈が無いと高を括っていたのが不味かった。


「って事はよ、銀行が発行した身分証も持ってるってわけじゃん」

「持ってるんですか?」

「一応……アンタの前では取り出さないわよ?」


 疑うようなジト目で睨むと、ホランドは慌てて両手を左右に振る。


「いやいや、別にそこまで求めちゃいないぜ。見せるのは向こうに到着して、銀行の受付嬢が言い掛かりをつけてきた警備連中にしてくれ……って事でよ、何とか頼むぜ姐さん、アイっちゃん」


 二人の顔を交互に見てから再度、頼み込むように額を地面に擦り付けた。

 人の出が少ないとは言っても、ここは町のど真ん中で駅の目の前。当然、周囲には人の眼があるし、チラッと駅の方を盗み見ていると、制服を着た駅の職員らしき男性二人組が、怪訝な顔で何やらひそひそと相談している。

 突き刺さるような視線はアイチも感じ取れた。


「けほけほ。このまま騒ぎになったら、けほ、地元の警備を呼ばれてとっ捕まっちまいますよ」

「……いいの?」


 問い掛けられてアイチは肩を竦める。


「味方が増えようと敵が増えようと、俺のやるこたぁ変わりません。邪魔になれば……」


 カチッとワザと音を立てて仕込み杖の鯉口を切る。


「ぶった斬るだけです……けほ」


 脅しに近い警告にホランドの顔がサッと青ざめた。

 アンジェリカは仕方ないなぁとばかりに嘆息する。


「まぁ、アイチがいいならいいんだけど……ジゼルは?」

「マスターの所有物であるわたくしに意見は無いわ。バレエやオペラが楽しめるような、知的な人間に思えないのが残念ではあるけれど」

「じゃあ決まりだな!」


 意見が覆される前にとばかりに、勢いよく立ち上がったホランドがチケットを持った手を突き出す。


「交渉成立だ! フランフルシュタットまで二日の旅路、一等客室でのんびり優雅と洒落こもうぜ!」


 調子に乗るような声色と共に立ち上がったホランドは、図々しい態度で再びアイチの肩を抱こうと手を伸ばすが、その手は肩を掴まず空を切った。屈むようにして避けた、はずが、曲げた膝に上手く力が入らず、パタッと前のめりに倒れてしまった。


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