呪いの人形と契約結婚

樹脂くじら

第1話 呪いの人形

 じっとりと蒸し暑い日差しの中、婚儀は執り行われた。

 しかし、めでたいはずの席には、笑い声ひとつなかった。虫の音もせず、空気は息苦しいほど淀んでいる。


 それも当然だった。

 花嫁の隣に座っているのは――人間ではなかったのだから。


 私、柊明日香の夫となったのは、人形である。


 

 端的に言えば、柊家は没落した。

 一代で築いた財産も、父の商才のなさであっという間に消えた。

 融資は打ち切られ、家も会社も手放すしかなかった。


 そんな、明日の暮らしすら不安な折に、皇家から声がかかった。


 「一人娘の明日香を、皇家に嫁がせよ」


 それが融資の条件だった。つまり、政略結婚である。

 しかも、追加で会社も寄越せと言ってきた。――いや、むしろそれが本命だろう。


 私に拒否権はない。

 皇家はこの国で最も強い力を持つ一族。陰陽師の末裔であり、今なお怪異を退けている。

 そんな一族が、成金で今にも潰れそうな我が家に縁談を持ちかけてくること自体、異常だった。


 それでも、両親は二つ返事で了承した。


 私が十七になったその日、すぐに結納が交わされ、婚儀の日取りが決まった。

 代価は前払い。会社はすでに皇家の手に落ちていた。


 すべてが終わった後での婚儀――後戻りなどできるはずもなかった。


 ……罠だった。


 母は顔を伏せて声もなく泣き、父は蒼白になった頬を強張らせ、奥歯を噛み締めていた。

 皇家の人々は、誰ひとりとして表情を崩さなかった。冷たい仮面を貼り付けたような、眼差し。


 少人数で行われた密やかな式。理由は明白だ。

 この場にいる誰もが知っていた。花婿が、人形であるということを。


 「このことは他言無用で……」


 「誰が言えるものか……っ!」


 皇家にとって、我が家は“消しておくべき存在”だったのだ。


 着物や小物の商いならまだしも、うちの主力商品は銃だった。

 武器を売る家は、権力者にとって厄介でしかない。

 ただ没落させるだけでは不十分だったのだろう。跡継ぎも残さず、徹底的に潰しておきたかった――そういうことだ。


 それにしても、なぜ人形なのか。

 動物でも、身代わりの女性でもよかったはずだ。

 ふと隣に目を向ける。


 人形は、じっとこちらを見ていた。

 火を透かしたような銀髪に、輝く深紅の瞳。

 関節球体さえ見えなければ、人間としか思えない最高な出来。


 人によっては「人形でもいいから結婚したい」と言うかもしれない。そのぐらいの美しさを持っていた。

 しかし、初老の男性に抱かれる覚悟をしていたが、まさか予想外の相手の上に、初夜を迎えることがないとは思いもしなかった。


 視線をそらしながら、誰も手をつけなかった臭みのある料理をつつくふりをして、式の終わりをただ待つしかなかった。


 


「……やっと終わった……」


 与えられた新婚用の一軒家に着いた私は、肌着姿で畳に足を投げ出した。

 しかし、まだ何も解決していない。

 部屋の隅、椅子に座らされたままの人形が、こちらを無言で見ている。


 ……気になる。


 「座ってるから、目が合うのかも」


 そう呟いて、椅子から引き下ろす。重い。成人男性のような質量。

 肌は木でできているはずなのに、しっとりと人肌めいた質感があった。


 布団に寝かせて、掛け布団をかける。形だけでも整えておかないと、自分の気が落ち着かない。


 そして――気づいてしまった。


 その目。ガラス玉のはずなのに、やけに光を反射している。

 角度を変えて覗き込むと、内部で幾筋もの光が、静かに、絶え間なく揺れていた。


 ……まるで、意志を宿しているかのように。


 「これ……宝石?」


 思わず、声が漏れる。


 ただの人形に、こんな高価なものを? 政略結婚の捨て駒に?

 理由が分からない。むしろ、不気味さが増しただけだ。


 視線を逸らすようにして布団に潜る。目を閉じても、あの光の感触だけが焼きついていた。




 声が聞こえる。

 耳を塞ぎたくなるような感情の荒波が押し寄せてくる。心臓がざわめき、とてもじゃないがこの場にいたくない。

 どこかへ、ここではないどこかへ、この声が聞こえない所へ向かうために走り出すが、足を掴まれ転んでしまう。


「……! ……!!」


 何かを言っているがうまく聞き取れない。

 何者かは細長い腕を伸ばし、私の首筋を捉える。

 万力のように力を込められ、空気が満足に入ってこない。

 視界は白い靄がかかり、意識が途絶える感覚に、恐怖と苦しみから逃れようと手を必死に振り回す。


「……髪の毛は黒、瞳も黒、小さくて丸っこい……普通の奴だ……」


 今度は、はっきりと声が聞こえた。

 すると、呼吸ができるようになり、力一杯に求めていた酸素を吸い込む。


「こいつが、俺の妻……」


 ……私のことを言ってる?

 妻って私は独身で……いや、私は結婚したんだ。

 じゃあ、この声は私の旦那様?


 でも、私の旦那様は……。

 ようやく呼吸が整い、現状を把握しようと辺りを見回す。相変わらず視界はおぼつかない。


「起きろ」


 声に引き寄せられるように霧が晴れ,何重にも色が重なり光輝く赤色が眼前に広がった。子供の頃に見たことがある万華鏡よりも美しく、まるで宇宙のようだった。

 見たこともない輝きに目を奪われた。

 ……いや、この輝きは見たことがある。


「やっと起きたか」


 銀髪の髪を揺らし、彼は馬乗りの状態で、真紅の瞳が射抜くように私を見下ろしていた。


 夢かと思ったが、ゆっくりと彼は瞬きをした。


「嘘……」


 寝床に横たわっていなければおかしいのに、まるで、最初からそこに居たのが当たり前のようだった。


 人形が動いて言葉を紡いでいる。


 本来なら悲鳴を上げて逃げないといけないのに、その美しから逃れることを許されなかった。

 いや、違う。

 恐ろしい出来事と分かっていても、その美しさから離れたくなかったのだ。


 この人形になら殺されてもいい。

 そんなバカな考えが頭をよぎった。


「貴方にお願いがある」


 凛とした声に、ふつふつと鳥肌がたつ。


「俺の願いを聞いてくれたのなら、皇白夜の名にかけて、あらゆる願いを叶えよう」


「願い……?」


 ぎしり。球体関節の音が嫌でも耳に届く。心臓が相手にも聞こえそうなぐらい煩く鳴り響く。音が失礼に思えるほどの鼓動に、思わず息を詰めた。

 けれど、相手は気にもとめず目を逸らそうとしない。


「貴方の式神となり、全ての力を持って貴方を守り抜くことを誓う」

 

「あなたの……願いは、なに?」


 全てを持って誰からも羨まれる男性が、人形の体になり、全てを投げ打ってでも欲しい願いを私は知りたかった。

 彼の口先は震えているように思えた。


「……俺は、誰かに殺された」


 その瞬間、空気が止まった。

 時計の針の音さえも、遠くなる。


「――俺を殺した相手を、探してほしい」


 静寂の中で、その声だけが真っ直ぐに響く。


「これは、俺と貴方との契約だ」


 こんな悪夢みたいな出来度に真剣に向き合う必要なんかない、そう分かっているのに、まるで焼かれた喉のように息ができなくなった私は、掠れた呼吸をしながら、ゆっくりと頷いた。

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