第20話 セラ先生はすごい(意味深)
「ふう……いい湯だ」
到着日の喧噪がようやく落ち着き、男湯の湯気は穏やかに揺れていた。
石造りの広い湯船に肩まで沈むと、熱が体の芯に届いていくのがわかる。
天井の格子窓からは冷たい夜気が少しだけ入り、湯けむりに溶けた。
隣ではドラコが豪快に腕を組み、湯面を波立たせている。
「ふむ、確かに良い。筋肉が目を覚ます! しかし、もっと熱い方が好みだ!」
「ええ……? 結構熱いけど……? それに目を覚ますなら、昼間にしてくれると助かるかな」
「キサマはなぜそんな貧弱な体で、それほど強いんだ!」
むがーと牙を剥くドラコに、僕はついつい笑みを向ける。
すると板塀の向こう、女湯のほうから甘ったるい声が飛んできた。
「ね、ね、せんせ♡ せんせ♡」
耳にねっとりこべりつくような声音。
こんな男好きする声を出せるのは、一人しかいない。
「リリムだね。どうしたのー?」
僕が返事をすると、かすかに「きゃ♡」と悲鳴が聞こえる。
「こっちの方がぁ、お湯がとろっとしてて気持ちいいよぉ? せんせ、こなぁい?」
「行きません」
即答。
決してセラが聞いているからではなく、教師として、行くわけにはいきません。
「ぶぅ……でも、りりはそういう真面目なところも好きぃ♡」
「リリムさん、公共浴場では静かにするのがマナーですよ」
静かな落ち着いた声だ。
これはきっとセラ。
リリムと違って誘惑の気配は一ミリも感じないのに、なぜか僕の胸は高鳴る。
「ぷるん。まりょくのうど、かなり、こい」
今度はノアか。
お風呂でも気を休めることなく水質の分析。
「ノア……野外学習にテストは無いぞ」
「てすと、かんけいない……たのしい」
いや、彼女にとってはコレが休息のようなものなのだろう。
フェンの呆れたようなため息が聞こえる。
「それにしてもぉ、セラ先生ってぇ……意外とすごいスタイルだねぇ♡」
「きゃ――!? や、やめなさいっ、リリムさん!」
「リリム! 先生に向かって何を言ってるんだ!」
「フェンちゃんもぉ……かわいいお尻ぃ♡」
「ひうっ!? ど、どこを触ってるんだ……!」
リリム……今だけは、先生、君のことを止めないよ。
セラの女の子らしい悲鳴を脳内で何度もリフレインさせながら、僕は鼻まで浸かってぶくぶくと泡を吐く。
「――ガーッハッハッハ!」
「わっ!? き、急にどうしたの、ドラコ?」
ドラコが大声で笑いだした。
湯しぶきが僕の肩にかかる。
「向こうは向こうで戦いか! こっちも訓練をしようぞ!」
「そうだね。僕は戦線離脱で」
板塀の向こうで、また湯が跳ねる音。
セラのため息と、フェンの小さな唸り声。
フェンはこういう場所でも力が入りすぎる。
守ろうとすればするほど、肩が上がってしまう。
……と、ダメだダメだ。
さっきから女湯に聞き耳ばかり立てて、本当に変態みたい。
ぶんぶんかぶりを振って妄想をかき消していると、引き戸がからからと開く。
「やー、今日も疲れたなあ」
「おうよ、この温泉のために生きてらあ」
客が二、三人入ってきた。
逞しい
そして背中に刺青の入った
地元の人たちらしい。
「おう、兄ちゃんらは旅の客か」
「学校の行事で来てまして……お騒がせしてすみません」
「へえ、あの賑やかな一団はあんたらか。昼間の通りで見かけたぞ」
オークの親父はざぶんと豪快に浸かると、ふうと息を吐いた。
湯気が鼻先で白くほどける。
「今年は湯の出が安定せんでな。宿の連中は気が気じゃねえだろうよ」
「湯の出、ですか」
僕は問い返す。
インプの青年が話に割って入った。
「山の上にある封印の祠。古い話だがヨ……バジリスクって魔物が眠ってるって言い伝えでナ」
「バジ、リスク……?」
言葉に出すと、湯の温度が一段下がったように感じた。
インプの青年が腕を抱いて、声を潜める。
「この前の夜中サ、山のほうから石を擦るみたいな音がしたんダ。ごり、ごりっテ」
「風か地鳴りだろうが、誰かがそう言い出すと、もう皆それにしか聞こえなくなる。人の心ってのは勝手なもんだ」
ラミアの男は鼻で笑ったが、その目は落ち着いている。
ドラコがすこし身を乗り出す。
「ソイツは、強いのか?」
「ばっか! 強いなんてもんじゃねえ! 大地を揺るがし火山を噴火させる、天災みてえな存在でな。あまりの強さに、当時の魔王様でさえ従わせられず、かと言って討伐もできねぇ……。苦肉の策で封印したって話だ」
「ハッハ! そいつは面白そうだ!」
「笑いごとじゃないよ、ドラコ」
軽くたしなめると、ドラコは肩を竦めて湯に沈んだ。
僕は地元の人たちに礼を言い、いくつか道の様子を聞き取った。
山道は整備されているが、夜は獣が出る。
祠は街から半日。
近頃、山の番小屋の灯がときどき消える。
細かな情報が、湯気の向こうで点と点になっていく。
「興味深い話を、ありがとうございました」
「お、おう……話は良いがよ……。アンタ、悪いことは言わねえから、変に関わらない方がいいぜ。そりゃただの噂だが……なあ、万が一があるかもしれねえ」
心配してくれたオークの親父に、もう一度礼を言う。
僕は湯から上がり、頭と背を拭きながら夜気を吸い込んだ。
湯冷めしない程度に、縁側に腰をかける。
「……アレが、その山」
湯けむりの白さの向こうに、黒い山の稜線がある。
あそこに祠、そして封印が。
噂が本当なら、伝説級の魔物・バジリスクが復活しようとしている。
いや、噂が本当でなくても、街の不安は確かにある。
それは……もし
僕は考えをまとめ、一度大きくうなずいた。
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部屋に戻る前に、広間に全員を集めた。
寝間着の浴衣を着崩して、ドラコは帯を結び直している。
リリムはまだ髪が濡れていて、ノアは手ぬぐいを頭に乗せたまま。
フェンは背筋を伸ばして立ち、目の奥に火を灯していた。
セラは後ろで腕を組み、様子を見る。
……セラ、スタイル凄いって言われてたよね……。
「――何か」
「よーし、皆よく集まってくれたね。少しだけ、話そうか」
僕は慌てて本題に入る。
「男湯で、地元の方と話したんだ。曰く、あそこの山に伝説級の魔物が封印されていて、それが復活しようとしているという噂があるらしい。真偽はともかく、街は落ち着かない。噂が変に広まって、町に観光客が来なくなったら、すごく困ると思う」
言葉を選びながら続ける。
「民の苦しみを解消するのも、王を目指す者の役目だよ。明日から、僕たちは状況を調べる。危険があれば退けて、必要があれば手を貸す……ってのは、どうかな」
ドラコが顎を引き、リリムは目を輝かせ、ノアは手ぬぐいを押さえたまま小さく頷いた。
フェンが一歩、前に出る。
「先生! その指揮、アタシに任せてください」
迷いのない声だった。
セラがちらと横目で僕を見る。
僕は小さく笑って頷く。
「うん。フェンに任せる。全員を見て、必要な役割を割り振って、無理はしない。最優先は自分たちの身の安全。いいね?」
「はい! お任せください!」
フェンは胸に手を当てた。
強がりではない、誓いに近い所作。
ただ、肩はやはり少し上がっている。
力が入っているのだ。
彼女がそれを自分で下げられるように導くのが、明日の僕の仕事でもある。
「よし、決まりだ! それじゃ、明日は早い。部屋に戻ってよく休もう」
皆が散っていく。
ふと、セラが僕の横に並ぶ。
「しますよ。実在」
「え……」
「バジリスクでしょう? ……確か、250年ほど前のことでしたか」
セラは懐かしむように目を細めた。
「セラ先生は、ご存じで?」
「ええ。天界にとっても、非常に脅威となる存在でしたから。常に監視対象です」
そうか、知ってたんだ。
ていうか、え?
ちょ、ちょっと待った。
「………………失礼なことをお聞きしま――」
――バシン。
僕の頬に、熱いもみじマークがついた。
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