第六話 とうもろこしごはんと送り火の精

 静かな夏の宵だった。蝉の声はとうに止み、代わりにどこからか太鼓の音が聞こえてくる。町のどこかで、盆の送り火が焚かれているのだろう。ツムギは開店準備をしながら、火の粉が闇に消えるさまを思い浮かべていた。


 誰かを送り出すのは、何度やっても慣れることはない。けれどその度に魂の灯が一つ、ちゃんと輪廻に戻っていったのだと思えば、ほんの少しは救われる気がする。


 そのとき、店の引き戸が開く音がした。


「こんばんは」


 現れたのは、まるで人形のように儚い少女だった。小さな身体に、薄桃色の浴衣。足元には、うっすらと霞がかかっている。


「……送り火の、方?」


 ツムギがそう尋ねると、少女はふわりと笑って頷いた。


「はい、わたしはトウカと言います。お盆の終わりに、魂たちを導くのがお仕事です」


 トウカと名乗ったその少女は、あやかしというよりも、夏そのものの気配を纏っていた。涼やかな風のような声と、微かな焚き火の匂い。けれどその瞳の奥には、幾千もの別れを見届けてきた静かな深みがあった。


「今夜はわたしの火も、ここで終わるようです」


 トウカの言葉に、ツムギは目を伏せた。


「最期の晩ごはんに、何か食べたいものはありますか?」


 トウカは少し考え込んで、やがてぽつりと答えた。


「…とうもろこしのごはんが食べたいです。とても昔、人間の女の子と一緒に食べたおむすびの味、なんです」


「そう。とても良い思い出なんですね」


「はい、とても温かかった」


 ツムギは小さく頷いて、カウンターの奥に立った。とうもろこしの皮をむいて、包丁で実を切り落としていく。浸水した米に塩を混ぜ、とうもろこしの実を上に広げてから蓋をして火にかける。時折、火加減を調整しながら炊き上げ、最後に火をとめてしばらく蒸らしたら、とうもろこしごはんの完成だ。


 湯気の立ち昇る炊き立てのごはんに、甘く弾けたとうもろこしの黄色い粒が眩しい。一緒に出汁のしみた茄子と茗荷みょうがの冷たい味噌汁を添えて、カウンターに運んだ。


「いただきます」


 トウカは手を合わせ、一口頬張って、目を細めた。


「…うん、まるであの子がここにいるみたい」


 昔々あるところに、盆の送り火の最中に迷子になった幼い少女がいた。外はもう真っ暗で、唯一の灯りといえば送り火の火だけ。両親を探して泣きじゃくる少女に、薄桃色の浴衣を着た少女が声をかけた。


 二人で並んで座って、迷子の少女の両親が探してくれるのを待つ。その間、迷子の少女はたくさんのことを話した。そして突然、『お腹が空いた』と、肩から下げていた鞄から包みを取り出した。


 ――途中でお腹が空くかもしれないからって、おかあさんが持たせてくれたの。


 その包みの中には、小さなとうもろこしごはんのおむすびが二つ入っていた。少女たちはそれを一つずつ一緒に食べた。


 やがて迷子の少女の両親が迎えに来てくれて、そのときにはもう浴衣の少女はいなくなっていた。


「女将さんは不思議な人ですね。わたしの記憶の味を再現してくれているみたいです」


 トウカの言葉に、ツムギは肩を竦めてみせた。


「思い出の味は、素材より気持ちの方が大事なんです。私自身、そう気づかされました」


 トウカはしばらく黙って、ツムギの横顔を見つめていた。


「あなたは昔、人を喰らっていたと聞きました」


 その言葉に、店の空気が一瞬静まった。けれど、ツムギは否定しなかった。


「……ええ、たくさんの魂を。けれど、それをやめて…やっと今、こうして『送り出す』側になれました」


「あなたを変えてくれた人がいたんですね」


「…そうですね。ただただ飢えていて何も持っていなかった私に、温かさを与えてくれた子がいたんです」


 トウカはゆっくりと、とうもろこしごはんを食べ終えた。


「わたしたち、どこか似てるのかも。あなたもわたしも、送り出す側。終わらせることを、救いとする存在なんですよね」


 トウカが立ち上がると、その足元から小さな火がゆらりと立ち昇った。それはやがて灯篭の火のように揺れ、彼女を包み込み、輪郭を溶かしていく。


「ありがとう。これでちゃんと帰れます」


 トウカはそっと手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


「――はい。いってらっしゃい」


 そうしてトウカは静かに、ともしびのように消えた。器に残された一粒のとうもろこしが、夏のなごりのように、そっと輝いていた。

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