21. 獣害の悪兆4
*****
「……た通り、警邏の連中にゃ居ないって突っ返したけど。ほんとにクラムが……」
「大丈夫だ、ラミーサ。もう話は通した。彼女に茶でも出したら、いつもの仕事に戻ってくれ」
扉越しにくぐもった会話が聞こえ——扉の開いた音に、ベッドの上に蹲るクラムは、びくりと背を跳ねさせた。これ以上無いほどに背を丸め、脚を縮める。部屋に入った足音は、まず窓へ向かったようだ。頭から被った布越しに明るくなる視界を追出すように、クラムは強く目を瞑る。何者かが座ったのだろう、ベッドが軋み——
「やってくれたな」
まるで落ち着き払ったサービクの言葉に、クラムは身を凝らせた。
「バラドフは何とかした。まあまあ金はかかったが、あいつも見込みがある。……あいつめ、治るやなんと喚いたと思う? 『あのサマ野郎、とことん力を隠していやがって!』、だそうだ。面白いだろう。あの傷はまあ、目立つが。あの男なら気にすまい」
サービクはそこで言葉を切った。長く吐かれる息の音と共に、薄い布越しにもサービクの好むいつもの水煙草に似た、より焦げた苦みのある、甘く煙る香りが漂い始める。
「気の毒なのはフールーシャだな……ああ、判るか? あそこの主人だ。あれは当面、営業が無理だぞ。血があちこち飛び散り過ぎた。それにヨルズの治癒手であることも晒された。まあ、三十年はのんびりと隠し通したのだから、忙しくなってもいい頃合いだろう。昔に、なんと言っていたか……『もう命の責任を託されたくない』、だったか。それで店を貸してやった。精神に見合わない、身に余る力があるというのは難儀なものだ」
滔々と続けられた言葉が、また途切れる。そしてまた、息の細く吐かれる音がして、香りが濃くなってゆく——。
「それで? この他に何か、聞きたいことはあるか?」
問いかけに、クラムは答えることができない。聞きたいことははっきりしている。『俺はなんで、どうなってしまったのか』、だがそれを口にするのが恐ろしい。認めてしまうのが——……ひと吸い、ひと吐き、サービクは「まあ、勝手に答えるとしよう」と呟いた。
「まず、造血が吸血されたところで普通は、こんなことにはならない。相手が吸血種であってもだ。そうであれば造血種という種自体が管理されるか、根絶されている。吸血種に対して裏切りやすい性質となる上に、吸血種の戦力としても成り得てしまう存在など……ただでさえお前たちは潜在的に殖え易いのに、厄介極まりない」
声色の甘さにまるで反する、冷淡なサービクの言い様に、クラムは歯を噛み締める。己の、造血種の、この社会における当たり前の立ち位置を。そうでないものの口から無遠慮に語られることのなんと惨めで腹立たしいことか。耳を塞ぐべく伸ばしかけた両の手が、続くサービクの言葉に留められた。
「だが、クラム。お前に起きていることが、まさにそれだ。然るに、お前は力が突然湧いたというより……力を分けられている。私の推測は合っているかな、ディアン。間違いがあれば教えて欲しいところだが」
「……正確ではない。だが確かに、我がノート(夜の力)が作用している」
——思わぬ者の声に、クラムの鼓動が跳ね上がった。銀の瞳が大きく見開かれる中、低く落ち着いた声がぼそぼそと言葉を続けていく。
「血の増え、興る力は、お前たちに元々備わる、ヨルズの力だ。……元来、銀眼の者はこれが生来不安定だった。一度均衡が崩れれば行き場無く暴れ、苦しむ。だが——」
「お、前」
起き上がりざまに、布を跳ね上げて——日の明るさが瞳に刺さるようで、クラムは反射的に瞼を強く瞑った。戦慄く視界の中、ベッドに座って長煙管をくゆらすサービクと、いつもの気味の悪い姿勢で立つディアンが映る。あいつの力。あいつのせいで。そう、初めからすべてあいつに会ってから——!! クラムは瞳に怒りを宿らせて、確と眼を見開いたまま立ち上がると、ベッドの上を一足に駆け、ディアンの胸ぐらにつかみかかった。
「お前のせいで!!」
「クラム」
サービクの心底呆れたような声色が、クラムの耳朶を耳障りに叩いた。
「今、そこはどうでもいいことだ。折角、吸血種の神髄の一端を聞き出せそうだったのに」
「——ど、どうでも……どうでもいいことあるか!! こいつのせいで俺はあんな——」
「……私に酷いことを言わせるな。本当に分からないか? それとも、忘れてしまったのか」
銀の瞳を爛々と燃やして己を見下ろすクラムに——つい先日の、極めて凄惨な事故の下手人に見下ろされようと、サービクは露とも気圧されていない。紫檀に冷徹な陰を宿し、唇の端を美しく笑ませたまま、サービクはクラムに言い放った。
「銀眼になった瞬間から、およそまともな人間ではない。違うか?」
……クラムの手が震え、力が抜け、落ちる。それは……それにだけは、何を言い返すこともできない。己を見る人々の眼差し、言葉、態度、対応——その全ての端々にそれは時折、覘く。幾度も言葉を尽くし、どれだけ否定しようと——己の自認などまるで関係なく、そのように扱われた。身体がそのようになったことを思い知らされた。……ああ、確かに、少し人間扱いされ過ぎたのかもしれない。あれだけ散々、理解したのに。
何を言おうとも。どう抗おうとも。己は『外れて』いる。そのようにしか——見えないのだから。
膝をついたクラムが項垂れた、その時。
「もっと優しく言ってやれないのか、あなたは」
軽やかな声が、響いた。
すぐに部屋の扉が開き——声を反射的に見やったクラムは、顔を向け、目を見開く。しなやかな流線を描き、全身を余さず包む灰甲冑。髪も顔貌も覘かせぬ灰の兜。忘れよう筈もない——あの廃城の地下で出会ったあの英雄が、まるで場違いに、そこに現れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます