09 長い一日
安紀十八年四月九日
地下三階で水野少尉達と別れた強化兵達は、地下四階へ降りる階段へも、シンちゃん達が向かったデータ保管エリアへも行ける、ホールのようなところで敵を待ち構えることにした。広い通路のようなそのホールには両側に二つずつ部屋があり、そこから運び出した什器類で奥への通路を塞ぐようにバリケードを作る。その裏と、両側の四つの部屋の中で待ち構えた。
データ保管エリアの方から小さな爆発音が聞こえてきた、が皆そちらを見ただけだった。破壊すべきデータ保管ユニットがある部屋へ行くまでに、三つの扉の鍵を壊さなければいけないと言っていた。厳重なセキュリティーの掛かったそれらの扉は、システム障害を起こしている現状では鍵を破壊するしかないようである。その一つ目を壊した音だと理解していた。
外壁に開いた突入口から飛び込んだ強化兵達に、激しい銃撃が加えられた。しかし外壁に突入口を作る爆発に巻き込まれないようにと、必要以上に離れたところで陣取っていたため、S5職員の射撃は強化兵の動きを捉えることが出来ず、一人も倒せなかった。実戦経験のなさから出た失敗であった。
侵入した強化兵達は、S5職員には追い切れぬ動きで遮蔽物の間を動き回り反撃してくる。一連の銃撃音が静まった時、侵入口となった受電設備室に陣取った三十五人は半分以上が倒れていた。侵入されてからまだ一分ほどしか経っていない。
強化兵の動きだけに注意を向けていた残りのS5職員たちに、侵入口の方から銃撃が加えられる。一般兵も侵入して来ていた。そして二分後、侵入者に向けられる銃口はなくなった。侵入者側の被害は、一般兵三名が負傷しただけであった。
受電設備室から出る扉は封鎖されていた。中に陣取っていた者は決死の覚悟であったのだ。
爆薬がセットされ、扉が破壊された。通路に飛び出していくのは強化兵達からだ。その彼らにしてもやはり慢心があったのか、通路に出るなり加えられた銃撃で二人が撃たれた。しかし二人ともアーマーが仕込まれたところへの着弾であったので無傷。すぐに他の者たちと反撃して制圧した。
一階をほぼ制圧した侵入者たちは上の階へと向かう予定であった。三階にある中央制御室を制圧することになっていたからである。
永信側にはこの施設の内部が分かっていなかった。元々が極秘施設なので、内部構造が分かるようなデータも隠されていた。それをさらに、永信がこの施設に目を付けた後、S5側でそのデータを軍のサーバーから消せるだけ消していたのだ。と言っても全ては消せていないと思われるので、時間を掛ければそのうち見つけられるであろう。しかし永信側はそのデータをまだ見つけていなかった。故に探し物がどこにあるか分かっていない。分かっているのは三階に中央制御室があると言うことだけ。そこで中央制御室をまず制圧し、そこでデータ保管ユニットや超低温保管庫がどこにあるのか探そうと言う計画であった。
侵入した者たちは強化兵を先頭に二階へと向かった。当然の様にエレベーターは止まっていたし、逃げ場のないエレベーターは最初から使う気はない。
二階では小規模な銃撃を受けただけで制圧。そして三階への階段を見つけ、上がっていく。その時、一階の部屋を順番に捜索していた一般兵の部隊から、地下への階段を見つけたと報告が入った。一般兵と共に建物に入っていた迫水大佐は、二階でその報告を聞いた。地下もあるだろうとは思っていたが、とりあえずは三階の制圧が先決。見張りだけ残して、地下へはまだ下りないように指示した。待ち伏せがあった場合、一般兵だけでは損害が増えるからである。
予想に反して三階の抵抗も薄かった。扉を開けるたび、角を曲がるたび、銃撃してくるが一連射したらすぐに逃げていく。損害は出なかったが、敵の数を減らすことも出来なかった。
中央制御室を見つけた。コンピューターは全てエラー状態になっている。使わせないようにそうしていったのであろう。同行してきている調査室の者たちにコンピューターの復旧を急がせる。ここのコンピューターで内部を知らなければ、次に目指す部屋が決められない。
調査室の者たちが作業している間に、二階、三階を捜索していた一般兵達から報告が入ってくる。迫水自身、中央制御室を探しながら各部屋の中を覗いていたので分かってはいたが、二階、三階はデータ保管ユニットがそこらじゅうの部屋の中にあると言うことであった。
この手のデータ保管ユニットはスタンドアローンである。各ユニットはどこにもつながっていない。全てその場でユニットに有線接続して、データを入れたり出したりするようになっている。どこに探しているデータが入っているか分からなければ、全てのユニットを一つ一つ覗いていくしかない。でもそれにはどれほどの時間が掛かるか分からない。まずユニットごとにセキュリティーが掛かっているはず。それを解除しても、中のデータフォルダを開くのにまたセキュリティーが掛かっている。フォルダ名に探し物の名前でも付けてあれば、そのフォルダに絞ってセキュリティーを解除すればいいが、そんなに都合よくはなっていないであろう。そうしたら全てのフォルダを開き、その中にまたフォルダがあればそれを開き、そして辿り着いたファイルを開き内容を確認していかなくてはならない。探し物が機密事項であるので、人手を大幅に増やしてやることもそうそう出来ない。そうなると先に言った通り、見つけるまでに膨大な時間が掛かる。そんなことは太政官が許さないであろう。なんとしてもここのコンピューターを復旧させなければならない。
しかし作業をしていた調査室の者は、迫水大佐のそんな思いに反することを報告した。ここのコンピューターは壊れている。同じシステムが入った別のコンピューターを持って来て、それでここのコンピューターを覗くしかないと。
迫水は焦りはしなかった、嫌気がさしただけである。そのことを報告した時の太政官の声を想像して。そして考えた。ここの司令、浅沼少将をはじめ、幹部たちを見ていない、どこかにいるはずだ。広げていなかった捜索範囲を広げることにする。まずは最上階、四階からだ。
強化兵に指示を出す。見つけてあった四階への階段から強化兵達は上がっていった。しばらくしても銃撃音が聞こえてこない。迫水大佐も四階に上がった。そこには誰もいなかった。二階、三階で散発的ながら銃撃してきた者は、少なくとも四階にいるはずである。しかし全ての部屋を捜索しても誰も見つからなかった。その捜索の中で、四階には冷凍保管庫があった。探し物の一つはそこで見つかるだろうと、迫水大佐は思った。屋上へ上がる梯子があったが、外からの監視報告で、屋上に誰も出て来ていないのは確認できた。腑に落ちないが、地下へ向かうしかない。
地下三階のデータ保管ユニット破壊チームは、破壊する最初の扉の前で待っていた浅沼少将と合流。そして導かれるまま三つの扉を順番に破壊。目的のユニットがある部屋に到達した。メモを片手に浅沼少将が部屋の中のユニットの番号を確認していく。
「これだ、このユニットに爆薬を」
そして一つのユニットを指してそう言った。すかさずシャチの隊員がそのユニットに取り付く。爆薬の設置はすぐに完了。それを見て浅沼少将が再び口を開く。
「燃焼剤もあるな?」
シャチの隊員が答える。
「はい」
「よし、じゃあやってくれ」
浅沼少将はそう言って部屋の外に出ようとする。
「あの、このサイズの燃焼剤一つで、この部屋の中のユニット全て完全にダメになりますけどいいですか?」
シャチの隊員が出て行きかけた浅沼少将にそう尋ねた。その部屋は三メートル×五メートルほどの広さ。その中にデータ保管ユニットが十基ある。それが全部だめになっていいのかと言いたいのだ。
「ああ、いい、やってくれ」
「ほんとにいいんですか? 全部機密扱いのデータが入ってるんですよね」
「軍の機密保管施設は二か所ある。今回完全に破棄したいデータ以外は、全てもう一か所の方にもあるから大丈夫だ」
「了解しました。二つ目の扉の所までは退避してください」
「分かった」
浅沼少佐は部屋を出て行き、シャチの隊員たちは一呼吸待ってからタイマーをセット。そして部屋を出た。鍵は破壊したので、扉は閉めるだけとなる。幸い内開きの扉であったので、爆風や火炎はその勢いで扉を枠に押し付けることになる。頑丈な扉である、外への影響は限られるだろう。
隊員たちも二つ目の扉の所まで退避。そこの扉も閉め、内側に開いていかないか見守った。そして爆発音。それと同時に扉は枠に押し付けられ、鍵が付いていた穴から熱風が噴き出す。全員脇に避けているので問題はない。
地下五階へ降りた水野少尉達、あかりとゆきは階段から通路に出た辺りで身を潜め、一同と別れた。シャチの木村大尉たちと水野少尉はS5職員の先導で奥へ向かう。
水野少尉は辿りつた扉の所で懐かしい顔を見た。それは長保基地にいた岩井大尉であった。いや、防弾チョッキの下に見える略装の軍服には、少佐の階級章が見えていた。
「お久しぶりです、岩井大尉」
挨拶している状況ではなかっただろうけどそう言っていた。しかも少佐になられていると確認したのに、つい大尉と言ってしまった。
「えっ、ああ、水野軍曹、久しぶり、あなたが来るなんて」
難しい顔で立っていた岩井少佐も、表情を崩してそう返す。水野少尉は階級章を付けていなかったので、岩井少佐は彼女の今の階級を知らなかったのだろうけれど、彼女も以前の階級で呼んだ。
「えっと、その扉ですか? 開けるのは」
時間がないので水野少尉はそう聞いた。
「ええ、お願い」
そう聞いて、シャチの隊員が鍵に小さな爆薬をすぐにセットする。全員が退避、そして爆破。開いた扉から岩井少佐が奥へ向かう。
とある部屋に入ると、冷凍倉庫の扉が四つ並んでいた。岩井少佐はその部屋にあった肘まであるゴツイ手袋を着けはじめる。
「私が取ってくるから待ってて」
そしてそう言った。
冷凍倉庫の扉の一つを開け、岩井少佐が入って行く。水野少尉は扉が閉まらないように手を添えた。そして中を見ると、冷凍倉庫の壁面に扉が並んでいる。どうやらその中が超低温保管庫のようだ。岩井少佐は扉の表示を確認しながら歩き、一つの扉を開けた。そして中から何か取り出して戻ってくる。樹脂製の試験管が十本ほど立てられた、ステンレスの針金で出来た試験管ラックだった。
水野少尉は思わず手を出して受け取ろとした。岩井少佐は慌ててラックを水野少尉から遠ざける。
「ちょっと、これマイナス五十度以下の所にあったのよ、素手で触ったら手の皮がむけちゃうわよ」
「あっ、すみません」
水野少尉も手を引っ込めた。
岩井少佐はラックを持ったまま部屋も出て行こうとする。
「別の場所で処理するのですか?」
木村大尉が尋ねた。
「ええ、ここには危険なものがいっぱい保管されてるから、ここの設備を壊すわけにいかないのよ」
部屋を出て通路を進む岩井少佐について行きながら水野少尉は尋ねた。
「危険なって何があるんですか?」
「いろいろ」
岩井少佐はそうとしか言わない。
「冷凍で保管する危険な物、ウィルスとか?」
「そう言うのもあるわ」
岩井少佐がそう返した後、木村大尉がこう言う。
「兵器用の細菌とか薬品とかだよ、多分」
すると岩井少佐が幾分鋭い声を出す。
「大尉、余計なこと言わない」
「失礼しました」
まさに機密が保管されているんだ、と水野少尉は納得した。
岩井少佐がとある扉の前で止まり、扉を開けた。そこは何もない部屋だった。ほんとに何もない。通風管だとかそんなものもなく、床、壁、天井、全てコンクリートそのままである。剥き出しの配管で電灯が付いているだけの部屋だった。その部屋の奥に岩井少佐はラックを置く。
「燃やすだけでいいわ」
「はっ?」
木村大尉が聞き返す。
「常温で一時間も置いとけばそれでいいらしいんだけど、確実に破棄するために燃やしちゃって」
そう言いながら岩井少佐は手袋を外し床に捨てた。
「分かりました」
木村大尉の指示でシャチの隊員が燃焼剤だけセットした。そして全員部屋の外へ。
「念の為少し離れてください」
ほんのしばらくで部屋の中にとてつもないエネルギーを感じた。扉からも熱気が漂ってくる。無事に焼却できたようだ。
「よし、じゃあB3へ行きましょう」
岩井少佐がそう言う。あとは地下三階の状況を確認して脱出するだけ。水野少尉はそう思い、
「はい、地下三階も無事に終わってればすぐに脱出ですね」
そう言った。すると岩井少佐はこう言う。
「うん、その脱出なんだけど、大尉、爆薬はまだ残ってる?」
「はい、余分に持って来てます」
「このくらいの地下通路、封鎖出来るくらいある?」
「えっ? まあそのくらいは。どうするんですか?」
「B3にほんの数人しか知らない脱出路があるの。そこから脱出する。でもその扉狭いのよ。全員が脱出するのに時間が掛かるから、その間追手が来ないように通路を塞ぎたいの」
「分かりました、指示してください」
「了解」
B4への階段へ向かいながら水野少尉が言った。
「そんな脱出路、見つけられなかったです」
「でしょうね」
「分かってたらそこから入ったのに」
「それは無理。こっちからしか開けられないから。壊すとまずい扉だし」
「そうですか。でもどこに出るんですか?」
水野少尉はエリーとここへの進入方法を探していた。地下からの進入も当然考えて方法を探した。でもそんなことが可能な下水道だとか、そんなものは近くになかった。
B4への階段に到着。あかり、ゆきがどこからともなく姿を現した。岩井少佐は反射的に横に避けながら銃に手をやる。
「味方です」
すかさず水野少尉がそう言う。
「ああ、ごめんなさい」
岩井少佐は二人にそう言うと、階段室に入り上がり始める。
「それで、どこに出るんですか?」
水野少尉は再び尋ねる。
「えっ? ああ、豪雨対策の地下貯水池。まだ出来たばかりで公表されてない」
「そんなのあったんですね」
「ええ、ただ、そのハッチ開けると役所の方で分かるようになってるのよね。まあ、開いてたら注水出来ないからだけど。で、そこが開いた時はここが危機的状態の非常事態ってことだから、関係各所に連絡が行っちゃうの。そしたら上の部隊にバレるかも知れないでしょ?」
「なるほど。って、えっ? ハッチって言いました?」
B4に到着。B3への階段を目指す。
「そうよ、最大で水深二十五メートル以上になる貯水池の、底から三分の一くらいの所に出るんだから」
「二十五メートル……。あっ、皆さんそこに来るんですか?」
「ううん、もうほとんど全員そこにいるはず」
「そうなんですか」
「開いたってのがどこにもバレなきゃ先にみんなを出しといてもいいんだけど、開けたら時間勝負になっちゃうからみんなはそのハッチのとこで待ってるの」
「なるほど。あっ、じゃあ上では防戦してないんですか?」
「そこにいるのは非戦闘員なの」
「えっ?」
「システム障害が起こってデータ破棄が出来なくなったでしょ? それを何とか復旧しようって残ってくれたエンジニアばかり」
「そうですか」
「まあ今頃は上で防戦してたメンバーもそこに行ってるだろうけど」
「えっ?」
「突入部隊の足を遅らせるだけでいい。無理な抵抗はせず、どんどん後退するように言ってあるから」
「……」
一階から突入されてるのに、上にいる人がどうやってB3に後退するのだろう、と水野少尉は思った。
「最初は出来るだけ抵抗を続けながら後退。後退しきれなくなったら投降しなさいってことにしてたんだけど、そう言うわけにいかなくなったでしょ。だから後退を優先するように指示を変えたの」
「そう言うわけにいかないってどういうことですか?」
「あれ、そっちは知らないんだ」
「……」
「S5に籠城中の者はテロリスト。全員射殺せよ。自爆の可能性もある、負傷者や投降者にも近付かず容赦なく殺せ。そう言う命令が出てる」
「えっ?」
一行は既にB4の通路を進み、B3への階段の所まで来ていた。岩井少佐が階段室の扉を開ける。
「だから後退を優先させたの」
階段を上がりはじめながら岩井少佐はそう続けた。
「そんな命令……。でも、上の人はどうやってB3へ?」
水野少尉がまた尋ねる。
「四階からB3につながる隠し階段があるの。その階段のB3出口はちょうどハッチの近くなの」
そこで全員の足が止まった。水野少尉の口も動かない。静まり返った中、銃声がかすかに聞こえる。残りの階段を静かに上がり、岩井少佐がそっと扉を開く。はっきり銃声が聞こえた。破棄に向かったデータ保管庫があるほうだ。
永信側の強化兵達は一階からB1への階段を下りて行った。B1までは長かった。三、四フロア降りたくらいの長さがあった。階段が終わったところの扉にB1と書いてある。その扉を開け、階段室から出ると通路の中ほどであった。地上より広い通路である。壁に並ぶ扉を一つずつ開けて中を確認していく。
とある扉を開けた時、銃撃がきた。すぐに扉を閉めたが向こうは通路であるのが分かった。もう一度扉を開け、閃光発煙弾を投げ込み、同時に発砲しながら突入する。上でやってきたのと同じ手順だ。そしてその時は銃撃がない。これも上の階の時と同じだ。
扉の数は地上よりずいぶん少ない。銃撃してきた者を追うように進みながら、その少ない扉の中を確認していく。
また銃撃された。その扉の中は下への階段であった。同じ手順で突入。そしてB2へ向かった。
B2はいきなり広いホールであった。そしてホールの先の扉辺りから銃撃が来る。階段室に退避せず、先頭でホールに出た強化兵は撃ち返した。銃撃者たちはすでに扉の向こうへ逃げようとしている。後ろの二人を倒した。扉へ突進、鍵を掛けられていた。別の強化兵が力任せに蹴破って開ける。他の強化兵の一人は、まだ息のあった一人の頭を撃ちぬいていた。
いくらもない扉の中を捜索しながら進むと、また下への階段を見つけた。銃撃はない。B3へ向かう。
B3の扉を開くと銃撃が来た。しかしこの銃撃は数が違った。十数人以上が撃ってきている。強化兵は閃光発煙弾を投げ込み突入した。
浅沼少将を先頭にB3の通路を進んでいた一行は、突然の銃撃音に足を止めた。敵がB3まで降りて来て、S5職員が防戦しているのだと皆理解した。
「ここを進むしかありませんか?」
シャチの隊員の一人が浅沼少将に尋ねる。
「ああ」
「では我々が先に行きます。後ろへ」
シャチの隊員たちが自動小銃を構え、前に出ようとする。それをセク1の強化兵、雫が止めた。
「いえ、私達が行きます」
そして強化兵達が顔を見合わせ頷き合ったかと思ったら、信じられないようなスピードで通路の先の扉へ。そして扉の向こうに消えた。浅沼少将どころかシャチの隊員たちでさえ、理解を超えたその動きにしばらく動けなかった。すぐに追って行ったのはシンちゃんだけであった。
先行して飛び出したセクター1の強化兵達が階段室前のホールに辿り着いた時、銃撃音はほぼやんでいた。防戦していたS5職員たちはほとんど倒され、いや、既に全員やられていた。永信側の強化兵達はその者たちの生死を確認し、生きている者には止めを刺している所だった。
セクター1の強化兵達はその強化兵達に襲いかかった。銃撃ではなく、殴りかかり、掴みかかった。出来るだけ殺さないように、と言う指示を守ろうとしたのだ。
理沙と未沙は各々一人ずつをホールの壁に蹴り飛ばしたところで、別の一人ずつに掴みかかった。セクター1以外の強化兵をほとんど知らない二人だが、運命のいたずらとでも言うか、二人が掴みかかった強化兵は二人がよく知っている者だった。
セクターと呼ばれる訓練所の強化兵達には、セクター相互の行き来がほとんどない。しかし戦闘訓練の相手として、ごくたまに他のセクターの強化兵が来ることがあった。その二人はその相手としてセクター1に来たことがあった。それは長保基地戦の前の年のこと。通常は朝来て夕方に帰って行くが、その時は台風並みの天候の荒れが続き、彼女たちは三日間セクター1に滞在した。彼女たちは理沙たちの四つ上で、理沙たちはその二人を姉のように慕ってなついたのであった。
「友香さん」
「七菜さん」
それぞれ組み付いた相手の名を呼んだ。しかし二人とも反応せず抵抗する。
「友香さん、私です、理沙です」
羽交い絞めにされているのをほどこうと、友香と呼ばれた強化兵が理沙ごと背中から壁に飛ぶ。そんな中で理沙は呼び掛けるが、友香は反応を示さない。
「七菜さん、やめて、私です」
未沙はそう言いながら七菜と格闘中。その時七菜の蹴りが未沙の胸に入った。未沙は壁に飛ばされる。その未沙に、理沙の羽交い絞めから逃れたばかりの友香が銃口を向ける。ほんの一、二歩の所だが、理沙が飛び掛かったのでは間に合わない。理沙は手に持ったままであった銃を撃った。ワンアクション三連射の設定になっていた銃からは、当然ながら三発発射された。右斜め後ろから腰、背中、首に当たった。友香はそのまま前に倒れる。でも理沙は続けて銃口を七菜に向け、また引き金を引いた。最初に未沙に叩き落された銃を拾い、壁に叩きつけられ床に落ちたばかりの未沙を撃とうとしていた七菜には、胸に二発、そして顔に一発命中した。
セクター1の強化兵達は、強化兵の中では能力の高い者ばかりであった。故に最初の突入時には黒服の永信側強化兵はほとんど対応できず、殴られ、蹴られ、掴みかかられていた。最初からセクター1の強化兵達が銃を使っていれば、戦闘はすぐに終わっていたかもしれない。
初動でこそ黒服たちを蹴散らしたが、なにせ数が違う、あっという間に反撃され始めた。
真由が筆頭の十四才チームは友里、実由、絵麻がそのうち相手に捕まり、殴られ、蹴られ、銃口を向けられていった。別格とも言える真由は、黒服の中では別格クラスの動きをする男の強化兵と格闘となり、三人を助けに行けない。
誠、雫、瑠美のチームも、その倍の人数を相手にしていて見えていない。と言うか、誠は強化兵と戦えるようなレベルではないので、あとの二人は誠を守っているような戦いしか出来ていなかった。
十三才チームは筆頭のあかりとゆきが抜けているので孝が率いたが、みどり、ふみ、あきの三人と共に、彼らを取り巻く十人近い黒服の相手だけで精いっぱいであった。
友里がヘルメットから血を吹きながら倒れた。と、絵麻も数発の銃弾を受けて吹っ飛び倒れる。そして二人とも動かない。真由はそれを見て聞き取れないような叫び声を上げたかと思うと、目の前の黒服の男を蹴り飛ばし、銃を握って三人がいた方に飛ぶ。そしてその三人と戦っていた五、六人に向けて撃つ。三人を倒した。しかし、実由の被弾は防げず、左目の下あたりに二つの穴の開いた実由の顔を見ることになった。
あかりとゆきは水野少尉の許可を得て、銃撃音の方へと先に飛び出した。そしてホールに着いて最初に見たのは、絵麻に何発か弾が当たり、彼女が吹っ飛ぶところだった。そして絵麻の近くにいた実由に銃口を向ける黒服が何人かいることに気付き、そいつらに銃を向ける。でもその時視界の端で、あき、みどり、の二人が頭を撃ちぬかれるところを見た。次の瞬間、二人を撃った黒服二人はあかりに顔を撃ち抜かれていた。その動きはゆきにも見えないほどだった。
殺さないと言うくびきを完全には解き切らなかったが、それでも殺してしまうことへの躊躇を捨てたセクター1の強化兵達は、圧倒的に強くなった。それは格闘面でも反映され、一撃でダメージを与えるほどの蹴りなどを入れるようになっていた。現に真由に蹴り飛ばされた黒服の男はダメージがあったようで、他の者の手を借りて階段室に退避していった。本気になった真由あたりの蹴りは、それまで互角に戦っていた強化兵ですら一撃でそれほどのダメージを負う破壊力があるのだ。
それでも数的にまだまだ不利なセクター1の強化兵達は、自分や仲間に向けられた銃口の阻止に間に合わないと思ったら迷わず撃った。黒服の強化兵達はその度に数を減らしていく。
そのうち黒服の一人が階段室への退避を指示し始めた。退避していく者をセクター1の強化兵達は追わない。と、一瞬みんなの視線から外れていたふみが三人に狙われていた。気付いた理沙、未沙の二人がその三人を撃ち倒したが、間に合わずふみも倒れた。
黒服たちが全員階段に消え、嘘のようにホールは静まった。そのホールに二方向から人が入って来た。一方からはシンちゃんや浅沼少将たち、もう一方からは水野少尉たちが。
黒服は十五人が倒れていた。しかしセクター1の者も六人が倒れていた。仲間六人の元へそれぞれ寄るが、全員もう死んでいた。シャチのメンバーは倒れた黒服を確認していた。すると、
「こいつまだ生きてます」
と、一人がその倒れた黒服に自動小銃を向けて言う。木村大尉がその傍へ行き黒服の状態を見る。
「ダメだ、もう助からない」
そしてそう言った後、
「楽にしてやっていいですか?」
と浅沼少将の方を向いて確認する。少将は頷いた。その後銃声が再び一度響き渡った。
セクター1の六人の遺体を見て、水野少尉は声もなく涙を流していた。何も見えなくなるほど涙を流していた。十三才と十四才が三人ずつ。彼らは肉体的な成長が早く、全員十三や十四には見えない。それでもその年齢なのだ。いや、何才ならいいとは言えない。それに最年長でも二十一才である。誰が死んでも若すぎるのだ。それにしても、彼らは普通に産まれて普通に暮らしていたら中学生である。殺し合いなんて無縁の生活をしているはず。仮に殺し合いを望んでも、軍にすらまだ入れない年だ。そんな子達が殺し合いをさせられて殺されるなんて。水野少尉は滲む視界で彼らを見ながらそう思っていた。彼らに殺し合いをさせたのは自分だとも思いながら。
「水野軍曹」
岩井少佐に名前を呼ばれて水野少尉は涙を拭いた。
「はい」
「時間がない。死んだのが誰だか分かる?」
「はい」
水野少尉は一番近くで横たわる絵麻の身体を見て答えた。
「黒服の方も?」
「えっ? あ、いえ、そっちは……」
岩井少佐の方を見てそう答えた。
「なら認識票を回収して」
「えっ?」
「迫水大佐の方に残った強化兵が誰か特定しないといけないでしょ」
「あっ、はい、でも強化兵は認識票を付けていません」
「そうなの?」
岩井少佐がそう返すと、
「この二人は友香さんと七菜さんです」
と、理沙がその二人の遺体の傍からそう言ってきた。そしてこう続く。
「私が殺した」
涙を流していた。
「認識票、あるじゃないですか」
水野少尉のすぐ横で誠の声がした。水野少尉達が誠を見ると、彼は屈んですぐ傍の黒服の胸元を開く。そして左胸の刺青を見せた。
「これ、写真に撮ったらどうですか?」
誠はそう言う。
「うん、そうね、水野軍曹、急いでやって」
岩井少佐がそう指示する。
「……分かりました」
水野少尉はスマホを取り出した(慶子様が持って来てくれたもの)。そして誠が開いた黒服の胸の刺青を写真に撮った。
「僕が全部見えるようにしていきます」
誠はそう言って別の黒服の遺体に手を伸ばした。
岩井少佐は木村大尉に、彼女たちが入って来た扉の先の通路を閉鎖できるように爆薬をセットするよう指示した。
「みっちゃん、友里とか、みんなを連れて行ける?」
写真を撮っていた水野少尉に近付いて真由がそう聞いた。みんな水野少尉を見ていた。
「それは……」
水野少尉は言葉を続けることが出来なかった。すると、
「ごめんなさい、それは出来ない。でもみんなの遺体は軍が回収してちゃんとお葬式もされるから」
と岩井少佐が代わって答えた。
「でも、みんなをみんながいるとこで送ってあげたい」
みんながいるとこ? 岩井少佐は首を傾げた。
「うん、私達で送ってあげたい。私達で運びますから」
理沙が友香の遺体を見ながらそう言う。友香、七菜の二人も連れて行きたいようだ。
「……ごめんなさい、やっぱりだめ」
全員が俯き沈んだ。
「みんな、死んじゃったみんなの髪の毛を少し切って持って行って。そしていつかその髪の毛をあそこのみんなの傍に埋めましょ」
水野少尉がそう言った。しばらく全員反応しなかった、がやがて、
「分かった、そうしよ」
と未沙が言った。そしてみんな無言で頷き、仲間の髪に手を伸ばし始めた。
階段室の扉に張り付いて、階段の動きを探っていたシャチの隊員がこう報告する。
「上で動きがあります。再突入してくるかもしれません」
岩井少佐は彼の方を一瞬見てから全員にこう言う。
「全員奥に移動、急いで」
強化兵達は仲間の遺体をそれぞれにまた見下ろした。そんな彼らに、
「急いで、みんな」
と、水野少尉が声を掛ける。全員その声で動き出した。それを見て、
「岩井です。すぐにコードを打ち込んでハッチを開けて。脱出開始よ、急いで。言った通り出たところのキャットウォークを左に。狭いキャットウォークよ、全員立ち止まらず急いで進むように徹底して」
と岩井大尉がインカムで誰かに指示を出した。
シャチの隊員たちが爆薬を仕掛けた通路の先へ全員が向かう。突き当りの扉の所で木村大尉が爆薬のリモコンを持って立っていた。全員その横を通って扉の向こうへ。ほとんどの者が扉の先へ進んだころ、ホールへの扉が開き、再び黒服たちが飛び出してきた。
「急いで!」
岩井少佐が叫ぶように言う。
「爆破します」
木村大尉はそう言うと同時にボタンを押す。通路の中ほどの壁や天井が崩れ、通路を塞いだ。しかし塞がるまでの間に黒服の何人かが発砲していた。
水野少尉は強化兵達の後ろから扉を抜けるところで、左肩に衝撃を受けた。つんのめるように扉の先の通路に倒れた。扉の横でしんがりを務めるつもりであった木村大尉も胸に二発の銃弾を受けた。しかしその二人はボディーアーマーや防弾チョッキ越しであるので致命傷ではない。
水野少尉に続いて扉を抜けるつもりだった岩井少佐も二発の銃弾を受けた。胸に当たった一発は防弾チョッキで止まっている。でももう一発は無防備な首の右側を貫いていた。数メートルにも血が吹き出し、岩井少佐は倒れる。水野少尉が左肩の痛みをこらえながら、這うようにして岩井少佐に近付きその顔を見る。一瞬目が合ったのち、岩井少佐の瞳から光が消えた。
通路は塞がれ、追っ手はすぐには来ないと分かっていても時間はない。岩井少佐の傍で泣き崩れる水野少尉を理沙たちが起こした。そして抱えるように通路の奥へ運んでいく。
二百人以上が小さなハッチから出て行くのには時間が掛かった。それでも全員がハッチを潜り、ハッチは再び閉じられた。これで向こうから再び開扉コードを入力しないとこのハッチは開かない。迫水大佐がそのコードを知っているとは思えないので、これで追っ手の心配はない。しかしこの巨大な下水道のような貯水池からの出口も限られている。立ち止まっている暇はない。全員があらかじめ割り振られていた出口に急いだ。
地下貯水池に出てから復活したエリーとの通信。水野少尉達はそれで指示された出口へと向かった。貯水池のキャットウォークを二キロほど歩いて辿り着いたそこは、丘坂市中心部にある繁華街に隣接する広大な公園の地下にあるバスターミナルであった。一時半に近い深夜であるが、各方面行の深夜バスの乗り場があるためそれなりに人がいた。そんな人目を避けるように、ターミナルの隅に停まっていた小型バスに乗り込んだ。とある有名な旅行会社の名前が入った普通の観光バスである。乗り込んだのはシャチの八人、浅沼少将、シンちゃん、水野少尉、そして強化兵は九人であった。バスにはエリーと数人が乗っていた。そのバスで水野少尉は鎮痛剤を打たれた。どうやら左の肩甲骨にヒビが入っているようである。
水野少尉は強化兵達の中に座った。いつしか隣に座ったあかりが、水野少尉の右腕に抱きつくようにして眠っていた。見回すと、全員が隣の者と寄り添うようにして眠っていた。水野少尉もあかりの体温を感じながら、知らぬ間に眠っていた。全員、もう擦り切れるところがどこにもないほどに消耗しきっていた。
零時半に永信は迫水大佐に電話を掛けていた。S5への突入は零時に開始されている。強化兵を投入しての制圧は簡単なはず。もう終わっているはずだと思い電話したのであった。しかしつながらなかった。
イライラと待つこと約三十分。やっと迫水大佐から電話が掛かってきた。
「終わったか」
電話を受けるなりそう言った。
『はい、申し訳ありません、失敗しました』
永信には意味が分からなかった。
「失敗?」
『はい、まだ調査中ですが、探し物は全て破棄されたようです』
「なに?」
『申し訳ありません』
「浅沼少将は」
『逃げられました』
「逃げた?」
『申し訳ありません』
「少将がデータのコピーを持って逃げてないか?」
『それはないかと』
「なぜだ」
『まだ調査中ですが、S5のシステムは送電をカットした時からエラー状態であったようです。なので少将たちは探し物に近付くことが出来ていなかったようです』
「そうか、ならどうやって破棄した」
『外から爆破チームが入ったようです』
「なに? そんな奴らの侵入を許したのか」
『申し訳ありません』
永信は握りつぶさんばかりにスマホを握る手に力が入った。
「強化兵を使って逃げられたのか、お前は能無しか」
怒鳴っているかのような声であった。
『……セクター1の強化兵が現れました。彼らがこっちに向かっていたのであれば教えて頂きたかったです。おかげでかなりやられました』
迫水大佐の、嫌味を込めた反論であった。
「なに、強化兵が? いや、しかし、奴らがそっちに向かったなんて知るわけないだろ」
『かなりの時間が経っているのに、まだ完全に消息を見失ったままだったのですか』
能無呼ばわりされた仕返しをしていた。
「やかましい! やられたとはどういうことだ。強化兵がやられたのか」
『はい、十五名死にました』
「十五人も」
『セクター1の強化兵も六人死にました』
「なに? 倍以上やられてるじゃないか」
『はい』
「何をやってた、こっちは倍以上いたんだろ、それが逆になってるじゃないか」
『セクター1には一番若い世代が集中していました』
「どういうことだ」
『物は最新型ほど性能がいいものです』
「な……、そう言うことか」
『はい』
「お前の薬でも及ばなかったと言うことか」
『はい、身体能力の向上に関してはまだまだでした』
「はあ? 他の面では成果があったと言うのか、それだけやられてて」
『戦闘にのみ集中させると言う操作には成果がありました』
「なんだそれ」
『感情を失くさせる操作です。見知ったかつての仲間がいたはずですが、こっちの強化兵達は何の反応も示さず彼らを殺しています』
「よく言う、ろくに倒せてないじゃないか」
『セクター1の強化兵たちは当初、見知った仲間を見て彼らを殺すことを躊躇っていました。それがなければもっとやられていました』
「……くそ、そんな奴らが向こうに行ったのか」
迫水大佐は残った強化兵達の治療と身体チェック、そして休養の為、一番近いセクター2への移動を願い出た。永信はそれを許可。S5には調査室のメンバーを増員して調査させることにした。
夜が明けるころ、水野少尉達が乗ったバスはどこかの旅館に辿り着いた。そこには慶子様もいた。勧められるまま温泉に浸かり汗を流し、清潔な服に着替えて朝食を頂いても、誰一人気分は晴れなかった。
ほどなくしてセクター1の医療チームが合流。水野少尉は真っ先にちゃんとした治療を受けた。左腕は当分首からぶら下げることとなった。入れ替わるように医療チームは強化兵達の状態チェックを始める。本来の目的はそっちであろう。
強化兵達が集まっていた広間の窓辺のイスに、水野少尉は一人で座っていた。そこに浅沼少将がやってきた。
「大丈夫か?」
浅沼少将は後ろからそう声を掛け、水野少尉の傍の椅子に腰を下ろす。水野少尉はそれを目で追いながら、
「はい、大したことありません」
と返した。
「そうか、四年前はもっと重症だったな」
水野少尉は頷いた後、窓外へ目をやった。そして見知らぬ山々を見ながらこう言った。
「岩井たい……少佐は、今回は助かりませんでした」
そして俯いた。
「ああ、悪いことをした、ほんとに、俺が殺したようなもんだ」
浅沼少将はそう言う。水野少尉は顔を上げて浅沼少将を見た。
「彼女はあのあと軍を辞めると言ってきた。退院してからだから、私が軍令部に移動してからだ」
「……」
「彼女は軍に失望していた。敵が来ても攻撃を許さないなら軍隊なんか持つなと、この国にも失望していた」
「上陸されるまで攻撃できなかったから、それで沢山死んだからですか?」
「ふん、その攻撃も軍からは許可は出てなかった。私と彼女の独断で攻撃したんだ。もう待ってられなくて。でも彼女は長保基地戦以上に東園のことで失望してた」
「……」
「彼女はあの何年か前に仮想演習で同様の攻撃を仕掛けられて負けていたんだ。数千隻の漁船が兵を積んで上陸してくる。そう言う作戦に対処できなかった。その作戦を仕掛けたのは、東園で当時何も出来ず捕虜となった基地の者だった。彼は毎年近海で何千隻ものナシ国の漁船が漁をする時期を危ぶんでいた。それで思い立った作戦だ。そして見事作戦は成功。彼は軍に抜本的な防衛配備の見直しを提案していた。ナシ国の漁船が集中する時期は配備する部隊を陸、海、空軍全て、想定されるナシ国の勢力に対抗できるまでに増やすべきだと。しかし軍は配備予算などを理由に却下し続けた。実際は貿易相手国として大きな存在である、ナシ国との関係を刺激しないようにと言う政治的、経済的配慮でだけどな。その結果は今の状態ってわけだ」
「……」
「岩井少佐は入院中に東園の彼がそう言う提案を続けていたことを知った。そして軍が何もしなかったことも知った。それで失望したんだ」
「……」
水野少尉は言葉を挟めなかった。
「実は私もあのあと軍を辞めるつもりである人に相談していた。私も軍に失望したからな。その人は大学時代からの先輩で、その時のS5の所長をしていた人だ。辞める前に一度会おう、と言うことで首都に呼ばれた。そしてとあるところで会ったんだが、そこにお忍びで王様が現れた。俺はびっくりしたよ、王様に直接会うことなんてないと思ってたからな。まあ、あとから聞いた話だが、その人は王様の密命を受けてS5にいたんだ」
「……」
「でまあ、そんなことはその場では聞かされず、他の話をしたよ、長い時間王様といろんな話をさせてもらった。それからしばらくしてその先輩から連絡が来た。自分は持病があって近いうちに職を辞す。後任をやってくれ、王様の許可は取った、と。固辞してたが先輩は俺以上に頑固で強硬な人だったから、俺の方が負けて受けることにした。その頃に岩井少佐が辞めたいと言ってきたんだ」
「……」
水野少尉はここで初めてリアクションを返した、頷いただけであったが。
「俺は彼女の話を聞いてからこう言った、勿体ないと。彼女は国防大の出身だ。十五年勤めるだけで将来恩給がもらえる」
(国防大学は国立の軍幹部養成学校である。卒業後十年間の軍務が強制されるため志望者は少ない。しかし本城国ではダントツで入るのが難しい大学である。合格点数に妥協はない。だから毎年定員に満たない合格者しか出ないほどである。そして卒業するのも難しい大学である。就学期間は四年ではなく六年間。その間で許される留年は二回まで。三回目の留年となった場合は退学である。国防大学は全寮制で学費、寮費はなし。その上就学中は小遣い程度ではあるが給料までもらえる。しかし卒業できなかったり、十年以内で軍を辞めたりしたら、その費用をすべて払わなければならない。その時に計算される学費は、一般大学では最上位の国立柱奥大学で一番学費が高い電算学部と同額。その額は本城国の中流家庭の年収くらいである。その額の六年分に加え、寮費や就学中に受け取った給料まで返納しないといけなくなる(中退者は就学期間分)。故に元から優秀な学生たちがさらに勉強に励む。それでも卒業できるのは、年度により大幅に違うこともあるが、平均で言うと入学時の九割程度の人数である。)
話がそれたが、浅沼少将の話は続く。
「だから俺の秘書官にならないかと誘ったんだ。俺はS5の所長になることが決まっていた。それも彼女に話して、恩給がもらえるようになるまで倉庫の事務をのんびりやれって。それで彼女はS5に来た」
浅沼少将は途中から外の山並みを見ていた。水野少尉にはまだ挟む言葉がなく黙っていた。やがて暗い声で浅沼少将がまた話し始めた。
「だから彼女を殺したのは俺だ」
「……」
「いや、今日S5で死んだ人間すべて、俺が殺したんだ」
「……」
「俺も、俺自身が軽蔑し、失望した軍の幹部連中と一緒だった」
「……」
浅沼少将が何を言っているのか、水野少尉には分からなかった。
「太政官の探し物を断った後、俺は王様と連絡を取ろうとした。すぐに連絡が取れるとは思っていなかったのに、太政官が探している物を破棄するのか、密かに持ち出しどこかに隠すのか、王様に判断してもらおうとした。自分で判断することから逃げたんだ。結果的に太政官の部隊に包囲されたら破棄するしかないことなんて、考えなくても分かることなのに。であれば籠城などせず、包囲される前に破棄するべきだった。その時なら出来たんだ。破棄して、もう存在しないと言って出て行けばよかったんだ。そしたら誰も死ぬことはなかった。だからみんな俺が殺したんだ」
水野少尉はここでやっと言葉を口にした。
「でも、全員殺せなんて命令が出るなんて、そんなの誰も想像できないですよ」
少し論点はずれていたが。
「……」
「太政官様がそんな酷い命令を出す人だとは思いませんでした」
論点がずれたところで話を変えようかと思っていた浅沼少将であったが、それには応えた。
「いや、その命令は多分あの場の指揮をしていた迫水大佐だ」
「えっ?」
「彼は長保基地戦の時にも強化兵達に同じ命令を出していた」
「……」
「王様は長保基地が絶体絶命と聞いた時、近くに強化兵達がいることも知った。そこで躊躇なく強化兵の投入を決断された。でもその時、強化兵部隊の司令には、出来るだけ殺さずに制圧させるように指示されたんだ。強化兵なら出来るであろうと。でもその司令から現場指揮を任された迫水はそれを強化兵達に伝えないどころか、生存者を残すなと命令したんだ」
「なんで……」
「分からん、それは」
「……そんな人があのあとも彼らを率いていたなんて」
「ああ、それもなんでなのか分からん」
水野少尉はまた俯いて床を見ていた。
「ところで、離宮でお前も王様に会えたんだな」
しばらくして浅沼少将がそう言った。
「はい」
水野少尉はまた顔を上げてそう返した。
「そうか、うまくやれたんだな」
水野少尉は、はい、と応えようかと思いながら、さっきからの話で思ったことを口に出した。
「……浅沼少将が王様に私のことを話してくれてたんですね」
「少しだけな。長保基地戦の後、強化兵達は不安定になったそうだ。それで強化兵の情緒安定のために何かいい手はないかと悩んでおられたから」
「……」
「王様が強化兵を作るのを何年も前に中止されたのは知ってるだろ?」
「はい」
「王様は強化兵自体もなくそうとしていた」
「えっ?」
「彼らを処分するとかじゃないぞ。彼らを何とかして一般人の社会の中で暮らせるように出来ないかとお考えだったんだ」
「ああ」
「でも、なかなかうまくいってなかったようだ。そこに長保基地戦があった。振り出し以前に戻ったようだった、と岩下中佐あたりは言ってたよ」
「どういうことですか?」
浅沼少将は少し身を引いて言葉を探す。
「う~ん、水野少尉は長保基地での戦闘を経験してから何か変わったか?」
そして逆に質問した。
「私は……、殺されると言うことも、殺すと言うことも、その本当の怖さを知ったような気がします」
少し考えてから水野少尉はそう返した。
「そうか、彼らも多分そうなんだ。殺すことの怖さを知ったんだと思う。それでさっきも言ったように彼らは精神的に不安定な状態になったようだ」
「そうですか……、みんな繊細だから」
「そうなんだろうな、あの超人的な能力を見たら誰もそうは思わないだろうけど」
「はい。でも彼らはほんとに純粋で繊細なんです。そして信じられないくらい従順なんです」
浅沼少将はそう聞いて二度ほど頷いた。そしてこう言った。
「その彼らを安定させるために薬を使うと言い出した」
「誰がですか?」
「迫水だよ。彼はその前からも使っていたが、あのあとからはより強力な安定剤を使おうとした。いや、実際使った」
「……」
「でもその薬を嫌がる強化兵が出た。セク1の岩下中佐はすぐに使用禁止を訴えた。しかし迫水は却下した。すると岩下中佐はとあるルートから王様に直訴して、セク1は迫水からも軍からも半分切り離されたような存在にしてしまった。そしてなおかつ、他のセクターで薬を強く拒否していた強化兵までセク1に移してしまった」
「……」
「そしてセク1では薬物投与を行わないアプローチを独自で始めたんだ。逆に迫水はこれ以上邪魔されないように、彼は本来セク3の担当だったんだが、セク2も自分の管轄とし、強化兵の統括指揮官としての立場まで作り上げるようになってしまった。そしてその立場になってからは、系統上はセク1も彼の指揮下になった。と言ってもそれは軍事行動となる時だけのことで、訓練や養成に関わることは強制できない存在だったけどな、セク1は」
「……」
水野少尉は頷きながら聞くだけだった。
「そのセク1での岩下中佐のアプローチはそれなりにうまくいっていたようだ。でもある段階から行き詰っていたようだ。そこで助っ人が欲しいみたいな話があったと王様から聞かされたから、水野少尉の話をしたんだ」
「えっ、なんで私、と言うか、なんておっしゃったんですか? 王様に」
「いや、お前が長保基地で俺に言った通りのことだよ」
「……?」
「ただ傍にいたいと言うだけの者なら知っていると。強化兵をもっと強くしたいとか、一緒に戦いたいとかじゃなく、ただそう言うだけの者ならいると」
「それで、王様は?」
「いや、その時はそうかって聞いてただけだった。興味は持ったようだけど、そのあとお前がセク1に異動になったとかって話は聞かなかったし、ずっと離宮勤務になってたからな、力にはなれなかったかと思ってたんだ。だから今回、お前を見てほんとは驚いたんだぞ」
「そうですか。でも私の何が助っ人だったんでしょう」
「さあ、それは俺には分からん」
「そうですか」
そこで会話が途切れたと思ったら、会話に加わる人が現れた。
「サッカーよ」
そう言ったのはエリーだった。
「えっ?」
水野少尉は振り返りそう言う。その時肩が痛んだのか顔をしかめた。
「大丈夫?」
エリーはそう言いながら傍に来る。
「大丈夫です。それよりサッカーって?」
エリーは空いてるイスを引き寄せ座りながら話す。
「サッカーの後で私が言ったこと覚えてる?」
「……」
水野少尉は思案顔。
「あの子達はあなたに合わせて、あなたと一緒に楽しむってことを自然と身につけたの」
「そんなの」
「ううん、見落としちゃうと言うか、気にもならないようなことだけど、とても大切なことなのよ」
「……」
「夢中になっちゃうことを普通の人に無意識で合わせることが出来て、一緒に何かすることが出来るようになる。それはあの子達が普通の人と一緒にこの社会で生活するには必要なこと。私にはそれをどう教えたらいいか分からなかった」
「……」
「ただ一緒にいたいってだけのあなたがいつも傍にいたから身に付いたことなのよ」
「……そうですか」
エリーは頷いた。
「だから私は、あの子達の将来はこれで開けると思った」
そしてエリーはそう言った。でも水野少尉はほんの少しのあとこう言った、暗い声で。
「でも私は、六人のその将来を消してしまいました」
浅沼少将もエリーも顔を伏せた。
「それを言うなら私の方が罪が深い。あなただけが悪いんじゃない」
やがてエリーがそう言った。
「そんなことないです。みんなを戦わせたのは私です」
少し強い口調で水野少尉はそう返した。するとさらに強い口調でエリーはこう言う。
「違う、あなたは反対したのに私が行けと命じたの。言ったでしょ、あなたに、あの子達を指揮しなさいって。あなたもあの子達も私の命令で行ったの。悪いのは私」
「違う、私はずっとあの子達をもう戦わせないと言ってきたんです。あの子達にもそう言って来たんです。でも戦わせてしまった。人殺しをさせてしまいました。そしてあの子達を死なせた。絵麻、実由、友里、あき、みどり、ふみ、死なせてしまいました。みんな私なんかまだ遊ぶことしか考えてなかったような年なのに。なのに殺し合いをさせて死なせてしまった、しまいました。私も一緒に死ねばよかった」
途中からは泣きながらであった。エリーも涙を浮かべた。そしてこう言う。
「ばか、あんたが死んだら残った子達はどうするの」
「……」
「あんたはまだまだずっとあの子達に必要なの。あの子達が人としての人生を送る上で、あんたって存在が必要なのよ」
「そんなこ……」
水野少尉は言葉に詰まる。
「死んだ六人だってあんたがあの世についてきたら追い返すわよ、きっと。みっちゃんにはまだやることがあるでしょって」
「そんな……」
水野少尉はイスからズリ落ち、伏せて泣いた。
そこに近寄ってくる人影があった。エリーはそれに気付き振り返る。未沙を先頭に、九人が広間へ入って来ていた。先頭の未沙は、彼らの荷物が置いてある所へ向きを変えた。でも残りの者はすぐ近くまで来て水野少尉を見下ろした。みんな硬い表情をしている。エリーは何度も見たことのある表情。それで彼女たちが今思っていることが分かった。
みんなに気付き水野少尉が顔を上げた時、未沙が戻ってきた。そして取って来たものを水野少尉に差し出し、
「これをお墓に埋めて送る時まで泣いちゃダメだよ」
そしてそう言った。差し出したものは死んだ六人の髪の毛であった。いや、八人分あった(友香、七菜の髪も含まれていた)。赤い糸で束ねられ、一束ごとに名前の書かれた札まで付けてある。その八人の名前を見て、八つの束を見て、水野少尉の目からはまた涙があふれた。
「でも、ダメ、涙が出ちゃう、悲しいもん」
そう言いながらまた伏せて泣く水野少尉に、今度は雫がこう言う。
「でもそれが決まりなの。泣くのは送る時だけ。決まりなの」
「なんで?」
水野少尉は尋ねる。
「だって、誰かが泣いてるとこなんて見たくないでしょ? それは死んじゃった子も一緒。だから送る時だけなの、泣き顔見せるのは」
水野少尉は顔を上げてみんなを見た。全員硬い表情をしている。そして思い出した。この顔は玲が死んだときに見たと。これは泣くのを我慢してる顔なんだと理解した。でも最前列で膝をつき、水野少尉の前に置かれた髪の毛の束を見つめる真由の頬には涙がつたっている。その隣のゆき、あかりも同じだ。硬い表情のまま涙を滴らせている。水野少尉はその三人の肩を抱くようにしがみつき、続く涙をこらえた。
ほとんど姿を消そうとしている太陽に気付き、永信は長い一日だったと椅子の背もたれに体を預けた。少し前に執務室に掛かってきたS5からの電話。S5に行かせた調査室の者からであった。状況は迫水大佐が直後に報告してきた内容を裏付けるものであった。
S5は籠城直後に送電を切られ、非常時電力に切り替わる際にシステムエラーを起こしていた。その時点で高度セキュリティーの掛かった扉は全て開かなくなっていた。それはデータが保管されている所にも、超低温保管庫へも行けない状況になったと言うことだ。だからそこに辿り着くために爆薬を持った者を外から入れた。開かない扉を破壊するために。そしてデータを消滅させるために。そしてその者たちと一緒に、行方不明であったセクター1の強化兵達がS5に入った。おそらくデータ破棄を支援するために。
監視カメラの映像がシステムエラー中も録画されていたことが分かり、その映像から検証した結果、時間的にデータのコピーは不可だと分かった。破壊されたデータ保管ユニットの部屋に人が入って出てくるまで数分もない。データのコピーや抜き出しは、諜報活動などで盗まれるのを防ぐため、データの暗号化やその書き換えに、わざと時間を掛けるようになっている。レポート用紙一枚程度の文書ファイルでも数分以上は掛かる。大きな研究データの読み出しだと、数時間掛かる可能性もあるとのことであった。また超低温保管されていた物もすべて焼却されていたことが映像で確認された。それは探し物がすべてなくなったことを意味していた。
セクター1の責任者、岩下中佐と言う人物は迫水大佐の命令に背き、強化兵達を出動させなかったばかりか、彼らを連れて逃亡した。その者は普段から強化兵を兵器扱いすることに反発していて、迫水大佐の行っている薬物投与なども拒否していたと言う。こちらが強化兵を投入すると分かっているS5に、そんな者が強化兵をS5に投入した。兵器として使いたくない強化兵を、強化兵同士の戦いとなることが分かっている場所に投入した。それはそこまでしてでも強化兵製造のデータを破棄したかったから。でもそれはその者の考えか? いや違う、安憲王の考えだ。
安憲王は事前に、こう言う場合に備えて指示してあったのであろうか。いや、そんなことあるわけない。こんな状況、想定出来るわけない。と言うことは、領南離宮に幽閉しているつもりであったが、何者かが何らかの方法で安憲王から指示を受けているのだ。そしてこれだけのことを、これだけの人員を動かすだけの力が安憲王にはまだあるのだ。
永信にはそのことが恐ろしく、そして憎らしく感じられた。しかし疑問も湧いた。安憲王は永山医師の巧みな投薬で、そうそう会話もできない状態に維持させている。そんな状態の安憲王に、本当にこんなことが出来るのか。ひょっとしたら、大元で糸を引いているのは別の人物かも知れない。それは誰だ。御前家の誰かか? 御前家と親戚関係にある元老、城山氏、双城氏あたりか。永信は悩んだ。悩んだ末に電話を手に取った。
「重田だ。永山にかわれ」
領南離宮に電話していた。
『永山です』
「陛下の容体はどうだ?」
『ずっと変わりありません』
それは永信が指示した状態にずっとしてあると言うこと。寝ていることが多いが、起きた時はそれなりに普通の状態になり、食事などは出来る。しかし、非常に疲れた状態にすぐになり、再び眠るしかないようになる。
「それは難しい話は出来ないと言うことか」
『そうですね、十分くらいが限度ではないでしょうか。それ以上はひどい眩暈などを引き起こされて、思考がまとまらないと思われます』
「そうか。実は陛下に相談したい重要な話があるんだが、数日以内に何とかもう少し長い時間陛下と話せるようにならないか」
そう言う風にしろと言う命令である。
『分かりました、手を尽くします』
「頼む、目途が付いたら連絡をくれ、すぐそっちに行く」
『分かりました』
永信は安憲王に何か問い質すことを思いついていた。
夕食後、広間で水野少尉と強化兵達は過ごしていた。はしゃぐなんてシチュエーションはなかったけれど、普段ともそうは変わらない、他愛ない雑談の時間であった。テレビのニュースで、S5での事がテロ事件として報道されていた。おそらく朝から何度もされていたであろうが、彼らはその時間に初めて観た。国籍不明のテロ集団が侵入し、内部の職員多数を殺害し籠城。しかし軍の特殊部隊が迅速に制圧。テロ集団は特殊部隊との銃撃戦で全員死亡したため、所属や目的などの詳細は不明となったが施設は守られ、突入した特殊部隊の損害も軽微なものだった。そう報道されていた。それを見た時ばかりは殺気立った空気が漂ったけれど、それだけであった。
やがて強化兵達は一人、もしくは数人で寝室へと向かった。そして水野少尉と慶子様だけが広間に残った。
瑠美と雫の二人が寝室へ行き、慶子様と二人になってから水野少尉は尋ねた。
「慶子様、お聞きしてもいいですか?」
「やめてよ、様っての、何度も言ってるでしょ」
水野少尉は以前からであるが、慶子様は昨日初めて会った強化兵達にも、慶子様、と呼ばれる度にこのセリフを繰り返している。
「いえ、その……」
「まあいいわ、何?」
「その、あの子達、これからどうなるんですか? ずっとここですか?」
「ううん、ちょっとまだ移動の手筈が整ってないんだけど、数日以内に東園島にあるうちの別荘に行く予定」
「別荘ですか」
「うん、あっ、うちって言ってもね、私のおじいちゃん、忠憲王の個人所有だった所。しかもおばあちゃんの実家の名前になってて、当時も今も、王宮にも政府にも登録されてないところだから。多分探しても簡単には辿り着けないと思う」
「そうですか」
「いいところよ、草原の真ん中にポツンと建ってるんだけど、周りになんにもないから見晴らし最高、気持ちいいとこよ。海にも近いし」
「……」
「あっ、何にもないって言っても歩いて行けるくらいのところに町があるわよ。バス停は結構近くにあるし。子供の頃こっそり抜け出して、買い物行ったり映画観に行ったりしたんだから」
「そうですか」
水野少尉は小さく笑いながらそう言った。
「こいつ、子供の頃からそんなだったのか、って思ったんでしょ」
慶子様は水野少尉が笑ったのを見てそう言った。
「いえ、そんなんじゃ」
「いいわよ、別に、事実だから」
そう言って慶子様も微笑む。
「そこがあの子達のこれからの家になるんですか?」
水野少尉はまた尋ねた。
「う~ん、それは彼ら次第じゃない?」
「えっ?」
「広さ的には、……ごめん、こう言う言い方すると美穂子には辛いかもしれないけど、人数が減ったから現状で完全に問題がなくなった。でも彼らはこれから普通の市民として生きるんでしょ? 彼らがそこでの生活を望んで、そこでの将来を見いだせたらそれでいいんだけど、例えば市民としての生活に慣れて、都会に出たいなんて思ったら、私達はそこに彼らを縛り付けたりしたくないでしょ?」
水野少尉はそんな先まで考えていなかった。
「……はい」
「私達はこれまで彼らを束縛してきた。でも、様子を見て、その時期が来たら自由にさせてあげないといけない、これからは」
水野少尉は頷く。
「その時、彼らがどこに飛んでいくって言い出しても、私達はそれを認めて送り出してあげるだけ」
「はい」
「もちろんどこに行こうとサポートはずっと続けるわよ、陰からね。それは美穂子も手伝ってよ」
「もちろん」
「ふふ、これからの方が大変かもね」
「ですね」
「お互い結婚したりする暇ないかもね」
「ええっ、そんな相手がいるんですか?」
「いるわけないじゃん、私だって今まで十分籠の鳥状態だったんだから」
「はあ」
「そう言う意味では、私もどっかに飛んでいきたい気分よ」
「……」
「まあ、今でも十分飛び出してる状態かも知れないけどね」
「そうですね」
「こら、そこは納得するな」
やっと笑い声が漏れた。
そんな二人の所へエリーがやってきた。
「はあ、やっと落ち着いた」
二人の傍のイスにそう言いながら、いかにもって感じで腰を下ろす。
「何がですか?」
水野少尉が尋ねる。
「何がっていろいろよ」
「……」
「まず、太政官の私達の捜索状況、セク1を出た後に警察に出された捜索指示に浅沼少将が追加された以外何にもなし。探れる範囲、どこにも動きなし。気持ち悪い感じだけど、まあとりあえずは平穏でいられそう」
「そうですか」
警察に捜索されているってだけで大事では? と思いながら水野少尉はそう返した。
「向こうの強化兵はセクター2に行ったわ、全員」
「セクター2ってどこにあるんですか?」
「覧鹿市よ、どこか分かる?」
「分かります、大照地方ですよね、確か南側」
「そっ、あっ、みっちゃんが撮って来てくれた写真の検証しなきゃ」
水野少尉は少し胸が痛んだ。それは死んだ黒服の強化兵の写真の事であったから。
「スマホ貸して」
エリーが差し出した手にスマホを渡した。エリーはスマホを操作して写真を画面に出す。
「まずは百四十七、勇志か」
エリーは刺青の数字で誰だか分かるようだ。自分のタブレット端末に強化兵のリストを出したエリー。水野少尉はそのリストを初めて見た。エリーは画面を動かして、百四十七番を探す。そしてその行の色をグレーに変えた。他にも沢山グレーの行がある。おそらくそれはみんな死んだ人を表しているんだ。
エリーはその作業を繰り返した。この子も死んだのか、などと言いながらの暗い作業だった。やがて十五人分全ての行をグレーに変えると、隅のボタンをタップする。するとグレーの行が消えて白地の行だけの表示となった。そしてそれを見ながら、
「十九人か……」
と、寂しい口調でそう言った。
「残った人数ですか?」
聞かなくても分かったことを水野少尉は聞いていた。
「うん、かおりかハル(陽)に接触できないかな」
エリーは呟くようにそう言う。
「どういうこと?」
慶子様が聞いた。
「この二人は私の話をまだ聞いてくれると思うんです、多分ですけど」
「……」
「まあ、迫水の薬が効いていなければ、ですけどね」
「で、どうするの? 話すの?」
「はい、こっちに来ないかって説得できないかなって」
「なるほど」
「この二人を説得出来たら、この二人から他のメンバーを説得してもらって、一人でも二人でも迫水の所からこっちにって出来るかも知れない。そしたら迫水の道具にされる子を減らせますから」
「うん、いい考えだと思う。でも難しいわね」
「ええ」
「向こうにしたら最重要兵器だからね、そう簡単には接触できないわよ」
「はい」
何も思いつきはしないであろうけど、水野少尉も考えた。向こうの強化兵と会う方法を。
やはり何も思いつかないまま寝室に入った水野少尉。ベッドに入って目を瞑ると、二度と会えない六人の顔が浮かんだ。
セクター1を出た後、フードコートでハンバーガーとドーナツを取り合うようにして食べていた友里、実由の楽しそうな顔。
ウサギの耳付きのピンクの帽子を欲しがり、目立つからダメとエリーに言われて拗ねた絵麻。その姿を見て、結局エリーがそれでいいと言った時の嬉しそうな顔。
雲入駅の人の多さにどぎまぎしながらも楽しそうだったみどり。
超特急に乗ってはしゃいでいたふみとあき。
その時は、兵士ではない未来に向かっていた彼女たち。いつもより生き生きしていた。
戦場へ行くことになった夜。自分が行くと言ったばかりに彼女たちはついてくると言い出し、もう戦うことのない未来を一時捨ててくれた。それなのにあのお寺を出るとき、彼女たちは自分に笑顔を向けてくれた。それが最後に見た彼女たちの笑顔になった。
セクター1のあの山に行くまでもう泣かないと約束したけれど、水野少尉は一人泣きながら眠りについた。
激闘となった辛く重い一日は、こうしてやっと終わっていった。
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