11 これから




 セクター1の面々が落ち着いた、慶子様のおばあ様の実家の別荘であったとなっている所は、東園島の西端南側の舞丘市にある。その舞丘市の南西の端にある海辺の砂浜からそのままつながる丘陵の真ん中にその家、いや、屋敷はあった。この地域では昔から城前御殿などと呼ばれ、その丘陵一帯が敬われている所である。それはおおよそ三百年前、現在の東園地方が城前国と呼ばれていた頃の国王の家があった場所だと、語り継がれているからである。

 しかしそれは間違いである。当時の城前国王、そして今の本城国王である御前家の王宮は東園島のほぼ中央、現在の東園市にあった。その建物は全て約百年前の大戦で焼失後復旧されず放置。その広大な敷地は戦後の都市計画で開発され、現在は市街地となっている。あえて史跡と言うような呼称さえ残さなかったため、王宮があった痕跡さえ今はどこにもない。

 城前国の後、東園国として今の東園地方を治めた双城家の王宮は大山島にあった。そこも大戦時に破壊されていたが、当時の本城国王は東園地方に残すべき史跡はそこだけで良いとして、大山島の王宮の再建のみを指示した。それ故、東園島の王宮は完全に姿を消し、忘れられていった。その為か、この地が王宮跡だと言う話が拡まった様である。その丘陵自体が、用のないもの立入禁止、とされていたので、周辺住民がそこを国有地だと思っていたこともその話の裏付けとなったのであろう(実際は個人所有の土地であった)。

 その舞丘市の城前御殿と呼ばれている所は、御前家の分家の一つがあった場所である。約三百年前の戦乱期まで、東園島西部を治めていた家である。本領国が城前国に攻め入った時、最初に本領軍と戦い、一族のほとんどが滅ぼされた家でもあった。そしてその家の姫と、領民の娘たち多数が本領国に連れ去られたことが、城崎国が三百年前の戦乱に参加するきっかけとなったのである。

 このことがなければ、おそらく城崎国はその戦乱に参加することはなかった。と言うことは、城前国が本土に渡ることもなく、そこに御前家が新しく本城国を作ることもなかった。戦乱期の後、六か国時代を経て、現在本城国と呼ばれている地域は、全く別のものになっていたかも知れない。


 舞丘市のその屋敷は本領軍に破壊された後、生き残った者の手で再建されていた。しかし御前家が本土で本城国を開いた時、その一族も本土へ移住。その時その屋敷は周辺の領地ごと、連れ去られた姫の実家であった家臣、関守家に与えられた。そしてずっと関守家が守ってきた。しかし大戦後、その関守家のほとんどがその地を離れ、本土へ移住。しばらくの間、屋敷は放置されていた。

 大戦後三人目の王となる忠憲は、関守家の者を妃として迎えた。そして即位した頃、関守家が舞丘市の屋敷を持て余し、修繕も出来ず廃屋同然となり、舞丘市に譲渡していたことを知る。忠憲王は王としてではなく個人でその屋敷を舞丘市から買い取り、建て直した。個人的なゲストを迎える迎賓館的なものとして。そして王妃の実家の名義とし、屋敷からすぐ東にある、舞丘市で二番目の市街地、馬池に未だ住んでいた関守の親族にその管理を任せた。




 安紀十八年四月二十五日


 水野少尉は舞丘市の関守邸の二階の窓から外を眺めていた。南向きのその窓からは、緩やかなうねりはあるがほぼ平坦な草原が広がっているのが見える。草原は三百メートルほど続き、そこに東西に走る道路がある。その道路の手前の柵までがこの屋敷の敷地である。道路の向こうはなだらかに一キロほども続く下りの斜面、その先は砂浜の海岸である。下って行く一キロほどの間には、かつては集落があったようだが今は何もなく、手つかずの雑木林などが見えるだけ。なので水野少尉のところからは、木々の向こうに海が見える。

 屋敷の東西、そして北側も草原が続く。東側は五百メートルほどの所に南北に走る県道があり、その手前まで。西側は三百メートルほどで山となる。その山もここの敷地なのかどうかは、水野少尉は知らない。北側は二百メートルから三百メートルほどのところで草原が崖のような急勾配の上りとなり、そこで十メートルほども上がっている。上がった先はまた五百メートルほど、ほとんど平らな草原が続き、その先は山になっている。その山も敷地に含まれるのかどうかは分からないが、草原部分はすべてここの敷地のようである。とんでもない広さ、王宮跡だと間違われるのも頷ける。現在の建物自体は歴史的な外観ではなく、恐らくここに建っていた以前の建物よりはかなり小さなものであろう。それでもそのままちょっとしたホテルが営めるほどの大きさではあった。

 建物周りの草原は、草原と呼ぶしかないものだけど、実際は放置された雑草の原っぱだ。手入れがされているのは、屋敷を囲む生け垣の周辺だけである。そしてその手つかずの原っぱでは今、強化兵達が開拓をしていた。そう、草原を切り拓いていたのである。

 ここに来て数日経ったある日、あかりがこう言い出した。

「なんかうずうずする。思いっきり体動かしたい」

日常的に訓練として体を動かしてきた強化兵達。おとなしく過ごす日々は苦痛のようであった。かと言って、彼らに思いっきり体を動かしてもいいなんてことはそうそう言えない。ほとんど人目のないところではあるけれど、もし彼らの本気の動きを誰かに見られたら、すぐに注目を集めてしまうだろう。

「でもねぇ、あんた達が運動したりしてるの誰かが見たら騒ぎになるかもしれないからねぇ」

エリーがそう返した。

「え~」

あかりが不満の声を上げたのと入れ替わって、今度は真由がこう言う。

「みっちゃんもう動いてもいいんでしょ? だったらまたみっちゃんとトレーニングでもいいよ。それならいいでしょ?」

「う~ん、どうする?」

エリーは水野少尉に目をやりながらそう聞く。この屋敷の周りの丘陵を走るのか、かなりきつそう、そう思いながらも水野少尉はこう答えた。

「私はいいですよ、私もちょっと運動不足気味だし」

するとエリーより先にあかりが再び口を開く。

「だったらトレーニングよりサッカーがいい」

現在彼らは九人。水野少尉を入れて十人。五対五でサッカー? それはきついなんてものじゃないぞ、と水野少尉は思った。それに走るだけならと思ってさっきはそう言ったけど、肩の傷はまだ完全に治っていない。この子達とサッカーなんてしたら治らず悪化してしまうかも。

「サッカーって、どこでやるのよ」

エリーがそう言ってくれて水野少尉はホッとした。

「周り原っぱじゃん、どこでもできるよ」

真由がそう返す。こいつもサッカーの方がいいようだ。

「いや~、サッカーやるには草が多過ぎでしょ」

そうそう、膝丈から腰高くらいには草が生えてるし、藪みたいになってるところも結構ある。水野少尉はそう思った。

「そう?」

真由の声は不満気だ。すると慶子様がこう言った。

「じゃあさ、草刈りやってサッカーできるところを先に作ったら?」

みんなが慶子様を見る。

「取り敢えず体動かしたいんでしょ? サッカーできる広さの草刈りって、かなりの運動になると思うよ」

慶子様のその言葉で草刈りが始まった。

 屋敷に数本あった鎌を使って、広い範囲が平らなところを選んで始めた。まあそれが屋敷の正面であったのだけど。強化兵の肉体でやるのである。動きを抑えてやってもすぐにかなりの範囲の草が刈られていった。しかしそこで次の問題が出た。草が刈られた下からは、石などの障害物がいっぱい現れた。瓦礫などのゴミも出て来る。サッカーグラウンドを作るのであれば、それらも取り除かなければならない。かくして鎌だけではなく、スコップ、鋤、鍬、などを総動員しての開拓へと変わっていった。

 作業を始めてまだ一週間ほどだけど、目の前にはきれいな土の広場が広がっている。元々が草原なので平らではないから整地が必要だけど、既にサッカーグラウンド程度の広さはあると思う。だけど彼らはまだまだ開拓地を拡げるようである。荒れ地を切り拓くのが楽しくなって、当初の目的を忘れたかな。それとも開拓が目的に変ったのかも。


 屋敷の前はロータリーと呼ぶほどではないけれど、車寄せのような広場になっていて、その向こうに道がある。その道の向こう側、みんなが開拓している場所の手前に小型のダンプカーが停めてある。慶子様がどこかから借りて来た物。その荷台に、囲い付きの手押し台車で運んで来た瓦礫をあかりが投げ入れていた。ちょっと人力でそれは無理であろう、と言うぐらいのコンクリート片みたいなものを投げ入れている。誰かに見られたらどうするの、とは思うけれど、水野少尉もそんな光景にもう慣れてしまっていた。とは言え後で注意だけど。

 積んできたものをすべて投げ入れたあかりが、二階の窓に水野少尉を見つけて屋敷の方に走ってきた。これは超人的な走りではなく、十分普通の女の子に見えるかわいい走り方だ。

「美穂子、今やってるとこゴミとかいっぱいだから、ダンプも今日でいっぱいになっちゃうよ。だから捨てて来てよ、じゃないと明日は積めないよ」

ダンプに溜まったゴミを廃棄業者まで運んでいくのは水野少尉の仕事になっていた。ちなみに、理沙が水野少尉のことを美穂子と呼び始めてから、みんなが美穂子と呼ぶようになった。それは別に構わないのだけれど、水野少尉には解せないことが一つあった。強化兵の間では、年下は年上に対してさん付けをしている。あかりや真由も、理沙さん、雫さん、などと呼んでいる。まあ、誠をマコちゃんと呼ぶのは例外だけど(あかりが真由を呼び捨てにしているのも例外)。なのに、美穂子、と全員が呼び捨てにしてくる。なんで美穂子さんと呼んでくれないのだろう、と水野少尉は時々思う。エリーのこともみんなは呼び捨てであるが、そのことに水野少尉は気付いていない、のかも知れない。

「分かった。夕方行ってくる」

「うん、お願いね」

「それより、さっき投げ入れてた大きなコンクリート、あれは普通の人には無理だよ」

「やっぱり?」

そう言って舌を出すあかり。

「それと、他のも片手でひょいひょい投げてたけど、ダメって言ったでしょ。もう少し重そうにして」

「え~、誰も見てないんだからいいじゃん」

「理沙とかはちゃんとやってるでしょ」

「理沙さん、未沙さんは別なの」

「でもそう言うことが自然に出来るようにならないと、街にはそうそう連れてけないよ」

あかりや真由は街に行きたがる。なのでそう言ってみた。

「う~、分かった、気を付ける」

あかりはそう言って戻って行った。あかり、孝、ゆき、は今年中学一年生って年。無意識に行動を制限するなんてまだまだ難しいだろう。でもこれからは普通の人に混ざって生きていくのだから、早く身につけてもらわないと困る。そう思いながら水野少尉は、台車を押しながら離れて行くあかりを見ていた。

 それにしても、一昔、いやいや、何十年も前の土木作業員のような仕事をしているのだけれど、みんなぜんぜん嫌そうではない。そりゃサッカーやりたくてそのグラウンドを作ってるからなんだろうけれど、それでもそろそろきついとか、つまらないとか言い出しそうなものなのに、いくら強化兵だとしても。水野少尉の目には戦闘訓練していた時より、今の作業をしている彼らの方が楽しげに見えた。まあ、戦闘訓練を楽しそうにするってのは変ではあるけれど。


 屋敷の前から敷地の東側を走る県道まで、五百メートルほど道が続いている。その道に水野少尉は人影を認めた。三人歩いてくる。理沙、未沙、誠、の三人だ。この三人はもうほとんど問題ないくらい、普通の人と同様の動きを身につけている。あっ、て感じの咄嗟の行動が出た時は怪しいこともあるけれど、それでもそれはほんの一瞬の事、気付いた人がいても違和感を持たれる程度で済むレベル。そしてこの三人は、身のこなし以上に社会生活で必要なことを、他のメンバーよりはるかに理解し、習得していた。いや、社会に慣れたと言うのかな。なので単独で街へ買い物に行ってもらったりするようになった。

 今も朝食後にお使いを頼まれ、三人で馬池の町まで出掛けていた。この屋敷から東に行ったところに馬池という街がある。五、六キロはあるので徒歩ではちょっと大変。まあ、強化兵なら体力的にも時間的にもどうってことない距離。でもだからと言って走って行かせたり、徒歩で行かせたりしているわけではない。ここから県道に出て少し行ったところにバス停がある。なのでバスで街まで行き来させている。行きは来たバスに乗ればどれに乗っても街中まで行けるけれど、帰りはちゃんと経路を確認して乗らなければ帰って来れない。時間もバスに合わさなければいけない。彼らにしたら街まではほんとに大した距離ではないので、人目がないところでは適当に走りながら徒歩で行った方が、早くて楽かもしれない。でも社会適応の為、バスを使わせている。そしてこの三人は、バスに乗って街に行くくらいはもう問題なくできる。

 慶子様やこの屋敷で合流した純子様、そしてエリーや水野少尉は警察等に手配されている。そうそう街中には出て行けない(シンちゃんはここに来てすぐ、エリーの指示でどこかに行った)。出て行くときは変装するが安全とは言えない。なので顔写真などのデータが一切ない彼らに、買い物などが頼めるようになってとても助かっている。

 三人の後ろから小さな車が県道から屋敷への道に入って来た。もう見慣れた車だ。それはこの屋敷を管理している関守さんの所の長男、光洋さんのものだ。三人の横に並ぶと何か話しかけているようだ。そして三人と車が止まると、理沙が助手席に乗り込んだ。そして車は走り出す。ほんの数百メートルだけど、光洋さんと理沙のドライブだ。そう、この二人はなんだかいい感じに水野少尉には見えていた。二人の乗った車を未沙が飛ぶように走って追い越す。こらこら、光洋さんはみんなの正体を知っているとはいえ、そう言うことをするなって言ってるのに。未沙はこう言う茶目っ気がある分、二人よりは少し危ういかもしれない、と水野少尉は感じている。まあ、絶対大丈夫って時にしかやらないと信じているけれど。

 未沙と車が屋敷前まで来て、常識的な小走りで誠が向かってくるのを見たところで、水野少尉は窓辺を離れた。二階の部屋にはタブレット端末を取りに来ただけ。水野少尉はエリー達と一階の部屋で作業中だった。それはみんなの戸籍を作るための準備作業。


 一階に降りた水野少尉は、食堂と呼んだ方がいいような広いダイニングに入った。そこのテーブルの一つに純子様、慶子様、エリー、そして王制府総務庁の課長、宮城さんがいた。太政官がすっかり支配してしまった王制府ではあるけれど、従うふりをして純子様、いや、安憲王を助ける人は少なからずいるようである。純子様はこの方を信用して、強化兵達の為に国民番号データ改ざんを相談しているのだった。

 王制府総務庁の課長と言えばかなりの高官である。でも宮城さんは量販店で売っているような、普通のポロシャツにスラックス姿で昨日の夕方にやって来た。内緒ごとなので、休暇中の旅行として東園島に来ているとのことだった。


「三人、帰ってきましたよ」

四人のいるテーブルに向かいながら水野少尉はそう言った。

「三人? はあ、結局未沙もついてったか」

ラップトップの画面を見たままエリーがそう返す。水野少尉はイスに腰を下ろしながら、

「未沙は違ったんですか?」

と尋ねた。

「うん、買い出し頼んだわけじゃないからね、理沙一人で行かそうかと思ったくらい。でも一人で街に行かすのはまだちょっと不安かなって、それでマコちゃんについて行くように言ったんだけど、心配だから自分もついて行くってその時未沙が。二人で十分って言ったんだけどね」

水野少尉は聞きながら、二階から持って来たタブレット端末をエリーに渡し、クスッと笑ってこう返す。

「みんな、なんだかんだ言って街に行きたがりますからね」

「いいことよ、経験が増えるのは」

宮城さんと書類を見ていた純子様がそう言って顔を上げた。そこに理沙が入って来た。そしてエリーの傍へ行く。

「これ」

そう言いながら紙片をエリーに差し出した。紙片は郵便局のレシートと送り状の控えだった。どうやらお使いは郵便局だったようだ。

「ありがと。うん? 速達にはしなかったの?」

エリーは受け取った控えを見てそう返す。

「うん、速達でも宅配でも明後日になるって言うから宅配にした。その方が安かったから」

「え~っ、そっか、午前中なら明日着くかなって思ったけどダメか」

「何かダメだった?」

理沙が不安そうな顔になってそう言う。自分が何か間違えたとでも思ったのかも知れない。

「ううん、理沙は悪くないよ、私がそう思っただけだから。ありがと」

そのエリーの言葉に頷いた後、理沙は財布を差し出す。お使いを頼むときに持たせる財布だ。

「それと、またちょっと使っちゃった、ごめんなさい」

そしてそう言う。

「いいよ、何買ったの?」

エリーはそう尋ねた。お駄賃代わりに何か食べたり買ったりして来てもいいと言ってある。なので咎めるわけではなく、ただ聞いただけである。

「帰りのバスまで時間があったからジュースとか買って、それと……」

なぜだかそこで言い辛そうにする理沙。すると純子様がこう言う。

「ヘアバンド?」

理沙は顔をうっすら赤らめて俯いた。

「ごめんなさい」

そしてそう言う。そう言う理沙の頭の後ろでは、ピンポン玉くらいのピンクの玉が付いたゴムバンドで髪が束ねられていた。

 強化兵達は戦うための存在。なので彼らは戦闘の邪魔にならないようにショートヘアだった。サイドと後ろは刈上げたような格好で、上部や前髪は数センチ程度って髪型だった。その髪型が維持されていた。と言うか、強化兵用の戦闘服のヘルメットはそれぞれの頭の大きさや形にピッタリ合わせてあったので、合わせた時の髪の量と同じでないとフィットしないのであった。しかし去年、玲が死んだ後からエリーは各人の希望を聞いて、好きな髪形を許すようにしていた。なのでみんな髪を伸ばし始めた。中でも理沙と未沙はほとんど切らずに伸ばし続けている。なので今では肩くらいまで伸びていた。その理沙の髪、いつもは何もしていないのだけれど、今は後ろで束ねてあった。なので水野少尉はさっき二階の窓で見た時から気付いていた。未沙の頭の後ろにも水色の玉が見えた。二人で色違いのヘアゴムを買ったんだと思っていた。理沙たちはポニーテールにしたがっている。でもまだ髪の長さが足らず、とっても短い尻尾になっている。それを、もう少しだね、と思いながら見たのを思い出した。

「なんで謝るの、こっちこそごめんなさいね、そろそろそう言う物が必要って気付かなくて」

純子様がそう返しながら理沙の顔を覗く。

「そんな……」

「似合ってるわよ」

純子様はピンクの玉の方を覗いてそう言う。

「えっ、あの、その、未沙にも同じの、じゃなくて、色の違う、水色の同じの買っちゃいました。ごめんなさい」

俯いたまま赤い顔でそう言う理沙。尻尾は短いけれど、とってもかわいく見える。

「だから謝らなくていいってば」

「はい、あの、その……、あ、ありがとうございます」

いつでも元気いっぱい、活発な未沙に比べて理沙はおとなしい方ではある。でもいつもこんな感じではない。いつもは普通にハッキリ話をする。初めてしたおしゃれと、それを褒められたことに照れているのだろう。水野少尉はそう思い、理沙と目が合った時にウィンクしてやった。するとうっすら微笑んだけれど、理沙はまた赤い顔を伏せてしまった。


 S5を脱出してから合流したセクター1の医療チーム。直後に全員のチェックや必要な処置をした後、その長である松本軍医大佐と看護長の室谷さんの二人以外はセクター1に帰って行った。この二人はその時点から水野少尉達と同じ脱走者となり、今も一緒にいる。そしてセクター1の厨房を仕切っていた二人の内の一人、松井さん、この人は厳密には軍の所属ではないので脱走と言うことにはならないであろうけれど、みんなが関守邸に着いた時にはもうここにいて、今では一人でみんなの食事の世話をしてくれている。

 その松井さんからお昼の用意が出来たと声が掛かったので、水野少尉は開拓作業中のみんなを呼びに外へ出た。するとダンプカーの所で理沙と光洋さんが瓦礫を荷台に積んでいるところが見えた。来た時に純子様達に挨拶し、持って来た段ボール箱をエリーに渡すと、すぐに外に出て行った光洋さん、作業を手伝っていたんだ。

 理沙、未沙の二人と一つ年上の光洋さん。今は大学の最終学年。暇だとは言っていたけれど、最近はしょっちゅう顔を見る、特に用事もなさそうなのに。楽し気に何か話しながら作業している二人を見て、やっぱり、と水野少尉は思った。すると、邪魔しに来たみたい、と感じて声を掛けるのを躊躇い足が止まってしまった。でも二人の方が気付いて、途端に無表情になる。やっぱり邪魔しちゃった、と思いながらも水野少尉は笑顔で二人に近付き、

「なんか面白いことあった?」

と話し掛けた。

「ううん、別に」

目を合わさずそう返してくる理沙。

「そう? なんか楽しそうだったけど」

水野少尉は光洋さんにそう言ってみた。

「いえ、別に、特に何もないですよ」

光洋さんも一瞬水野少尉と顔を合わせてからそう答える。

「ほんとに?」

二人に尋ねた。

「……む、向こうに見える島に行ったことあるって言うから、聞いてただけ」

しばらくして理沙がそう返してきた。

「一緒に行こうって?」

水野少尉は笑顔でまた尋ねた。

「そ、それはまた、その、今度行こうかって、その、それだけ……」

また赤い顔になった理沙がそう言った。なんだか光洋さんも赤くなった気がする。ほんとにそんな話してたんだと水野少尉は驚いていた。そしてこんなにも照れ屋の二人、これ以上いじらずにおこうと思った。

「そっか、もう少し落ち着いたら行っといで」

「……うん」

二人して俯いてしまった。でも俯きながら目を合わせていた。それを見て、再び笑顔で水野少尉はこう言う。

「そろそろお昼だから、それ積んじゃったらみんな呼んで来てくれる?」

「あっ、うん、分かった」

赤い顔を上げて理沙がそう答えるのを見て水野少尉は、

「お願いね」

と、二人に背を向けた。


 もう少し積める、まだ積める、と真由たちに言われて出発の遅れた水野少尉は、廃棄物処理業者が閉まる十八時ギリギリに飛び込んだ。作業着を着こみ目深に帽子をかぶったうえ、マスクまでしている怪しげな姿。最初の頃は胡散臭げな目で見られていたが最近はそうでもなかった。しかし今日は終業ギリギリだったので、別の嫌そうな目で見られてしまった。

 ゴミを引き取ってもらい、関守邸に帰り着いたのは十九時過ぎ。水野少尉が出発してからみんなお風呂に入っているはずだから、丁度夕食が始まる頃かな、出来れば自分もお風呂に入ってから夕食にしたいな、などと考えながらダンプカーを昼間と同じ位置に停めた。そして屋敷に向かう。玄関に向かって歩きながら、まだ光洋さんいるんだ、と右手に停まる光洋さんの車を見た。その時建物の右手に人の影を見た気がした。そして、その人影は隠れたような気がした。誰だろう? と考えると不審な思いが湧いてきた。エンジン音の大きなダンプカーで乗り付けたのだから、ここにいる者なら水野少尉が帰ってきたのだと思うはず。なら隠れる必要はない。

 足音をさせないように水野少尉は建物の右手に急いだ。そして角から覗く。誰もいない。気のせいかと思いながら次の角に向かった。またそっと覗く。人がいた。今いるのは純子様、慶子様が使っている部屋がある辺り。お二人とも夕食でダイニングにいるのであろう、部屋の明かりが消えていて暗かった。それでも体格で男性だと言うのは分かった。誰か呼ぼうか、と考えているうちにその人物が窓に手を伸ばし、開け始めた。そしてよじ登って窓から入ろうとしている。

 男性が地面を蹴って飛び上がる。両腕で窓枠に体重を預け、足を窓枠にかけようとしている。今だ、と水野少尉は飛び出した。男性と一対一の格闘は不利。でも無防備と言えるこのタイミングなら先手が取れる。男性の足にタックル、そのまましがみついて地面に叩きつける、つもりだったが、男性が気付いて地面に降りた。でも水野少尉は止まらなかった。相手が訓練を受けたどこぞの機関のものであっても、自分も実戦部隊で訓練を受けた兵士なんだ、何とかしてみせる。そう、水野少尉はその男性を、ここを探りに来た太政官配下の者だと確信していた。

 男性は両腕を水野少尉の方に突き出している。何をするつもりか分からないけれど、武器は持っていない、素手だ。何かの武術の構えか? と思っているうちに懐に飛び込んだ。パワーも体格も絶対に相手より劣っているはず。だとしたら、一撃目は走り出した勢いを利用した方がいい。それで大きな音でもしたら誰か気付くだろう。中には理沙たち最強のメンバーがいる。その中の誰か一人が気付いて来てくれるだけでいい。そう考えた、大声を出すことは思いつかず。

 男性の腕を潜るように直前で身を屈め、肩から男性の腰に突っ込む。左右にかわされないように注意し、膝蹴りを食らわないようにガードも忘れていない。そして突き飛ばしながら身を起こす。男性は後ろに押された挙句上半身まで起こされたので、のけ反るように後ろに倒れた。そして後頭部を地面に打ちつけるが、地面は柔らかい土だった。石でもあったら大変だったけど、これでは大してダメージはないな、と思いながらも水野少尉はすぐに男性の右腕を取り、ねじりあげるようにした。

「待って、イタッ、痛い」

と呻きながら身を起こそうとする男性の動きを利用して、水野少尉は男性をひっくり返しうつ伏せにさせる。そして腕を背中に捻り上げた。

「誰ですか、何してたんですか」

と、問い質す水野少尉に、

「待って待って、痛いって」

と男性がそんなことを言う。そこに、

「誰かいる? 美穂子?」

と、慶子様の声がした。水野少尉は声の方に顔を上げる。

「不審者です。誰か呼んでください」

そしてそう言った。

「えっ、不審者?」

カコカコと、木のサンダルの音をさせながら、慶子様は勝手口から二歩ほど出てきた。

「危ないですから下がって。誰か呼んでください」

水野少尉は男性の背中を膝で押さえつけながらそう言う。今のところ大した抵抗をしてこないが、このまま押さえつけられているとは思えない。だから水野少尉は焦ってそう言っていた。しかし慶子様はさらに数歩近付いてくる、男性の顔を確かめるように覗きながら。

「来ないで、下がってください」

と言う水野少尉の叫びのようなセリフの後、慶子様がこう言った。

「お兄ちゃん?」

その緊張感のない声を聞いて、水野少尉は男性の顔を見た。でも、何も分からなかったし理解していなかった。

「お兄……さん?」

呟くようにそう言いながら慶子様を見た。でも体重を掛けるのも、腕を捻り上げている力も緩めなかった。

「痛いって、勘弁して」

そう言う男性に顔を戻した。すると上から慶子様の声がする。

「美穂子やめて、それ、私の兄だから」

「えっ?」

そこで水野少尉は手を離し、身体も離した。

「あ~痛かった、まったく……」

そう言いながら身を起こし、座り込む男性。

「何があったの?」

慶子様が二人を交互に見ながらそう聞く。

「その、中を窺って窓から入ろうとしてたから、怪しい人だと。すみません、知らなくて」

水野少尉はそう答えて頭を下げた。

「窓から?」

「脅かそうと思ったんだよ。そしたら急に突き倒されて腕ねじられて、押さえつけられて」

慶子様に続いて男性がそう言いながら横目で水野少尉を見る。

「脅かそうって、何考えてんの」

呆れたようにそう言う慶子様に、

「すみません、ほんとに知らなくて」

と言う水野少尉の声が被った。

「美穂子は悪くないよ。窓から入ろうとする方が悪いんだから」

「うるさい」

と返す男性。

「なんで窓から、玄関開いてなかった?」

「……」

「開いてなくてもインターホン鳴らせばいいでしょ」

男性は返事を返さず立ち上がった。すると、

「この前私に怒られたもんだから気まずかったんでしょ」

と純子様の声がした。純子様も勝手口から出たところに立っていた。と言うか、理沙、未沙、真由も傍に出て来ていた。

「別にそんな……」

そう言う男性に純子様がこう言う。

「まあ、とりあえず泥払って入って来なさい。ちゃんと表からね」


 男性は純子様に言われてすぐにお風呂に向かった。故に水野少尉の入浴は後回しとなり、そのままみんなと食卓に着いた。

「あの、慶子様のお兄さんってことはさっきの方、まさか、皇太子殿下……じゃないですよね?」

食べ始めてから水野少尉はそのことにやっと気付き、声を落として目の前に座るエリーにこっそり尋ねた。でもエリーは睨んでいるのか笑いをこらえているのか分からないような顔で見返すだけだった。すると隣のテーブルから、

「宗憲よ、ごめんね、手間かけさせて」

と純子様の声。隣に聞こえないように小さな声で聞いたのに聞こえていたようだ。そう言えば今日に限ってみんな静かに食べている。いつもはギャアギャア言いながらおかずを取り合ったりしているのに。

 水野少尉は瞬間で立ち上がり、

「知らなかったとはいえ申し訳ありませんでした」

と、純子様に深々と頭を下げた。皇太子殿下を突き飛ばし、地面に押さえつけ腕を捻り上げて、痛いと何度も言わせた。普通なら絶対に許されないこと。どれほどの罪になるか想像も出来ない。

「やめてやめて、水野さんは悪くないから、頭上げて」

純子様はそう言って下さるけれど、

「いえ、皇太子殿下に手を出すなんて許されることではありませんから」

と、水野少尉は頭を下げたままそう返した。

「だから謝んないでって、悪いのはあの子なんだから」

「でも……」

そう言う水野少尉の言葉に続くように慶子様がこう言う。

「大丈夫だって。お母さんなんてお父さんと初めて会った時、お父さんのこと突き飛ばして怪我させて、挙句に銃を向けたらしいから」

「えっ?」

驚いて水野少尉は顔を上げ慶子様を見た。お父さんって安憲王だよね。純子様が安憲王に怪我させた? 銃? 慶子様は続ける。

「皇太子怪我させても刑務所に入ってないし、って言うか、その皇太子と結婚しちゃってるんだから」

余計なこと言わないの、と言う純子様に、

「ほんとですか?」

と水野少尉は聞いてしまっていた。聞かれた純子様は困ったような顔を一瞬したけれど口を開く。

「私もね、水野さんと同じ軍人だったの」

純子様が王族の方ではなく一般の方だと言うのは知っていた(本城国では、王家、元老家、のことを王族と言う)。と言うか珍しい事なので、その当時はかなり報道されたから多くの国民がそのことは知っていた。報道で皇太子妃、純子様が軍人であったことも多くの国民は知っていたであろうが、水野少尉が生まれる前の話、水野少尉はそこまで知らなかった。

「そうだったんですか」

「そうよ、私も陸軍にいたの。って、いい加減座って食べなさいよ」

「は、はい、すみません」

そう言われて水野少尉はイスに腰を戻した。そして食事は静かに進む。真由やあかりの所で、ガチャガチャとおかずを取り合っているのであろう音はするけれど、なぜだか今日はみんな口数が少ない。やがてエリーが口を開いた、控え目に。

「あの、続きは?」

純子様にである。

「えっ?」

「お二人の馴れ初め、出来ればお聞きしたいです」

「馴れ初めって……」

そう言って純子様はエリーを見る。エリーと目が合った後、水野少尉を見ると彼女とも目が合った。純子様はお箸を置き、コップに手を伸ばす。そしてお水を一口含むと話し始めてくれた。

「当時私は北部軍の機械化師団にいたの。その日はまだ非公開だった新型戦車が模擬戦をやる日だった。その視察で忠憲王や皇太子の安憲さんが基地にお見えだった」

「……」

興味があるとは思わないけれど、強化兵のみんなも純子様の話を聞いているようだった。

「私の中隊は模擬戦には関わっていなかったけれど、王族がお見えと言うことで基地内の警備を命じられてた。それで私は中隊長って立場だったから、配置した小隊を監督するってことでうろうろしてたのね。そしたら新型戦車が入ってる格納庫に、スーツ姿の人が近付いて行くのが見えたのよ。お供がぞろぞろついてれば、視察に来た王族か政府関係者だって思っただろうけど、一人で歩いてたから怪しいと思った。格納庫の入り口に警備兵はいないし、まずいと思って近付いて行ったの。そしたらその人が扉に手を掛けた。なぜか鍵が掛かってなくて扉が開いた。そしてその人が中に入って行ったの。格納庫の警備担当は何やってるの、って思いながら走ったわよ。何しろ中にはまだ機密扱いの新型戦車があったわけだから。扉を開けて踏み込んだらその人物が目の前にいた。もう考える間なんてないくらいほんとに目の前だったから、とりあえず目の前にあった背中を突き飛ばしたの。そしたらその人はつんのめるように倒れた。そして四つん這いの体勢に体を起こしたその人物に銃を向けて、何者だ、って問い質したの」

「……」

誰も何も言わず、慶子様以外は食事も忘れていた。

「私について来ていた部下も一緒に銃口を向けて、すみません、とか言ってるその人に、手は床につけたままでいろ、動くな、とかってやってたの。そしたら部下の一人が、この人、皇太子殿下じゃないですか? って言い出した。恥ずかしい話だけど、私はその時、皇太子殿下の顔を覚えてなかったのよ。だから、皇太子殿下ですか? って聞いた。そしたら、そうです、すみませんでした、とかって言うの。そこからはさっきの水野さんと同じ、慌てて銃を仕舞って、申し訳ありませんでしたって平謝り。でも突き飛ばされて転んだ時に顔を床にぶつけたみたいで、擦りむいてるし、唇は切れてたし、鼻血まで出てたから、これはただでは済まないってもう震えてたわよ」

「銃も向けたしね」

と慶子様が口を挟む。純子様はチラッと慶子様を睨んだ。

「いいじゃない、それでもお咎めなしだったんだから」

慶子様はそう返して春巻きを口に運ぶ。

「お咎めあったわよ」

そんな慶子様に純子様がそう返す。

「えっ? そんなの聞いたことないよ」

「その場では何もなかったけど、報告書出した後、基地内の留置所に入れられたのよ、三日間」

皇太子を怪我させて三日間の留置で済んだのかな、と水野少尉は思った。

「そうなんだ」

「軍にしたらとんでもない不祥事だからね、王宮の様子を窺いながら、どう処分しようかって考えてたんでしょうね。でも三日後、皇太子が勝手なことをして申し訳なかったって、忠憲王が軍に正式に謝罪して下さったの、それで解放されたの」

「そうだったんだ」

慶子様がそう返した後、話は終わってしまった、かのように純子様も食事を再開した。でもこれだと純子様と王様のその後が分からない。と水野少尉が思っていたら、またエリーが純子様に尋ねた。

「あの、そのあとは?」

純子様は手を止め小さく息を吐く。そして再びお水を含んでから話し始める。

「一年近く経ってから転属の辞令が出たの」

「……」

「王宮警備隊への転属辞令だった。それで着任したら、ボディーガードを兼ねての運転手を命じられた、皇太子用公用車の」

「見染められてたんですね」

何も考えずに水野少尉はそう言っていた。

「見染められてたのかどうかは分からないけれど、それで今こうなってるってことね」

と、純子様は少し照れたようにそう返してくれた。そんな純子様をなんとなく微笑ましく見ていたら、

「怪我させて銃を突き付けてもこうなんだから、投げ飛ばしたぐらいなんでもないよ」

と慶子様が水野少尉に言う。投げ飛ばしてはいないけれど、と思いながら、

「いえ、でも」

と水野少尉は返す。

「大丈夫だって。と言うか、この縁でお兄ちゃんと結婚したら?」

「……」

あまりのことに言葉も出ず、水野少尉は慶子様を見返すだけだった。

「私は美穂子のことお姉さん、じゃなくて、お姉様って喜んで呼ぶよ」

「そ、そんな、やめてください」

やっとそう返す水野少尉。

「あら、それいいかも。私も水野さんだったら歓迎よ」

純子様までそんなことを言いだし、大人たちの辺りから笑い声が広がった。

 食事に戻ってから話題を変えるように、

「ちょっといいですか?」

と、水野少尉は目の前のエリーに話し掛けた。

「なに?」

「セキュリティー、切ってたんですか?」

屋敷を覗き、侵入しようとするような人物がいたのに、エリーが反応していなかったことが気になって水野少尉はそう聞いた。県道から屋敷への道の入り口にある門の所や、屋敷周りの生け垣などには各種センサーとカメラが設置してある。それらが発する警報などはエリーのタブレット端末に送られるようになっていた。

「なんで? 切ってないわよ」

「じゃあなんで気付かなかったんですか?」

「うん? ああ、宗憲様が来たのに気付かなかったのかって言いたいの?」

「はい」

「気付いてたわよ」

「えっ?」

「門のセンサーのアラームが出た時に、すぐにカメラで確認したわよ」

「だったらその時に不審者だって、みんなに言った方がいいんじゃないですか?」

少しだけ不満気な声で水野少尉はそう言った。

「ええ? 宗憲様よ、不審者じゃないじゃん」

「……あっ」

カメラの映像でエリーは宗憲様だと分かっていた。自分もハッキリと宗憲様の顔を覚えていればあんなことはしなかった。水野少尉は言葉がなかった。

「まあでも、宗憲様だと確認しといて、いつまで経ってもやって来ないのは変だと思うべきだったかも。宗憲様の身の安全を考えて再確認すべきだった」

「そ、そうですね」

少しだけ反省口調のエリーに、水野少尉は遠慮がちにそう返した。

「私の想像が足りなかったね。以後気を付ける」

そう続けたエリーに、

「窓からこっそり入ろうなんて、想像できないわよ」

と、純子様が言った。そこに、

「ごめん、謝るからもう勘弁して」

と、宗憲様が現れそう言う。水野少尉は宗憲様の姿を見て立ち上がり、

「ほんとに申し訳ありませんでした」

と、宗憲様に最敬礼で謝罪した。

「いやいや、痛かったけどなんともないからもういいよ。やめて、こっちが悪かったから」

そう返す宗憲様を、敬礼くらいに体を起こして水野少尉は見上げ、

「でも……」

と何か言い掛けたが、

「そうよ、あっちの若い子達に見つかってたら、痛いくらいじゃ済まなかったんだから」

と、お箸を真由たちの方に向けてそう言う慶子様に遮られた。

「えっ?」

と、慶子様を見る宗憲様。

「窓から侵入なんて、あの子達に見つかってたら、取り押さえられたときに骨の二、三本折れてたかもよ」

「な……」

そう言って真由たちの方を見る宗憲様。やがて、

「ひょっとして?」

と、小さ目の声でそう言った。慶子様は頷き返した。

 そこからは宗憲様も交えての食事となった。


 食事が終わった頃、

「よし、明日は朝から頑張って、あそこのガラ全部掘り出そー」

と真由がみんなに言った。どうやら今日手をつけ始めたところにはかなりのゴミが埋まっていたようである。みんな、

「分かった」

「分かってるよ」

などと真由に返している。するとエリーが立ち上がって、こう言いながらみんなの方へ行く。

「ちょっと待って、言うの忘れてた」

そして端のテーブルに置いていた、光洋さんが持って来た段ボールを開け、中から冊子を取り出しこう続ける。

「やっと教科書が手に入ったから、明日からはまた午前中はお勉強するよ」

セクター1では週に四、五日は、午前中は勉強であった。エリーは彼らにも高校卒業程度の学力が必要と言って、セクター1ではそう言うカリキュラムが組まれていた。と言うことで、授業を受けるのはそのレベルまでまだ進んでいない者だけ。今残っているメンバーでは、真由、あかり、ゆき、孝、の四人だ。瑠美は十六才だが、もう高校卒業レベルの学力テストに合格しているので対象外になっている。

 強化兵達は頭の構造も普通の人とは違うようで、教えさえすればすぐに覚え、理解する。十四才になる真由も、今は高校二年生レベルの勉強をしている。言うことややることにはまだまだ幼さがあるけれど、頭はいいのである。と言っても、真由やあかりは体を動かすことの方が好きなので、勉強は嫌がるのではあるが。

「えー」

っと、真由、あかりが声を揃えた。

「えーって言わない。まあ、見ての通り先生はここにいないから、私とみっちゃんで教えるから」

そう言うエリーの言葉を、私もやるの? と聞きながら、水野少尉は席を立ってお風呂に向かった。




 結局シャワーだけで済ませた水野少尉。それなら食事前に自室で済ませばよかった、なんて思いながら再びダイニングに顔を出した。若者チームは理沙、未沙、雫、誠と光洋さんが残っているだけ。他のメンバーは二階の談話室に行ったのだろう。おそらくそこでゲームしたりテレビを観ているはず。大人チームは純子様、宗憲様、慶子様、宮城さん、エリー、の五人が残っていた。水野少尉は大人たちのいるところに混ざった。

 水野少尉が傍のイスに腰を下ろすと、それをきっかけにしたようにエリーが理沙たちの方に声を掛けた。

「あんた達、しゃべってるのは構わないけど、遅くなるから光洋さんはそろそろ解放してあげなさいよ」

「分かった」

未沙がそう返してきて五人が腰を上げた。そのままもうしばし話していたが、やがてテーブルに残っていた器などを持って未沙たちは厨房へ向かう。食器洗いは強化兵達の仕事になっていた。ただ、光洋さんは玄関に向かい、理沙がそれについて行く。帰って行く光洋さんを見送るのだろう。

 なんとなく話が途切れたタイミングで、水野少尉は宗憲様にこう尋ねた。

「あの、お身体大丈夫ですか?」

「えっ? ああ、痛かったのは痛かったけど、何ともないから。ほんとにもう気にしないで」

宗憲様はさっきのことだと思いそう返す。でも水野少尉はこう言った。

「いえ、そうではなくて、その、王様と同じ御病気で療養中だとお聞きしてるので……」

そう、宗憲様は国王同様、療養中と言われている。水野少尉のその言葉に、なぜだか五人は顔を見合わせた。やがて皆の視線が宗憲様に落ち着く。すると宗憲様が口を開いた。

「う~ん、とりあえず僕は病気じゃないんだけど」

そしてそう言った。

「えっ、……どういうことですか?」

思ったまま水野少尉は口にした。

「う~ん……」

宗憲様はなんだか返事に困った様子になる。すると、

「重田さんに監禁されてたって言えばいいじゃん。美穂子なら大丈夫だよ」

と慶子様が言う。純子様は目を瞑り、宮城さんは下を向く。そしてエリーは無反応。宗憲様は少し慌てた様子でこう言う。

「監禁って、そこまでじゃ、違うからね、水野さん」

「は、はい……」

水野少尉は監禁と言う言葉に驚きはしたが、話が分からないのでそれ以上反応出来なかった。

「なんで? 重田家の屋敷に閉じ込められてたんじゃないの?」

「閉じ込められてたわけじゃないよ」

「でも屋敷からは出られなかったんでしょ?」

「それは……、そうだけど」

「なら監禁されてたのと一緒じゃない」

「……」

困った顔で宗憲様は慶子様を睨んだ。

「どう言うことですか?」

聞いてもいいことなのかな? とは思ったけれど、考える前に水野少尉はまた尋ねていた。

「う~ん、どう言ったらいいか……」

宗憲様は困った思案顔を返してくる。すると純子様が口を開いた。

「王様が病気療養と言うことで国王職から離れたでしょ?」

「はい」

水野少尉は純子様を見て頷いた。

「その国王職は重田さんが太政官として代行することになった」

「はい」

「そこに元老として宗憲が加わったら重田さんはやりにくいでしょ。まだ若いとはいえ、御前家の人間だし、何より国王の息子、皇太子だからね。だから国政からしばらく宗憲を遠ざけるためにそうしたんだと思う」

「……」

水野少尉は続きを待つ。しかし純子様はそれ以上何も言いそうになかった。なので再び尋ねた。

「でも、監禁なんて、そんなことしていいんですか?」

話し終えてから手にしていたティーカップをしばらく見つめた後、純子様はティーカップをお皿の上に戻した。そして話始める。

「監禁なんてことは許されるわけない。だから宗憲は重田さんの所に留め置かれたと言うべきかな」

「……でも、自由に出られなかったんですよね」

純子様は再びティーカップを見つめた。そして目を水野少尉に戻すと、

「そうね」

と、一言返した。水野少尉は理解出来なかった。皇太子と言う身分を考えないとしても、自分の息子が監禁、いや、軟禁と言うレベルであっても拘束されていたようなものなのに、なんだか反応が冷静過ぎると感じられた。

「でもそれって違法と言うか、その、問題ではないんですか?」

また目を落とす純子様。そして今度はそのまま口を開いた。

「あの人、国王が良しとしたみたいだから、私は何も言わなかったの」

「えっ?」

純子様は水野少尉に視線を戻した。

「国王は療養に入る少し前から言っていたの、自分にはそろそろ国王の仕事は無理かもしれないと」

「……」

「でも宗憲に王位を継がせるのはまだ早いと考えていた。それは宗憲自身も自覚していた」

宗憲様は黙って小さく頷いた。

「だから太政官職を復活させて、自分は国政から離れる。その間、宗憲には旧本城国の元老として元老院の一員をさせて、経験を積ませるつもりだったのよ」

「……」

「そしてその時から、太政官として国王代理をしてもらうなら重田さんがいいとお考えだった。ただ、重田さんを含めた元老の方々と事前にちゃんと相談して、宗憲の役割や元老として務める期間、そしてその時、自分が王位を継承できる状態でなかった場合のその方法などを決めて、それから国王職を離れるおつもりだった」

「……」

「でも実際は、国王の病状が悪くなるのが思った以上に早かった。だから今話したような準備を何もしないまま療養に入ることになってしまったの。それでも国王は自分が療養に入ることで、空位状態となる国王職に代わる太政官職を設けるのであれば、自分は重田さんを推薦すると言葉を残して離宮に行かれたの」

 水野少尉はしばらく純子様を見つめてから口を開いた。

「なぜ国王はそこまで太政官を、重田さんを……」

純子様はやや上を向いて目を瞑った。そして顔を戻しながらこう言う。

「こんなことを言うと王妃失格なんだろうけど、私には、国の仕事のことは分からない」

「……」

「でも、国王が重田さんのことを認めて任せたのなら、それに間違いはないと私は思う」

「……」

それでは何も分からないけれど、そう言われたら何も言えない、と水野少尉は目を伏せた。すると宗憲様が話し始める。

「重田さんは元老の中で一番合理的に、妥協なく物事を判断する人だよ」

「……」

水野少尉は宗憲様を見た。宗憲様は続ける。

「内閣から提出された法案などを民政院議会で審議、そして採択された議決事項を再審議して承認する。それが元老院の役割。ただし、よほどのことがない限り、元老院は議会での議決をそのまま承認する。そう言うことになってるよね?」

そう振られて水野少尉は頷いた。

「でも実際は、再審議と言うことで議会に戻しているものがかなりあるんだ」

「そうなんですか?」

宗憲様は頷いてから続ける。

「元老院では議決事項が国民の利益に、国の利益に沿っているかを更に厳しく審議する。どこかに不公平等がないかとか、変わることで必ず生まれるであろう不満が妥当な範囲内であるか、その不満が許容されるまでどのくらいの時間が掛かりそうか、とかね。それは議会でも検討されていることだけど、その内容に漏れがないかを慎重に判断するんだ。そして検討内容や調査内容、想定していることなんかに不足があると判断したら、そのことを細かく指摘して議会に戻してる」

元老院はそんなことをしているんだと感心しながら、民政院議員は五百人、元老院は六人、五百人が話し合ったことを六人で再検証するなんてとんでもない労力が必要だろうな、と驚きながら水野少尉は聞いていた。

「で、さっきも言った通り、その判断を下すにあたって重田さんは元老の誰よりも国民の立場で考えるんだ。そうなるのであれば、こっちをこう変えてくれ、と言うような声が出るんじゃないか、なんてことを想定して再審議の内容に加えていくんだよ。そしてそれは、ほとんどが国王と同じ考えだった。だから国王は重田さんを信頼してた」

水野少尉はこのところ悪い印象しかなかった太政官のことを少し見直していた。

「でも、太政官になったら宗憲様を閉じ込めたんですよね」

それでもそう言っていた。

「……それはさっき母が、王妃が言った通り、僕が元老院にいたのではやりにくかったからだと思う。自分の体制で落ち着いてから戻すつもりだったんだろう」

そんなことを言ってももう一年半くらいは経つ。いくらなんでも長すぎる。そして水野少尉はもう一つ気付いてこう言った。

「純子様は? 純子様と慶子様はなぜ離宮を離れて身を隠されたのですか?」

「……」

慶子様は純子様を見る。純子様は目を瞑って顔を伏せられた。

「太政官から逃げたのではないですか?」

水野少尉はそこまで言ってしまった。

「……」

王家の三人は揃って顔を伏せ、何も言わなかった。

 しばらくして口を開いたのはエリーだった。

「逃げたと言うか、逃がしたのよ、重田永信の人質にならないように」

水野少尉はエリーを見た。しかしエリーを見たのは水野少尉だけでなく、顔を伏せた三人も一斉に顔を上げていた。エリーは目が合った純子様に、すみません、と言う感じで小さく頭を下げる。純子様はそれを見て再び目を閉じた。そして目を開くと水野少尉の方を向く。

「御前家の他の者、そして双城家、城山家の者は、国王が療養に入ることに異存はなかった。国務をあのままこなすのは本当に無理があると思えるほど国王の体調は良くなかったから。でも国王を王宮から離宮へ移すと言う重田さんの決定には異議を唱えていた。強く拒否するように、私にも言って来たくらいに。でもその決定を国王が受け入れたから、誰もそれ以上何も言えなくなった」

「……」

「一旦それで落ち着いたんだけど、大脇医師の事件があったでしょ? それでまた双城さん達が騒ぎ出したの、あれは重田さんと折り合いの悪い大脇医師を外すために、重田さんが画策したことだって」

大脇医師の事件は、当時領南離宮にいた水野少尉もよく知っていた。ほとんど接触はなかったけれど、とても立派な方だと言う印象を持っていた。なのでその人が報道されたような買春行為を本当にしていたのかと思ったのでよく覚えている。そして報道された不法行為は捏造であったと後日発覚した時、また離宮に戻って見えるだろうと喜んだのも思い出した。実際はその後、大脇医師は戻って来なかったけれど。

「大脇医師のことが心労になったのか、少し回復しかけていた国王がそのあとまた寝込むようになったもんだから、双城さんあたりは離宮に何度も通って、国王が話せるときは面会を重ねていたの。双城さんは元老たちで最大限補助するから、王命で太政官職を解いて、実権を国王が持つように説得したみたい。でも国王は、自分が正しい判断を出来る状態ではない、と拒否したみたい。そして、重田さんは結果を急いで強引になるところもあるけれど、彼の判断は自分の判断とそう変わりはない。明らかにおかしなことがない限りは重田さんをみんなで支えるように、と言ったそうよ」

みんな黙って聞いていた。

「でもその頃から重田さんは、王制府に干渉し始めた。王妃と言う立場上、私も王制府とは全く無関係と言うわけではなかった。王制府は王室に従う組織、国政に関する部署のことは全く知らないけれど、王室の行事に関わる部署とは私が打合せをしたりしていたから。だから重田さんがやろうとしている人事異動や組織変えに関して、私の所に相談が何度もあった。お会いしたことのない方まで私の所に来ていた。そんな頃に私達も離宮に移されることになったの。それで双城さん達は、今度は本格的に重田さんを疑い始めたの」

水野少尉はお二人が自分たちの意思ではなく、太政官の指示で移されたんだと知った。そして驚いていた。

「双城さん達は重田さんが独裁者になろうとしていると国王に警告し始めた。独裁体制を作るために私達まで離宮に移したのだと。でも国王は、重田さんは体の芯まで、国、そして国民の利益追求って想いが染みついているような人、多少方法に問題があるのはせっかちな性格の所為だから、重田さんがやろうとしていることの結果をちゃんと想像すれば、間違ったことをしているわけではないと分かる。双城さん達も仕事が山ほどあるはず、離宮まで来ている暇などないだろ、って最後には追い返しちゃったの」

そこで純子様はティーカップに手を伸ばし、もうとっくに冷めているであろうお茶を口にした。皆もそれぞれ目の前のグラスやカップに手を伸ばす。でも水野少尉はじっと続きを待った。そんな水野少尉の姿を見たからか、純子様はカップを戻すと話を続けた。

「それでも双城さん達は重田さんへの警戒をやめなかった。それで離宮に関わるおかしな動きなどを見つけたと言ってきたりした。そのおかしな動きと言うものの中には、国王の体調が悪いままなのは重田さんがそう仕向けているからだと言うものまであった。国王はそんな話は聞き流していたけれど、双城さん達の危機感は深まるばかり。そしてある時、私や慶子が何かの時に国王を説得する材料に、つまり人質にされる恐れがあると言い出したの。まさかとは思ったけれど、実は私もその頃少しだけ重田さんに不信感を持っていた。そう大したことでもないと思ったんだけど、例えば、王妃として持っていた携帯電話を回収されたの。しばらく公務はなく、ずっと離宮にいるのだから必要ないでしょう、と言うのが理由だった。そう言われたらその通りだし、離宮の電話は使えるわけだから問題ないと思った。でも王室で持っていた携帯電話は監視されないものだけど、離宮の電話は監視できるものだと、双城さん達が言い出したの。そう言われてから気付いたけど、離宮に掛かってくる電話の相手の事とかを聞かれるようになっていた。それは慶子の方が多かったけど」

純子様はそこで慶子様の方を見て、慶子様は頷いた。

「あとは、慶子の運転で時々出掛けていたんだけど、警備上の理由ってことで制限されるようになったりした」

そこで純子様は水野少尉を上目で見る。警備上と言われても、水野少尉には覚えがなかったので驚いて少し身を引いた。

「いえ、私はそんな話知りませんけど、ほんとに」

そしてそう言った。すると、

「でしょうね、その話は王宮警察からだから」

と純子様は言う。そして話を続けた。

「そう言うことがあったから、双城さん達の言うことも間違いではないかもと少し思い始めてた。そんな時に私と慶子を離宮から連れ出して保護したいって話があったの。私も重田さんがどうするか見るために、一度離れてもいいかなと思った。そして国王にその話をした。そしたら、考え過ぎだとは言われたけれど、そうしたいのであれば、と反対はされなかった。それで私達は離宮を離れることにしたのよ」

純子様は再びティーカップに手を伸ばす。でももう空であったようで、お水の入ったコップを手に取り一口含んだ。そして続けて下さる。

「その直後よ、宗憲が王宮から重田家の屋敷に移されたのは」

純子様はそう言った後宗憲様を見た。すると宗憲様が口を開く。

「二人が密かに離宮を離れた。自分の意思だと連絡はあったが、誰かが不穏な策略を巡らしていて、二人をそそのかし、利用しようとしている可能性がある。だから身の安全の為、保護させてくれ。そんなことを言われたよ」

みんな黙って宗憲様を見ている。

「重田さんの反応を見るために二人が離宮から出ると言う話は聞いていたから、早速こう来たか、とも思ったけど、重田さんが何も企んでいないとしても、妥当な処置かなとも思った。だから僕は言われるがまま王宮を出た」

エリーも含めてみんなは既に知っている経緯なのだろうけれど、水野少尉は知らない話なので続きが聞きたかった。なので、

「それでどうだったんですか?」

と尋ねていた。

「う~ん、さすがにおかしいとは思ったよ、いつまで経っても王宮に戻してくれそうになかったからね」

宗憲様はそう返して下さり、水野少尉はそれに頷いた。

「でも、屋敷から出してもらえないって不便はあったけど、執務用の部屋も与えられて仕事は出来たから。父、国王の王位が実質的に空いて太政官が置かれた時点で、僕は旧本城の仮の元老ってことになっていたから仕事はあったんだよ。だから身に危険がないならこのまま様子を見ようってことにした、国王とも相談してね」

一呼吸ほど開けてから水野少尉はまた尋ねる。

「でも、一年以上も屋敷の中に閉じ込められてて平気だったんですか?」

「ああ、屋敷から出られないって言っても、ずっと部屋に閉じ込められてたわけじゃないから。屋敷の敷地内は自由に歩き回れたからね」

「……」

「僕がいたのは中重国時代の重田家の保養所みたいなところだよ。王家の施設だけあって、庭を一回りするだけで一時間以上掛かるくらいの広さがあったからね。護衛なのか監視なのか知らないけど、僕についてた二人とも仲良くなったから、遊び相手にも困らなかった」

「……」

水野少尉は身を乗り出し気味の姿勢で聞いていた。

「それに、そこの主を口説いて、半年くらいでスマホを返してもらったんだ。執務用の電話は録音とかされてるけど、スマホは監視されていなかったみたいだからね。だからそれからは国王とも王妃とも内緒話が出来た」

そう言いながら宗憲様はスマホを取り出し見せてくれた。

 それで話は一段落って雰囲気になったけれど、水野少尉は再び質問した。

「それで、今ここにお見えになるってことは、そこから出てきたってことですよね、解放されたってことですか?」

するとなんとなくみんなの空気が変わり、さっきよりは控えめではあるけれど、また顔を見合わせ始めた。そしてその後、宗憲様が再び口を開いた。

「四、五日前、二十日だったかな? 急に領南離宮の人員配置が大幅に変更されたんだ」

「えっ?」

「宮務庁の職員が、炊事や清掃とかの実務担当十数人ほどを残してあとはほとんど全員異動になった。警備も王宮警察、本土東部軍の警備隊、その両方が外れて、軍務部直轄の部隊と入れ替わった」

「な、何かあったんですか?」

「S5テロを受けての警備強化、ってことになってるけど、あれはテロじゃない、そんなことは重田さんが一番よく知っている。と言うことは、S5で重田さん側と敵対した勢力に対抗するための警備強化ってことになるんだろうね。まあ、重田さん側からしたらテロ集団ってことになるのかな。どちらにしろ、今までと比べ物にならないくらい警備部隊は増員されてるよ」

「……」

敵対勢力、テロ集団、それは私達のことじゃん、とは考えず、水野少尉は離宮警備に就いていたかつての部下たちがどうなったのか、と言うことに頭が行っていた。そんな水野少尉の耳に、宗憲様の声が続けて入って来た。

「そして、それから国王と連絡が取れなくなった」

「えっ?」

「離宮に掛けてもお休み中だと言われるだけ。スマホにも出ないしメッセージを入れても返って来ない。と言うより、着信にならないから電源がずっと切られたままになっているみたいだ」

宗憲様はそう言いながらスマホを触って、改めてメッセージを確認している。そして、

「うん、二十日に送ったメッセージがまだ着信になってない」

と言った。みんな黙り込んでいた。でも宗憲様はまた話し始めてくれる。

「次の日の朝、城山さんから連絡があった、城山さん、双城さん達の方でも国王と連絡が取れないと。離宮に問い合わせると永山医師から、体調を崩されて寝込んでいるとしか言われなかったそうだ。二、三日国王と話が出来ないことは今までもあったんだけど、今回は様子がおかしいと言われた。離宮の人員が急に入れ替わった日からだからね。そしてその夜、双城さんからの電話で重田さんの所から出るように言われた。確証はないけれど、国王が軟禁状態にあるようだとも」

「!……」

驚き過ぎて水野少尉は声が出なかった。

「で、次の日、お昼過ぎくらいだったかな、双城さんからまた電話が掛かって来て、今夜で段取りしたから準備しろって言われた。で、言われた通り重田さんの屋敷を抜け出した」

「……簡単に抜け出せたんですか?」

「まあ、広い上に古いところだからね、抜け出せるところは幾つもあったよ。ただ、周りに何にもないところだから、抜け出してもどこにも行けないって言うのが難点だったんだよね」

「どうされたんですか?」

「荒垣さんの所の人が密かに迎えに来てくれたんだよ」

「えっ?」

元老の一人に荒垣と言う人がいるのは水野少尉も知っている。だからその人の関係者が助けたのだと思った。でも、荒垣さんは元南領国、南領地方の元老。安憲王の御前家とは親戚関係でも何でもない。そんな元老家まで関わっているなんて、と思った。それと同時に、双城家、城山家、と言った御前家と縁のある元老ではない荒垣家まで国王を助ける側にいるってことは、太政官は元老院の信用を完全に失っているってことになる。もう一人の元老、曽我畑さんも荒垣さんと同様なら、太政官は完全に孤立しているのに実権を持っていることになる。そしてその実権に誰も手を出せないなら、それは本当に独裁者ってことになるんじゃないの? と思った。

「これからどうされるんですか?」

聞きたいことも考えることも沢山あったけれど、水野少尉はとりあえずそう尋ねた。

「うん、それをかあ……、王妃に相談しに来たんだよ」

宗憲様がそう言うと、純子様が口を開いた。

「国王の様子を確かめたいけれど、領南離宮に出向くわけにはいかないし、あそこには信用できる人もいないから聞くことも出来ない」

でもそれだけ言って黙ってしまった。少しの間の後、慶子様がこう言い出す。

「私達、別に犯罪者ってわけじゃないでしょ。堂々とお父さんのとこ行ったらダメなの?」

すると宗憲様がそれに返す。

「捕まるぞ」

「誰に? 重田さんに? 私達国王家の人間よ、堂々と乗り込んでったら捕まえられるわけないじゃん。理由もなく王族に手を出すなんて、太政官だってできないんだから」

「離宮に今いるのは太政官直属って感じの部隊らしい。出向いてって中に入ったら、外部に知られないように拘束するのは簡単だよ」

「理由は? なんで拘束するの? 拘束される理由なんてないじゃん」

「それは……」

「お兄ちゃんだって重田さんのことよく知ってるでしょ? そんな人じゃないじゃん」

「じゃあなんで親父は拘束されてるんだ」

「それなんだけど、ほんとに拘束されてるの? 双城さん達がそう言ってるだけじゃないの?」

「連絡が取れなくなって六日目だ。そうとしか思えないだろ」

「体調が悪くてずっと寝てる。ほんとにそうだったら?」

「それは……」

「もしほんとに寝たきりになってるんだったら私は会いに行きたい。それがいけないの? 間違ってるの?」

「……」

宗憲様が慶子様に何も返せなくなった。すると純子様が加わった。

「まず国王の様子を確認する。その為の方法を探す。この前からそう言ってるでしょ」

「でも方法がないんでしょ? だったら会いに行こうよ、本当にお父さん悪かったらどうするの?」

「……」

純子様も黙ってしまった。

「あの、永山医師も信用できないんですか?」

間が開いたところで水野少尉が誰にともなく尋ねた。王族三人が水野少尉を見る。そして純子様が応えた。

「永山医師も怪しいって話が聞こえているの」

でもそれだけであった。水野少尉は三人の顔を順に見る。応えて下さった純子様、その横にいる慶子様、そして宗憲様。意外だったのは慶子様の反応だった。何それ? って顔で純子様を見ていた。続きは宗憲様が語り始める。

「大脇医師が主治医だった時から永山医師は重田さんと直接つながってた。いけないことではないけれど、大脇医師って主治医がいるのにと考えたらおかしなことなんだよ」

「……」

水野少尉は黙って続きを待つ。

「それと、国王が離宮に移ってから、密かに永山医師と接触する者がいたことが確認されてる。その者がまた密かに接触していた者が、重田さんの秘書と密かにやり取りしていたことも確認されてる。そして大脇医師が更迭され、永山医師が主治医となった。だから双城さん達は、大脇医師が更迭されることになったスキャンダルは、自分とつながっている永山医師を主治医にするために、重田さんが仕掛けたことじゃないかと最初から疑っていたんだ。だからその証拠を探して、大脇医師たちと関係があったって言う女性たちに接触した。報道されたことだから知ってるとは思うけど、女性たちはお金をもらってそう言う告発をしただけだった。女性たちはかなりの金額をもらっていたから、ほんとのことを聞き出すのにはかなり苦労したみたいだよ。それでスキャンダルが捏造だと言うことまでは突き止めて公にしたけど、女性たちにその話を持ち掛けた人物は突き止められていないし、多額の現金の出所も未だに分からない」

国王の主治医がそんな怪しい出来事で主治医になった怪しい人だなんて、水野少尉には驚きでしかなかった。

「そう言うことがあったから双城さん達は王妃、王女を離宮から、重田さんの目の届く所から出そうとしたんだよ」

「……」

水野少尉はまだ続きが聞きたいばかりで言葉が出なかった。

「で、その話は僕の所にも来た。でもどうするかは保留にしていた。そしてかあ……、王妃達が離宮から出ると決まった日、国王から電話があったんだ。その電話で、王妃達が重田さんに内緒で離宮から離れることになったけど、お前は元老としてそのまま仕事しろって言われた。重田さんの近くにいて、重田さんがやろうとしていることを見極めろって」

「……それで王宮から出るように言われても従ったんですか?」

なんとなく開いた間で、水野少尉はそう聞いた。

「まあそうだね、それもある」

「……」

そしてまたしばしの沈黙になった。エリーも宮城さんも話を聞いているだけであった。すると宗憲様は再び話始めてくれる。

「不審なことは山ほどあるけど、例えば僕がずっと王宮に戻されないこととか、でも、重田さんのやっていることにおかしなことはなかった。国王代理として国務をしっかりこなしていたと思うよ。でもこの前のS5事件の時に考えが変わった。S5事件も最初はおかしいと思わなかった。元老に回ってきた報告でも、報道されたのと同じテロ集団の犯行ってことになってたから、市民に被害を出さず、迅速に制圧出来て良かったとしか思わなかった。でも真相を聞いて初めて、僕も重田さんに不信感を持った。そしてさっき話した通り、領南離宮が重田さんの配下で押さえられ、国王が軟禁状態かも知れないと聞かされて、僕も重田さんの所から離れようと思ったんだ。かあさ……、王妃に話したら怒られたけどね、国王に言われた通りそこにいろって」

水野少尉が純子様を見ると、純子様は小さく頷いた。水野少尉は宗憲様に目を戻す。

「じゃあ、今では太政官を疑っていると言うか、おかしいと思ってるんですか?」

そしてそう尋ねた。

「S5の件が重田さんの命令であったのであれば、もうおかしいと思うとかって段階じゃないよ」

水野少尉は頷いた。

「でもほんとなのかってまだ疑ってもいるんだ。どこかで重田さんがそんなことをするわけないって思ってる」

「……」

宗憲様は、いや、安憲王や純子様も、これまでは本当に太政官のことを信頼していたのだろう。本来の太政官はそう言う方であったのだろう。でも太政官のことを良く知らない水野少尉には、その想いは理解出来ない。

 そこで口を閉ざした宗憲様にエリーが話し始める。

「宗憲様の耳には入っていないかもしれませんが、重田さんは一昨年の暮れから去年の年明けにかけて、東園地方のナシ国租借地の武力奪還を軍に極秘研究させてました」

宗憲様がエリーを見る。その表情は宗憲様が知らなかったことを表していた。まあそれは当然であろう、これはS5事件の後、重田氏サイドの動きを探っていてエリーが見つけたこと。全員が最近知ったことであったから。重田氏が強化兵再製造に動き始めたことは、その当初からエリーは知っていた。その重田氏の動機がそこで分かったわけである。エリーは話を続ける。

「重田さんの注文は、陸軍部隊を極秘裏に集結させ、ナシ軍基地を奇襲攻撃にて制圧すると言うもの。でも当時の球磨島には既にナシ国陸軍は二個師団以上の兵力があると判断されていたので、それを制圧するだけの人員を密かに球磨島に潜入させるのは不可能、と言う軍側の回答でした。そこで重田さんは球磨島のナシ軍制圧に、強化兵を使おうとしたんです」

「……それで強化兵製造のデータを」

宗憲様の口から独り言のようにそう出た。それにエリーが応える。

「はい、強化兵は既に作られておらず、重田さんが考えている作戦を実行するには、残っている強化兵の人数では足らないですからね」

聞き終えて宗憲様は腕を組み目を落とした。そして少し考えてから話始めた。

「重田さんは租借地とは言え、本城の国土にナシ国の地があることが気に入らなくてどうしようもないんだ。元老院内でも何かある度にずっと奪還を唱え続けていた。だから自分が太政官であるうちに、武力を使ってでも奪還しようと考えたんだろうと言うことは想像できるし理解できる。その為に強化兵が必要だと考えたのも分かるし、新しく作られておらず、現存の人数では足らないと知った時に、なら製造を再開するしかないと考えたのも分かる。そこで製造再開に手を付けようとしたけど、作る技術も設備もすでに失われていると知る。一度は諦めただろうね。でも何らかの経緯があって技術は密かに保存されていることを知り、その保存先がS5だと知った。そしてS5の所長の浅沼少将に強化兵製造のデータを出すように要請する。しかし浅沼少将は国王の密命でそのデータを保管しているわけだから承諾しなかった」

そこで宗憲様は言葉を切った。みんなは宗憲様を見ている。やがて宗憲様は再び口を開く。

「でも、だからって重田さんが力ずくでS5のデータを奪おうとするとは思えない。聞いた話では籠城中の者は全員射殺していいなんて命令が出ていたと言うし、そんなことを重田さんが言うとは僕には思えない」

苦しそうな声だった。するとエリーがこう返す。

「その命令は恐らく、現地を任された迫水大佐が出したものです。太政官は全員殺せなんて命令は出していないと思います。と言うか、そんな命令を出すのは迫水しかいません」

「迫水大佐……、そうか、彼は長保の時も……」

そう呟くように言った宗憲様に続いてエリーがこう言う。

「でも、S5に軍を、強化兵を投入する命令を出したのは太政官ですよ。いくら迫水大佐でも、彼の独断でそんなことは出来ませんから」

また沈黙となった。でもしばらくして宗憲様がまた口を開く。

「S5にいるのは浅沼少将達だと分かっていた。国王の命でデータを守っているのだと言うことも分かっていたはず。それでも武力制圧を命じた。何で重田さんはそこまで……。そこが理解出来ない、分からない」

そう言ってうなだれる宗憲様。純子様も同様に顔を伏せた。

 しばらく経ってからエリーがこう話始める。

「S5のデータは破棄されました。そのことはS5内のカメラ映像で確認できます。ですから太政官にも分かっていると思います。でも太政官は諦めず、まだ他の所でデータが保存されていると考えているのかも知れません。それを国王から聞き出すために離宮を自身の配下で固めて国王を軟禁状態にした。とは考えられませんか?」

このショックな発言にみんなエリーを見た。

「そんな、まさかそこまで」

と言う宗憲様にエリーはこう返す。

「でも、そう考えると辻褄が合います」

「そんな、親父を拷問でもするって言うんですか?」

「そこまでは……、でも、国王を尋問するってだけでも、これはもう外部に知られるわけにはいかないことですから」

「……信じられない、そんなこと」

「……」

「重田さんがそんなことするわけない……」

力なく宗憲様はそう言う。でも、どこかでそうかも知れないと思い始めているのかも知れない。

 再び続いた沈黙の後、純子様が口を開いた。

「考えていても何も分からない。とにかく離宮が、国王が今どういう状態なのかを知らないと」

みんなが純子様を見て、そして頷いた。

「佐野さんがずっと張り付いて探って下さっているし、今はエリーさんが言う通り、離宮が重田さんの配下で押さえられてるから連絡できないのだろうけど、そのうち佐藤さんからも連絡が来ると思う」

佐野と言う人は元老の双城さんの義理の弟で、純子様達の協力者の一人だと言うことを、水野少尉はここに来てから聞いていた。でも佐藤と言う名前は初耳であった。しかし、離宮警備隊隊長であった水野少尉には思い当たる人物がいた。

「佐藤さんって、ひょっとして事務長さんですか?」

なのでこう聞いていた。事務長と言うのは宮務庁領南離宮事務長のことで、領南離宮にいる宮務庁職員の長のことである。

「そう、そっか、水野さんは佐藤さんのこと知ってるわね」

「はい。佐藤事務長、まだお見えなんですね」

「うん、エリーさんが調べてくれた離宮からの今回の異動者の中に、佐藤さんの名前はなかったから残っているはず」

「そうですか」

とっても厳しく怖い方で水野少尉は苦手であったけれど、国王への忠誠心はとても強い人だった。だから王族に関わることでは厳しかったのだけれど。でもそんな方だからこそ、今も離宮の中に味方としていると言うのは心強いと思った。

「さあ、そう言うわけで今うだうだ話してても意味はないから、今日はそろそろ休みましょ」

純子様がそう言って腰を上げる。それを見てみんなも席を立った。水野少尉はテーブルに残ったティーカップやグラスを厨房に運び、洗い始めた。洗いながら今夜聞いた、知らなかった話を思い返していた。そして国王の身を心配した。純子様の言う通り、何も分からない状態で心配してもしょうがないことではあるけれど。でも、心配せずにはいられなかった。これもしょうがないこと。純子様達は、本当はもっと心配しているであろう。

 厨房やダイニングの電気を消し、水野少尉は階段へ向かう。自分の部屋でこれからのことを少し考えよう、自分に出来ることを、そう思いながら階段を上がった。途中で真由やあかりの声が聞こえてきた。まだ談話室で遊んでいるようだ。水野少尉の顔に疲れたような笑みが浮かぶ。しばらく付き合ってからでないと部屋には戻れないなと思った。




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優しい光の先へ ゆたかひろ @nmi1713

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