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独立短編:細菌シリーズ #2

人間が菌の乗り物だというなら――霊魂って、何だ?


都内のとある病室で、老婆が眠っていた。

だが、彼女の体内では『緊急会議』が開かれていた。


「今日集まってもらったのは他でもない。皆も知っているとおり、宿主は今夜にも落ちる。我々はすでにほどけつつある……」

細菌総括主任ベータが、低く告げた。

「よって、今夜“バグ”を飛ばす」


彼は群れを見わたし、早口で続けた。

「ここで言う“バグ”とは、臨終直前に一度だけ飛ばせるドッペルゲンガーだ。チャンスは一回きり、脱落者も出るだろう」

「さらに――全員、二時間以内に宿主へ帰還。帰らなければ延命は切れる。宿主ごと落ちる」


菌たちは一斉に、ウヨウヨどよめいた。


「うわ、めんどくさ!あれ、超疲れますやん」

「今夜?急すぎる!標的は誰?」

ベータは平泳ぎするように、両⼿で喧騒を掻き分けた。

「こっちを見ろ、それを今から話し合うんだ」

薄桃⾊の細菌シーノが前に出る。

「宿主の娘、加⼦だっけ?彼⼥じゃないの?」

ベータは眉間にシワを寄せた。

「残念ながら加⼦は恐ろしく鈍感だ。ドッペルを認識することは不可能だ」

それまで黙って聞いていたディーノが、ペンと紙を持って出しゃばってきた。

「確か、宿主の姪っ⼦が、霊感少⼥と呼ばれていますが」

ベータは、くるっと回って指を鳴らした。

「ビーノ!朗報だ。それで決まりだ」


その時、奥で明滅する光に、シーノがプルプル揺れた。

「⾒て!ヤバいよ。少しずつほぐれていってる。乖離?」

ディーノがジッとそれを⾒ながら、つぶやくように答えた。

「宿主の核……⽣命の重⼒が弱まっています。今夜あたりが⼭場でしょう」

ベータが後を引き取る。

「そうだ、我々善玉菌たちも減ってきてる。

そこで聞くが……宿主が納⾖を最後に⾷べたのはいつだ?」

「納⾖?うわ、納⾖きらいや!ネバネバやん」

ディーノがベータにメモを⾒せる。

「主任、宿主は一昨日、納豆粥を⾷べてます」

「ほんとか?でかしたぞ!

奴らの糸引きで魂にくっつける。粘り勝ちで、ドッペルを作れる!」

ベータは興奮して叫んだ。

「腸内に指令を出せ!納⾖菌をかき集めろ!失敗は許されない、一粒たりとも取りこぼすな」

ゴクリ……誰かが唾を飲み込む⾳が聞こえてきた。

「チャンスは⼀度きり」

「最初で、最後の⼤舞台だ!」

感極まった菌たちは皆、数珠みたいに頭を揃えプルプル共鳴し始めた。

ディーノが珍しく⼤声で指令を出す。

「ビジュアルは、ダイレクトに!」

「ええか?お前ら気合い⼊れろや」

「必ず、全員戻ろう!」

頷きはさざ波のように伝播した。

「そうだ。これは夢製作とはワケが違う。さっそく取り掛れ!」


各菌が持ち場につくと、⼝々に話し始めた。

「魂が丸ごと抜け出した時がチャンスだってさ」

「尾っぽにつかまれって聞いたことある」


ディーノが、⻘⽩い光を放ちながらベータを⼿招きした。

「魂の⾏き先を、霊感少⼥に設定し、納⾖菌も確保しました」

「ご苦労だったディーノ……!

よしみんな、くっついてた部位を再現しろ。魂は抜け出す準備に⼊った、逃すなよ!」


ビーノが仲間の菌たちと、⾜の指を形成しながらボヤく。

「密度うっす!ほぼ透明やん。……挨拶、要る?」

ディーノが⼝を開く。

「我々は共同体です。⼀部が勝⼿に消えるわけにはいきません。菌にも情けあり、細菌の世界でも、ほうれん草が重要です」

「なんやそれ。ビジネス⽤語で義理語るな」

ベータが二人を制した。

「やめろ!そんなことより、まだ顔もできてない!やはりこの⽣命⼒じゃ無理か!?」

思い詰めた顔で、ディーノが⽷を引きながらやって来た。

「主任、⾜は諦めましょう……」

「おいディーノ!イヤミか?俺が⾜裏の菌だからって、足はいらんってか?」

「ダメだ、やめろ!魂が⾶び⽴つ!」

細菌たちはいっせいに魂を掴み、輝く夜空に飛び立った。


ヒラヒラと薄っぺらい魂は、妖怪⼀反⽊綿に似ていた。

「ずり落ちた奴がいます!」

「振り向くな!みんな、ドッペルは⾒やすいように、暗闇で見せろ」

「おい、おまえ、ネバネバを纏え!」

「くっさ!何もかもねっとりや!⽬が開けられへん!」

「ベータ!大変だ、顔の常在菌は、ほぼ納⾖菌に食べられた!」

「なんだって!?」

「ぬおおおおおお!

――もういい!こうなったらザックリだ、ザックリでいこう!」


彼らが⽬的の家に到着した時、霊感少⼥はこたつでみかんを⾷べていたが、ふと台所の暗がりに⽬をとめた。

《足裏班、先行。土踏まずからアーチを描け――影は下から起こす》

うっすらと⽩っぽい影ができていく。

霊感少⼥はじっと⾒つめながら、⺟親を⼿招きした。


「やだ、⾒て。⾜だけ……しかも、うちのスリッパ履いてる!」

《スリッパ履くな。――浮け、全力で浮け! ビーノ、サボるな》

《くっ……ずり落ちる!魂、テンション上がっとる。尻尾ぶんぶんや!》


プルルルルルル!

呼び出し音が、発車の合図みたいに空気を切った。


「……叔母さん、亡くなったって」


霊感少女の鼻の奥が、つんとした。

スリッパは、納豆くさかった。


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