11. 砂まみれの喧騒街、バルドゥン4
*****
あたたかな日差しの下、並足で幌馬車が進む。荒野の風景は、砂地に草地が交じり、岩地が林に変わる。街道を北西に、草原国の境に近づくにつれ、辺りは少しずつ様相を変えつつあった。そんな風景に見向きもせず、クラムは荷袋を枕に、荷台を背に寝転がっている。時折、馬車が石を踏みつけては、背に直に伝わる衝撃に呻き——それでも寝転がる姿勢を崩そうとはしない。
(……引き受けちまったなぁ)
首を触り、紐を手繰る指先が黒檀の牌に触れる。それを己の眼前にかざし……己には読めぬ文字の刻まれた木札を手放し、クラムは腹の上に手を落とした。
『負け犬はしばらく休業しろ』
『同じ飼い犬でも猟犬のほうが、良い暮らしができるぞ』
猟犬——そのように揶揄される『猟兵』とは、まともな職にありつけなかった戦士・兵士が行き着く生業のひとつだ。街の自警団が街の内を警邏するのに対し、猟兵は街の依頼板や酒場経由の依頼を受けて、街の外の厄介事にけしかけられる。国に訴え出ても後回しにされ、街の依頼板に貼り出されても誰一人手を付けない。そんな仕事を、期限が過ぎて黄ばんだ紙を毟り取って残飯処理をする……それが猟兵だ。
なるほど、貧民街で細々と燻っているよりはマシな暮らしが出来るだろう。かといって誇れる仕事でもない。盗掘者まがいの冒険者より自由も夢もなく、さらに言えば、文字通りの『汚れ仕事』も少なくない。死体の詰まった沼地を浚う、亡骸の確認のために墓を掘り起こす——常人の神経であれば忌避するそれらを、「命令された犬のように、何でもやる」「犬のようになんでも食らう」。猟兵の揶揄される『猟犬』とは、大方このような意味をしている。
確かにバルドゥンのような街にこそ、猟兵は数多く居る。しかし猟兵を雇うパトロンの一人がサービクであるとは、長い付き合いを自負するクラムも知らぬことだった。
『元が泥を啜っているような連中だ。報酬が低いだの、汚いだの、そういう仕事も喜んで酒代にしてくれる』
サービクのいけ好かない訳知り顔を思い出しながら、クラムはげんなりとため息をつく。
(まあ考えてみりゃ、効率はいいよな……賭け試合で動きがいいのを見繕って、声かけりゃいいんだから)
にしても。クラムは瞼を閉じたまま、目を顰めた。
己がそういう観点で見込まれたとしても、こうして猟兵を持ちかけられるまで十余年だ。まして、発作が「どうにかなった」のはまるで偶然の産物にすぎないというのに……お得意の『運命』で、そこまで待つのを決めたとでも言うのだろうか。
(どういう時間感覚で人の人生みてやがんだ、あの爺……薄気味悪ぃ)
そして薄気味悪いと言えば、だ。
クラムは寝そべったままの顎を少し引き、己の座席の対面を見た。……乗り始めた時と同様、己に顔を向けたまま微動だにしない青白い大男——襤褸のままよりはマシだろうと、値切った大きく薄いタペストリーに、ボタンと紐留をつけ羽織らせた——吸血種と視線が合う。クラムはすぐさま頸を下げた。
クラム。あー……あのよ。自分の名前言えるか?
大男。…………。
クラム。……じ、自分の名前を、『言え?』
大男。……ディアンだ。
クラム。あ、ああ、なるほど? ……あんた、吸血種だよな?
ディアン。…………。
クラム。きゅ……吸血種なら、『「そうだ」って言え?』
ディアン。そうだ。
クラム。なるほど……あー……やっぱそうなんだな。あのー……俺の事守ってる、か?
ディアン。…………。
クラム。めんどくせえな……!
ディアンとの問答は、一事が万事この調子であった。それでもクラムはなんとか、サービクに渡された羊皮紙片面分、ディアンの情報を書き出すことができた。名前が「ディアン」であること、紛れもなく吸血種であること。街の人間を無暗に襲うつもりはないこと。クラムを助けたのは「それが役割」であること……例えばクラムの命令で戦うのに、異議はないこと。
これだけのことを聞き出すのに、圧倒的な無言と、要領を得ない解答を聞かされ続けたクラムだったが、彼なりに気づいたことがあった。このディアンという吸血種は、どうにも。
(……考えてねえんだよな。鍋底を叩いたから、跳ね返って響く音がするみてえな……俺と喋ってねえ感じだ)
とすれば、
(こいつ、なんか勘違いしてんじゃねえか……俺と、誰かと)
半ば確信をもってそう考えてしまうほど、クラムはこの男にまるで見覚えがない。まして、守られる心当たりなどあるはずもない。だというのに、あちらはこちらを守ることについては妙に確信的なのだ。……クラムが猟兵をする上で、なんとも都合のいいことに。
(……気味悪ぃなぁ……)
つくづく、もう何度目かもわからない結論に浸りながら……幌の内側を眺めるのにも飽き、クラムは無理やりに眼を閉じた。初依頼の行先——荒野と草原境に近い辺境の村まで、まだ少しかかるだろう。
*****
うとうととした眠りの中に、先日の、サービクとの最後のやりとりが思い出される。
『ここで燻り続けるよりは日が当たる仕事だ。何より困っている、弱っている何かを守る、というのは——貴い仕事だ。違うか?』
その言い様は、あまりにも俺に『刺さる』言い方だった。俺はきっと、いや間違いなく嵌められている。サービクに話した覚えはない。とはいえ、酒で誰かに洩らしていないとは言い切れない、俺が兵士になった理由。騎士に憧れた理由。
まるで子供の頃に好きだった、揚げたての小麦菓子が熱いシロップに浸されて、滴りながら、目の前に差し出されている——
『……それ、断れるやつか? 断れないやつか?』
それでも、俺は手に取れなかった。それは、もうとっくに俺のものじゃない。命令なら受け取れるんだ。それはサービクの意志であって、俺の意志じゃない。
サービクは、言った。
『お前が選ぶものだ』
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