第15話 香る魔性


 ジュウベイマルと側近を引き連れて、屋敷の二階から階段を使って一階にある応接間の前まで降りてきた。待たせているのは余程、重要な相手なのか、走りはしなかったモノの足取りは大股で、歩幅の小さいジュウベイマルは付いていくのに小走りになる必要があったくらいだ。


 ドアの前でブロスコは一度立ち止まり、衣服の乱れを側近に確認させながら、喉の調子を整えるように咳払いを一つ。

 最後に髭を指で鳴らしてからドアを二度ノックする。


「失礼するよ」


 普段より幾分、高めの声色を出して、ブロスコはドアを開き入室する。

 側近に続きジュウベイマルが一礼と共に足を踏み入れた。


「……えっ?」


 小奇麗な応接間で待っていた以外な人物の姿に、思わず驚いて目を見開く。

 長いソファーに寝そべりながら、退屈そうに自身の髪の毛を弄っていたのは、肌色が浅黒く日焼けしたくすんだ金髪の女性……いや、少女だ。妙に濃いメイクにピンク色のカーディガン、見えてしまわないか心配になるほど丈の短いスカートは、ジュウベイマルが見た事の無い奇妙な出で立ちで、ブロスコが自ら足を運んで会いに行く相手にしては、随分と場違いな人間に思えた。

 何よりも香水だろうか。フルーティーな濃い匂いが部屋に充満していた。


(……娼婦? いいえ、見た目で判断したら駄目よね)


 護衛に徹する為、気配を薄めジュウベイマルはドア付近の壁際で待機する。

 ブロスコは側近を背後に控えさせ、そのまま少女の正面に腰を下ろすが、肝心の相手は一瞥をくれただけで一言も発しようとはしない。

 不遜すぎる態度にジュウベイマルも怪訝な顔をする。


 しかし、ブロスコは気分を損ねるどころか、むしろ反対に少女のご機嫌を伺うかのように、似合わない笑顔を顔面に張りつけた。


「こんな場所まで御足労をかけた上に、お待たせしてしまって申し訳無い。ああ、何か飲みますかな? 酒でもジュースでも、お好きなモノを屋敷の者に持ってこさせましょう。空腹ならば食事の準備もさせますぞ」


 高圧的だった態度とは打って変わって、手揉みでもしだしそうな勢いだった。

 けれども少女の関心は引けなかった様子で、ソファーに寝そべったまま視線すらブロスコに向ける事無く自分の爪を弄っている。


「いらなぁ~い」


 少女は気だるげに言ってから、手鏡でメイクの具合を確認する。


「あたし、今ダイエット中だから。それにぃ……」


 手鏡を側に置いてあったポーチにしまいながら、少女はゆるっと身体を起こす。


「用事を済ませてぇ、さっさと帰りたいのぉ。こんなど田舎にいつまでもいたら、退屈過ぎて頭にキノコが生えちゃうわ」

「は、はぁ……キノコ、ですか?」


 困惑気味のブロスコに、顔を顰めて少女は露骨に舌打ちを鳴らす。


「じょーだん、シャレよぉ。リアクションが薄かったら激寒じゃん。マジ最悪」

「じょ、冗談ですか。あはは、これは一本、取られましたな!」


 機嫌を損ねてしまった事に怯えるよう、慌てて愛想笑いで誤魔化す。

 あからさまなご機嫌取りに少女はつまらさそうに目を細めてから、後ろに控えるジュウベイマルの姿に気が付くと、途端に興味の色を表情に浮かべた。


「おおっとっと。可愛らしい娘いるじゃん、ロリ趣味に目覚めたの? きっしょ」

「は、ははっ。そんなんじゃありませんよ……こんなナリをしてはいますが、ウチらの縄張りん中じゃ一番の使い手なんですよ」

「ふぅん」


 じろじろと不躾な眼差しに、ジュウベイマルは丁寧な仕草で頭を下げる。


「ま、別にどーだっていいけど。今時、見た目がどうかなんて流行らないし……んなことより、頼んでたモンはどーしたの? わざわざ場所まで変更してさぁ、まさか、あたしらを揶揄ってるとか言わねーよな?」


 威嚇するように睨みつけられ、ジュウベイマルを含む全員が思わず息を飲んだ。

 陽気な少女という第一印象を抱いていたが、睨みを利かせた一瞬の行為だけで、ジュウベイマルは目の前の少女が、ただ者では無い事を理解した。

 同時に不可思議な既視感も抱く。


(この娘……アイチちゃんに、ちょっと雰囲気が似ている?)


 言葉で説明するのは難しいが、この風変りな少女が纏う気配は、ジュウベイマルが今まで出会った誰とも違う独特の雰囲気を持っている。アイチの場合はそれも希薄だったが、目の前の少女は特に如実だった。

 神々しい。何故かそう感じてしまう気配に理由は思い至らなかった。


「場所に関してはご容赦を。少しばかり厄介事が起きまして……」

「やっかいごとぉ?」


 少女は思いっ切り眉根を顰める。


「ちょっとちょっと。アンタ達が好き勝手するのはいいけどさぁ、あたしらにまで迷惑かけたりしないでよね。ただでさえ雑用任されてテンション下がってんのに、マジ最悪じゃん」

「ご心配には及びませんよ。既に手は打っていますので、迷惑をおかけすることはありません。安心して頂いて結構です」

「ふぅん。ま、どうでもいいけど……そんなつまんないことより、さっさと用事を済ませたいんだけど」

「わかっております……おい!」


 振り向いたブロスコが声を上げると、廊下で待っていた部下達がドアを開き、二人がかりで大きな箱を運び込んできた。それを少女の目の前に置くと、運んで来た部下達は下がり、変わってブロスコが箱の蓋を開いて中を示す。


 箱にはびっしりと、大小様々な刀剣類が押し込められていた。

 それも捨て値で売られているような雑多な品ではなく、一振り一振りが大金を生む名刀、名剣ばかり。興味本位でこっそり覗き見ていたジュウベイマルも目を見張ってしまった。


「如何でしょうか、タマキ様」


 自信満々の笑みで手揉みをするブロスコに一瞥も向けず、タマキと呼ばれた少女は指先で髪の毛を弄りながら箱に近づくと、腰を降りながらはだけた胸元が強調される態勢で中身を吟味する。

 表情は真剣そのものだったが、直ぐに落胆の色と共に息を吐く。


「だめ、使い物になんない。こんなんガラクタばっかじゃん、役に立たないっしょ」

「――なっ!?」


 これにはブロスコも動揺が隠せない。


「し、しかしタマキ様。ここに収められられているのは、方々手を尽くして集めた業物ばかり。正直、これ以上の品となると中々に……」

「わっかんないかなぁ」


 言葉を遮り、タマキは面倒臭げな態度で頭を掻いた。


「あたしが欲しいのはその上……大業物だってば」

「…………」


 思わずジュウベイマルは視線を困惑顔のブロスコに向けてしまう。

 大業物。そのひと振りに該当する刀は、この町には一つしか存在しない。


「求めてるのはレア物じゃなくて激レア物。心当たりくらい無いの?」

「……さぁて、そんなことを言われましても」


 誤魔化した。流石に正式に自分の物では無い刀を、売り飛ばしはしなかった事に内心で安堵するが、次に発したブロスコの言葉に表情が固まる。


「しかしながら、もう少し経費を上乗せして頂けるのなら、もしかしたら何とかなるかもしれませんねぇ」


 反応を伺うようなブロスコのねっとりとした視線がタマキに注がれる。


「アンタ、あたしにたかろうってつもり?」

「まさか、これは交渉ですよ。激レア物を集めるのに苦労するのは、当然の事です」


 タマキは一瞬だけ眉を顰めるが。


「……ま、いいんじゃね」

「――っ!? そ、それは……」


 ジュウベイマルは顔を顰め反射的に口を挟もうとしたが、それを阻むかのように上の階からガラスの割れる音と男達の怒号が響く。

 ドタバタと慌ただしく屋敷を揺らす音に、一同の視線が天井へと向けられた。


「上の方は随分と賑やかな感じじゃん。あたしも混ざった方がいいとか?」

「し、少々、立て込んでいる最中でして、お手を煩わせるまでもありません。おい、ジュウベイマル」


 ブロスコは此方を振り向くと、険しい表情で上へ行けと促される。

 騒動の原因は十中八九、ダウドなのだろうが、刀の行方が気掛かりなジュウベイマルは惑うように視線を、ブロスコとタマキとの間に彷徨わせる。が、やはりダウドを放ってはおけない義侠心と、アイチ達に任せきりには出来ない責任感から、後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように一礼して部屋を飛び出し駆けて行った。

 いつの間にかソファーに戻っていたタマキは、ドタバタと慌てふためくブロスコ達を尻目に、やはり気になるのか自分の爪を何度も見比べていた。


★☆★☆★


 ダウドの襲撃は突然だった。


 護衛に雇われた人間達の緊張も長く続いていたが、何事も無ければ状況になれるモノ。交代で食事を取り空腹が満たされた事も重なって、緊張感が薄れ始めた頃合いを狙ったように、室内の窓ガラスを叩き割って巨大な物体が飛び込んできた。


 異様なほど膨れ上がった右腕に、バランスの悪い体躯を支える複数の節足を持つ異形は、紛れもなくダウドの姿。目の焦点は合っておらず、開きっぱなしの口や鼻からはダラダラと体液を零している様子は、おおよそまともな自我を保っているようには思えなかった。


 唐突ではあったが、元よりダウドと戦う為に雇われた者達だ。

 多少、驚きや戸惑いはみられたが、足並みまでは乱れず護衛達はすぐさまそれぞれ武器を取り、痙攣するように身体を震わせるダウドに殺気を向ける。

 無論、アイチも同様だ。


「アンジェリカさん。安全な距離まで下がってて貰えますかい」

「わ、わかったわ」


 戦う術の無い彼女を下がらせ、アイチは仕込み杖を突きながら立ち上がる。

 だが、最初に行動を起こしたのはその他の護衛達だ。


「ケッ。気色悪い姿をしやがって、化け物野郎が!」

「テメェをぶっ殺せばブロスコさんからの特別報酬だ。刻んでやるよ!」

「囲め囲め! 人数はこっちが上なんだ、囲んじまえば楽勝だ!」


 血気盛んな傭兵崩れの数人が、報酬欲しさに我先にとダウドに襲い掛かる。

 あからさまな殺意を肌に感じたダウドは、「ひっ!?」と禍々しい姿とは裏腹に情けない悲鳴を漏らすと、子供がだだをこねるように右腕を振り回した。


「……えっ?」


 次の瞬間、三人の男達は壁、天井、地面、それぞれの個所に激しく叩きつけられた。衝突した肉体は容易く肉塊にされ、水風船のように血飛沫が室内を汚す。吹き飛ばされたなどという表現は生温い。回避のタイミングすら計れない速度で、無造作に振り回したダウドの腕は、恐るべき怪力で護衛達を蹴散らしてしまった。

 凄惨な惨状に余裕すら感じさせられた勢いは、一瞬にして萎んでしまう。


「あ、ああっ、ごわい、ごわいよぉぉぉ……ただがわなぎゃ、やっづけなぎゃ」


 鼻が詰まったようなうわ言をぶつぶつ発しながら、ダウドは男の一人が手から零した血塗れの剣を拾い上げる。膨れ上がった右腕に握られる剣は不釣り合いで、対比から細長いナイフでも握っているようなアンバランスさだ。

 何よりも伸縮して振るわれた剣の一閃を、目視できる者はいなかった。


「は?」


 気付いた時には一人の男の上半身と下半身が切断されていた。返す刀で別の人間に狙いを向けるが見た目以上に身軽で、見た目通り暴力的な動きに反応できる者はおらず、迫りくる死の一撃すら認識できていなかった。

 アイチ以外は。


「――シッ!」


 皆が恐怖に飲まれる中で一人、果敢にダウドへ向かい地面を蹴る。

 間合いに踏み込むと同時に逆手で抜いた仕込み杖が剣と交差し火花を散らす。

 面を食らったようにダウドの足がたたらを踏むが、アイチは構わず攻勢を維持するように斬撃を連続させた。剣術の心得など皆無のダウドだが、怪物としての本能に突き動かされるように右腕を振り回し、握った剣で次々と力任せに斬撃を叩き落とす。刃よりも腕自体をぶつけるような暴れ方は、相対する者を威圧する迫力を生み出すが、視界が封じられているアイチには無意味で、紙一重で回避しながら斬撃をダウドに浴びせていく。

 鋭い刃が節足を断ち身体を浅く傷つける。


「ぎやあああぁぁぁぁぁぁ!? いだい、いだいぃぃぃぎいいいぃぃぃぃ!?」


 一応、殺さずの配慮から傷口は浅い物だったが、ダウドは大袈裟に喚き立て癇癪を起こすように地団駄を踏み、太い右腕を床に叩き付けながら暴れ始めた。

 踏み鳴らす足自体はそれほどでもなかったが、硬い外殻で覆われた右腕が跳ね回る度、屋敷は地震でも起きたかのように大きく揺れる。腕が叩き付けられた個所の床板は大穴を空け、握った剣は衝撃に耐え切れずに刀身が砕け散った。これを好機と見誤った護衛の一人が、槍を構えて突撃するモノの、穂先はあっさり右腕の外殻に弾かれ、逃げる間もなくぐちゃりと振り上げた右腕に叩き潰されてしまった。

 無作為な大暴れにアイチも堪らず後ろに下がって間合いを空ける。


「こいつは、思っていた以上に厄介だ」


 一度、抜き身の刃を杖に納め、アイチは俯き気味に嘆息する。


「ちょいと痛い思いをして貰って、正気に戻してから聞くつもりだったが、これじゃあ話の一つも聞けやしませんよ」


 アイチが渋々ながらアンジェリカの提案を飲んだ理由。ダウドがこのような姿になった原因に興味があったのだが、この様子では質問に答えるどころか、質問をちゃんと理解できるかも怪しい。


「さぁて、どうしたモンか」


 一頻り暴れて落ち着いたのか、ダウドはボロボロの床の上で嗚咽を漏らしながら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をアイチに向ける。


「いだい、いだいよぉう。あんだが、どうじでごんなごとずるんだよぅ!」

「そいつはアンタをそそのかした奴が、知ってるんじゃないのかい?」

「ひどいごどはやべでぐれっ! おでのじゃばをずるなっ、ぶろすこをごろずんだっ、にいじゃんのがだぎをうずんだっ!」


 問い掛けに反応はなく、支離滅裂な言葉をがなりたてる。

 仕方が無い。話を聞く事が出来ないのは残念だが、ブロスコに恩を売って今後の旅路を円滑にする為にも、ダウドの首はこの場で落とすしか無い。何よりもこの状況の彼を捨て置くのは、あまりに惨い行為だろう。


「……恨まんでくださいよ」


 小さく呟いて、アイチは意識をより鋭く研ぎ澄ます。

 再び踏み出そうと一歩、右足を踏み出すと同時に、廊下に続く扉が開いて誰かが勢いよく姿を現した。


「アイチちゃん、大丈夫!? 今、助けに行くから!」


 床を駆ける軽快な足音と共にジュウベイマルの声が響いた。

 身軽な彼女は流石と言うべきか、一瞬でアイチのすぐ近くまで踏み込む。

 開戦の出鼻を挫かれ嘆息しかけるアイチだったが、その動作は声にならない感情と共に固まった。


「――!?」


 鼻孔に薫る柑橘系の香り。忘れるはずもない、この香水には覚えがある。


「……? どうしたの、アイチちゃ――っ!?」


 次の瞬間、ジュウベイマルと入れ替わるよう、反対方向に駆けだしていた。

 驚くジュウベイマルと呼び止めるアンジェリカの声が聞こえた気がしたが、火が灯ったようなアイチの頭に届く事は無かった。薫った香水はジュウベイマルの移り香。つまり香水の主は彼女が今しがたまで居た場所、下の応接室だ。


「見つけた……追いついたぞッ!」


 心が憎悪で塗り潰される。怒気が頭の中を真っ赤に染め上げられる。

 確信が呼び起こす激情に衝き動かされ、彼の脳裏からはダウドやジュウベイマル、アンジェリカの存在など微塵も残らないほど消し飛んでいた。


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