ペンギナイズド

鳥辺野九

南極で踊る二人


 ペルー、イカ州ナスカ県砂漠地帯。

 ドローンにより高高度空撮された地表の画像を生成AIを介してパターン解析にかけた結果、新たに88種の地上絵が発見された。

 新発見の地上絵の中に一際異彩を放つデザインがあった。

 一本の突起が生えた頭で空を見上げる二足歩行の生物が描かれた地上絵である。

 人間をモチーフとした地上絵は多数存在するが、この地上絵に関して言えば、それは人間ではあり得なかった。

 一対の翼を広げた二足歩行の生き物が星を見上げていた。




「冬休みのご予定は?」

 いきなりこれだ。だから、桐乃見輪は他人を信用しない。初対面の人間にだいぶ未来の休暇の予定を答える義理はない。

「画像解析に忙しい夏になりそうで、冬の予定まで気が回りませんわ」

 午後の日差しが眩しい西向きの研究室。ただでさえ熱が籠る室内に、PC群の稼働熱がさらにエアコンの効きを悪くしてくれる。うんうんと唸るPCデスクをすり抜けて、乱雑に資料が立ち並ぶ書架から一冊の古びた図鑑を抜き出す。小学生が観るような昆虫図鑑だ。

「私はまだ助教ですので、冬休みなんてあってないようなものですの。足柄さんのように教授クラスなら休日も自分で好きに編集できるんでしょうけどね」

 狭い研究室内をばたばたと歩き回る見輪助教授。そしてそれをぱたぱたと追いかける足柄百々教授。見輪の精一杯の嫌味を嫌味とも受け取らずに、百々はこれみよがしにネクタイを締め直して、きっちりと言い返す。

「あなたの休日はあなたの所属する大学、もしくは師事する教授が決めるものです。それに、あたしには休日はありません。すべてペンギンに捧げていますから」

「ほら、これが蜘蛛の巣のデザイン全般。蜘蛛の種類によって巣の構造は変わるけど、個体によって大きな変化はありませんよ」

 丁寧に付箋を貼って、ばたん、わざと大きな音を立てて閉じてやる見輪。教授様がリアクションを返す前にすぐさま別の科学雑誌を書架から抜き出して、目的のページを一発で開いて見せる。

「こちらはアマミホシゾラフグが設営した直径2メートルの巣のデザインです。幾何学模様が美しい海底のミステリーサークルって言われています。こちらも個体によってデザインが変わることはありません」

 再び付箋を貼り付けて、蜘蛛の巣の図鑑とフグの巣の科学雑誌を重ねる。さらに一冊の書籍を書架の森から見つけ出し、大袈裟に見開いて提示してやる。

「アフリカに生息するシャカイハタオリという鳥の巣のデザインです。世界最大の鳥の巣と言われています。数百羽の鳥が共同で建築する複合マンションで、現場監督的な鳥がデザインを指示するって論文があります」

 ばん。大袈裟な音を立てて積み重なる生物が織り成すデザインの資料。あっという間に付箋が挟まれた本の山が出来上がる。出来上がってから、見輪は思いっきり首を傾げた。

「で、あなた何て言いました? 休日はペンギンに捧げた?」

「ええ。ペンギンに、すべて」

 胸を張って答える百々。やましいことも怪しいこともない。すべてはペンギンのためだ。

「それがナスカの地上絵の新作とどんな因果があるんですか?」

 ほんと、何言ってんのコイツは。見輪の思考が百々の奇行にすっかり乗っ取られる。

 たしか、この生物学教授は生物が自分で考えたデザインを物理的に構築できるか、デザイン学科の助教授止まりの私に聞きに来た、はず。

「単刀直入に申し上げますと」

 この異常気象とも呼べる暑さの中、ワイシャツの首までぴったりボタンを留めてネクタイをきっちり締めた若い女性教授はクリアファイルから一枚の画像をプリントした紙を取り出した。見輪がAIを使って新発見した新作地上絵だ。

「この地上絵にとても興味があります」

 昆虫図鑑と科学雑誌に論文書籍、その山にさらなる一枚のプリント紙を重ねる。

「古代の人間以外の知的生物がデザインした可能性がある、と言ったら、生物によるデザインを研究しているあなたも興味が湧くのではないか、と思いまして」

 襟がよれたTシャツ姿の若い女性助教授はぴくりと片眉を上げて見せた。化粧っ気のない顔のテカリが増す。Tシャツにデザインされたヘビーメタルバンドのガイコツが歌うように聞き直す。

「それと冬休みの予定と、ペンギンに捧げた休日がどう関係してくるわけよ?」

「とある場所で、これと酷似した地上絵が発見されました」

 意味深な言葉を巧みに操って百々は見輪を誘い出す。

「未だかつて人類が文明を築いていない場所です」

「……どこよ」

「地球上で最も遠い場所で、準備にものすごく時間がかかります」

「だからどこよ」

 見輪は少し不機嫌に凄んで見せた。百々の喋り口はやたら演出がかって結論が見えてこない。百々は百々で、見輪を逃さないために綿密に計画立てて説明する。同年代の二人の女性の会話はいつまでも成立しなかった。

「出発は来年の一月です。調査隊が組織され、人選はあたしに任されました。チームにはあと一つ枠が残っています」

「だから、私はどこで何をすればいいんだよ?」

 露骨に苛立つ見輪を、百々はトドメの一言で討ち取りにかかる。

「あたしと、未調査の土地に未知の生物が描いたと思われる謎の地上絵を調査に行かない?」

「ど・こ・だ・よ?」

 見栄を切る見輪にも百々は怯まない。毅然と真正面から立ち向かう。今度は百々がじろりと凄むターンだ。

「アンタークティカ」

「あん?」

「すなわち、南極大陸」

「行くわ」

 返答に0.5秒もかからなかった。




 土。石。岩。丘。山。

 見渡す限り黒い茶色と灰色な黒。

 もしもここが火星だと言われたら、見輪は三割くらい信じてしまったかもしれない。

 数ヶ月の準備期間を経てようやく降り立った南極大陸は、見輪が思い描いていた白銀の世界とは似ても似つかなかった。

「思ってたのと違う!」

 行けども行けども色彩に変化が見られない土砂漠に、見輪の足腰は悲鳴を上げていた。ここは南極大陸だ。雪と氷に閉ざされた絶界は、人類の文明社会がもたらした環境汚染から最も縁遠い世界で、空も海も果てしなく青過ぎて、白い氷が美しく見輪を迎えてくれる、はずだったのに。

「南極にも夏はあるに決まってんじゃん」

 ぽつり一言、南極の空気同様冷たくつっこんで、ダウンジャケットを着込んだ百々は袖の上に巻いたスマートウォッチで時刻と気温を確かめた。

「ただいまの時刻は午前9時。気温2度。快晴。第一回目、ドローンによる高高度観測を行います」

 ドローンのカメラに目線を合わせて凛とした声で記録を取る。

「へーい。では、発進!」

 見輪が改造した空撮に特化した大出力ドローンは高度1,200メートルまで上昇できる。高高度から広角撮影された地上の画像は生成AIによって解析される。人間の視覚では感知できない色彩情報を電波観測し、電波スペクトル分析にかけてカラー画像として出力。つまり、目に見えない地上絵の痕跡を視覚化するのだ。

 手元のタブレット端末でドローンから送信された映像を確認。まだ接地しているので全面が地面色だ。全長2.5メートルに達する大型ドローンを出力フルスロットルで急上昇させる。タブレット端末に見える地面が一気に縮小された。

「それにしても、南極ってそんなに寒くないのねー」

 高度15メートル。土塊と石ころだらけの地表に二人の女性が映る。短い茶色の髪の一人は座ってコントローラーとタブレット端末を交互に睨み、黒々と長い髪をニット帽からたなびかせるもう一人は上を向いてドローンカメラを見つめていた。

「だから、南極は夏なんだって」

「それは知ってるよ。でも、ゲロ寒いって思ってたからさ。こんなに地表が露わになるくらい温暖化が進んでいたんだなってさ」

 高度30メートル。広角レンズに見下ろされる荒涼とした大地に人間は二人だけ。彼女らを取り巻くように黒い点がわらわら動いている。コウテイペンギンの群れだ。

「温暖化なんて嘘よ。今や地球は氷河期まっしぐら。全球凍結まではいかないけど、まもなくポールシフトが起きて新しい南極が生まれる」

「何言ってんの、あんた」

 見輪と百々は南極上陸準備期間ですっかり打ち解けて、お互いにタメ口で意見をぶつけ合う旧知の仲のような関係になっていた。

「コロッサスペンギンから進化したペンギン・サピエンスの末裔であるあたしが言うんだから間違いないわ」

「コロッサスって何さ」

「数万年前に生息していたとされる2メートル越えの超ペンギンよ」

「何言ってんの、あんた」

 ホモ・サピエンス代表として見輪は百々の顔をまじまじと見つめてやった。こうして見れば、黒髪とニット帽に包まれた小顔がコウテイペンギンのヒナに見えてくるから余計に困る。ペンギン・サピエンスは胸を張って周囲を見回す。南極の地で独自の進化を遂げたペンギンたちは、この大きなペンギンっぽいニンゲンを観察していた。

「聴きなさい、我が友よ」

 くるり、百々が大袈裟に振り返って見輪とコウテイペンギンたちに演説を始める。群れ成すペンギンたちは、何やら大きな奴がゲヘゲヘ鳴き出したと遠巻きに観測する。百々をセンターに据えたペンギンサークルが形成された。

「海流は乱れ、海水温に大きな地域差が生じ始めている」

 高度50メートル。夏の南極は雪と氷を排除して地面を剥き出しにしている。季節の大部分を氷で閉じこもっているような状態だから、植物は一切繁殖していない。一面の荒れ土だ。

「海流は大陸へ熱を集中させて、海底に冷たい水流が留める。やがて過冷却された水は氷となって、とある海域に大氷床を形成する」

「それでそれで?」

 百々があまりにも気持ちよさそうに演説するので、合いの手を入れつつ見輪はドローンを上昇させ続ける。高度100メートル。もう人間もペンギンも区別がつかなくなる。ただの二足歩行の生物がウロウロして、ある集団が一箇所に円を作っているだけだ。

「大氷床が陸地に接した場所へ、冷たい空気と冷たい水が集中し続ける。氷の重さで地球の自転軸は徐々に偏り、ついにポールシフト発現。氷が集まった場所に新たな南極が誕生するのよ」

「いつ? どこよ?」

 人間を見慣れてきた一匹のコウテイペンギンが座ってドローンをコントロールしている見輪の元によちよち近付く。座った見輪の目線からすると、100センチはありそうなコウテイペンギンはかなりデカく見える。

「あたしの試算では三千年後。場所はグリーンランド!」

「長生きしなきゃね」

「ゲヘ」

 コウテイペンギンが一声相槌を打つ。

「人類が滅んでいようと関係ないわ。ポールシフトは無視していい。新しい南極もどうだっていい。問題はかつて南極だった大陸が温暖な気候になって植物が繁殖し始めるってことよ」

「ペンギンたちが新たな大陸の支配者になりそう」

「そうよ。人類は主役の座を譲り渡すわけよ」

 高度300メートル。一面の茶色い黒と灰色な茶褐色塗れる。まるで土と石と岩のモザイクアートだ。

 ドローンの高感度カメラによる電波観測を開始し、画像を高レベル電波スペクトル分析にかけて波長域ごとに色分けする。すると、自然物と何者かが手を加えた地形とが明らかに色が変わって表示される。

 ずん、と一本のスペクトルの道が荒野に走っている。

 画面から見切れ、真っ直ぐに、南極大陸に人間の目に見えない線が描かれている。自然に発生したものとは思えない、確かな意志を感じざるを得ない直線である。

「あたしの予想が正しければ、氷が溶けた南極大陸に植物が根を張ろうとも、過去に描かれていた線上は土壌が固くて地上絵には植物が育たず、結果として、たくさんの地上絵がメッセージを発信するはず!」

 百々はダウンジャケットを脱ぎ去ってネクタイにスーツ姿になった。記念式典に出席するようなサイズの大きな燕尾服を身につけている。ニット帽から流れる黒髪と色彩が溶け合って、その立派な立ち姿は凛々しいペンギンのようだ。

「メッセージって、誰の?」

 高度600メートル。氷床が溶けて露わになった大地に走る黒々としたラインは、その全体像を薄ぼんやりと浮かばせた。滑らかな流線形の輪郭は直立した二足歩行で、短い脚と思われる部位には蹴爪のようなデザインが施されている。そして両腕にあたるパーツは、まるで一対の鋭いフリッパー状の翼。

「誰のメッセージって、誰から? 誰への? どっちよ?」

 ぽつり呟いて、その口を隠すように持参したマスクを装着する百々。ドローンのコントローラを握って渋い顔をしている見輪を見つめる目が笑っている。小さな顔がますます小さくなる。さらにもう一つのマスクを取り出す。

「誰って。地上絵のメッセージって言ったのはあんただよ。地上絵は誰が、誰に宛てたメッセージなのさ?」

 二枚目のマスクはとんがった嘴がデザインされたものだった。見輪の問いかけに、百々は不敵な笑みを目で訴えて無言のままに嘴マスクを纏った。

 ニット帽から流れる黒髪を右手で一掴み、左手で一掴み、左右につるんと広げれば、そこにフリッパーを羽ばたかせたペンギンの輪郭が現れた。

「知らないわよ。そんなの」

「何言ってんの」

「誰から誰に宛てたメッセージだなんて考えるまでもないってこと」

「意味わかんないって」

「地上から上空へのメッセージに決まってる。そして、ここは地上にペンギンしか生息していない大陸。あとは自分で考えて」

 高度1000メートル。スペクトル分析された地上絵は全貌を見せつけた。左右のフリッパーを大きく広げ、鋭い嘴を空へ掲げた二足歩行の滑らかなフォルムを持った生き物、すなわちペンギンの地上絵である。

 見輪はコントローラを膝に置いた。ドローンの上昇を止めて、意外と警戒心も示さずに近寄って画面を覗き込んでいるコウテイペンギンを睨んで返す。ペンギン、だって?

「そのラインは、ペンギンの祖先が踏み固めたフンなのよ。長い時間を経て土に帰ってしまっても土壌は変質して跡が残り巨大な地上絵と化している。数万年の時間をかけてね」

 南極の氷床に由来不明の色素が大量に付着して謎の模様が描かれていたのを衛星が発見した。それは大規模コロニーを形成していたペンギンたちの大量のフンであった。そんな科学ニュースを聞いたことがある。見輪は百々の演説に耳を傾けてみたくなった。

 何故ペンギンのコスプレをしているのか。それは置いといて、百々が何を語ろうとしているのか。気が付けば、コウテイペンギンたちも百々を中心にサークル状に集まっていた。うじゃうじゃとうろついていたペンギンたちも、嘴マスク、燕尾服を身に付けて黒髪をフリッパーのようにぱたぱたさせる百々のことを大型のペンギンと判断しているように思える。

「あたしたちは南極の支配者であった!」

 黒髪のフリッパーを振り上げる。何羽かのコウテイペンギンがそれに倣って翼を羽ばたかせた。

「前回ポールシフトが発生した時、ペルーのナスカが旧南極点だった。あたしたちはそこから移動してこの大陸にたどり着いた。新南極点であるここに。みんなでフンを踏み固めて地上絵を描く。何のために?」

 百々ペンギンが黒髪フリッパーで見輪を指す。土の上に直で胡座をかいてコントローラを抱いていた見輪は肩をすくめてそれを躱わす。何のことやらさっぱりだ。

「もうわかってるでしょ。この南極地上絵群の全体像を見るには上空1000メートルまで昇らなければならない。つまり、数万年前のペンギンの祖先たちが、地上から上空1000メートル先の誰かにメッセージを送ったのよ」

 百々ペンギンが両方の黒髪フリッパーを振り上げた。演説を聞いていたコウテイペンギンたちも百々の声に熱く反応を返す。遠目で見ればペンギンに見えなくもないヒトと、はるか上空から見ればヒトに見えなくもないペンギンとが、種の垣根を越えて一つの祈りを成就させようと天を仰ぐ。

 その頭上はるか高く、ドローンは高周波の飛行音を奏でてホバリングしている。ヒトよりも優れた解像度と色彩識別能力を有したカメラアイで地上絵を見下ろしている。

「この光景、誰が、いつ見ていたの?」

 見輪は問う。ヒトにでなく、ペンギンにでなく、答えを教えてくれる誰かに。

「ペンギンの視覚は水陸両用。水中でも空中でも高い解像度で紫外線も赤外線も見ることができるの」

 ヒトでもありペンギンでもある百々が誰かの代わりに答えてくれた。

「まだ南極大陸が氷に閉ざされる前に、この子たちの先祖が、空を飛べたペンギンの祖先へ宛てたラブレターだったのよ」

 コウテイペンギンたちが南極ではあまり聴き慣れない音にみんな上空を見上げていた。あるペンギンは嘴をかちかちと合わせ鳴らし、あるペンギンはフリッパーをぺちぺちと打ち鳴らし、あるヒトとペンギンの中間生物はげへげへと喉から異音を発した。

 いつのまにかドローンが降下している。百々の麗しい立ち姿に見惚れて、ついコントローラ操作を忘れてしまっていた。徐々に地上へ舞い降りてくる大出力の大型ドローン。

 その高周波のホバリングノイズは空を飛ぶ鳥の歌声。かつて黒々とした大地であったこの地に降り注いでいた豊穣の歌。その異形は空に浮かぶ平べったい円盤状で、まさに異界から舞い降りた天使のよう。

「見輪、あなたには見える? これがかつての南極の姿! そして、ペルーのナスカのあるべき姿! いずれグリーンランドが見せる緑豊かな未来の極地!」

 ドローンを着陸させる。もうドローンの高感度カメラアイを使って見るまでもない。

「やがてポールシフトによって地球規模での気象再編成が行われる」

 百々が黒髪フリッパーを優雅に靡かせてくるりと回る。天に座する何者かに捧げる舞だ。

「ナスカの砂漠に雨が降って地上絵は掻き消され、南極に植物が芽吹き地上絵は緑に埋もれる。グリーンランドはさらに氷が高く積もり世界最高峰の氷山となる。その時まで、きっと、迎えにくるはずよ!」

「迎えって、誰が来るのよ」

 百々は見輪の手を取って、氷の溶けた南極の丘に二人きり寄り添う。

 砂漠は潤いを思い出し、荒れ土は柔らかく微笑み、草木が生えて一面の緑生い茂る健やかなる大地。ペンギンたちは大きく発達したフリッパーで羽ばたき、第一宇宙速度で空を切り、地球に生きることを謳歌していた。

 ダンスのステップのように百々が見輪を誘い出してくるりと回れば、コウテイペンギンたちも二人の人間をわらわらと取り巻く。それは歓迎か。祝福か。それとも、単なる未知への好奇心か。

「彼らよ」

 百々の黒髪フリッパーがはるか上空を指し示した。

「氷が溶けるのを待っててくれたの?」

 ずどんと音が響くほどに何もない丘陵地帯に、ペンギンの地上絵群が描かれている。かつての南極が氷に閉ざされるよりも前に何者かによって約束された待ち合わせの場。その時が来たのだ。

 百々と見輪、ペンギン・サピエンスとホモ・サピエンスは疲れ果てるまで荒れた土砂漠にて踊った。




 ある夜。見輪が間借りして南極地上絵を研究し、日常生活の場として寝泊まりする共同観測基地周辺で、正体不明の高周波ハムノイズが観測された。

 夏の南極は太陽が沈まない。白い夜が降りる。薄い光に覆い尽くされる観測基地で、南極土壌の研究をしているドイツ人に見輪は耳に馴染みのないドイツ語で叩き起こされた。

「Wach auf, Miwa, steh auf!」

「な、何よ。わっかんねえって」

「オキナサイ! イマスグ、メザメヨ!」

「それならわかる」

 急な日本語変換に驚いて片手を振り上げて応えると、ドイツ人研究者がその腕を掴んで見輪の上半身を引っ張り起こす。明るくて眠れない夜のせいで重たい目蓋をこじ開けて、いったい何事かと同僚の顔を覗く。今度は英語で現状を伝えられた。それを耳にして、見輪は一発で目が覚めた。

「モモがいなくなった。夜の間に、単独で外に出たらしい」

 何となく、そんな予感はしていた。




 時系列順に説明を聞けば。

 白い深夜。コウテイペンギンの最大コロニーに設置していた音波観測器が高周波ハムノイズを感知。

 百々がルームウェアのまま室外へ飛び出して行く姿を基地内の実験観測カメラが捉えていた。

 夜間に基地非常口が開けっ放しになり、警報機が鳴り響く。そして百々の姿がないことが発覚。

 コウテイペンギンのコロニーに設置してある音波観測器がとあるノイズを記録していた。

『アタシモ、ツレテイッテ……』

 そのノイズは百々の声によく似ていた。

 そして、百々が所持しているはずのスマートフォンの電波が途絶えた。




 南極大陸で行方不明になった足柄百々教授の消息は未だ掴めていない。この事案は数万羽いたはずのコウテイペンギンの繁殖コロニーが一晩で消失した事象と並んで、南極共同観測基地での触れてはいけないタブーとなっている。




 大出力ドローンの高周波ハムノイズも頼もしく、高高度から計測された地表のデータは見輪を満足させた。数値化された地表のデータを睨む限り、面積よし、高低差は限りなく少なく、後退しつつある大氷床も問題なし。モバイルPCに記録していた自作の地上絵データと照らし合わせても遜色ない。絶好の地上絵候補地だ。この広さで何もない土壌ならさぞや立派な地上絵を作成できるだろう。

 目標は、はるか高高度、成層圏からでも観測できる地上絵だ。

 左右のフリッパーを大きく広げて、鋭い嘴は天を刺すように掲げられ、二足歩行の生物が大地を闊歩する地上絵。

 百々たちが帰ってくる時、迷わないよう、道標となる立派な地上絵を描かなければ。

 少なくともこれから数千年、ポールシフト後も環境に激しい変化が訪れない悠久の土地で。

 はるか高みを飛ぶドローンを探して空を見上げる。グリーンランドの空はあまりに高く、全域を見通せない。よく澄んでいるが、どこか不穏な青さだ。見輪は誰に言うともなく呟いた。

「グリーンランドにペンギンの姿がないのは納得いかんね」

 見輪はひとりぼっち、空は高く。ポールシフトまであと三千年。

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