第24話 偽りの瞳を持つ乙女
「コッペリア、は……人形なんですかい?」
「見ればわかる……ああ、見えないのですわね」
当然の返答をしようとしたが、アイチの両目が眼帯で覆われているのに気が付き、短く嘆息する。
「可憐なわたくしの姿を目視できないのは不幸の極みですけれど、惑う事なくコッペリアは精巧にして優美な人形。触って確かめてみたら如何かしら」
そう言ってコッペリアは、台座の上で身を差し出すように両腕を横に広げた。
「確かめて見ろってんなら、まぁ、遠慮なく」
「忠告しますけれど、不埒な行いは怪我の元よ。確かめるのなら伸ばした手を、もう半分ばかり横に広げて、わたくしの腕の部分を触りなさい。位置まで指示してあげたのだから、滑ったなんて言い訳は聞かないよ」
「お人形さんを弄って喜ぶ趣味はありませんよ」
「あら。その割にはいやらしい手つきだったのだけれど、気の所為かしらね」
「気の所為でしょう」
否定してから、伸ばしかけた手を言われた位置に広げ、横に伸ばしているコッペリアの腕を指で摘んだ。自分の手が隠れるほど長い服の袖をまくり上げ、人間の肌に比べれば白すぎる腕の感触は、先ほども感じたように人間の肌と大差ない。軽く指を押し込めば骨のような硬い感触もあった。
「そのまま、ちょっとずつ指を肘の方へ動かしなさいな」
「はいよ」
肌の上に指を滑らすよう移動させると、不意に肌とは違う感触が伝わった。
「これは、球体関節、ってやつですかい?」
「あら、意外に賢いのね」
余裕そうな口振りだったが、身体が小刻みに揺れていたのはむず痒さからだろう。
人形が喋る。何て事はオカルトかホラー映画での話だが、ここは文字通り幻想の種が植えられたファンタジーの世界。勇者や女神や亜人種が存在するのだから、喋る人形くらい居てもおかしくは無いだろう。
「なるほど、理解しました。それでマスターってのは、どういう意味です?」
「意味も何も言葉通りよ。わたくしを目覚めさせたのはマスターでしょう。古来より魔を宿す者を目覚めさせれば、目覚めさせた人物がその責任を負うのがルールというもの。違うかしら?」
「そもそも目覚めさせた記憶がありませんが」
事実をそのまま告げると、不機嫌そうに皺を眉間に集め自身の唇に指を添えた。
「人の唇を奪っておいて、随分と失礼な言い草なのね」
「……ああ」
心当たりにアイチは自分の指先を舐める。僅かに舌に感じるのは鉄の味だ。
「指に付着した血が、契約のトリガーになったわけですか」
「聡いのは良い事だけど、薄いリアクションは相手を傷つける事を学ぶべきね」
言われてから内心で、揶揄われていたのかと理解した。
「背中に刺さった鋏を抜いた時に、指先に血が付いたってわけですか。運が良いのか悪いのか、微妙なところですね」
「運が良いに決まっているじゃない。わたくしのマスターになれたのよ」
「そいつを決めるのは、これからの質疑応答次第ですね」
言いながらアイチは台座から少し距離を取った。
露骨に警戒を示すアイチの行動に、コッペリアはむっと不機嫌さを増す。
「此度のマスターは、人形の心を逆なでするのが得意のようね」
「気に障ったんなら謝ります。けれど、こっちは視界だけじゃなく、状況の何もかもがわからない身の上なモンで」
「……わかったわ」
コッペリアは軽く嘆息してから、台座に腰を下ろして細い足を組んだ。
「話してみなさいな。わたくしも長い間、眠っていたから現世の現状が知りたいわ」
「長話をしているほど、暇じゃないんですけどね」
「マスターの現状を理解出来る程度なら、長くはかからないでしょ。それ以外の事はおいおい学ぶとするわ」
それならばと頷いて、アイチもその場に腰を下ろしてから簡単に説明を始めた。
この屋敷に訪れた理由。メイド長のリリスに招かれたが、罠に嵌められて地下に落とされた事。目覚めたら連れだったアンジェリカと離れ離れになり、ビスクという幼いメイドに襲われた事。逃走中のトラブルで偶然、この部屋に飛び込んでしまった事。淡々と説明している間、コッペリアは口を挟まず興味深そうに相槌を打っていた。
「なるほど。大まかな状況は飲み込めたわ」
話を聞き終えるとコッペリアは呆れるように嘆息する。
「安心してよろしいわ。わたくしは屋敷のメイド達とは無関係、むしろ敵対していると言っても良いでしょう」
「敵対している?」
「そもそもの出自はメイド達と同じなのだけれど、考え方の相違があったのよ。それで数の暴力に押し切られた結果、物置同然の隠し部屋に魔力が枯渇した状態で放り込まれたの。マスターと出会わなければ、一生ここで埃を被っていたでしょうね」
「なるほど。その意見の相違というのは?」
「……言いたくないわ」
躊躇うように間を置いて顔を反らした。
しつこく問い質す理由も無いので(興味が無いので)、アイチは「そうですか」と言ってから立ち上がる。
「ともかく、俺の敵では無いって認識で、よろしいんですかね」
「味方か。とは聞かないのね、用心深い事で……一応は契約者だもの、命の危険からだって守って差し上げるわよ。見た目ほど困り事が多いわけでは無いでしょけど、現状には難儀しているのでしょう?」
思わぬ指摘にアイチは両目を覆う眼帯に触れる。
「わかるんですかい?」
「これでも血を貰った身ですから。何かしらの力を宿している事くらいわかるわ」
「……これは、迂闊だったかもしれませんね」
アイチは苦虫を噛み潰したような顔で俯いた。
両目に宿った女神の祝福、神眼。アイツを殺した女の力。意識した事で胸に燻る黒い感情が火を噴き、呼応するように眼球の奥を針で突くような痛みが襲う。
「――痛ッ!?」
鋭い痛みに両目を手で押さえる姿に、コッペリアは怪訝な視線を投げかける。
「何をしているの。わざわざ力を拒絶するような真似をすれば反動が……」
「黙れ」
酷く暗い声色に遮られ、コッペリアはビクッと小さな身体を震わせた。
言ってしまってから、感情的になってしまった事を軽く後悔しつつ、コッペリアから逃げるように背中を向けた。
「すいませんね、ちょいとムキになっちまいました……自分はそろそろ行きますよ」
「行くって屋敷の外かしら?」
「その前に、やるべき事があるんですよ。とりあえず離れ離れの連れと、無くしちまった仕込み杖を探さなけりゃなりませんが、どちらも難儀しそうですね」
「……ふん」
鼻を鳴らしてからコッペリアが台座の上に立ち上がると、優雅な足取りで地面を蹴って、まるで小鳥が宿り木に止まるようアイチの肩に着地した。
自分の場所を主張するにように腰を下ろすと、先ほどと同じように長い足を組む。
「失せ物にも探し人にも心当たりがあるわマスター。エスコート、させて頂いてもよろしいかしら?」
耳元で甘さを増した声色が囁かれ、アイチは短く思案する。
「時間が惜しい。それじゃあ、お願いしますかね」
そう告げるとアイチには見えないが、コッペリアは物凄く嬉しそうに微笑んだ。
「了解、マスター。後悔させないわ、期待していてちょうだい」
得意げな声に「はいはい」と頷いてから、コッペリアに導かれて小部屋を出る為に、入った所とは別の隠し扉に足を向けた。
☆★☆★☆
拘束されたアンジェリカの肌を、ラミアの生温い指が這いまわる。
「ちょっ、くすぐった……止めなさいよ!」
「うふふ。綺麗な肌、きめが細かい肌。刻んだらどんな音がするのかしら。楽しみ、楽しみだわ、うふふふふふ」
抗議の声は聞こえていないように黙殺され顔色は危機感で青くなる。
ラミアは揶揄う為、いたずらに指を這わせているわけでは無く、身体の何処にどう刃物を通せば、効率よく切断できるかを確認しているのだ。アンジェリカも一人暮らしが長かったので、鶏などの解体をした経験もあるから直ぐに察しが付いた。
冗談では無い。生きたまま解体されるなんて、悪夢もいいところだ。
(とは言うモノの。どうすりゃいいのよ……)
両腕を吊るされるように拘束され、爪先立ちの状態では満足に動く事も叶わない。鉄の鎖が外れる様子も無ければ、関節を外して無理矢理に引っこ抜くような器用さも持ち合わせていない。何よりも息が届く距離でラミアにくっ付かれていては、何か手段があっても行使出来ないだろう。
「た、助けてよ、アイチぃ~」
絶望感から涙目になり、頼りない声でアイチの名前を呟いた。
「あらあら、可哀想、可哀想に。ごめんなさいね、痛くないようにするのも難しいし、直ぐに殺しちゃう事も出来ないかもしれないけど……」
チロチロと長い舌でアンジェリカの耳を擽る。
「最後は綺麗に飾り付けてあげるから、それで許してね」
「ひ、ひいいぃぃぃ!?」
背後にラミアの人間とは思えない温い体温と、腰に刃物の接触を感じた。
刺される。嘔吐しそうになる恐怖の中、次の聞こえたのは全く知らない声だった。
「――駆け抜ける疾風!」
地下室に一陣の風が渦を巻き、背後からラミアを強襲した。
「――なっ!?」
予想もしていなかった不意打ちに、風に巻かれたラミアの身体が回転しながら浮きあがり、背中から天井に叩き付けた。激しい衝撃に特徴である細目を見開くが、未だ渦巻く風が身体の動きを拘束していて、そのまま態勢を立て直す事も受け身を取る事も許されない状態で、今度は重力に引っ張られ足元に叩き付けられる。
うつ伏せに倒れて気絶するラミアの背中に、ぴょこんと着地するのはコッペリア。
「相変わらず悪趣味な蛇メイドね。蛇だから当然なのかしら」
「ななな、なにぃ!? いったい、何がどうしたってのよっ!?」
振り返る事も出来ないアンジェリカは、突然、背後で起った出来事を認識する事が出来ず、首を左右に忙しなく動かしながら困惑の声を漏らす。
そんなアンジェリカを宥めるように聞き覚えのある声がかけられた。
「落ち着いてください、アンジェリカさん」
「そそ、その声はアイチ? 助けに来てくれたのっ!?」
「まぁ、結果的には……ところで俺の仕込み杖、何処にあるか知りませんか?」
「知るわけないでしょ!? 目が覚めた時点でこのざまよ!」
ややヤケクソ気味に言いながら、アンジェリカは自分の身体を前後に揺らした。
「ってか、腕を解いてよぉ! いい加減、手首がもげそうなのよ!」
「やれやれ、仕方ないですね……って言っても仕込み杖が無いんじゃ、鎖を斬る事もできゃしない。コッペリア、頼めますかい?」
「お任せあれよ――シャッ!」
掛け声と共に風切り音が短く聞こえ、アンジェリカの手首を絡めとる鎖を、風の刃を纏ったコッペリアの蹴りが寸断する。同時に拘束から解き放たれたアンジェリカは、長時間爪先立ちだった影響か、膝に上手く力が入らずその場にへたり込んでしまった。
「た、助かった……危うく両腕が無駄に長く伸びるところだったわ」
安堵の息を吐き出しながら、鎖が食い込んで赤くなっている手首を摩る。
「とにかく助かったわ。アイチ……と、もう一人は……あれ?」
鎖を斬ってくれた少女にも礼を述べようと振り返るが、立っていたのはアイチ一人だけ。少女らしき姿は何処にも見当たらなかった。
「あらあら。わたくしの可憐な姿を視認できないなんて、世の不幸極まれりね」
「えっ?」
ギョッとアンジェリカは驚く。
見当たらないと思ったのは、アンジェリカが声の主は自分と同じか、少し年下の女の子と思っていたから。まさか、アイチの足元に佇む人形が、口を開き言葉を発するなんて想像もしていなかった。
咄嗟に言葉が出ないアンジェリカに人形、コッペリアは不機嫌そうな表情を作る。
「何かしらその、蜥蜴がネズミに噛み付かれたような表情は?」
「た、例えの意味はよくわからないけど……え、ええっ。ちょっ、アイチ。これって現実なの?」
戸惑い気味の問い掛けに、アイチも返答に困るよう頬を掻く。
「女神やエルフがいる世界で今更、人形が喋ったくらいなんだってんですか」
「いやいや、驚くでしょ、普通」
右手を左右に振りながらアンジェリカはジト目を向ける。
「この前の人が化物に変わるのもそうだけど、魔法なんて簡単にお目にかかれるモンじゃないんだから。扱えるとしたら女神の使徒か……」
ちょっとだけ警戒心の滲む視線がコッペリアに注がれた。
「枢要罪の関係者のどちらかよ」
「あら、意外に察しがいいのね。随分と恥じらいの薄い恰好をしているから、おつむの方もお花畑なのかと思ったわ」
「恥じらいの無い恰好って……うわっ!?」
自分の恰好を忘れていたアンジェリカは、顔を赤く慌てて身体隠すように丸める。
「ふ、服をひん剥かれてるの忘れてたぁ!?」
「ほう。アンジェリカさん全裸なんですかい」
「下着姿よ! 普段無関心な癖にこんな時だけ食い付くなっ!」
二人の緩いやり取りを聞き流しながら、コッペリアはため息と共に肩を竦める。
「拷問を受ける寸前だったのにお気楽ですこと。マイマスターは目がお見えにならないから、ワザとらしく滑稽な身体を隠す必要はないでしょうに」
「こ、滑稽とは失礼な!? 胸の大きさには自信が……」
「駄肉の自慢をしている暇は無い、と、助言しているのよ」
毒舌の中に混じる緊張感に気付き、アンジェリカはようやく状況を理解した。
うつ伏せに倒れていたラミアが四肢をバタバタと動かし、カエルの真似でもするように四つん這いの状態で起き上がり始めていた。同時に破損したメイド服の下から覗く肌は、徐々に色素が失われ硬質化、萌黄色に変色していく。よくみれば肌だった個所は鱗のようにも思えた。それに伴い全身も肥大化しているようで、鱗に包まれた身体はメイド服を引き裂き、身の丈と同等の尻尾まで生え始めていた。
戸惑うアンジェリカに向け持ち上げたラミアの顔は、人間だった名残りとして髪の毛を生やしていたが、顔面は完全にトカゲそのものだった。
「――いいっ!? 今度は、人がトカゲに変身したぁ!?」
「蛇じゃないんですね。この妙に生臭い匂いは爬虫類のそれですか……状況はちょいと悪そうだ」
仕込み杖を持たない状態で構えながらも、アイチがそう判断を下した要因は、巨大トカゲに変身したラミアに対してだけでなく、背後の出入り口に立ち塞がる小さな影もだ。
「見つけた、見つけちゃったわ。鬼さんはラミアと遊んでいたのね、うふふ、ビスクとも一緒に遊びましょ」
いつの間に現れたのか幼女メイドのビスクが、自分の身長と同じくらいの大きな鋏を両手に持って微笑んでいた。顔は無邪気な笑顔を見せていたが、何処か禍々しさすら感じさせる不気味さに、アンジェリカはゾクッと背中を凍らせる。
「なんて物騒な幼女!?」
「やれやれ。見つかってしまったのね。どうするのマスター? 流石に二人同時に相手はできないわよ」
「さて、困りましたね。俺も素手じゃ役立たずだ」
クスクス、シャーシャーと音を鳴らすメイドに挟まれ、圧に押されるように二人と一体は後退り背中を合わせた。
ビスクだけなら何とかなったかもしれないが、問題はで舌をチロチロと覗かせるラミア。巨大鰐と同等の巨体にまで膨れ上がったラミアは、口を開けば小柄なアイチなど一口に飲み込まれてしまうだろう。
「アンジェリカさんじゃなくって、先に仕込み杖の方を回収しとくべきですかね」
「その場合、この娘が三枚におろされていたと思うけれど」
「先に助けてくれてありがとうっ!?」
軽口を叩き合う一人と一体に、アンジェリカはヤケクソ気味に叫んだ。
「冗談はさておき、この場で戦うのは得策ではないわね。だとすると逃げるしかないのだけれど、肝心の逃げ道は……」
「危なげな幼女に塞がれて逃げようがないわよ。いちかばちかふっ飛ばしてみる?」
相手は自分の半分くらいの身長なので、いくら武器を持っていても三人がかりなら何とかなるかもしれない。アンジェリカはそう考えていたが、コッペリアは首を左右に振った。
「アレの見た目に騙されると痛い目に合うわよ。安易に近づいた瞬間、大鋏に喰い殺されてしまうわ」
「食い殺されるって……」
それはラミアの方では無いのかと、言いかけたアンジェリカを遮るように、ジャキンと一際大きな音を立てて大鋏が唸りを上げる。
「お喋りは楽しいわよね、でもでも、いつまでもビスクを放っておかれては悲しいわ。ねぇ、悲しいわよね、ねぇ?」
無邪気な口調で大鋏に問いかけながら柄を動かし、音を立てて切刃を交差させた。
鋼鉄で出来ているはずの刃部分がうねうね波打つと、飴細工のように膨れ上がって行き鋏とは別の形へと変貌していく。それはまるで歪な動物の口のような形をしていて、刃があった部分には大きさも長さも不揃いな牙が、唾液のような粘液を纏いながら不気味に咢を開いていた。
「――ひいっ!?」
短く悲鳴をあげて腰を抜かしそうになるアンジェリカの背中が、後ろにいるアイチの背にぶつかり倒れる事は堪えられた。僅かに震えているのは、不気味さを増したビスクに怯えているのだろう。
「ど、どうするのよアイチぃ」
「……何か方法はありませんかい?」
「勿論、あるわ」
高まる緊張感の中、コッペリアは視線を上に向けて事もなげに言い切った。
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