07 人らしく、人として、人一倍
安紀十七年一月四日 その二
最後の曲がり角は約五キロ先、と言うことで、トリップメーターで四キロを過ぎたところから、曲がる方向である左側を注意していた水野少尉。はたして、五キロを五百メートル過ぎても左に曲がれるところなどなかった。見落としたかな、とナビの画面を念のため見てみると、昨夕観測所に向かう途中で見た湖の駐車場が現在地になっている。ナビは役に立たないと言われていたけれど、出鱈目すぎじゃない? って、そんな場合ではなかった、すでに六キロを過ぎている。Uターンしようかと思うけど、この道に入ってから道幅がとても狭く両側はすごい藪、右でも左でもいいから脇道を見つけないと戻ることも出来ない。と、左に曲がれる道があった。そこで方向転換と思い、車の頭をその道に入れた。すると何か見えた、気がした。
車を少し進める。藪を通して頑丈そうなフェンスが見える。そのまま車を進めると藪が切れ、頑丈そうなゲートがあった。そして、建物もあった。鉄筋コンクリート製の二階建てくらいの建物。窓が一つもないから二階建てくらいとしか言えない。壁面はコンクリートの色そのままで、上の方にガラリの付いた細長い換気口が見えるだけ。そして、そんなに大きな建物ではない。
ここは違うよね、と水野少尉は思いながらも、ゲート前にある駐車場の精算機のような機械に車を寄せた。スモークの掛かった樹脂プレートの窓の向こうに液晶パネルと、恐らく非接触型のカードリーダーが見える。樹脂プレートがあるので液晶パネル等には触れないけれど。樹脂プレートの窓の右横に、呼出、と書かれたボタンがある。そして気付いた、そのボタンの下のシールに。そのシールは巾一センチ強、長さ五センチほどで、そこに二行で『駒岳スポーツ 成山訓練センター』と、小さな薄れた文字で書いてある。
駒岳スポーツは有名な会社。いろんな種目のスポーツ選手を抱えている会社でもある。そこの何かの訓練センターなんだと水野少尉は思った。でも、訓練センターと言う文字に引っ掛かった。観測所の鰻渕大佐は、正式名ではないと言いながらも、訓練所だと言った。そして、天下の駒岳スポーツがこんな僻地に、ナビも使えないようなこんな山の中に、お世辞でも立派なとは言えない陰気な訓練センターを持っているであろうか。と言うか、駒岳スポーツならあんな文字の薄れたシールを貼りっぱなしにしない。いや、あんなシールで表示したりしない。と水野少尉は考え、ここが目的地ではないかと勝手に思い込んだ。
結果的には何の問題もなかったのだけれども、信じきれない手描きの地図を片手に、初めての山道をザっとで七十キロも走ってきた。途中には何度も、車が走ってもいいの? と思えるようなところがあった。神経を使うドライブを、既に三時間近くしてきたのだ。その疲れからであろうが、半分何も考えずに呼出ボタンを押していた。
機械から、よくあるインターホンの呼出音が小さく聞こえた。しかししばらく待っても応答はなかった。ひょっとしたらほんとに駒岳スポーツの訓練センターで、今は使われていないだけかも。そう思いながらも水野少尉はもう一度ボタンを押した。再び呼出音が聞こえる。そして、
『はーい、すみません、お待たせしました』
と、男性の声で応答があった。それと同時に樹脂パネルが下にスライドして窓が開いた。
「あっ、あの、ちょっとお聞きしたいんですが」
水野少尉はボタンを押したものの、応答があった時、なんと言おうか考えておらず焦った。
『すみません、カメラの方、向いてもらえますか』
機械からそう声がした。カメラと言われて水野少尉は探した。液晶パネルの上にそれらしいものがあった。と言うか、それを見つけたのでカメラの方を見た形になった。
『ああ、えっと、水野……少尉ですね』
「あっ、はい」
顔認証のシステムでも入っているんだろうか、と思うのと同時に、水野少尉はここが目的地だったんだと安心していた。
『あっ、しまった、こっちから言っちゃった』
意味不明の言葉が聞こえてきた。
「はい?」
『いえいえ、お待ちしてました。入って建物の右側に回ってもらったら駐車場がありますから、そこに停めてください。では開けますね』
「はい、ありがとうございます」
水野少尉はそう返しながらホッとしていた、辿り着いたと。でも、
『あれ? なんで? あれ?』
と、聞こえてくる。
「あのー、どうかしました?」
水野少尉は開かないゲートを見てからそう尋ねた。
『あー、いえいえ、えっと、どうすんだっけ、ああ、えっと、すみません、まだありました、認識番号言ってもらってもいいですか?』
「はい」
応対に慣れていない人なのかな? と思いながら水野少尉は軍の認識番号を告げた。
『あっ、OKです。えー、次は、えっと、あっ、IDをリーダーにかざしてもらえますか?』
「あっ、はい、ちょっと待ってください」
車内が温まってからは脱いでいたハーフコートのポケットに、水野少尉はIDカードを入れていた。助手席のコートを漁ってIDカードを取り出し、カードリーダーに近付けた。すると液晶画面にキーボードが表示された。
『パスワード入れてください』
水野少尉は液晶パネルに手を伸ばす。しかしちょっとだけ悩んだ。水野少尉がIDに紐づけているパスワードは数字から始まる。なので、キーボード表示からテンキー表示に変えるにはどうしたらいいかと。まあ、よく見ればわかったので問題なかったけれど。入力を終えるとこう言われた。
『OKです。ゲート開けますね。あっ、さっき言った駐車場の場所、覚えてます?』
「はい、建物の右側でしたね」
『そうです、空いてるとこ、どこでもいいですから。ではどうぞ』
その言葉の途中から、ゲートがゴロゴロ音をさせてスライド、開き始めた。頑丈そうな見た目通り、重そうな音であった。車が十分通れるほどに開いたところで、水野少尉は車を乗り入れた。
車路は建物の右側にしか通じていない。教えてもらうまでもなく駐車場は見つけられたであろう。建物の右側に回ると、こちらが正面であったようで、ちょうど真ん中あたりに扉が一つあった。壁面にも扉にも、やっぱり窓はないけれど。
扉の前に十数台分の駐車スペースがあった。停まっていたのは四台。小型の乗用車が一台と、SUVタイプのミニバンが三台。こんなところ、車がないと絶対に来られない。この台数から想像すると、ここにもそんなに人はいないんだろうな、と水野少尉は思った。
四台の車は並んで停まっていたので、その並びに車を停めた。そして車を降り、荷物を持って水野少尉は一つだけある扉へ向かう。その時建物の裏側を見たら、陸上競技場のような広いスペースがあった。ほんとに何かの訓練をするところなんだと思った。
扉の横にカードリーダーと一体になったインターホンがあった。水野少尉はそのボタンを押す。
『すみません、もう一度IDだけかざしてください』
さっきの男性の声が返ってきた。
「はい」
IDカードをカードリーダーに近付けると、ロックが外れる音がした。
『開きましたね、中に入ってちょっと待っててください』
「分かりました」
水野少尉は扉を開けて中に入った。
扉の中は部屋とかホールとかいうより、通路だった。入った正面、三メートルほどでもう一つ扉がある。左右にも一つずつある。そしてなぜだかダウンライト一つが灯っているだけで暗い。メインの照明は消えていて、非常灯が付いているだけって感じだった。
狭くて暗くて寒いところだった。結構な時間を待たされていたので、水野少尉は震え始めていた。そしてもう辛抱できないと、水野少尉は中の扉を開けてみることにした。左右の扉には、扉の横にカードリーダーとタッチパネルが付いている。おそらくIDカードだけでは開かないであろう。取り敢えずレバーハンドルを握ってみるが、どちらもロックされていた。正面の扉はカードリーダーだけであった。念のためそのままレーバーハンドルを下げようとしたら動かなかった、ロックされている。なのでIDカードをカードリーダーにかざしてみた。ロックが外れた。入っていいとは言われていないので、少し戸惑った。でもレバーハンドルを握り、そっと扉を開く。明るい光と温かい空気が、開いた扉の隙間から飛び出してきた。水野少尉は扉を大きく開け、中に入ろうとした。しかしその足は止まった。そこに少年がいたから。
「お待ちしてました。遅かったですね」
少年がそう言う。遅かった? ずっとそこにいたの? と言うかこの子が私を迎えに来た?
「い、いえ、私ずっとそこにいたんですけど」
水野少尉は扉から中に入りそう言う。そこは奥に続く通路だった。
「えっ、なんでそんな暗いところにいたんですか?」
はあ? だって中に入って待てって、……中ってもう一つ入ったここのことだった? 水野少尉はそう思いながらこう言ってしまう。
「入って待てとは言われたけど、もう一つ扉を開けて入れとは言われてなかったから。そこで待ってたならちょっと覗いてくれたらよかったのに」
「あっ、すみませんでした。気付きませんでした」
少年は頭を下げてくれた。子供相手に大人げなかったと、水野少尉は反省。
「ごめん、私もどうせここまで入るなら、もっと早く入ればよかった。ごめんね」
「いえ」
少年は俯いたままだ。
「で、私を迎えに来てくれたの?」
少年は顔を上げた。
「はい、エリーの所に案内します」
「エリー……さん?」
「はい」
少年はそう言うと背を向けて、通路の奥へ歩き始めた。その背に水野少尉は声を掛ける。
「ちょっと待って」
そして荷物を床に置き、ハーフコートを脱いだ。その通路は温かいと言うより暑いって感じであった。少年はトレーニングパンツに半袖のポロシャツ姿。と言うことは、中はこの室温なんだ。水野少尉はスウェットシャツまで脱ごうかと思いながらもそれはやめた。初めて着任する任地である。エリーと言う人物は上官かも知れない。その人にティーシャツ姿で会うのは気が引けた。くたびれたスウェット姿もどうかと思ったが。
「ねえ、名前聞いてもいい?」
再び歩き始めるなり、水野少尉は少年に尋ねた。
「タカ(孝)です」
少年は歩きながら振り返りそう答える。タカ、苗字? 名前? そう思いながら水野少尉は続けて声を掛ける。
「ねえタカ君、エリーさんの所に行く前に、トイレの場所教えてくれない?」
水野少尉が辛抱できなくなり、扉を開けた理由はこれであった。
籠の中の行き先ボタンに、地上、地下の二つのボタンしかないエレベーターで地下に降りた。四、五階移動したくらいの時間だったとは思うけど、水野少尉には正確なところは分からない。エレベーターを降りると小さなホールだった。そしてまた正面と左右に扉がある。どの扉横にもカードリーダーがあった。思うに、セキュリティーの高い施設である。ほんとに訓練施設なの? と水野少尉は感じていた。
タカ君は正面の扉へ向かった。そして首から下げていたIDカードをかざす。エレベーターに乗る時もそうしていた。
扉の先の通路を進み始めると、
「ここにもトイレあるよ」
と、右側の扉を指して教えてくれる。水野少尉は少し恥ずかし気に礼を言った。
短い通路の突き当りの扉を開けた。そこはセキュリティーなし。扉の先は広い部屋、おしゃれなカフェテラスのようであった。と言っても、水野少尉がおしゃれなと思ったのは、軍の食堂のようにテーブルが密接したような配置ではなく、十分な間隔を置いて点在していたからだ。テーブルやテーブル周りのキャスター付きのイスは、普通の事務所で見るようなものである。部屋の内装も普通の事務所のようなもので、強いて言うなら、天井が高いように思われたくらいである。三メートルくらいはありそうだ。あっ、それと、やっぱりここは食堂で、右の壁はくり抜いてカウンターが作られているところがあり、その奥には厨房が見える。
その部屋の奥の方のテーブルに女性が一人いた。タカ君は彼女の方に向かう。彼女がエリーさんかな。
「いらっしゃい、ようこそ」
その女性は水野少尉たちが近付いてくると、机上のラップトップから顔を上げ、数歩手前まで二人が来たところでそう言った。結構幼げな顔をしているが、三十才前後くらいかな、と水野少尉は観察した。
「水野少尉です」
ただいま着任しました、って言葉は言わなかった。なんだかそんな雰囲気ではなかったから。その証拠に、
「そんな硬い挨拶はいいの、私はエリー、よろしくね」
と、彼女が立ち上がって右手を出しながらそう言う。
「よろしくお願いします」
水野少尉はその手を握ってそう言った。
エリーさんは再び腰を下ろすと、
「みっちゃんのID、ここのセキュリティーに正式に登録したから。赤と黒のリーダー以外の扉はみっちゃんのIDで全部もう開くから。タッチパッドがあるところは暗証番号が必要。みっちゃんの暗証番号は0104、今日の日付ね、忘れないでよ」
扉横のカードリーダーに青や黄のラインが入っていたのは気付いてた。黒のラインも最初の狭い部屋で見ていた。それがセキュリティーのレベルだったんだと水野少尉は理解した。しかし、他のことに気をとられていた。
「あの、みっちゃんて……」
水野少尉はそう言いながら自分の胸を指で指した。
「うん、美穂子でしょ、嫌?」
微笑みながら、何か文句でも? って顔でエリーさんはそう言う。
「いえ、いいです」
水野少尉はそう言うしかなかった。
「よし、スマホ出して、持ってるでしょ? アドレス交換しましょ。連絡はこれでね」
とエリーさんは自分のスマホを手に取って見せる。
いくつかのメッセージアプリなども含めて連絡先の交換を終えた頃、後ろの扉から男性が部屋に入って来た。
「ああ、えーっと、水野さん、さっきはすみませんでした。入り方知らないとか知らなかったんで」
最初にやり取りした男性だった。
「リーダーの辺りにIDかざせばパネル開いたんですよ。そしたら後は同じですから。あっ、カメラ睨むの忘れないようにしてくださいね」
男性は続けてそう言った。
「あっ、えーっと、分かりました。すみませんでした」
水野少尉が戸惑いがちにそう返すと、
「あんたねぇ、先に名乗ったら?」
と、エリーさんが言う。
「ああそっか、えっと、ボンダー真司です。ここでは……」
ボンダーさんを遮ってエリーさんがこう言う。
「変な名前だからシンちゃんでいいからね」
シンちゃん、もとい、ボンダーさんはエリーさんを睨むけれど何も言わなかった。
「い、いえ、水野です。よろしくお願いします」
水野少尉は頭を下げた。
「ちょとー、誰か二人くらい手伝ってくれない?」
その時厨房の方からそう声がした。そっちを見ると五十才くらいの女性が、カウンター窓から顔を出している。
「ああ、僕行きます」
と、ボンダーさんが厨房へ向かう。僕も、と言ってタカ君も。
二人の後ろ姿を水野少尉が見送っていると、
「そっか、もうお昼ね」
と、エリーさんが言う。そして続ける。
「厨房二人だからね、大変なのよ」
水野少尉は何と言えばいいか分からず黙っていた。
「あっ、食べられないものある? アレルギーとか、嫌いな物とか」
するとエリーさんがそう聞いてきた。
「いえ」
「そっか、ならいいわ。二人でざっと三十人分作ってるから、メニューとかないわよ。出されたもの食べるしかないからね」
そうなんだと思いながら、気付いたことを水野少尉は尋ねる。
「ここ、三十人もいるんですか?」
「うん、えーっと、十六、二十一、二十五、二十九、で松井さん達二人だから三十一。と、みっちゃんで三十二だ」
松井さん達、の所で厨房を指し、エリーさんはそう返す。水野少尉はそんなにいるとは思わなかった。
「あの、ここって何の訓練所なんですか?」
「う~ん、どうしよっかな……」
と、エリーさんが思案顔になったところで、
「エリー見っけ」
と、エリーさんの後ろに女性が現れた。タカ君が履いていたのと同じようなトレーニングパンツにタンクトップ姿だ。年は二十歳くらいかな。なんだか汗で身体が光っている。その女性の肌を、水野少尉は目を見開いて見ていた。
最初の女性に続いて、がやがやと十人以上入って来た。みんな同じような格好だ。そしてほとんどが女性、男性は一人だけだった。そして女性と言ったが、女の子と言った方がいいくらい、タカ君くらいの年代の子が多い。中学生か高校生くらいって感じだ。
「遅かったわね」
「真由とあかりが張り合っちゃって終わんないんだもん」
「ところでこれ誰?」
「みっちゃん、新人よ」
「お腹すいた」
「よろしくお願いします」
「昼からももう一回あれやりたい」
「あんたら先にシャワー浴びてきなさい」
「今度も私が勝つよ」
「お昼何?」
「みっちゃんは何やるの?」
「えっと……」
「先にご飯食べたい」
等とごちゃごちゃとした会話の中で、水野少尉は彼らの身体の一部から目を離せなかった。それは左の鎖骨の少し下辺り。全員のそこに見覚えのある名札のような刺青があった。この子達、と水野少尉が思ったその時、
「足、もう治りました?」
と、左横から小さな声が掛けられた。そちらに顔を向けた水野少尉は、茶色がかった瞳を見た。
「はいはい、全員先にシャワー! でないとお昼抜きよ」
エリーさんが大きな声でそう言った。すると全員、ブーブー言いながらではあるけれど、後ろの扉から出て行った。水野少尉に話し掛けた女性も、すぐにその中に混ざっていく。話は出来なかった。
全員が扉の向こうに消えた後、水野少尉はエリーさんの前のイスに腰を下ろし、こう聞いた。
「彼女達、強化兵ですね」
しばし水野少尉の顔を見つめてからエリーさんが口を開く。
「なんで?」
「みんなの左胸に入っている刺青、二年、いえ、二年半ほど前に見ました、長保基地で」
「それだけでそう思うの?」
「いえ、それだけじゃないです。一番最初にエリーさんの後ろに現れた彼女、普通の人とは思えない速さでエリーさんの後ろに来ました」
「……」
「そして、私の横に来た子、私は彼女に会いました、長保基地で」
エリーさんは椅子に背を預けて話し出した。
「私の後ろに来た子、未沙って言うの。まったく、訓練場以外は、普通の人間の動き以上の動きはするなって躾てるんだけど、まだまだだめね」
水野少尉は肝心の答えが出るのを黙って待った。
「で、あなたの横に行って話し掛けてたのは理沙。良かったわね、望が叶って」
「えっ?」
思いも掛けなかったエリーさんのセリフに、水野少尉は驚いた。
「会いたかったんでしょ? 理沙に」
「なんでそれを」
「王様から聞いた」
水野少尉は言葉が出なかった。
「やっぱりそうか。王様からは、あの子達の友達になりたいってのをそっちに送るって言われた。その時に、あの子達の中の誰かに会いたいと言ってるってのも聞いた。その人は長保基地で戦っていた部隊の生き残りだとも。で、長保基地の時、理沙が基地の誰かと接触したって報告聞いてたから、可能性があるのは理沙だと思った。だからあなたを理沙のいるここに呼んだの」
王様を怒らせてここに飛ばされたと思っていた。でも違った。王様がここに異動させてくれたんだ。
「あの、じゃあ彼らは」
「そ、強化兵よ」
「そうですか」
「で、もう一回確認、あなたが会いたかったのは理沙で間違いないのね?」
「はい」
「良かった」
「えっ?」
「理沙じゃなかったら、と言うか、ここにいるメンバー以外だったら、ちょっと私ではいろいろしてあげられなかったから」
水野少尉は意味が分からず黙っていた。
「強化兵はね、ここにいるのは三分の一ほど。後のメンバーは他の二か所にいる。だけどそこでは私に出来ることあんまりないから」
「……」
「まあ、理沙が長保で誰かと接触したって報告は王様も見ただろうから、それで私に話を持って来たんだろうけど」
しばらくの沈黙の後、水野少尉は口を開いた。
「さっきの子達、全員長保基地に来てたんですか?」
「ううん、六人だけ、長保基地に行ったのは」
「そうなんですか」
「長保基地に行くって時、十二才未満は留守番にしたの。彼ら体の成長は早いんだけど、心の成長は私達と一緒だからね。私は十八歳未満は除外したんだけど、それじゃ人数が少なくなりすぎるって上役がね」
十二歳未満ってことは、十二才は長保基地に来てたんだ。小学校六年生が戦闘に参加したんだ。人を殺したんだ、そんな年で。水野少尉はそう考えていた。
「あの子、理沙さんは何才だったんですか?」
水野少尉は気になって聞いていた。
「理沙は二十歳だったかな? と言うことは、長保の時は十七才か。私の案が採用されてたら理沙は行ってなかったから、あなた達の出会いはなかったわね」
喜んでいいのかどうか分からなかった。でもあの時、強化兵の人数が減っていたら、ギリギリのところで助けられた自分は死んでいたかもしれない。いや、死んでいただろう。そしたらやっぱり出会いはなかった。水野少尉はそう思った。
食堂にちらほらと人が来はじめて、二人の話は終わった。水野少尉はエリーさんから一人一人に紹介されていった。トレーニング担当や教育担当、医療担当と言う人たちだった。でもその前の話が頭の中で整理されていない水野少尉は、一度で覚えられそうになかった。驚きながらもはっきり覚えたのは、誰かがエリーさんを中佐と呼んだこと。この人中佐だったんだ、と言うか、軍の人だったんだ、と認識した。
二人はそれらの人に混ざってカウンターに並び、昼食を受け取った。大根と魚の煮物がメインだった。鶏肉も入っていた。意外と普通だと思ったが量は多めだった。でも、シャワーを終えた彼らのトレーを見ると、同じものだが量が倍ほどもあった。まだ子供のようなタカ君あたりの子達もほとんど同じ量を食べている。強化人間は身体能力が高い分、必要なエネルギーも多いのかな、なんて思いながら水野少尉は食事をしていた。そして、それがここでの生活の始まりとなった。
安紀十七年三月十日
気持ちいい午後の日差しの中、水野少尉は折り畳みイスを持ち出して、グランドの隅の方で強化兵達のサッカーを見ていた。と言ってもここの強化兵は十六人なので、八対八のサッカーである。十六人の内、なんと十一人が十五歳以下。ここに来て最初に出会ったタカ君は最年少の十二才で、その十二才が六人もいる。見た目は高校生では幼いかなと思うけれど、十分中学生には見える。とても小学校六年生にはみんな見えない、特に女の子は。って、六人中五人は女の子。十六人全員でも男性は二人だけ。
なぜ強化兵が女の子ばかりなのかとエリーさんに尋ねた。すると、人を超えて強化された肉体を制御できるようになるのは、圧倒的に女性の方が多いと言うことであった。
それにしても、そんな幼い子達がやっているサッカーだけど、迫力満点であった。まあ、強化された肉体の持ち主がやっているんだから当然だけど。でも、水野少尉はここに来て二か月。彼らの様々な能力をすでに見ていた。それからすると、もっとすごい動きが出来るのでは、と思いながら見ていた。するとそんな思いを感じ取ったかのように、横で同じようにサッカーを見ていたエリーさんが口を開いた。
「こういうゲームをするときね、彼らには制限を言い渡してあるの」
「制限?」
「そう、例えばボールを割るなとかね」
彼らが本気で蹴っていれば、サッカーボールなんて多分一発で割れてしまう。彼らにしては迫力が足らないと感じたのはそう言うことか。
「あと、地面をえぐるような走り方をするなとか、ジャンプするなとか」
「そうなんですね」
「うん、そう言っても最初はボール十個用意しても五分くらいで終わっちゃったけどね、ボールがなくなって。それから比べたら、ほんとにみんな上手になった。最近はボールも二、三回使えるくらい壊さなくなったし、靴も一足で一試合は十分もつようになった」
「そうですか」
レベルを落とした動きをする訓練なのかな? と水野少尉は思った。すると、
「なんでだと思う?」
と尋ねられた。
「えっ?」
「わざわざ全力を出すなって指示してるのは」
水野少尉は考えた。
「ひょっとして、人工衛星とかで見られてるかも知れないからですか?」
空を見上げてそう言ってみた。
「違う」
「……」
「分からない?」
「はい」
「これは彼らの為の訓練なの」
エリーさんはサッカーを見ながらそう言う。けれど水野少尉には意味が分からなかった。
「私はこっちの訓練の方をもっとしたい。能力を磨いて人殺しをうまくさせることよりもね」
水野少尉はエリーさんを見た。
「競い合うような状況でも、咄嗟に人間離れしたスピードとかパワーを出しちゃわないようにするためのメンタル訓練よ、これは」
水野少尉はエリーさんを見続ける。
「こう言うことを続けて、人間離れした身体能力を、意識せずに抑えられるようにする訓練なの」
「……」
「こっちの方が彼らには難しいでしょうね」
「……」
「でもこれは、彼らが普通の人の中で生活できるようにするために、必要なことなの」
「ああ」
そんなこと出来るのか、とは思いながらも、それは水野少尉も願うことであった。
エリーさんが水野少尉の方を向いた。
「さっき人工衛星とかって言ったわよね」
そしてそう言った。
「はい」
「知らなかったんだ」
水野少尉は首を傾げた。
「そのタブレットで衛星画像見てみて」
エリーさんは水野少尉が持っているタブレット端末を指してそう言う。
「軍のですか?」
「どっちでも、民間のでもいいわよ」
「分かりました」
水野少尉はタブレット端末を操作。衛星画像を一般に公開しているアプリを起動させた。軍の衛星画像を見ようと思ったら、軍のネットワークにつないで、何度か認証とかをクリアしないと見られないので手間が掛かるから。
「あれ?」
水野少尉がそう言った。横からタブレットを覗いていたエリーさんがそれを見て、
「ああ、位置情報も妨害されてるからね」
と言う。そう、現在地は近いと言えば近いけれど、全然違う場所にある山の展望台の駐車場になっていた。
「妨害?」
「うん、えっと、七種類だったかな? 主だった位置情報システム全部を狂わす、いわばバリアーみたいなものがこの辺りには張ってあるの」
「ああ、それでナビが使えないんですね」
「そっ、ナビは位置情報システム以外にGセンサーとか、車とかスマホとか、その機械自体のコンピューターが自立制御してるでしょ? あれを位置情報重視で狂わすのは結構難しいみたいよ」
「そうなんですね」
ほんとにここは極秘の施設なんだと、水野少尉自身がここに来るときナビの現在地が狂っていたことを思い出しながら、改めてそう感じていた。
「で、画面動かしてここを見てみて」
と、エリーさんが言う。水野少尉は画面を触って動かしてみた。見つけられない。そしておかしなことに気付いた。このアプリの画像、雲なんてほとんど見えないはずなのに、ここの辺りは雲に覆われている。だからこの場所を見つけられない。そう思っていたら、エリーさんがこう言う。
「ここって、年がら年中この上に雲があって、衛星ではここが見えないのよ」
水野少尉はまた空を見上げた。雲一つない青空だった。
「衛星では、ってことね」
それを見てエリーさんはそう言う。
「どういうことですか?」
「えっとね、衛星にそう言う風に見せる技術があるのよ」
「そんなのあるんですね」
「うん、詳しくは知らないけど、アイテンと共同開発した技術で、本城とアイテンでだけで使われてる最高機密の技術だって」
アイテンと言うのはアイテン国のこと。本城国のちょうど裏側にある大陸の大国。本城国とは同盟を結んでいる。
「すごいですね」
「うん、どんなに高性能な軍事衛星でもここは覗けないみたいよ。と言うか、本城国内だと百か所くらいそういうところがあるみたい」
「百か所も、と言うことは、極秘施設が百か所もあるってことですか?」
「全部じゃないだろうけどね。多分、半分以上はフェイクよ。見えないところに全部極秘施設があったら、極秘施設の場所を逆に全部教えてることになるでしょ」
「ああ、なるほど」
水野少尉がそう返した頃、話の後半で鳴り始めたスマホにエリーさんは出ていた。
この二か月の間で、水野少尉は強化兵についていろいろと聞いていた。
六年前の安紀十一年に誕生した、タカ君の世代で強化兵は最後(強化兵として誕生ってことで、その時タカ君たちは六歳)。理由は安憲王が強化兵の製造中止を命じたからだと。製造と言う言葉に水野少尉は抵抗を覚えたが、まあそれは今はいいだろう。安憲王が製造中止を決めた理由は、エリーさんがはぐらかすので教えてもらえていない。
右で述べたように、強化兵は六年間増えていない。そして急激に減り続けている。三年前の長保基地防衛に出撃した時、強化兵は百二十二人いた。十一人は十二才未満だったので戦闘には参加せず、百十一人が戦闘に参加した。その戦闘で十一人が戦死している。故に戦闘後の強化兵は百十一人。しかしその後、強化兵の急死が相次いでいる。
その昔、他国で強化人間が開発されたころ、肉体改造が成功した強化人間が、改造終了後数年でみんな急死した。それが各国が開発を放棄した理由だけど、本城国の今の強化兵でも同じ急死が起こっている。数年なんてことはほとんどないようだけれど、それでも改造後十数年程度で急死してしまう状況であるのは変わらないようです。今の最年長は三十五才の人で(今も生きている)、その人は八歳の時に改造され、九歳で強化兵となったので、強化兵として二十六年生きている。これが強化兵として生きている、今のところの最長期間だ。
その強化兵の急死、長保基地戦までは年に数人の程度だった(強化兵自体の数が少ないので、それでもとんでもない死亡率だけど)。それが長保基地戦の後急増した。長保基地戦があった年、戦闘終了後の三か月で一人が亡くなった。そこまでは誰も気にしなかったようだけど、翌年は一年間で二十六人が急死。年明けから亡くなる人が続き、その時点で異常だと考えられた。そして指摘されたのが長保基地戦だった。
訓練とは比べ物にならないくらい、全力で身体を動かした実際の戦闘。それが肉体を極度に消耗させたのではないかと考えられた。
そして戦闘の恐怖、仲間の死、人を殺す経験、表現すらできないほどのその場のすさまじい光景。それらが精神にも影響を与え、それらも急死の原因になっているのでは、と考えられた。
そこで新たな薬が開発された。身体能力をさらに底上げし、肉体への負担を下げようというもの。元々は一般兵にも戦闘前に使われていた、戦闘薬を改良したものだ(水野少尉は長保基地戦の時、これを使っていない)。
矛盾しているようだけど、軍はそれを採用した。時速百二十キロが最高速の車で百キロを出すのと、百五十キロ出せる車で百キロを出すのでは車に対する負担が違うだろ、というのが採用者の論理。でも、百五十キロ出せるなら百三十キロ、百四十キロ出してしまわないか、とは誰も考えなかったのだろうか。
そしてその薬は精神を不感にする効果も与えられていた。恐怖を感じにくくさせ、仲間の死や、悲惨な光景を見ても動揺させない効果を狙ったものだ。当然、人を殺した時に感じる罪悪感など諸々の感情も。
その効果なのかどうかは分からないけれど、更に翌年の去年は、急死者十八人と減っていた。
エリーさんはその薬の使用に最初から猛反対。それでもエリーさんも軍の人間なので、一回目の投与は行った。若年者を中心に、違和感や不快感を訴えるものがほとんど。その結果を受けて、エリーさんは二度目からの投与を拒否して行っていない。故にエリーさんが長として直接管理しているこのセク1(セクター1)と呼ばれる成山訓練所では、一度投与されただけである。他に二か所の訓練所があるようだけど、そこではもう十数回の投与が行われているようである。それらの施設にも時々行っているエリーさんのセリフは、
「あの子達はもう、私の知ってる子達じゃないわ」
と言うものだった。どんなふうに変わったのだろう。
その薬の投与を二回目からやめたこのセク1で、去年は二人が急死。全体の十八人から見たら少ないとは思うけれど、それが薬の投与、非投与と関係しているのかは分かっていない。
エリーさんはスマホで話しながら建物の中に戻ってしまった。なんだか深刻そうな話をしていた。とそこへ、強化兵のみんなが休憩だと言って集まってきた。ドリンクを飲みながらワイワイしゃべっている姿は、ほんとにただの中学生、高校生たちのように見える。
そう、普通の人の何倍もの身体能力を持った子達にはとても見えない。確かに鍛えた身体には見える。でも、それは普通のスポーツ選手と変わらない程度。トップアスリートと呼ばれるような人の身体と比べると、明らかに見劣りするレベル。なんでこんな普通の人と変わらないような体で、あんなパワーやスピードが出せるのかとエリーさんに聞いたことがある。すると彼女も詳しくは知らない、聞いた話だと言って、筋肉や骨などが根本的に普通の人とは違うらしいと言われた。
「こっちはマコちゃんがいるから不利なの」
と、真由が大きな声を出した。
「マコちゃんがいるとかいないとかは運でしょ」
あかりがそう返している。十三歳の真由と、十二歳のあかりはいつ何をするのも張り合う癖がある。今も真由のチームが負けているので、それを言い合っているのだろう。ちなみに、この二人の身体能力はここではトップクラス。ダントツトップで二十歳の理沙、未沙に次ぐものである。それ故についつい張り合ってしまうのだろう。張り合うことがなければ仲の良い二人なんだけど。もう一つちなみに、マコちゃんと二人が呼んでいるのは男の子、いえ、男性です。二十二才でここでの最年長です。でも彼は強化兵としては最低レベルの身体能力なのです。普通の人の二、三倍程度。十分脅威的な能力だけど、ここでは完全に最下位ポジションです。だからチーム戦で彼が入ると、可哀そうだけどいつもお荷物扱いされてます。特にこの二人に。
「でもねえ、マコちゃんいても三点差だよ、あんたんとこにもマコちゃんいたらこっちが勝ってるよ」
真由がそう言っている。それに返すのはあかり。
「そんなことないよ」
「だったらそっちにはみっちゃん入れなよ」
真由がそんなことを言い出した。水野少尉は、やめてよ、って顔で二人の方を見る。なのに、
「じゃあ、私抜けさせて、今日はちょっと熱があったから、やらなくてもいいよってエリーに言われてたから」
と、十五歳の瑠美が言い出した。
「よし、じゃあ後半は、そっちは瑠美さんとみっちゃん入れ替えね」
真由がそう言う。なんで十五歳の瑠美が、瑠美さんで、二十七歳の私がみっちゃんなんだ、せめて美穂子さんと呼べ、とは突っ込まない、もう慣れたから。
「う~ん、いいよ、それでもこっちが勝つから」
あかりが応じてしまった。こらこら、私の意見も聞け、と言う水野少尉の顔は無視された。
普通の人間レベルに力を抑えてプレーしている、つもりの彼らだが、水野少尉は嵐の中に飛び込んだような心境であった。動きには全くついて行けない。弾丸のようなパスが来て、それを受けたらボールの勢いに足払いされてひっくり返る。身体がバラバラになりそう、なんて感じる散々な目にあった。彼らは水野少尉との接触プレーには特に気を遣ってくれたようだけど、手を払われると木の棒で殴られたような感触を感じ、彼らにしたらちょっとぶつかった程度のことで、水野少尉の身体は飛ばされた。軍隊の陸戦部隊にいて、厳しい訓練で鍛えていた水野少尉、多少は身体能力に自信があった。それを比べなくてもいいのに彼らと比べてしまい、自信を失くしてしまうほどだった。それでも水野少尉の奮闘もあってか、一点差にまで追いつかれたけれど、あかりのいるチームが勝った。
自室でシャワーを浴びて着替えてから、くたびれた体で水野少尉が食堂に顔を出したら、みんなはもうはしゃぎながらおやつを食べていた。
「みっちゃん、クリームパンあるよ、食べる?」
と、カウンター窓の所からあかりが声を掛けて来る。
「ううん、自分で取りに行く」
水野少尉がそう返してカウンターに向かうと、あかりは、あっそう、とみんなの所に混ざっていく。
厨房に入ってコーヒーを入れた(インスタント)。おやつタイムは厨房の方の仕事外。お二人は絶賛夕食の準備中であるし。そしてあかりが言っていたクリームパンを一つ手に取った。これもここで焼いてくれているものだ。とってもおいしくて、水野少尉もお気に入り。
水野少尉は理沙、未沙、マコちゃん(誠)がいるテーブルに着いた。この三人は仲がいい。まあ、年が近いからだろうけど。
水野少尉のここでの仕事は、本当に彼らの友達になることだった。いや、ほんとにそうなのだ、エリーからそう言われ、エリーは王様からそう言われたらしい。出来るだけ彼らの日常に溶け込み、彼らの本当の姿を見て、感じて、教えて欲しいと言われた。親しいと言ってもエリーは彼らの訓練担当としてずっと傍にいた。なので彼女には見せない姿があるかもしれない。それを知るための水野少尉であった。彼らの本当の望み、不満など、そんなことを感じ取って欲しいと言われた。なので水野少尉にはついていけない訓練以外は、全て彼らと行動を共にしていた。お勉強の教室にまで同席したりすることもあった。
そんな水野少尉、この時も普通に彼らとおしゃべりしながら、ふと気付いたことがあった。それはマコちゃんの胸元だった。彼らの例の刺青は、やはり名札であった。グレーの帯の下が赤いラインになっていて、紺色で記号のようなものが書かれている。そう、記号なので名前ではなく、それは記号化された数字であった。こんな風に水野少尉は言いたくないが、製造番号が刻まれているのだ。
その刺青、マコちゃんのものには赤いラインがないことに、今になって気付いた。なのでそれが口に出た。
「マコちゃんのそれ、赤い線がないのね」
はだけた胸元のそれを指して言った。言ってから、赤い線は女の子か、と思ったが、タカ君は赤い線が入っていたと思う。
「ああ、僕はXメンバーじゃないんで」
初めて聞く言葉だった。
「Xメンバー?」
水野少尉は聞き返した。
「僕は普通の身体から強化してもらったんでノーマルなんですけど、卵子から強化された人はXメンバーなんです」
「そっ、赤い線が付いてるのはXメンバーってこと」
マコちゃんに続いて未沙がそう言う。そして彼女は自分の胸元の刺青を見せて、続けてこう言う。
「私のここ、173ってなってるでしょ? これは強化兵として百七十三人目ってことなんだけど、これと別に私にはX23って番号もあるの。それは卵から強化された二十三人目ってことなの」
卵子からって言葉に驚いていた水野少尉。知らなかったから。そしてその目は理沙に向いた。すると理沙は促されたと思ったのか、彼女も胸元の刺青を見せて、
「私は百七十四でX二十四です」
と言う。すると未沙が理沙の肩を抱き、
「だから私達は姉妹なの」
と、笑顔で言う。
ここの十六人で赤い線が入っていないのは、恐らくマコちゃんだけ。と言うことは、あとは全員Xメンバー、卵子から作られた強化兵と言うことだ。産まれた時から、いや、生まれる前から強化兵として作られた子達なんだ。水野少尉は何だか複雑な思いに包まれた。
休憩が終わり、彼らは医療区画へ身体チェックを受けに行った。身体チェックとは健康診断のようなもの。彼らは週に一回受けている。水野少尉は関係ないのでそれにはついて行かなかった。けれどもそれが終われば彼らは今日は放課後。レクリエーションルームに集まるのが常だ。まあ、部屋に行っちゃって夕食まで出て来ない子もいるけれど。水野少尉は彼らがレクリエーションルームにいるときは、そこで付き合うようにしている。なのでそろそろそっちへ移動しようかと腰を上げた時、エリーさんが食堂に入って来た。難しい顔をしていたが、水野少尉を見ていつもの表情に戻る。が、近付いてこず厨房に向かった。水野少尉はエリーさんについて厨房へ。
「みっちゃんも飲む?」
エリーさんがコーヒーを入れながら、顔を出した水野少尉にそう聞く。
「いえ、もう飲みましたから」
「そう、みんなは?」
「今日は身体チェックの日ですから」
厨房から出てきたエリーさんについて行きながら答える。
「そっか」
手近なテーブルにカップを置きながらそう返すエリーさん。そして席に着くとタブレット端末を触りだした。水野少尉は彼女の前に座った。そんな彼女にエリーさんは、
「体、大丈夫?」
と尋ねる。
「は?」
「だいぶ転ばされてたから」
そう言ってエリーさんは微笑む。サッカーの様子をモニターで見ていたようだ。
「ああ、大丈夫です。全然ついていけなかったですけど」
「そうでもなかったみたいだけど」
「そうですか?」
「うん、みっちゃんがいることで、あの子達の動きがだいぶましだった」
ましとは、レベルを落とした動きだったと言うことだろう。
「はあ、足手まといでしたから」
「ううん、逆よ」
「はい?」
「これからはあの手のゲームする時、毎回みっちゃんも混ざって」
そんなの、身体がいくつあっても足らなくなる、と水野少尉は思った。
「みっちゃんって言うお手本がいた方が、あの子達にはセーブする目標があっていいみたい」
「ええ?」
「みっちゃんが相手だと、あの子達は絶対ケガさせたらいけないって方に気がいくみたいだから。気付いてた? みっちゃんが転ぶたびに、あの子達がボールから目を離してみんなみっちゃんの方を見てたのよ」
すぐに起き上がって、プレーに戻ることしか頭になかった水野少尉には気付けなかった。
「みっちゃんの動きに合わす。自然とそんな感じになってた」
そう言われたら、最後の方はそう転ばなかった気がする、身体が接触しても。
「そうですか」
「うん、だから思ったの、これからはみっちゃんに参加してもらった方が早そうだなって」
「はあ」
嫌ってわけではなかった。水野少尉自身も体を動かすのは嫌いじゃなかったから。でも、しんどそうだと思い、そんな返事になった。
エリーさんは、話はそれで終わりって感じであったけれど、水野少尉はそのまま前に座っていた。すると、
「どうかした?」
と、エリーさんが尋ねる。
「電話で何かあったんですか?」
水野少尉も尋ねた。
「なんで?」
「入って来た時、難しい顔してらしたから」
「そう?」
「はい」
エリーさんはそれ以上何も言わずタブレット端末を触っている。でも水野少尉が動かず彼女を見ているので、タブレット端末に目を落としたまま口を開いた。
「昨日、あの子達を作った施設に太政官が行ったみたい」
「えっ?」
「連絡をくれた人の話では、王様の指示ではないみたい」
「はい」
「王様直系の極秘施設だったの、そこは。太政官が知ってるはずもなければ、存在を調べることも出来ないはずのところ。そんなところをどうやって見つけたんだろうって、ちょっと問題になってるの」
「そうなんですか」
「まあ、今はもう何もないところだけどね。前に話した通り、強化兵はもう作ってないから」
「……なんで太政官様はそんな所に行ったんですかね」
「ああ、それは分かってるの、太政官自身がそこでしゃべったらしいから」
「……」
「強化兵製造を再開しろって言ったって」
「えっ?」
「強化兵をまた増やしたいみたいね」
「なんでですか?」
「理由は多分、東園地方。太政官は東園地方をナシ国から取り戻す気でいるみたいだから」
「そんな、あの子達をまた戦場に行かすんですか?」
「太政官はそのつもりみたいね。でも大丈夫、数が足らないから。だから増員したくて動いたんじゃないかな」
「でも製造が再開されて、必要な人数が揃ったら、動員されるってことですよね」
「大丈夫、絶対にもう作れないから」
「えっ?」
「強化兵を作る上での肝心要の所は既に何もかも破棄されてるから」
「そうなんですか?」
「そっ、中心メンバーだった博士も、今は研究を離れてどこにいるかも分からないし。それにその博士自身も王様と同じで、強化兵を作るべきじゃないと考えている筆頭みたいな人だから、仮に博士を太政官が見つけても、博士が製造を再開することはないわ」
「そうですか」
水野少尉は安心したように乗り出していた身を引いた。
「あの子達を戦わせたくない?」
「はい、戦争なんて、やるなら人間同士でやればいいんです」
エリーは少し驚いた顔で水野少尉を見た。それは水野少尉の声がいつもと違い強かったから。彼女が悲惨な戦闘の場にいて、敵兵を殺し、彼女自身も殺される寸前であったことをエリーは知っていた。エリーには想像すらできない経験を、本物の戦場を知っていることを知っていた。そんな彼女の言葉の真意を、エリーは理解することが出来ない。でも、他の誰より戦争を、殺し合いを嫌っていることは理解している。エリーは優しい顔で彼女を見た。
安紀十七年八月十日
強化兵番号百六十三のX十九、個体名、レイ(玲)。この日の朝、彼女が死んだ。二十一才だった。十日ほど前に体調を崩した彼女。見る見るやつれていき、衰え、そして死んだ。老人が老衰で亡くなるように。それが強化兵の死、水野少尉には初めての体験となった。
なぜそうなるのか、解明されていない。急に始まり、あっという間に別れとなる。みんなもショックな様子ではあったが、水野少尉から見たら信じられないくらい冷静だった。レイが病室で寝たきりになっても、いつも通りのカリキュラムをいつも通りにこなす。いつもと同じ様子で。違ったのはカリキュラムが終わってから、レクリエーションルームではなくレイの病室で過ごしていたことぐらい。レイを囲んで話し、遊んでいた、レクリエーションルームにいるかのように。レイが眠ったままとなった最後の二日間もそうであった。最後まで、レイは自分たちの仲間だよ、と、レイに伝えようとでもしているかのように。だから彼らに涙はなかった。笑顔でレイを囲んでいた。この子達はもう何度もこうやって、死んでいく仲間を送っているのだ。水野少尉はそんな彼らの前で悲しい顔をすることは出来ず、夜になって一人涙を流しながら寝る日が数日続いた。
夕方、成山訓練所の横の山に、レイの遺体を運んでいく。南側の斜面に出ると沢山の墓石があった。ざっとで五十以上はありそうだ。みんなここで亡くなった強化兵のもの。水野少尉はこんなところがあるのを知らなかった。
一番手前の墓石の横で、みんなが交代で穴を掘り始める。強化兵のパワーで掘るのだから、あっという間に深さ一メートル以上の穴を掘り終わった。穴の縁にレイの遺体を横たえ、簡単な葬儀が行われる。いや、葬儀と言えるものかどうか分からない。みんなが、強化兵達だけでなく、訓練所の職員も含めた全員が、代わる代わる一言ずつ、レイにお別れの言葉を掛けるだけのものであった。
全員が言葉を掛け終わると、理沙と未沙がレイを穴の底に運んだ。穴の底には軍で使う燃焼剤があらかじめセットされている。全員が十分穴から離れたところで燃焼剤に点火。鉄をも溶かすような軍の燃焼剤である、押されるような熱気と共に、とてつもない炎が上がる。
その時になってみんなが涙を流し始めた。水野少尉の左腕に誰かが抱きついてきた。理沙だった。水野少尉の肩に頬を付け、炎を見ながら泣いている。その理沙の肩に頬を付け未沙が泣いていた。あかりと真由が水野少尉の右腕をとる。二人は炎を見ることなく、水野少尉に顔を埋めて泣いていた。その周りにみんなも寄って来て、泣いている。両腕をとられ、立ちつくした格好の水野少尉、その姿で涙を流していた、炎を見つめながら。
燃焼剤は数分で燃え尽きる。まだ熱くて近寄れないが、涙も止まっていないのでちょうどいい。熱気が消えた頃、全員が交代で穴を埋めていった。埋め終わったら、木の棒が立てられた。墓石が出来上がるまでの代わりである。
その日、夕食後のレクリエーションルームには、理沙、未沙、マコちゃんの三人しか顔を出さなかった。さすがに笑顔はなく、言葉も少なく、水野少尉と四人で、観てもいないテレビを眺めて過ごしただけであった。
次の日は数人増えたが、やはり静かであった。
そしてまた次の日、さらに数人増え、会話は増えたがさして変わらなかった。しかし、途中から真由とあかりが現れた。現れるなり、
「何やってんの、みんなゲームしようよ」
と、あかりが言い、二人して一番大きなテレビを占領。ゲームをやり始めた。レイはテレビゲームが好きだった。よくこの二人とやっていた。二人にはいつも負けていたけど。でも一つだけレイが勝つことが多いゲームがあった。それは飛行機のレースゲーム。空中にある輪を順番に飛行機で抜けていくゲームだ。これだけはレイが本当に上手だった。二人が始めたのはそのゲーム。そのゲームをすることで、レイがいない寂しさを埋めることにしたのかな。
その夜から、徐々にみんな明るさを取り戻していった。
安紀十八年二月十一日
レイがいなくなってしばらくした頃から、水野少尉は強化兵達の一日のカリキュラムが終わり、そこから夕食までの時間、レクリエーションルームには行かず、一人でトレーニングをするようになった。高カロリーが必要な強化兵に合わせたここの食事は、水野少尉には毒。体重が増えるという毒であった。それ故に走り始めたのが最初である。でも本当は、はっきりとは聞こえてこないし知らされもしていないが、強化兵に関わる空気の変化を感じ取っていた。エリーさんや、ここの運営に関わる他の職員から。
それはいい雰囲気のものではなかった。何なのかと説明なんて出来ないけれど、きな臭いことになりそうだと感じるものであった。その得体のしれないプレッシャーからなんとなく、鍛えておかなければ、と思ったのである。
最初は一人であったが、ほんの数日後から理沙が付き合うようになった。そして未沙が混ざり、今ではほとんど全員が一緒にやっている。自由時間までこんな訓練みたいなことしなくてもいいのに。と水野少尉は思ったが、言ってもやめないだろうから、何も言わず、あくまで自分のトレーニングとして、自分のペース、レベルで続けていた。
すっかり暗くなった中、その日も最後のランニングをしていた。グランドを四、五周走って終わり。走りながらみんなの様子を水野少尉は見た。部活の最後に全員でランニングしている様に思った。そう、彼らも普通に走っている様に見えた。と言うのは、水野少尉にはランニングのペースであっても、彼らにしたら早歩き程度にも満たない速度だ。なので最初の頃は、水野少尉に合わせる彼らの走り方は(歩き方?)変であった。走るなら自分たちのペースで普通に走りなよ、と水野少尉は見てられなくて言ったぐらいである。それが今では普通にランニングしている様に見える。普通の人、水野少尉と同じペースで。これはエリーさんの言う、逆の訓練、になったのかも。水野少尉はそう思い、なんとなく笑顔になっていた。
夕食後、真由、あかりの二人に引っ張られて水野少尉はゲームをしていた。人型ロボットを操縦して対戦するゲーム。ここに来るまでゲームなんてしたことなかった水野少尉だけど、なぜかこのゲームは強かった。なので真由たちにしょっちゅう挑まれるのだ。
真由、あかりの二人をその日も倒し、次は私と、あかりと同じ最年少、そして一番最後に誕生したゆきが言い出した時、水野少尉のスマホが鳴った。エリーからの呼び出しであった。夜には珍しいことである。
「適当なとこでやめて、ちゃんと寝なさいよ」
水野少尉はそう声を掛けてからレクリエーションルームを出た。
エリーの事務室に入ると、
「ごめん、こんな時間に」
と、事務机の前のイスを勧められ、水野少尉はそこに腰を下ろす。
「何かあったんですか?」
水野少尉がそう尋ねると、エリーは一息何か考えてから話し始めた。
「緊急ってことじゃないから明日でも良かったんだけど、まあ早い方がいいと思ったし、あの子達がいない方がいいから」
「はい」
彼らに聞かせたくないこと、水野少尉はそう理解して少し緊張を感じた。
「詳しくは話してないからみっちゃんは知らないと思うけど、ここはと言うか、強化兵に関することは王制府の管轄だけど、ほとんど王様に直接つながっていたの」
「はい」
水野少尉は王制府自体、そう言う組織があるのを知っているというレベルである。それは王様につながる秘密の政府って感じの認識であった。
「それが王制府から離れたの」
「えっ?」
「王制府どころか、王様とも切れたの」
「どういうことですか?」
水野少尉がそう尋ねると、エリーはそれに答えず、机上のスマホを指してこう言う。
「夕食後にとある人から連絡が来たの。それで知ったことだから正式には何か通知が来たわけじゃない。まあ、数日以内に来るだろうけど」
「……」
エリーさんはそこで少し考えをまとめているようであった。そして口を開いた。
「元から少し説明するね。でないと分からないだろうから」
「はい」
「強化兵のことは、王様の下に王制府内のとある極秘部署があって、ここはその下にある。でもね、その部署内には長保基地戦まではほとんど存在していただけの、強化兵を運用するための部署もあったの。トップは軍人。まあその人はいいのよ、王様も信頼している人だから。でもその下で実務を任されていた大佐がほんとに軍人てやつだったみたいで、長保基地戦の後、強化兵を優れた兵器にしようとし始めたの。彼らの実戦での戦闘力を見たからそうなったんでしょうね。強化兵用の戦闘薬をどんどん改良させてるのはその大佐。私がその薬を拒否したら、その人はここを含めた三つの訓練所すべてを自分の指揮下に入れようとした。気付いた時には止められず、私はあるところの力を借りて、ここだけは私の直轄ってことで王命を出してもらったの。だからここだけはその人が手を出せなくなった」
「……」
水野少尉は口を挟まなかった、いや、挟めなかった。初めて聞く話の続きを聞きたいだけであった。
「あっ、言ってなかったけど去年死んだレイ、彼女はセク2にいたの。そこで何度も戦闘薬を投与されてた。私がセク2に行ったある時、そこのメンバーは雰囲気が変わってた。ここのメンバーより年齢層が少し上だけど、なんと言うか、無邪気さがなくなってた。子供ではなくなって、軍人になってた。だから私が行ってもそれまでみたいに私に寄って来なくなってた。私が寄って行くとそれなりに明るく話してはくれるんだけど、親しみは感じられなかった。そんな中で彼女は私に寄ってきた。そして、あの薬はもう嫌だと言った。成績はあがったけど、自分じゃなくなるみたいで嫌だと。私は使える手を全部使って彼女をここに移した。でも出来たのはそれだけ、他のメンバーは、セク3も含めて見捨てた。どうしようもなかった」
だんだん暗い口調になりながらそう言うエリーの話を聞いて、水野少尉は思い出していた。
レイが寝込んだ三日目だったと思う。その時病室にいたのは、水野少尉だけだった。もう言葉が怪しくなっていたレイが、水野少尉に言った。
「みっちゃん、お願いがあるの」
「なに?」
「みんなを助けてあげて」
「うん?」
「みっちゃんなら出来ると思う」
「分かった」
「みんなここで……」
そこでレイは話せなくなり眠った。水野少尉は分かっていなかったと分かった。レイはここのみんなを助けてと言ったんじゃないんだ。多分、セク2のかつての自分の仲間を助けてやってくれと、そこのみんなをここに連れて来てと言いたかったのだ。ほんとにそうなのかどうか分からないけれど、水野少尉はそう思い、苦しくなった。
俯いた水野少尉にエリーは話を続けた。
「ごめん、話が反れた。そしてここからが肝心な話」
「はい」
水野少尉は顔を上げてエリーを見た。
「結論から言うと、王様や王制府を飛ばして、その大佐の上が太政官になった」
「えっ?」
「ここは大佐の下に入っていなかったけど、一番上の王様が外されたってことだから、ここは太政官の下ってことにはなってしまう」
「それはどうなるってことですか?」
「太政官の指示に従わないといけないってこと」
「……」
それがどう言うことになるのか水野少尉は考えてみた。でもそんな水野少尉にエリーがこう言った。
「太政官がここの強化兵に出撃を命じたら、従うしかないってこと」
「東園地方にですか?」
そう言う水野少尉の顔はだんだん青ざめていっていた。
「それは分からない。あったとしてもすぐではないでしょうね。そんな作戦が計画されてるなんて聞かないし」
水野少尉が少しだけ安心した顔になる。しかし次のエリーのセリフでまた顔色が変わることになる。
「でもどこであれいつであれ、太政官が彼らを戦力として使おうとしたら拒否できないわよ」
「ダメです、絶対に」
水野少尉は立ち上がっていた。エリーはその姿を見ても驚きはしなかった。水野少尉の気持ちはよく分かっていた。自分も一度は長保基地戦に彼らを投入した側にいたけれど、それから何年もまた彼らと過ごし、そして水野少尉がここに来てから一年余りの間での彼らの変化を見て、エリー自身も同じ思いであった。彼らの未来の新しい可能性を確信できるようになったから。
「元々は、戦争させるために作られたのよ、あの子達は」
エリーは彼女にそう言ってみた。
「分かってます。でも、彼らは、その、……戦争するような人間じゃない、です」
「……」
「彼らは人間じゃない、人間より純粋で優しい。……超人類なんです、あの子達は。戦争するような存在じゃない。……私とは違うんです」
水野少尉はこの一年ほどで感じたことを言葉にした。自分でも何を言っているか分からず言葉にしていた。エリーは泣き出しそうな水野少尉の顔を見ながら、超人類と言う言葉を気に入って、密かに心の中で微笑んだ。
「大丈夫、彼らを戦場になんてやらないから」
エリーは優しい声でそう言った。
太政官重田永信は、田中博士の助手であった近藤正志と話して、本腰を入れることにした。田中博士、そしてそのもう一人の助手、安藤博子を探す。それと並行して、博士が安憲王の命で隠したというデータも捜索させる。それを調査室総動員体制でやるように命じた。
それと並行して、何かと永信に歯向かう王制府をどうにかする手を考えた。法制省で調べさせると、王制府は国王がその大権にて議会決議を覆すような決定を下した時に、その決定が円滑に実行されるように補助する機関であるということであった。それは国王の大権に従うと言うことであり、安憲王に、もっと言えば、御前家に従うと言うことではないと言うことだった。
永信はそれを盾に、王制府を従わせることにした。現在国王としての大権を有しているのは太政官である自分である。であれば王制府は太政官の命を聞くのが法的にも正しいことであると。王制府の役人たちは反論する口を持たなかった。
王制府が永信に従うようになることで、永信は強化兵の運用もその手に握った。しかし、王制府側の部署が言うことを聞くようになったと言うのに、軍側で密かに強化兵を任されていた下村中将は難物であった。永信から見れば、部下である迫水大佐のやっていることすら把握できていない能無しである。迫水大佐は強化兵を戦力として使うことに野心的で、安憲王の指示だとは思えぬことを強化兵に密かに施している。永信は調査室の調査でそのことを掴んでいたが、下村中将は何も知らない様子であった。それなのに安憲王への忠誠心は強く、永信の言うことには毎回一度は反発するのである。その程度しかできないくせに。
永信はその日、下村に伏せて迫水大佐を自身の執務室へ呼び出した。そして、兵器としての強化兵の運用を任せる代わりに、自分に従うことを約束させた。それは、永信が自由に強化兵を使える状態になったと言うことであった。
エリーが長を務めるセクター1にも、迫水大佐の力が及ぶようになった。迫水大佐はセクター1の強化兵にも戦闘薬の投与を命じた。エリーはセクター1の松本軍医大佐に相談、お願いし、戦闘薬の投与はせず、投与したという記録だけ提出することにした。それと同時に信用できる協力者に、セクター1の強化兵達を密かに移し、匿う方法を探してもらうことにした。なぜなら、戦闘薬を投与していないことは時間の問題でバレる。そうなると自分は拘束され、強化兵達は迫水大佐に掌握されてしまう。それを避けるためであった。
エリーは協力者に、何とか強化兵の一般市民としての戸籍を作ることも頼み込んだ。強化兵には戸籍がなかったからである。戸籍があれば一般市民として社会に紛れてこれから生きていける。まだまだ時期尚早ではあるが、もう時間がなくなった。大きな賭けではあるが、水野少尉がいればその賭けに負けることはない、そう信じることにした。
エリーはそのことをいつ水野少尉にお願いするか、そのことでも悩む。なぜなら、水野少尉がその賭けに乗ると言うことは、彼女も軍を欺くと言うこと。それは彼女も、それからは別人として生きていくことになるからである。そんなことを彼女に求めてもいいのかと悩むのである。
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