いつか君への愛を伝える為に
ニイ
第一章 ラング村編
第1話 やあ、大丈
「9978、9979、9980……」
澄み切った青空の下、木々のざわめきが微かに響く森の広場。その静寂を破るように、ひとりの男が黙々と鍛錬に励んでいた。
両腕に担ぐのは、人ひとりでは到底持ち上げられぬ巨木。
幹には無数の年輪が刻まれ、表皮は剥がれかけ、乾いた樹脂の匂いを漂わせている。
その巨木を肩にのせ、中腰になっては立ち上がる。
繰り返すたびに土が沈み、足元の地面には深々とした足跡が刻まれていく。
額から滴り落ちる汗は陽光を受けてきらめき、頬を伝って顎から落ち、衣服をじっとりと濡らしていた。
隆々とした手足はまさに大木のごとく逞しく、肩幅は山脈の尾根を連想させるほど広い。
「9990、9991、9992……」
男は数を刻む声を淡々と響かせ、ひたすら前を見据える。
鍛錬は彼にとって呼吸や食事と同じ、日常に組み込まれた営み。
疲労の色は欠片もなく、その瞳はただ淡々と目的を追い続けていた。
「9998、9999……10000っ!」
最後の一回。
腰を上げる反動を利用し、巨木を天へと放り投げる。
枝葉が唸りを上げながら空を切り裂き、日差しを一瞬遮った。
その落下の軌道を正確に見極め、男は渾身の膝を叩きつける。
――ベキベキッ!
大地にまで響く轟音と共に、巨木は中央から真っ二つに裂けた。
飛び散った木片が地面に突き刺さり、土煙が辺りを覆う。
満足げに額の汗を拭った男は、大きく息を吐いた。
「ふう……今日のトレーニングはここまでにしておくか。あまり遅くなると怒られるしな」
腰の水袋を取り出し、喉を鳴らして一気に飲み干す。
冷たい水が乾いた体を潤すと、荷物をまとめ帰り支度を整える。
その時だった。
「きゃ――――っ!」
澄んだ空気を切り裂くような女性の悲鳴が、森に反響する。
風がざわりと木々を揺らし、不吉な気配を運んできた。
その声が耳に届いた瞬間、男は迷わず走り出していた。
卓越した聴力で声の方向を即座に把握する。
長く暮らしたこの森は、彼にとって庭のようなもの。
土を蹴り上げ、大地を踏みしめるごとに地面が震え、風が裂ける勢いで駆け抜けた。
やがて視界に飛び込んできたのは――貴族服に身を包んだ身なりの良い少女。そしてその前に立ちはだかる巨大な影。
全長は五メートルを優に超え、背筋を凍らせるほどの存在感。
鋭い爪と牙、岩のように盛り上がった筋肉、全身を覆う茶褐色の毛。
外見は熊に似ていたが、紫の禍々しいオーラを纏うその姿は、ただの獣ではなかった。
(魔物か……どうしてこんな場所に? 熊型の魔物……やれるか?)
逡巡は一瞬。
男は速度を緩めることなく、一直線に魔物へと突進する。
数瞬ののち、凄まじい衝突音が森を震わせた。
そして次の瞬間――魔物の胸部に大穴が穿たれ、肉体は内側から弾け飛ぶように消え去った。
残ったのは風切り音と、男が駆け抜けた後の轍のみ。
急停止し、男は少女へと振り返る。
ブロンドの髪は日差しを受けて金色に輝き、澄んだ蒼い瞳は驚きに見開かれていた。
気品漂う美しい顔立ちに泥の汚れがついてはいたが、怪我はない。
本来であれば、今の光景は英雄譚そのものだった。
だが――魔物を貫いた代償として、男の全身は濃厚な体液にまみれ、笑顔を浮かべた姿は不気味に映る。
少女の目には、それは新たな脅威の出現にしか見えなかった。
(弱い魔物で助かった。彼女も無事そうだし……よし)
「やあ! 大丈――」
少女を安心させようと声をかけかけた、その瞬間。
「きゃ――――――っ!」
先ほどよりも大きな悲鳴が、再び森に木霊した。
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