XXI 到達地点
夢……じゃない。
ぱちり、と目が覚めて飛び起きる。ここは家。自宅。めっちゃ朝。隣には、新しい枕をちゃんと使って寝ている慎作さん。その首筋から胸元に残る、キスマークと噛みついた痕。いくつか加減を間違えて痛々しいものもあれど、ほとんど全てが「昨夜めちゃくちゃ激しいセックスしましたよ」とニヤニヤ笑っているかのようにいやらしくついている。やや乱れた布団をそうっとめくる。裸で寝ている慎作さんの腰には手形。だらしなく投げ出された脚の内ももにもキスマークと歯型。
あ、俺が、やったんだ。そうだ。
昨日はとんでもない夜だった。本当に。俺もちょっとおかしくなってたけど、慎作さんはほんとうに酷かった。酷く乱れた。獣どうしが噛みつきあうようなセックスをして、それで……
なんだか、やっと俺は童貞を卒業したような、そんな気さえしてきた。
慎作の真似をして、慎作さんの言語に降りる。慎作さんを演技で油断させて、ガッツリ性行為の主導権を握って、愛していると全力で伝える。所有印を刻みまくる。愛しているどころの騒ぎではない。あなたが欲しい。あなたを喰ってしまいたい、そのゆらゆらした存在を丸ごと俺の胃に納めて閉じ込めてしまいたい。俺のせいで、あなたが痛みも快楽もある人間であることを思い出してしまえばいい。そう思ってぶつかったら、やっと、なにかが、伝わったような。
だがしかし、慎作さんの好きなタイプの燃え上がるような激しいセックスになっただけで、本当は何も伝わっていないかも。だめだ、何も分からない。昨夜の慎作さんのことを思い出そうとすると、その仕草や囁きや嬌声に込められた本音を精査するより先に、エロかったなあ、が勝つから俺の頭は馬鹿で嫌だ。
『けーすけぇ♡ね、お願い……奥までシながら首、絞めて……♡』
何回も名前を呼んで、もっともっととねだってくれたけれど、首を絞めてくれ、殴ってくれとの要望には応えられなかった。その代わりに牙を立てた。キスマークをつけた。慎作さんの要望には応えなかったけど、それもっとして、って求めてくれた。最後は形勢逆転されて散々ぶつかってきてくれたような。
慎作さんは笑っていた。何度も行為中に声を上げて笑って、ぽろっと涙を零していた。痛かったわけじゃないらしい。
『ふふ、ね、けーすけ♡俺の事、好きなの』
『うん』
『……好きなんだなあ、ほんとに好きなんだあ、わはは』
『うん』
そうやって、時折うれしそうに泣いていた。
行為を終えたあと、慎作さんは久し振りにしおらしくなって俺の手を弱々しく握っていた。俺はあの時、かつてコインランドリーで俺の服の裾を握って泣いていた慎作さんのことを思い出してた。
『けーすけ』
『うん』
『ごめんね』
『なんで謝るの?』
『おれさ、ほんとにダメだから』
『あなたのどこがダメなんだ』
『おれは……お前を、愛してるよ』
『そのなにがいけないっていうの?』
『……ごめんね。けーすけ。愛してる』
まるで今すぐふっと消えてしまう人、明日死ぬ人みたいな事を言ってたけど、慎作さんは消えなかった。シャワー浴びて、お金払ってチェックアウトして、かったるい身体を引きずって深夜のホテル街を二人でずるずる歩いて、二人で家に帰った。ちゃんとくたびれた身体で服を脱いで、俺だけパジャマに着替えて、慎作さんは裸のままで、布団を敷いて、新しい枕を開封して、泥のように眠った。慎作さんは決してどこにも行かず、逃げも隠れもせず、新しい枕に美しい寝顔を押し付けて眠っている。まだ死んでない。今も。
薄い頬の肉が歪んで潰れていて、長い睫毛には一部寝癖がついている。薄い唇は半開きになっていて、自然な呼吸をしているけどたまに鼻がかわいい音を鳴らしている。昨日たくさん泣いたからやや詰まっているのかもしれない。目元はもともとある酷い隈の上に薄紅色の赤みが差していた。緩やかに上下する骨の目立つ肩にも、俺の着けた噛み痕がある。しかも、多分初めて俺の方向いて寝てる。いっつも向こう向いてたのに。生きている人の寝姿をしていた。
「慎作さん」
起こすつもりもなく、小さくぽろっと零れ出るように俺はその名前を呼んだ。やっと慎作さんがこの世界に留まった、ような気がしたから。
「……んん……」
そして慎作さんは、幼子がむずかるように唸って、眉に皺を寄せた。え、返事したの、今。俺に?あ、でも寝てる。ちゃんと深く寝てるんだ、この人。
ああ、そうか。慎作さんはきっと、昨夜やっと、初めて俺の恋人として眠ったんだ。そして今朝、初めて俺の恋人として目を覚ますんだ。
それだけのことが、堪らなく嬉しくて、同時に張り詰めた恐怖がどっと崩壊するような安心があって。
俺は泣いた。もう大人なのに。でもなんか、グズグズするような子供の泣き方じゃなくて、静かに涙が出てくるタイプのやつだった。
俺、怖かったんだ、ずっと。慎作さんのことが、というか、慎作さんの目を離したらふっと死にそうなとことか、生きてんのか死んでんのかわかんない感じとか、どうしようもなく傷ついてもう治らないんじゃないかってとことか、ずっと怖かったんだ。でも、やっと始まる。別にもうなにもかも大丈夫になった訳じゃないけど、これからは、全部良くなるし、俺が良くするんだと思った。ちゃんとこっちに行こうって歩いて行けると思った。それがどこへ向かうのかはまだ分からないけれど、きっと辿り着けると思えたんだ。たった今。
静かに布団を出て、大きく伸びをした。昨夜めちゃくちゃセックスした身体は重だるくて疲れてて、でも魂のところが随分軽い。よし、と頷いた。もし……慎作さんが、何を言い出したとしても、俺は負けないぞ。だって俺は慎作さんのこと、愛してるから。
「んー……けーすけ……?」
慎作さんが寝ぼけ眼で俺を探している。かわいい。
「慎作さん、おはよ」
「………………おはよう」
慎作さんは、自分の裸を、愛された痕まみれの身体をすうっと見下ろして、たっぷり迷ってから────やさしく、やわらかく、しょうがねぇなぁって顔で笑った。
低血圧で真っ白なそれは、恋人の顔をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます