第28話 フェイクドール
「さて、どうしたモンかね」
アイチは苛立ちを覚えていた。振り回される巨大な節足から繰り出される風を頬に感じながら、攻めあぐねるアイチは逆手に握る仕込み杖の柄を親指で摩る。
傍目からは落ち着いているように見えるが、胸の中には焦燥が燻り始める。
ウィドウの巨大で一撃の破壊力はあるが、単調な攻勢を捌くのは難しく無い。ただ、刃が通らないのと、上手く通しても再生されてしまうのは何とも底意地が悪い。小柄なアイチの体力は徐々に削れていくし、集中力が削がれれば注意不足から踏み潰される可能性も高くなる。
かといって逃げに転じられるような状況でも無いのが、歯痒いところだ。
破壊音に混じり聞こえて来た。コッペリアの声によると、後ろに控えるリリスが色々と悪さを仕込んでいるようだが。
「…………」
「あら。よそ見をしているのは、よろしく無いのではないかしら」
意識を向けると意図に気が付いたように、割り込んできたウィドウの巨体が、強引に身体をぶつけようと迫ってくる。
上手い具合に殺気の線を切られしまった。これでは隙を突く事も出来ない。
「やれやれ。こいつは参った」
軽口をワザと言葉として発しつつも、体力の消耗が息の荒さになって現れ始める。
対抗する手段が全く無いわけでは無い。アイチの奥の手、『神眼』を使用すれば、罪石から供給される魔力線ごと、ウィドウの巨体を斬り裂く事が可能だろう。
しかし、それを可能とするには、今のアイチは冷静過ぎた。
「……ッ!?」
眼帯に覆われた見えぬ眼に意識を注いだだけで、嫌な幻痛がアイチを襲い、粘りつくような不快感のある汗が背中に滲む。これは恐怖。耐え難いほどの恐怖心だ。このままウィドウに負けるよりも、復讐を果たせず志半ばで死ぬ事よりも、アイチは神眼を使用する事に強い忌避と怯えを感じていた。
「あらあら、どうしたのかしら。呼吸が乱れていましてよ」
異変は傍目からもわかる様子で、微笑を湛えたままのリリスに指摘される。
「くっ……はっ、はっはっ」
閉じていた口が開かれ、攻勢を回避しながらも荒い息遣いが肩を上下させた。
運動による消耗から生じる疲労では無い。強い精神的な負荷がアイチの体力を、ごっそりと削っていく。
「大口を叩いていた割りに限界は早かったようですね。そのザマでは、ウィドウに捕まるのは時間の問題かしら」
「はぁはぁ……出来れば、人間の形の時に、抱きしめられたいモンですねぇ」
「蜘蛛の姿も案外、悪いモノでは無いかもしれませんわよ」
軽口を微笑みで返して、リリスは握った罪石をウィドウに向ける。
「さぁ、ウィドウ。お客様はお疲れです、終わりにして差し上げなさ……」
「悪いけれど、それは此方の台詞として貰ってあげるわ」
余裕の微笑みに水滴を垂らすように、冷ややかな一言が場を斬り裂く。
刹那、一陣の風が螺旋を纏って室内を真横に飛ぶ。渦巻く紺碧の粒子を羽織り、リリスを狙って飛ぶのはピンと両の爪先を伸ばしたコッペリア。下半身が動かない彼女はホランドに投擲して貰い、身体に残った最後の魔力を振り絞り、放出し加速させると同時に、纏った粒子は皆の視線を集めながら吸い込まれるようにリリスを穿った。
避ける間も防ぐ間も与えず、爪先の粒子がメイド服を引き千切り硬い肌に突き刺さる。
「コッ、コッペリア――このっ、名無しの人形がっ!?」
「わたくしの最後の力、奈落の底に持っていきなさい」
微笑が消えた表情に憤怒を浮かべ、悪態を突くリリスの身体を圧し折るように、コッペリアの一撃が炸裂。紺碧の渦に引き裂かれるようにリリスの腹部は砕け、肉や臓物の代わりに陶器のような破片と粉砕した歯車が飛び散った。
舞う自身の破片に混じって、圧し折られた上半身の顔が唖然と色を失う。
最後の力を振り絞った一撃を放ったコッペリアは、身に纏う粒子が消滅すると共に落下。動かない下半身では着地も満足もできず、不格好に床の上をバウンドしながらも、掠れる声を張り上げる。
「マスター! わたくしに泥臭い真似をさせたのだから、負けは許されないわよ!」
「……仕方が無いですねぇ」
顔を伏せながらも気配で状況を察したアイチは、僅かに唇の端を持ち上げる。
対峙するウィドウから感じ取れる魔力は明らかに弱まった。しかし、巨大蜘蛛が強大な敵である事は変わりなく、正攻法で戦おうと思えば骨が折れる作業なのは変わり無いだろう。
だからアイチは、奥の手を抜く。
「……ふぅぅぅ」
刃を杖へと納め逆手に握ったまま腰を深く落とすと、アイチは深呼吸をする。
瞬間、両手で握った仕込み杖に、バチバチッと紫電が走った。
「!?!?!?」
本能のまま襲い掛かろうとするウィドウが一瞬、動揺するように身を引いた。
仕込み杖から迸るのは電撃。源流となるのはアイチの魔力だ。魔力をほぼ持たないアイチが、唯一扱える力を振り絞り、一歩、右足を力強く踏み込んだ。
落雷の如き轟音を響かせ、矢を放つようにアイチの身体は一直線にウィドウへ接敵する。
素早いが直線的な攻勢に本能に突き動かされ、脚を振るい迎撃しようとするウィドウだったが、逆手で放たれた刃の一撃が正面二本の脚を真一文字に両断した。
「――紫電刀」
振るわれた刃に雷を纏わせ脚を焼き切ったアイチは、そのまま速度を落とさずウィドウの巨体を蹴り上る。同時に雷の尾を残す刃を振るいながら身体を両断。トドメの一撃として身を捻りながら牙を生やすウィドウの頸を叩き落とした。
「――おまけ、だッ!」
最後に仕込み杖を握り直し、落下の勢いと共に残った刃の雷を散らすよう、頸が落とされたウィドウの身体を一刀両断する。肉を断つとは明らかに違う、陶器に似た無機物を斬る感覚を残して、アレだけ不気味で生々しかったウィドウの巨体は、両断されたまま硬直。落とされた頸が床に落ち、渇いた音を立てて砕け散ると同時に、巨体がサラサラと風に消える砂上のように塵と化す。
最後に残ったのは、真っ白い灰のような粉の山だ。
「す、すげぇ……」
短い沈黙の後、腰が抜けたように尻餅を突くホランドが惚けた声を漏らす。
床に片膝を突き残心するアイチは、手の中で仕込み杖をクルッと逆手に握って、鞘へと刃を納める。大きく息を吐き出しながら立ち上がろうとするが、上手く力が入らずガクッと上げかけた膝を落としてしまう。
「だ、大丈夫かよアイっちゃん!」
荒い息遣いのまま、駆け寄ろうとするホランドを手で制した。
「ちょいと、疲れただけですよ。心配ありません」
素っ気なく言ってから少しの間、膝を突いた態勢で息を整える。
紫電刀は魔力を電撃に変換して、刃に纏わせ破壊力を上げるだけの単純な技だ。枢要罪や使徒達が操る力に比べれば、児戯に等しいだろうが、絶望的に魔力の才能を持たないアイチにとっては、唯一の奥の手であり切り札でもある。故にリスクも大きい。僅か数分の戦闘でも魔力はほぼ枯渇してしまい、酷い眩暈と疲労感がアイチを襲って、現状のように立ち上がる事もままならない。確実に勝てる状況以外では、自殺行為に等しいだろう。
数分かかって呼吸を正常に戻し、アイチはゆっくりと立ち上がる。
長距離走をした後のような気怠さを身体に感じながら、額の汗を拭いすり足で歩を進め始める。仕込み杖の先で慎重に、床の上を探るよう大きく円を描き這わせると、直ぐに先端が目的のモノを突く。
「……乙女の身体を触るには、無粋すぎるのではないかしら?」
「そいつは勘弁して貰わないと、よっと。仕方の無い事でござんす」
「変な喋り方。後、持ち上げる時の掛け声も」
「重ね重ね、失礼ばかりで申し訳ありません」
ぺこぺこと頭を下げながら、せめて抱え方くらいは丁寧にと、仕込み杖を脇に挟み両手の上に乗せるよう抱きかかえる。コッペリアの身体は最初に抱き上げた時に比べ、手の平で感じ取れるくらい軽くなっていた。特に下半身部分は、中身がスカスカになってしまったかのように重量感がなく、少しでも指先に力を込めれば、ウィドウと同じように砕け散ってしまうのでは無いかと錯覚してしまうくらい。
「別に構わないわ。わたくし自身の決断よ」
「……そうですか。なら、よかったです」
「ねぇ、マスター。リリスの所まで、連れてってもらえるかしら」
「わかりました」
頷き、僅かに残る気配と、コッペリアの指示を受けながら、踏み潰さないよう慎重に足を進め、床に伏せるリリスの近くまで進む。
「……リリス」
呟くコッペリアの背中を押し上半身を持ち上げながら、アイチは横たわるリリスの側に片膝を下ろした。
腹部を蹴りの一撃で破壊されたリリスは、既に魔力を失った下半身部分が灰のように朽ちていたが、上半身はまだ人間の形を保っていた。ただそれも時間の問題。大きな罅が顔にまで入っていて、手の指先から徐々に色を失い崩壊が始まりつつある。それでもまだ意識はあるらしく、哀れみの視線に気が付いてか、崩れ落ちそうな顔を軽く持ち上げ目線を合わせた。
「コッペ、リア……迷惑を、かけてし、まった、ようね」
「リリス、貴女?」
予想外の言葉にコッペリアは驚きに目を見開く。
喉にまで罅が届いている影響か、空気が抜けるような音を立てながら、リリスは途切れ途切れの言葉を続けた。
「長い、あいだ。酷く悪い、夢をみていた、みたい、です……ああ、うそ。ほん、とうは、全部、覚えている……わた、しは、ご主人様の、人形であるまじき、あやまちを、犯して、いました」
「ど、どういうこと?」
戸惑うコッペリアに、リリスは慙愧の念で顔を歪ませる。
「わたし、私達は、利用されて、い……た」
「リリス!?」
語り始めようとするが、限界を超えていたリリスの身体は、真実を明かす事を遮るように細かく罅が浮かび崩れ始める。
「ごめ、んな、さ、い……もう、じかん、が、ない、みたい」
謝罪する間にも崩壊は進み、綺麗な黒髪も毛先から白く染まり出す。
「あとは、ゆううつ、さまの、くち、から……これ、を」
そう言って持ち上げた右手の中には、色欲の罪石が乗せられていた。
伸ばした指先で位置を確認しながら罪石を受け取ると、役目を終えたようにリリスの右腕は石膏のように硬質化し崩れた。それを切っ掛けに残っていた部分も、次々と石灰化からの崩壊が起こり始めた。
既に見えていない光を失った瞳を向け、ひび割れた唇で最後の言葉を噤む。
「ごめ、んなさ、い、ね。めいわ、く、ばか、り……かけ……て」
言い終えるのを待っていたように、リリスの姿はメイド服を残し塵へと消えた。
戦闘の熱はあっさりと冷め、悪徳の人形を討ったはずなのに、場を包む沈黙には何とも言えない哀愁が宿っていた。
ため息の後、口を開いたのはコッペリアだ。
「馬鹿な娘。お眠りなさい、いつの日か再び、その役目を求められる時まで」
悲しげであっても気高さを失わない声色でコッペリアは歌った。
黙祷するような静寂の後、仕切り直すようにアイチは顎を上げる。
「喪に服すってんなら、ここに置いていきますが?」
「冗談はやめてちょうだい。残り少ない命であっても、真実を知る権利があるわ」
そう言ったコッペリアの視線は、部屋の奥にある扉に注がれた。
行く手を阻む存在は排除した。後は扉を開いて私室に居るという、憂鬱のメランコリックと対面するだけだ。
「と、その前に……」
アイチは後ろを向き速足で扉とは逆方向を進む。
向かった先は腰を抜かして唖然と口が開きっぱなしになっているホランド、の横でだらしない顔をしたまま、未だ罪石が生み出す淫夢から抜け出せないアンジェリカの下だ。
「いつまで寝てるんですかい、よっと」
「――あだっ!?」
コン、と仕込み杖で軽く頭を叩くと、アンジェリカは弾かれたように目を覚ます。
罪石がリリスの手から離れ、影響が途切れている事もあって、あっさり目覚めたアンジェリカは、飲み込めない状況の代わりに垂れていた涎を啜る。
「え、えっと……続き、は?」
「文字通り、夢でも見てたんじゃないですか。ほらほら、行きますよ」
「えっ、えっ、ええぇぇぇっ?」
全く腑に落ちないのか、酷く不満げな声を漏らしたモノの、見ていた夢が夢だけに、不満を声高に問いかけるような真似はしなかった。
ついでに近くで尻餅を突いていたホランドを、さっさと立てと急かすように仕込み杖で小突き立ち上がらせる。
「さて、少しばかり時間を食い過ぎた。決着を付けにいきましょう」
「ええ、そうね」
頷く二人と一緒に、腕の中でコッペリアが同意する。
扉の前まで進み、一度足を止めるとアンジェリカは素知らぬ顔をしているホランドを肘で突く。
「ほら。アンタが開けなさいよこそ泥」
「ちょ、ちょっとちょっと!? 何で俺が、あんな明らかにおっかない扉を……」
「アンタ、わたし達を嵌めたでしょ。何も責任取らずに、曖昧にするつもり?」
「う、うぐっ」
目を三角にするアンジェリカに凄まれホランドは言葉に詰まる。
度重なる恐怖体験がトラウマになってか、怯えるような素振りで逡巡するが、やはり騙してしまった負い目があるのかガックリと肩を落とした。
「わ、わかったよぅ」
渋々と前に進みでてドアノブに手をかける。
ゴクッと生唾を飲み込んでから。
「開ける……」
「ノックをなさいな。淑女の私室よ?」
折角の覚悟を挫かれるが、改めて軽く三回ノックをして、反応が無いのを確かめてから再びドアノブに手をかけた。
ゆっくりと押し開く。
隙間から生温い風と、何とも形容し難いかび臭さのような強い臭気が鼻を突く。
扉の向こう側に広がるのは前室よりずっと狭い部屋。燭台に灯された光が頼りなく照らす薄暗い室内は、天外付きのベッドやクローゼット、大きな姿見などが置かれた寝室で、右手側には大きな暖炉も備え付けられていた。
豪奢な寝室に不釣り合いな臭気の元は直ぐに判明した。
扉を開けた正面。姿見の正面に置かれた安楽椅子に腰掛けた女性のミイラが、物言わずそこで揺れていた。
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