分類できるかストルゲー
「けーすけ、ねぇ」
「や、でも、あの、学校」
「いーじゃん、ガッコーなんてさ、一日くらい休んだとこで世界は終わんないよ。けーすけは真面目だからさ、たまにはいーじゃん。ね?」
「あの、ごめんなさ、い……!いってきます」
バタバタとリュックを鷲掴み、俺は慎作さんの湿度を持った生温い手を振り切って靴を履いた。
「…………そっかあ。ごめんな、無理言って。いってらっしゃい」
すとん、と諦めたような声に、ぞくりと背筋が震える。
「あの、違うから。慎作さんが嫌いなんじゃないから。今日の夜も、お話、聞かせてくださいよ……約束」
「うん、分かってるよ。約束通り、今夜は俺のラブ♡の話をしたげようね。ほら行った行った」
「…………うん、いってきます」
「はいはい」
振り返らないように家を飛び出して、転がり落ちるようにアパートの階段を駆け下りて───どっどっどっ、と走る心臓を抑える。
少しでも答えを間違えたら、慎作さんを、途方もなく傷つけてしまう気がして。
二ノ倉慧介二十歳。未だかつて無い思考の渦、そろそろ知恵熱が出そうな気配がする。
僕は頭が悪い。というのは優秀な兄に比べてであり、正直勉強に困ったことは無い自覚はある。兄の頭の良さというのは要領の良さであり、人生において勉強なぞ片手間で良い、ということにある。僕は頑張って授業を受けてしっかり考えれば、だいたいの問題は解ける、というレベルだ。逆に言えばちょっとサボればすぐ人並み、というわけ。
そして今俺は死ぬほどサボっている。
学生の本分である勉学に励むことなく、今日も慎作さんのことを考えてぼんやりしている。家に帰ると集中できないので、課題は放課後の図書室にひとり居残って片付けており、傍からは熱心な生徒に見えていることだろう。しかし俺は今盛大にサボっているのだ。友達との付き合いもサボって、なんもかんも人生のメインタスクを慎作さんに奪われてしまっている。このままじゃそのうち学校で話す友達もいなくなるな。世界に慎作さんと二人きりか。
「はぁ〜…………」
医療系専門学校の図書室に恋愛指南の本などない。したがってスマホに没頭し、日中は変なサイトを渡り歩いていた。愛の種類について調べたら、クラクラするほど真偽不明な情報の濁流に襲われた。
今朝の慎作さんは…………壮絶な色気があった。あれはなんでだろう。僕はどうしようもなくそれに惹かれて、なんなら性欲さえ沸き起こるほど脳が揺れて、そこを狙いすましたようにセックスに誘われて───すんでのところで踏みとどまって家を出てきた。
そう、俺は誠実な男として、もう慎作さんを流されて抱くのはやめようと思ったのだ。
ちゃんとしよう。ちゃんとしたい。慎作さんとの関係も、自分の欲望にも、ちゃんと整理をつけておきたい。そういえば俺は自分がいわゆるバイなのかもよくわかってない。全部をあやふやなままにしておきたくない。
愛とは。
慎作さんの求めてる愛と、俺が押し付けたい愛は、多分違う。エロス、フィリア、ストルゲー、アガペー。どれもなんか全部違う。でも、愛ってなんだ?愛と欲ってなにで区別がつくんだろう。慎作さんをどうしたら苦しめず、傷つけずに、愛することができるんだろう?ほんとうは、どうやったら、ちゃんと慎作さんとセックスできるんだろう。
慎作さんの顔を、姿を、暗い部屋で見た朧げな背中と、初めて彼と出会った日の夜見た痣だらけ傷だらけの白魚のような腹を思って歩く。今朝の重たい湿度を湛えた美しい手を思って立ち止まる。しばらくそれを繰り返して悶々と歩いていると、無理なんだな、と思う。慎作さんの存在こそ愛と欲を人間が分類できない証明であり、慎作さんこそその果てで傷つけられてきた人間なのだ、と分かっている。分かっているから苦しい。今夜は慎作さんが話す番だ。約束した。ラブの話をしてくれると言った。慎作さんは果たして、愛と欲を区別できているのだろうか?なぜあの人は、すぐにセックスに持ち込みたがるのか?
あれだけ慎作さんにとって必須であり、日常であるセックスとは、僕にとってなんなのか───正直、なにもわかってない。初めて彼女としたセックスにはなんの感慨もなくて、こんなもんか、としか思わなかった。人生の選択肢がポンとひとつ増えただけの感覚。でも慎作さんを抱くか抱かないかを選ぶ時は、あの時よりずっと胸が苦しい。
慎作さんを抱いて、慎作さんの奥深くまで沈んでいっても、僕は慎作さんのことが何も分からない。慎作さんを知るためには、慎作さんの語る全てにただ耳を傾けるしかない。
無力なんだ。僕は慎作さんの前では、どんなに頭を回しても、無知な子供に過ぎない。
ちゃんとすることなんて、一生できないのかもしれない。
兄ならこういうの上手くやるんだろうな。結婚してるし。でも慎作さんはきっと、兄にはなにも話してくれないんだろう。
俺がガキだから、話をしてくれる。
いつまでずっとこの曖昧な関係のままいられるんだろう。俺がいい子のガキでいたい限りは、ずっとかもしれない。いい子のガキでいるのをやめればいい?どうやって?
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