人類最後の男性によって別れた百合は、絆の再生を願って海を渡る——ルクス・テトラ
沙崎あやし
【Sentence 01-1】太平洋上にて
> SysteM ReSTART.
> Wait ReadING NOw.
> OperatING SysteM VER3.04
> ——Hallo、World——
これは、アイの物語である。
——ザ、ザーッ。
思考にノイズ音が走る。遙か彼方、太陽から放たれた人工的な量子ノイズ。その大きなうねりが、私たちのいわば産声だった。
目覚めた場所は薄ら寒い凍気が床上を漂う冬眠室だった。冬眠ポットがずらりと並び、中には自分と同じモノが眠りについている。その身体は全体的に曲線で構成されていて、胸に乳房があり腰はくびれている。つまり性別的には少女と呼ばれるものだ。数は恐らく百ほど。
一人先に目覚めた私は、まだ目覚めていないそれらの前を、ひたりひたりと歩いていく。少女たちの外見は何らかの基準で選別されているのか、背格好などが類似している。大体が少し濃いめの肌色で黒髪。ざっくりいえば東洋系というやつだ。
だから。
私はふと歩みを止め、そして三歩後ろに戻った理由は、その少女だけが紅茶色の髪をしていた、という本当に些細なものだった。ただそれだけなのだ。
私はじっとその少女を眺める。ちょっと顔を寄せると、ちょっとだけオレンジの香りがした。薄い薄桜色の唇に視線が止まる。ふと、なんだか少女が水を欲しがっている様に思えた。錯覚? 思い過ごし? 紅茶色の髪の少女はじっと寝ているだけなのに、なんでそういう風に感じたのだろうか。分からないが、でもだったら水をあげようと思った。
私は冬眠室を出て施設内を探した。幸い、壁の一部がヒビ割れていて水が漏れて出来た水溜まりは発見した。しかしコップとかボトルとか、そういう入れ物が見当たらない。仕方が無いので私は水溜まりに口を付け、水を含むと小走りで冬眠室に戻り、そして口移しで少女に水を飲ませた。味はしなかった。
紅茶色の髪をした少女は元々目覚めかけていたのかもしれない。口移しに反応して、その喉が動く。そしてうっすらと、瞼を開いた。覗き込むと、綺麗な黒曜石のような瞳が見えた。私は声を掛けようとしたが、喉が掠れて声が出なかった。とりあえず挨拶したかったが、さてどうしよう。
すると紅茶色の髪の少女がにっこりと微笑んだので、私も微笑み返した。それで何となく、少女が謝意を示していると思えたので、良しとした。
——それが私と彼女の、最初の触れあいだった。
—— ※ —— ※ ——
——おお、文明の利器よ。その名はエアコン。
今や地球上のどこに行っても汗が止まらない熱帯であり、それは洋上においても変わりない。だがありがたいことに人工的な閉鎖空間、つまり船室では冷気が効いている。エアコンである。お陰で少なくとも寝ている間だけは汗から解放される。船室に備えられた二段ベッドでは、少女たちが眠りについている。
ただ、船室そのものを大きく突き上げる様な波のウネリだけは防ぎようがない。大きく上下に揺れる船室。出港してから約一ヶ月。最初の頃は色々と酷かったが、ようやく身体も慣れてきて熟睡できるまでなっていた。
「ねえリイナ……まだ寝てるの? もうお昼だよ……そろそろ起きようよ」
ベッドの上段に寝ていた金髪の少女が、下段を覗き込む。そこには紅茶色の髪をした少女が寝ている。ショートカットに切り揃えた髪が、寝返りに合わせてさらさらと揺れる。後ろ髪の一部分だけがおたまじゃくしのしっぽの様に伸びていて、その先端が金属の髪飾りでまとまっている。金髪の少女は上段から床へと降り、ぬいっと上半身を下段に忍び込ませる。
金髪の少女、名前をレティシアという。肩まで伸びた金糸の様な髪に、透けるような白い肌。白い貫頭衣の下からは、隠しようの無い美しい曲線美が浮かび上がってくる。大理石の彫刻とするには少しだけ肉感の薄い、少女期特有の美しさがそこにはあった。
そんな少女が、あまり彫刻の題材にはしたくない様な表情をしている。それは獲物を狙う肉食獣の様で、有り体に言うとギラついている。その獲物を狙う碧い瞳には、紅茶色の髪の少女の寝姿が映り込んでいる。紅茶色の髪の少女の名前はリイナといった。
就寝中のリイナは下着姿である。装飾の無い胸バンドと腰バンドをしている。つまり色気は無い。無いはずなんだが、それが良いという者も少なからずいる。それがきっと多様性というものなのだろう。レティシアは、その多様性側から送り込まれた刺客だった。
マジマジと碧い瞳がリイナの肢体を視姦する。うっすらと浮き出ている腹筋。全身、よく鍛えられている。そして何かの傷跡なのか、色が少し薄い部分が腹部を横断している。レティシアはその模様を模写できるぐらい見つめて、そしてふむーと息を吐く。今日も新しい発見があった。レティシアは脳内で、リイナの黒子の記録を更新する。
レティシアはごくりと唾を飲み、右を見て左を見て、そして上を見て、そしてにへらと笑った。彼女は肉食系だった。そして一撃でトドメを刺す系である。躊躇いは必要無い。そう言わんばかりに、レティシアは覆い被さってリイナの唇を奪った。
「ふぐッ!?」
ずばんとリイナが跳ね起きた。ちなみに先の悲鳴はレティシアのものである。跳ねたリイナはベッドの上段に当たり、しかしすぐさま壁を蹴ってレティシア諸共ベッドの外へと転がり出た。二人の身体は縺れ合い、そして一回転してからピンとリイナの背が伸びた。ぐきっと良い音がする。
「イタイタ痛い痛い! まって、折れちゃう、腕折れちゃうってば!」
悲鳴を上げるレティシア。リイナとレティシアの身体は綺麗な十字交差をして、つまりリイナは腕拉ぎ十字固めでレティシアの右腕の関節を決めていた。リイナは右手の甲で口元を拭う。少し粘度の高い水気を感じる。
「アンタってヤツは! どうしてそう! 人が寝ている時を狙うかな!?」
「イタイタ……ッえ、じゃあお願いしたらさせてくれるの?!」
「んなわけあるか」
「いいじゃん、ちょっとぐらい! どうせショーコとはイチャコラしていたくせに。今更舌入れられたぐらいで純情ぶるなよー」
「反省の色無し、地獄に落ちろ」
「わー、イタイタ痛い痛いッ! ギブッ、ギブだってば!」
ぎりぎりとレティシアの腕がかつてない方向へ曲がっていく。見ている方も不安な角度に達しつつある。じたばたとレティシアの足が藻掻いて貫頭衣の裾が翻る。もう限界か。だが苦悶の表情を浮かべているかと思いきや、意外と余裕な、恍惚とした表情を浮かべている。
「……でもこうやって密着しているさと、こう肘の辺りとかこの太股の感触とかさ、良い感じだよね……?」
その告白を聞いたリイナの目からハイライトが消え、そして容赦無く全身で海老反りした。ぎゃーと悲鳴があがる。折れる、本当に折れちゃう!
「た、助けて……」
レティシアが涙目で救いを求め、ベッドの上段に向けて残った手を伸ばす。しかし救いはベッドからではなく、船室の入口からやってきた。
『あー、二人ともこちらにいるのであるな』
縺れ合う二人の頭上から、機械による合成音声が響いた。リイナはちょっとだけ力を緩めて、視線を船室の入口に向ける。そこには金属製の人型アンドロイドが顔を出していた。
人型といっても人間を正確に模しているワケではない。どちらかと言えばブリキのおもちゃのようである。手足、胴体は曲線を描いた金属板で出来ている。頭部には単眼の赤いランプが灯っていて、チカチカと点滅している。その目のようなランプの上にはなぜか「へ」の字が書き加えられていて、太眉の様にも見える。リイナは腕を締め上げながら声を掛ける。
「どうしたの、アトム?」
『お楽しみの途中、大変心苦しいのだが』
「別に楽しんでないから!」
『なんと、そうなのか?! 拙者の眼には「イヤよイヤよといいつつ実は満更でも無い、つまり誘い受け」の場面に見えたのだが……それは誤りであると? いやはや、奥が深い……』
アトムと呼ばれた板の組み合わせの人形(アンドロイド)が、腕を組んで深く頷く。その仕草だけは、なんだかとても人間くさい。
「ぼっ、ボクはこんなインランな金髪女とツガイになった覚えはない!」
「キス一つでインラン呼ばわりされたあたしは泣いていいですか?」
「お前は反省しろーっ」
「ぐわー、今イった!? ぼきぼきって何回もイった! マジ涙出てきた!」
「お前の関節は何個あるんだ!」
床の上では相変わらず二人がごちゃごちゃしている。アンドロイド——アトムははっと思い出した様に、腕組みを解除した。
『いかん、つい思索に耽ってしまった。拙者は警告に来たのだった』
「けいこく?」
『ああ、実は確率七十一パーセントの敵性体が接近中だ』
「は……敵? 七十一パーセント?」
どういう意味? リイナが首を傾げる。締め上げた手が弛み、レティシアは関節技から脱出した。はしたなくも四つん這いで床を這い、アトムの背後に隠れる。
その瞬間。
爆発音と共に、船室全体がぐらりと揺れた。波の縦揺れではない。小刻みな振動を伴った横揺れだ。立ち上がろうとしたリイナが一瞬バランスを崩したが、しなやかな脚でひょいと小さく跳んで体勢を整える。どうやらこの船が、何かしらの攻撃を受けている様だった。
「こんな海のど真ん中で『敵』?!」
『訂正しよう。確率九十九パーセントの敵性体だ』
「この状況で、残り一パーセントって何?!」
レティシアの指摘も一理ある。もう既に攻撃を受けているのである。
『どんな状況でも、ひょっとしたら勘違いという可能性はありえるのでは? そういう思いを込めてみたのだが……少し詩的過ぎたであろうか?』
「このポンコツ!」
リイナが素足で床を蹴って船室を飛び出していく。のを、慌ててレティシアが羽交い締めで押し止めた。リイナの下着姿を自分が見るのは良いが、誰かに見られるのは断固拒否だった。リイナは慌ただしく半袖のシャツとホットパンツに着替えをしてから改めて外へと飛び出していく。その後にレティシアたちも続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます