こいひそか

千代染ひすみ

1.花嵐①

 たとえ、叶うことはなくとも、想いだけは永遠に咲くものである。桜が散る前までは、そう信じて疑わなかった。

 しかし、私を見下ろす鋭い眼光は残酷な嵐のように、一つ一つ咲き誇らせた恋の花びらを蹴散らし、枯らし――。

 私は一人、五月の生暖かい風を浴びながら切に思った。

 ――四月に戻りたい、と。


 この学校の桜は今、自分を祝福するために咲いている。そんな風に思えるほどに、私、小桜千花こざくらちはなは浮かれていた。というのも、約一年間片想いを続けている先生が自分のクラスの担任になったのだ。

 教卓に立っているのは、綺麗な黒髪をふわりと揺らし、知的な黒縁の眼鏡をかけ、紺のスーツを着こなしたスタイル抜群の彼。何度も夢見た光景に、私は瞳孔を大きく開かずにはいられない。

「一年間、皆さんの担任を務めます。明良杏哉あきらきょうやです。昨年、数学の授業を担当させていただいた方ばかりで嬉しいです。よろしくお願いしますね」

 明良先生の柔らかい物腰とそれに似つかわしい優しい笑顔に、教室中が拍手に包まれる。

 この学校に、明良先生が嫌いな生徒はいない。そう断言できるほど、彼は誰に対しても優しく、誰に対しても平等で有名だった。話し上手、聞き上手、教え上手。教師として完璧かつ更にイケメンとあれば、老若男女、慕うのは必然と言えるだろう。

 緊張と喜びの混じったぎこちない拍手をしていると、後ろから女の子たちがヒソヒソと話しているのが聞こえた。

「ヤバいめっちゃかっこいいんだけど……!」

「ほんと推しすぎるって……」

「ね、あとで写真撮ってもらおうよ」

 ――――――――。

 わかってはいたけれど。実際にこういう場面を見ると、ざわざわしてしまう。昨今は推し活ブームとやらで身近な異性を推しとする子もいるらしく、明良先生は格好の的だった。結婚したいという、本気の恋愛感情を持つ私にとって、それはかなり複雑で。ああいう子たちに紛れて恋愛感情を隠すべきなのか、優等生としての地位を確立して一切行為をほのめかさないべきなのか……。

 まばらに拍手が鳴りやむ。同じように彼女たちの内緒話も終わる。私は徐々に静かになる教室のなかで、一年前のことを思い返した。

 明良先生を好きになったのは、授業終わりのこと。テスト範囲について質問をしに教卓に近づいたときだ。目が合って、微笑まれた。うっかりドキッとしたのも束の間。彼は私にこう言ったのである。

 ――「いつも熱心に授業を聞いてくれてますよね」と。

 一瞬だった。

 私はひたすらに真面目な優等生という称号を、これまでの十五年前後、我がものにしてきた自他ともに認める超絶生真面目人間である。それは、長所のように思えて実のところは短所的だった。メリットよりもデメリットの方が大きいからだ。許せないことが人の何倍もあるというのは、常に自分の首に真綿が巻きついているような息苦しさが付きまとう。

 やめられるならば、やめたい。そう日頃から悩んでいたところに彼の言葉は光以外の何ものでもなく――。

 やっぱり、真面目にやるしかない。この一年、確実に着実に。先生に信用できる生徒と思ってもらわなくては。

 私は強い決意を新たに、対称的な朗らかな瞳を見つめる。すると、まるで私の意志に応えるように、待ち望んでいた言葉が飛び込んできた。

「では早速、委員長を決めたいのですが、立候補してくださる方はいますか?」

「はい!」

 しまった。そう思ったときには手遅れで。硬直した身体から腕を離して、勢いよく真上にあげる見本のような挙手。静かになった教室が私の失態を辛辣につきつけてくる。

 一瞬で吹き出す汗。熱くなる腹。震える指先。冷える背筋。ひきつる頬。すべてがその形から戻れないほど固まって――。

「ふふ、随分積極的ですね」

 ――あぁ。こんなときでも、あなたは私に光を差す。

 身体は雪解けて、心が動く。すると真っ白だった頭に言葉が浮かんできた。私は小さく咳払いをして気を取り直し。

「すみません。去年、副委員長したので、今年は委員長したいな~って思ってて、つい出しゃばっちゃいました。あはは……」

 なるほど、と無言の納得が教室中に漂ってひとまず胸を撫でおろす。

 一応、先ほどの言葉は嘘ではない。去年の経験から、委員長というポジションがいかに先生と関わるかを知っていた。自分の気質も含め、優等生としての地位を彼の中にも築くには、この役職ほど適当なものはない。だからもし、幸運に恵まれて彼が担任になったなら委員長になりたいと、毎晩毎晩眠る前にシミュレーションを欠かさなかった。(そのわりに……といわれれば、言い訳の余地もないけど)

 幸い、他の立候補者もおらず、思ったよりもあっさりと委員長の座を手に入れることができた。ずっとドキドキしっぱなしだった鼓動がようやく落ち着いて、バレないようにため息を吐く。副委員長は梅野くんという大人しい男の子で、ライバルになることもなさそうだ。

 私は高校二年に進級して、最高のスタートを切った。

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