力でねじ伏せる可憐な乙女

トムさんとナナ

力でねじ伏せる可憐な乙女

## 第一章 入学式の衝撃


桜の花びらが舞い散る四月の朝、僕——田中慎也は、都立桜丘高校の校門をくぐった。


新入生として新たなスタートを切る日だ。


「うわあ、すげー綺麗な子がいる」

「マジで?どこどこ?」

「ほら、あそこの桜の木の下にいる子」


男子生徒たちの視線の先には、確かに絵に描いたような美少女がいた。


淡いピンクのカーディガンに紺色のスカート、栗色の長い髪がそよ風になびいている。


まるで少女漫画から飛び出してきたような、まさに「可憐」という言葉がぴったりの女の子だった。


僕も思わず見とれてしまう。


こんな美人が同級生なのか。


高校生活、なかなか期待できそうじゃないか。


その時だった。


「おいコラ、新入生!」


突然、体格の良い上級生らしき男子が、その美少女の前に立ちはだかった。


身長は180センチはありそうで、肩幅もがっしりしている。


明らかに運動部系の威圧的な雰囲気を漂わせていた。


「先輩方の通り道を塞ぐんじゃねえよ。どけどけ」


理不尽な因縁をつけられた美少女は、困ったような表情を浮かべて立ち尽くしていた。


周囲の新入生たちも、その威圧感に圧倒されて誰も動けずにいる。


僕は正義感が湧いてきた。


こんな理不尽な上級生の横暴を見過ごすわけにはいかない。


震える足を何とか前に進めて——


「あの、すみません」


美少女が小さく声をかけた。


声も見た目通り、とても可憐で上品だった。


「ちょっと通らせていただけませんか」


「は?何言ってんだこのブス。俺様に向かって生意気な口を——」


その瞬間だった。


**ドゴォン!**


轟音と共に、180センチの上級生が空を舞った。


いや、正確には「舞った」というより「吹っ飛んだ」と言う方が適切だろう。


美少女の右手から放たれた一撃で、その大男は桜の木に激突し、そのまま地面に転がった。


「きゃー!」

「え、えええええ!?」

「今、何が起こったの!?」


周囲は大騒ぎになった。


僕も目を疑った。


あの可憐な美少女が、一体何をしたというのか。


「あら、ごめんなさい」


美少女は倒れた上級生に向かって、申し訳なさそうに頭を下げた。


「少し力が入りすぎてしまいました。大丈夫ですか?」


上級生は地面で白目を剥いて痙攣している。


どう見ても大丈夫ではない。


「え、えーっと」


僕は慌てて駆け寄った。


このまま放置するわけにはいかない。


「大丈夫ですか!?保健室に運びましょう!」


美少女は振り返ると、僕を見て微笑んだ。


その笑顔は確かに美しかったが、なぜか背筋がゾクッとした。


「あら、ありがとうございます。優しい方なんですね」


そう言いながら、彼女は倒れた上級生の襟首を片手でひょいと掴み上げた。


180センチの大男を、まるで猫でも持ち上げるかのように軽々と。


「保健室はどちらの方向でしょうか?」


「え、えーっと、あっちだと思います」


「ありがとうございます。では、失礼いたします」


そう言って、彼女は上級生を引きずりながら校舎の方向へ歩いて行った。


地面に一本の溝ができていく。


僕は呆然と立ち尽くしていた。


一体何が起こったのか、頭の中を整理できずにいた。


「おい、田中!」


友人の佐藤が駆け寄ってきた。


「今の見たか?あの美人、めちゃくちゃ強いじゃん!」


「見た、っていうか、見ちゃった」


僕はまだ信じられずにいた。


あんな可憐な見た目の女の子が、一撃で大男を倒すなんて。


「でも、なんか格好良かったな。理不尽な先輩をあっさり撃退しちゃうなんて」


確かに、結果的には困った状況を解決してくれたのだ。


でも、あの方法は少し——いや、かなり過激すぎる気がする。


「あ、そうそう。あの子の名前、聞こえたぞ」


佐藤が興奮気味に言った。


「水野可憐って言うらしい。名前も見た目もまさに可憐だけど、中身は正反対だな」


水野可憐。


確かに名前も見た目も完璧に可憐だ。


でも、さっきの光景を思い出すと、どうしても「可憐」という言葉とのギャップに戸惑ってしまう。


入学式が始まるまでまだ時間があったが、僕の頭の中は水野可憐のことでいっぱいだった。


彼女は一体何者なのだろう。



## 第二章 クラスメイトになってしまった


入学式が終わり、クラス発表があった。


僕は1年A組。教室に向かう途中、また水野可憐の姿を見かけた。


今度は廊下で、段ボール箱を運んでいる先生を手伝っているようだった。


「あら、重たそうですね。お手伝いしましょうか」


「いえいえ、大丈夫ですよ。これは男性教員でも重くて——」


「失礼いたします」


そう言って、彼女は先生から段ボール箱を受け取った。


その段ボール箱は、見るからに重そうで、先生が両手で抱えて苦労していたものだった。


ところが、水野可憐は片手で軽々とそれを持ち上げ、さらにもう片手で別の段ボール箱も持った。


「どちらに運べばよろしいでしょうか?」


「あ、あの、3階の準備室まで——」


「承知いたしました」


そう言って、彼女は階段を軽やかに駆け上がって行った。


段ボール箱二個を抱えているとは思えないほど、軽快なステップだった。


先生は呆然と立ち尽くしている。


「今の子は一体——」


僕は慌ててその場を立ち去った。


また水野可憐の「ギャップ」を目撃してしまったのだ。


1年A組の教室に入ると、既に何人かの生徒が席に座っていた。


僕は適当な席を選んで座り、まずは周りの様子を観察した。


「あ、入学式の時の」


振り返ると、水野可憐が教室に入ってきた。


やはり美しい。


その整った顔立ちと上品な雰囲気は、教室の空気を一変させた。


男子生徒たちが一斉に注目している。


「おはようございます」


彼女は周囲に向かって丁寧にお辞儀をした。


本当に礼儀正しい。見た目も言動も、まさに「お嬢様」といった感じだ。


そして、彼女は僕の隣の席に座った。


「あら、朝はありがとうございました」


水野可憐は僕に向かって微笑みかけた。


「え、あ、いえいえ。大したことは何も——」


「いえ、とても助かりました。保健室の場所を教えていただいて」


そう言えば、上級生の件があった。


あの人は大丈夫だったのだろうか。


「あの、先輩は大丈夫でしたか?」


「ええ、おかげさまで。少し気を失っていらっしゃいましたが、すぐに回復されました」


気を失うほどの衝撃だったのか。


やはりあの一撃は相当なものだったようだ。


「私、水野可憐と申します。よろしくお願いいたします」


「あ、田中慎也です。こちらこそ、よろしくお願いします」


改めて自己紹介を交わした。


こうして普通に話していると、彼女は本当に普通の——いや、普通以上に上品で美しいお嬢様にしか見えない。


朝の出来事が嘘のようだ。


ホームルームが始まり、担任の山田先生が入ってきた。


「えー、皆さん、おはようございます。私が担任の山田です」


山田先生は30代前半の男性教員で、見るからに真面目そうな人だった。


眼鏡をかけて、きちんとした印象を与える。


「まずは簡単に自己紹介をしてもらいましょう。出席番号順に、前から——」


自己紹介が始まった。


僕は後ろの方なので、まだ時間がある。


水野可憐はどんな自己紹介をするのだろうか。


「水野可憐です。趣味は——」


彼女の番になった。


「趣味は読書と、あとは少し体を動かすことです。皆様と仲良くさせていただければと思います。よろしくお願いいたします」


完璧な自己紹介だった。


美しい声で、きちんとした言葉遣い。


男子生徒たちはうっとりしている。


「体を動かす」という部分が少し気になったが、普通に聞けば運動が好きということだろう。


まさかあんな「体の動かし方」をするとは、誰も想像できまい。


僕の番になった。


「田中慎也です。特に趣味と呼べるものはありませんが、読書は好きです。よろしくお願いします」


何だか地味な自己紹介になってしまった。


水野可憐と比べると、随分と見劣りする。


ホームルームが終わると、早速最初の授業が始まった。


現代文の授業で、担当は佐々木先生という50代の女性教員だった。


「それでは、教科書を開いて——」


授業が進んでいく中、僕は隣の水野可憐を時々チラッと見ていた。


彼女は真剣にノートを取っている。


字もとても綺麗だ。本当に完璧なお嬢様に見える。


朝の出来事は夢だったのだろうか、と思い始めていた時だった。


窓の外から大きな音が聞こえてきた。


「何だろう、あの音」


生徒たちがざわめき始めた。


佐々木先生も困った顔をしている。


「少し様子を見てきます。皆さんは席を立たないように」


佐々木先生が教室を出て行った。


しばらくすると、先生が血相を変えて戻ってきた。


「大変です!校舎の裏で工事車両が横転してしまって、作業員の方が下敷きになってしまいました!」


教室中が騒然となった。


「救急車は呼んだのですが、まだ時間がかかりそうで——」


その時、水野可憐がすっと立ち上がった。


「先生、ちょっと様子を見てまいります」


「え?でも危険ですから——」


「大丈夫です」


そう言って、彼女は教室から出て行った。


僕も心配になって後を追った。


「田中君、君も戻りなさい!」


佐々木先生の声が聞こえたが、僕は走って水野可憐を追いかけた。


校舎の裏に回ると、確かに工事車両が横転していた。


小型のクレーン車で、作業員の男性が車体の下敷きになっている。


他の作業員たちが必死に助けようとしているが、重すぎて動かない。


「早く!早く救急車を!」


「でも、この重さじゃ——」


作業員たちは焦っていた。


このままでは手遅れになってしまう。


「失礼いたします」


水野可憐が作業員たちの前に現れた。


「あ、お嬢ちゃん、危険だから下がって——」


「大丈夫です。少しお手伝いをさせてください」


そう言って、彼女はクレーン車に近づいた。そして——


「せーの」


彼女は車体の端を両手で掴んだ。


「お嬢ちゃん、そんな——」


作業員の言葉を遮って、水野可憐はクレーン車を持ち上げ始めた。


**ギギギギギ——**


金属のきしむ音と共に、数トンはあるであろうクレーン車が浮き上がった。


「うわああああ!」


作業員たちが仰天した。僕も目を疑った。


華奢な女子高生が、クレーン車を持ち上げているのだ。


「今のうちに!」


作業員たちは慌てて下敷きになっていた同僚を引っ張り出した。


幸い、意識はあるようだった。


「よろしいでしょうか?」


水野可憐は確認を取ってから、ゆっくりとクレーン車を地面に下ろした。


地響きがした。


「あ、ありがとうございました!」


作業員たちは深々と頭を下げた。


救われた作業員も、痛みに顔をしかめながらもお礼を言っている。


「いえいえ、お役に立てて良かったです」


水野可憐は微笑みながら、まるで何でもないことのように言った。


「あ、あの、お嬢さんは一体——」


作業員が震え声で尋ねた。


無理もない。


常識では考えられない光景を目の当たりにしたのだから。


「ただの高校生です。では、失礼いたします」


そう言って、彼女は僕の方を向いた。


「田中さん、授業に戻りましょう」


「あ、はい——」


僕たちは校舎に戻った。


後ろから作業員たちの驚きの声が聞こえていた。


「今のは一体何だったんだ——」

「クレーン車を素手で——」

「夢だよな?夢だと言ってくれよ——」


廊下を歩きながら、僕は水野可憐に話しかけた。


「あの、水野さん——」


「はい?」


「その、どうして——」


「どうしてでしょうか?」


彼女は首をかしげた。


まるで何も特別なことをしていないような顔だ。


「いや、その、クレーン車を——」


「ああ、あれですか。困っている方がいらしたので、お手伝いをしただけですよ」


「お手伝いって、あの重さを——」


「ちょっと力持ちなんです」


ちょっと、という表現で片付けられるレベルではない。


僕は混乱していた。


教室に戻ると、佐々木先生が心配そうに待っていた。


「どうでしたか?大丈夫でしたか?」


「はい、作業員の方は無事に救出されました」


水野可憐が報告した。


「そうですか、良かった。でも、危険ですから今度から勝手に——」


その時、校内放送が流れた。


『先ほどの工事現場での事故について、本校の生徒が人命救助にご協力いただいたとのご報告をいただきました。素晴らしい行動だったと思います』


教室中が「おおー」とどよめいた。


「人命救助って、すごいじゃない!」

「誰だろう?」

「まさか僕らのクラスの誰か?」


水野可憐は平然とした顔で席に座っていた。


まるで自分のことじゃないような顔だ。


佐々木先生が授業を再開した。


しかし僕は全然集中できなかった。


隣に座っている水野可憐が、普通の女子高生には見えなくなってしまったのだ。


彼女は一体何者なのだろう。


そして、なぜこんなにも常識外れの力を持っているのだろう。


昼休みになった。


弁当を食べながら、僕は水野可憐を観察していた。


彼女の弁当は手作りらしく、とても上品に盛り付けられている。


食べ方も実に上品だ。


「あの——」


僕は意を決して声をかけた。


「はい?」


「水野さんって、どちらで体を鍛えていらっしゃるんですか?」


「体を鍛える?」


「その、朝から力がすごくて——」


「ああ、そうですね。特にどこかに通っているわけではありませんが、日頃から体を動かすことは大切だと思っておりまして」


曖昧な答えだった。


それ以上詮索するのも失礼だと思い、僕は話題を変えることにした。


「読書がお好きだと言っていましたが、どんな本を読まれるんですか?」


「古典文学が好きです。源氏物語や枕草子、万葉集なども」


やはりお嬢様らしい趣味だ。


僕が読むライトノベルとは次元が違う。


「田中さんはいかがですか?」


「僕は、その、もっと軽い感じの——」


「軽い感じの?」


「小説とか、エンターテイメント系の——」


「それも素敵ですね。私も機会があれば読んでみたいです」


彼女は微笑みながら言った。


その笑顔は本当に美しくて、僕は少しドキッとした。


でも同時に、朝からの出来事が頭をよぎる。


この美しい笑顔の持ち主が、一撃で大男を倒し、クレーン車を持ち上げたのだ。


現実感が全くない。


午後の授業中、また騒ぎが起こった。


体育館の方から大きな音がしたのだ。


「何だろう、今度は——」


先生も困った顔をしている。


しばらくすると、教頭先生が教室にやってきた。


「すみません、ちょっと体育館で問題が発生しまして——」


「どのような問題でしょうか?」


「体育館のバスケットゴールが倒れてしまいまして、体育の授業ができない状態になっています」


バスケットゴールが倒れた?あの重いゴールが?


「業者を呼んで修理してもらうつもりですが、今日中は無理そうで——」


水野可憐が再び立ち上がった。


「あの、もしよろしければ——」


「え?」


教頭先生が振り返った。


「ちょっと見させていただけませんでしょうか?」


「いや、でも危険ですし——」


「大丈夫です」


結局、好奇心に負けた僕も含めて、数人の生徒が体育館に向かうことになった。


体育館に着くと、確かにバスケットゴールが倒れていた。


支柱の部分が根元から折れている。


「これは重機でも使わないと——」


体育教師の田村先生が困っていた。


「失礼いたします」


水野可憐がゴールに近づいた。


「あ、危ないですから——」


「大丈夫です。ちょっと見させていただきますね」


彼女はゴールの支柱の部分を調べた。


そして、折れた部分を両手で掴んだ。


「あの、お嬢さん、それは——」


**ギギギ——**


金属音と共に、ゴールがゆっくりと起き上がった。


水野可憐が支柱を手で曲げ直したのだ。


「うわああああ!」


体育教師が仰天した。


生徒たちも騒然としている。


「これで大丈夫だと思います」


水野可憐は満足そうに言った。


確かに、ゴールは元通りに立っている。


支柱の折れた部分も、まるで何もなかったかのように綺麗に直っている。


「あ、ありがとうございました——」


田村先生は震え声でお礼を言った。


「いえいえ。では、授業に戻らせていただきますね」


僕たちは呆然としながら教室に戻った。


廊下で、佐藤が僕に話しかけてきた。


「おい、田中。あの水野可憐、マジでヤバくない?」


「ヤバいって——」


「だって、バスケットゴールを素手で直したんだぞ?人間技じゃないだろ」


確かにそうだ。


僕も同じことを考えていた。


「でも、結果的には良いことをしているよな」


「それはそうだけど——」


僕は複雑な気分だった。


水野可憐は確かに良いことをしている。


困っている人を助け、問題を解決している。


でも、その方法があまりにも常識外れすぎるのだ。


放課後になった。


僕は荷物をまとめながら、水野可憐の様子を見ていた。


彼女は相変わらず上品で美しく、今日の出来事が嘘のように見えた。


「田中さん」


彼女が声をかけてきた。


「はい」


「もしお時間があるようでしたら、一緒に帰りませんか?道の途中まで同じ方向のようですし」


一緒に帰る?僕は少し戸惑った。


美しい女の子と一緒に帰るなんて、普通なら嬉しいことだ。


でも、彼女は「普通」ではない。


「あ、はい。お願いします」


結局、僕は水野可憐と一緒に学校を出た。



## 第三章 帰り道の日常と非日常


学校の門を出ると、水野可憐は僕の隣を歩いた。


夕日が彼女の横顔を照らして、本当に美しい光景だった。


「今日はありがとうございました」


「え?何がですか?」


「朝から、色々と心配していただいて」


心配というか、驚きっぱなしだったというのが正しい。


でも、それを正直に言うのも失礼だろう。


「いえいえ、大したことは——」


その時、前方から大きな声が聞こえてきた。


「おい、そこの女!」


振り返ると、朝に水野可憐に倒された上級生が、数人の仲間と共にやってきた。


頭に包帯を巻いている。


「朝のお返しをしてやるよ」


明らかに恨みを持っている。


僕は身構えた。


「あら、朝は失礼いたしました」


水野可憐は丁寧にお辞儀をした。


「謝って済むと思ってんのか?俺様を馬鹿にしやがって」


上級生たちが取り囲んだ。


僕は何かしなければと思ったが、体が震えて動けない。


「そんなつもりはございませんでした。本当に申し訳ありませんでした」


水野可憐は心から謝っているように見えた。


でも、上級生たちは聞く耳を持たない。


「こいつをボコボコにして、俺の恥を晴らす」


そう言って、上級生の一人が水野可憐に向かって拳を振り上げた。


僕は慌てて前に出ようとしたが——


**ドスン!**


気がつくと、拳を振り上げた上級生が地面に沈んでいた。


文字通り、地面にめり込んでいる。


「きゃー、ごめんなさい!」


水野可憐が慌てている。


どうやら、彼女が上級生の頭を地面に押し付けたらしい。


「ちょっと反射的に——」


残りの上級生たちが青ざめた。


「お、おい、大丈夫か?」


地面にめり込んだ上級生を引っ張り出そうとしているが、深くめり込んでいてなかなか抜けない。


「お手伝いいたします」


水野可憐が近づくと、上級生たちは慌てて後ずさりした。


「だ、大丈夫です!自分たちでやりますから!」


「そうですか?では、失礼いたします」


結局、僕たちはその場を後にした。


後ろから上級生たちの必死な声が聞こえていた。


「おい、抜けないぞ!」

「もっと引っ張れ!」

「あの女、化け物か?」


歩きながら、僕は水野可憐に話しかけた。


「あの、水野さん——」


「はい?」


「その、どうしてそんなに——」


「そんなに?」


「強いんですか?」


彼女は少し考えてから答えた。


「昔から、ちょっと力が強くて——」


「ちょっとって——」


「でも、なるべく使わないようにしているんです。皆さん、驚かれますから」


確かに驚く。


というより、常識を疑うレベルだ。


「どこか道場とか、通っていらっしゃるんですか?」


「いえ、特には——」


「じゃあ、生まれつき?」


「そうかもしれません」


曖昧な答えだった。


もう少し詳しく聞きたかったが、あまり詮索するのも失礼だろう。


商店街に差し掛かった時だった。


八百屋の前で、おばあさんが困っていた。


「重くて運べないのよ〜」


大きな野菜の入った段ボール箱が、店の前に積まれている。


「あら、お困りですか?」


水野可憐が声をかけた。


「ああ、ありがとう。でも、これ重いのよ。若い子には無理だと思うから——」


「大丈夫です。どちらに運べばよろしいですか?」


「店の奥まで運んでもらえる?でも本当に重いのよ」


水野可憐は段ボール箱に近づいた。


その箱は僕でも持ち上げるのが大変そうなサイズだった。


「失礼いたします」


彼女は軽々と箱を持ち上げた。


それも片手で一個ずつ。


「まあまあ!すごいのね!」


おばあさんが驚いている。


「どこに置けばよろしいでしょうか?」


「あ、あっちの棚の上に——」


水野可憐は箱を運んで行った。


おばあさんは僕を見て言った。


「いい子ねぇ、彼女。力持ちで優しくて」


「はい、そうですね——」


僕は曖昧に答えた。


力持ち、というレベルを超越している気がするが。


「ありがとうございました」


水野可憐が戻ってきた。


「ありがとうねぇ。お礼にこれ、持って行って」


おばあさんはリンゴを二個くれた。


「ありがとうございます」


僕たちはリンゴをもらって歩き続けた。


「美味しそうですね」


水野可憐がリンゴを見ながら言った。


本当に嬉しそうだ。


こういう時は、普通の女子高生と変わらない。


「そうですね。後で食べましょう」


次の交差点で、また騒ぎが起こった。


「助けて!」


女性の悲鳴が聞こえた。


見ると、ひったくりが起こっている。


バイクに乗った男が、女性のバッグを奪って逃げようとしていた。


「泥棒よ!」


女性が叫んでいる。


周りの人たちも騒いでいるが、バイクは速い。


「あら、大変」


水野可憐が呟いた。そして——


「少しお待ちください」


彼女は道端の石を拾った。


握りこぶしくらいの大きさの普通の石だ。


「あの、水野さん?」


僕が声をかける間もなく、彼女は石を投げた。


**ヒュン!**


石は音を立てながら飛んで行き——


**ガツン!**


バイクの後輪に命中した。


バイクはバランスを崩し、ひったくり犯は道路に転倒した。


バッグも地面に落ちる。


「うわああ!」


ひったくり犯が悲鳴を上げた。


通りがかりの人たちが犯人を取り押さえる。


「ナイスコントロール!」

「すげぇ投球だ!」

「プロ野球選手か?」


周りの人たちが騒いでいるが、石を投げたのが水野可憐だとは誰も気づいていない。


「良かったですね」


水野可憐は満足そうに言った。


まるで何でもないことのように。


「あの——」


僕は言いかけて、やめた。


もう何も驚かないことにしようと思った。


女性が無事にバッグを取り戻し、警察も到着した。


僕たちはそっとその場を離れた。


「水野さんって、本当にすごいですね」


「え?何がでしょうか?」


「いや、その、色々と——」


「そうでしょうか?」


彼女は首をかしげた。


本当に自覚がないようだ。


住宅街に入ると、今度は猫の鳴き声が聞こえてきた。


「ニャーン、ニャーン」


見上げると、電柱の上で子猫が鳴いている。


かなり高いところだ。


「あらあら、困ったわね」


近所のおばさんたちが心配している。


「消防署に電話した方がいいかしら?」


「でも、すぐには来てくれないでしょうし——」


水野可憐が立ち止まった。


「あの猫ちゃん、降りられないのですね」


「ええ、朝からずっと鳴いているのよ」


「そうですか——」


彼女は電柱を見上げた。


高さは10メートルくらいはありそうだ。


「失礼いたします」


水野可憐は電柱に近づいた。


「あら、お嬢ちゃん、危険よ——」


おばさんたちが心配している。


でも僕は、彼女が何をしようとしているか、何となく予想がついていた。


「ちょっと失礼しますね」


水野可憐は電柱を抱きかかえた。そして——


**メキメキメキ——**


電柱が傾いた。


「うわあああああ!」


おばさんたちが悲鳴を上げた。


僕も目を疑った。


電柱を傾けて、猫のいる部分を地面近くまで下ろしたのだ。


「はい、これで大丈夫ですね」


彼女は猫を優しく抱き上げた。


「ニャーン」


猫も安心したように鳴いている。


「よかったですね」


水野可憐は猫をおばさんに渡した。


そして、電柱を元の位置に戻した。


**メキメキメキ——**


電柱は何事もなかったかのように、元通りに立った。


「あ、ありがとうございました——」


おばさんたちは震え声でお礼を言った。


僕たちはその場を後にした。


もうおばさんたちの驚きの声は気にしないことにした。


「猫ちゃん、無事で良かったですね」


水野可憐が微笑んだ。


その笑顔は本当に優しくて、僕は少しほっとした。


彼女の行動は常識外れだが、根っこの部分は優しい人なのだ。


「ええ、そうですね」


僕は答えた。


「あ、そうそう。田中さん」


「はい?」


「もしよろしければ、明日もご一緒していただけませんか?学校まで」


「え?」


「一人で登校するより、お話しできる方がいらした方が楽しいですから」


僕は少し考えた。


水野可憐と一緒にいると、とんでもない事件に遭遇する確率が高い。でも——


「はい、喜んで」


僕は答えた。


確かに彼女といると驚きの連続だが、それ以上に、彼女の優しさに触れることができる。


そして、何より——


「ありがとうございます」


彼女の笑顔を見ていると、少しずつだが、彼女の特殊な能力も含めて受け入れられそうな気がしてきた。


僕たちは別れの交差点まで歩いた。


「それでは、また明日」


「はい、また明日」


水野可憐は丁寧にお辞儀をして、自分の家の方向へ歩いて行った。


僕はその後ろ姿を見送りながら思った。


彼女は確かに特別な人だ。


でも、それが悪いことばかりではないかもしれない。


家に帰ると、母が心配そうに迎えてくれた。


「お帰りなさい。初日はどうだった?」


「うん、色々と——刺激的だった」


「友達はできそう?」


「うん、一人、とても印象深い人がいる」


僕は水野可憐のことを思い浮かべた。


印象深い、という表現では足りないくらいだが。


夜、ベッドの中で僕は考えた。


水野可憐は一体何者なのだろう。


あの力は本当に生まれつきなのだろうか。


そして、なぜあんなにも優しいのだろう。


明日もまた、彼女と一緒に登校する。


きっとまた、何かとんでもないことが起こるに違いない。


でも——それが少し楽しみでもあった。



## 第四章 二日目の朝、新たな発見


翌朝、僕は待ち合わせの場所で水野可憐を待っていた。


昨日の出来事が夢だったような気もするが、現実だったような気もする。


「おはようございます」


振り返ると、水野可憐がやってきた。


今日も相変わらず美しい。


清楚な白いブラウスに紺色のスカート、きちんと整えられた髪。


まさに理想的なお嬢様の姿だ。


「おはようございます」


僕たちは一緒に学校に向かって歩き始めた。


「昨日は楽しかったです」


水野可憐が言った。


「楽しかった——ですか?」


僕には「楽しい」というより「驚愕の連続」だったという記憶しかない。


「はい。普段は一人で帰ることが多いので、お話しできて嬉しかったです」


そう言われると、僕も悪い気はしない。


確かに彼女と話していると、特殊な能力のことを除けば、とても上品で知的な会話ができる。


「こちらこそ、楽しかったです」


学校に向かう途中、工事現場の前を通りかかった。


昨日クレーン車が横転した場所だ。


「あ、昨日の——」


作業員の人たちが僕たちに気づいて手を振ってきた。


「お嬢さん、昨日はありがとうございました!」


「おかげで無事に作業を再開できました!」


水野可憐は丁寧にお辞儀をした。


「お役に立てて良かったです」


作業員たちは感謝の気持ちでいっぱいのようだった。


確かに彼女がいなければ、大変なことになっていただろう。


学校に到着すると、また新たな騒ぎが起こっていた。


「大変だ!」


生徒たちが騒いでいる。


「何事ですか?」


水野可憐が近くの生徒に尋ねた。


「体育倉庫の扉が壊れて、中の用具が取り出せないんです」


見ると、確かに体育倉庫の扉が歪んでいる。


どうやら昨日の影響で建物が少し歪み、扉が開かなくなってしまったようだ。


「体育の授業が始まるのに——」


体育教師の田村先生が困っていた。


「業者を呼ぶしかないですね」


「でも、今日中には無理でしょう」


先生たちが相談している。


水野可憐が近づいた。


「失礼いたします」


「ああ、昨日の——」


田村先生が水野可憐に気づいた。


「もしよろしければ、見させていただけますか?」


「えーっと——」


田村先生は迷った。


昨日の件があるので、彼女の「特殊な能力」を知っているのだ。


「お願いします」


結局、田村先生は了承した。


水野可憐は扉を調べた。


確かに枠が歪んでいて、扉がはまり込んでしまっている。


「少し失礼いたします」


彼女は扉の端を掴んだ。


「あの、気をつけて——」


田村先生が心配そうに見守る中、水野可憐は扉を持ち上げた。


**ギギギ——**


金属の軋む音と共に、扉がゆっくりと動いた。


歪んだ枠から外れて、正常な位置に戻る。


「これで大丈夫だと思います」


扉は問題なく開閉できるようになった。


「あ、ありがとうございました」


田村先生は深々と頭を下げた。


周りの生徒たちも拍手している。


「すげー!」

「万能じゃん!」

「水野さんって何者?」


生徒たちが騒いでいる。


水野可憐は少し困ったような顔をした。


「あまり大げさにしないでいただけると——」


彼女は注目されるのが苦手らしい。


教室に向かう途中、佐藤が僕に話しかけてきた。


「おい、田中。お前、水野可憐と仲良くなったのか?」


「まあ、隣の席だし——」


「うらやましいな。美人だし、優しいし、それに——」


「それに?」


「すげー力持ちだし」


そこかよ、と僕は思った。


確かにそれも彼女の特徴の一つだが。


「でも、ちょっと怖くない?あの力」


佐藤が小声で言った。


「怖い?」


「だって、人間離れしてるじゃん。もし怒らせたら——」


確かに、それは僕も考えたことがある。


でも、昨日から見ている限り、水野可憐は本当に優しい人だ。


「大丈夫だと思うよ。彼女は優しい人だから」


「そうかなぁ——」


佐藤はまだ疑心暗鬼のようだった。


授業が始まった。今日の最初は数学だ。


担当は中山先生という40代の男性教員で、少し厳しい先生として有名らしい。


「では、昨日の宿題を確認します」


中山先生が言った。宿題?そんなものあったっけ?


僕は慌てて教科書を確認した。


確かに最後のページに問題が載っている。


これが宿題だったのか。


「田中」


いきなり指名された。


「はい」


「問題番号3番、解けたか?」


「えーっと——」


僕は焦った。宿題をやっていない。


「解けませんでした」


正直に答えるしかなかった。


「そうか。では、前に出てきて解いてみろ」


えー、そんなの無理だよ。


僕は恐る恐る黒板の前に立った。


問題を見ても、全然わからない。


チョークを持った手が震えている。


「どうした?解けないのか?」


中山先生の声が厳しい。


クラス中の視線が僕に集中している。


その時、小さくささやき声が聞こえた。


「田中さん」


振り返ると、水野可憐が小さく手を挙げている。


そして、口パクで何かを教えてくれているようだった。


僕は彼女の口の動きを読み取ろうとした。


「x equals——」


彼女が教えてくれている答えらしい。


僕は言われた通りに黒板に式を書いた。


「うん、正解だ」


中山先生が頷いた。


僕は安堵した。


席に戻ると、水野可憐が小さく微笑みかけてくれた。


「ありがとうございました」


僕は小声でお礼を言った。


「いえいえ」


彼女は謙遜した。でも、僕は疑問に思った。


彼女はいつの間に問題を解いたのだろう。


授業が始まってから、ずっと先生の話を聞いていたはずなのに。


休み時間になって、僕は水野可憐に尋ねた。


「あの、数学得意なんですか?」


「まあ、そこそこは——」


「いつの間に問題を解いたんですか?」


「え?」


「だって、授業中ずっと先生の話を聞いていたのに——」


「ああ、あれですか。見ただけでわかったので」


見ただけで?


「すごいですね」


「そうでしょうか?」


また首をかしげた。


彼女は本当に自分の能力を過小評価している。


次の授業は英語だった。担当は若い女性教員の佐野先生。


とても優しそうな先生だ。


「今日は簡単な英会話をしてみましょう」


生徒同士でペアを作って、英語で会話をする練習らしい。


当然、僕と水野可憐がペアになった。


「よろしくお願いします」


「こちらこそ」


簡単な自己紹介から始めることになった。


「Hello, I'm Shinya Tanaka. Nice to meet you.」


僕は中学校で習ったレベルの英語で自己紹介した。


「Hello, I'm Karen Mizuno. It's my pleasure to meet you.」


水野可憐の英語は、僕とは比べ物にならないほど流暢だった。


発音も完璧だ。


「Your English is very good!」


僕は驚いて言った。


「Thank you. I've been studying English since I was little.」


彼女は小さい頃から英語を学んでいるらしい。


やはりお嬢様なのだ。


「Do you have any hobbies?」


「Yes, I like reading books and——」


彼女は「体を動かすこと」をどう英語で表現するか考えているようだった。


「——physical activities.」


「Physical activities?」


「Yes, like——exercise.」


運動、という意味らしい。


まあ、間違いではないが、彼女の場合は「運動」というレベルを超越している気がする。


授業が終わると、佐野先生が水野可憐のところにやってきた。


「水野さん、英語がとてもお上手ですね」


「ありがとうございます」


「もしよろしければ、英語スピーチコンテストに参加してみませんか?」


「スピーチコンテスト?」


「ええ、来月開催予定なんです。きっと良い結果が出ると思いますよ」


水野可憐は少し考えてから答えた。


「検討させていただきます」


「ぜひお願いします」


佐野先生は嬉しそうに去って行った。


「すごいじゃないですか」


僕は水野可憐に言った。


「そうでしょうか?」


「スピーチコンテストって、学校の代表になるんですよね」


「でも、人前で話すのは少し——」


彼女は恥ずかしがっているようだった。


意外な一面だ。


昼休みになった。


僕たちは屋上で弁当を食べることにした。


「いい天気ですね」


水野可憐が空を見上げて言った。


確かに、雲一つない青空だ。


「そうですね」


僕たちは静かに弁当を食べていた。


平和な時間だった。


その時、突然大きな音がした。


**ドーン!**


「何だ?」


僕たちは音のする方向を見た。


校庭の方からのようだ。


屋上から見下ろすと、校庭で何かが起こっていた。


体育の授業中らしく、生徒たちが走り回っている。


でも、よく見ると様子がおかしい。


生徒たちが一か所に集まって騒いでいる。


「何か事故でしょうか?」


水野可憐が心配そうに言った。


「行ってみましょう」


僕たちは屋上から校庭に降りた。


集まっている生徒たちに近づくと、砲丸投げの砲丸が校舎の壁に突き刺さっているのが見えた。


「うわあ、すげー」

「壁に刺さってる」

「誰が投げたんだ?」


生徒たちが騒いでいる。田村先生も困った顔をしている。


「一体誰が——」


その時、一人の生徒が手を挙げた。


「僕です」


見ると、体格の良い男子生徒だった。名前は確か山田だったと思う。


「山田、お前がこんなに——」


「すみません、つい力が入りすぎて——」


山田は困った顔をしている。


「でも、こんなに飛ぶはずが——」


田村先生も首をひねっている。


砲丸投げの記録としては、明らかに異常だ。


「どうやって抜こうか——」


壁に刺さった砲丸は、かなり深くめり込んでいる。


簡単には抜けそうにない。


「業者に頼むしかないかな」


先生たちが相談している。


その時、水野可憐が前に出た。


「失礼いたします」


「ああ、また君か——」


田村先生が苦笑いした。


「ちょっと見させていただけますか?」


「まあ、頼む」


水野可憐は壁に近づいた。


砲丸は本当に深くめり込んでいて、普通なら工具を使わないと抜けない。


「失礼します」


彼女は砲丸を掴んだ。


**ズズズズ——**


砲丸がゆっくりと抜けていく。


「うおおおお」


生徒たちが驚きの声を上げた。


「はい、取れました」


水野可憐は砲丸を田村先生に渡した。


「あ、ありがとう——」


田村先生は複雑な表情だった。


助かったのは確かだが、また常識外れの光景を目撃してしまったのだ。


「すげー、水野さん!」

「何でも解決しちゃうじゃん!」

「マジで万能だな!」


生徒たちが騒いでいる。


水野可憐は困ったような顔をした。


「あまり騒がないでください」


でも、生徒たちの興奮は収まらない。


「水野さんも砲丸投げやってみてよ!」

「どこまで飛ぶか見てみたい!」

「絶対すごい記録出るよ!」


「えー、でも——」


水野可憐は戸惑っている。


「まあ、せっかくだから——」


田村先生も興味があるらしい。


「ちょっとだけやってみませんか?」


結局、水野可憐は砲丸投げをすることになった。


「あまり力を入れないようにしますね」


彼女は砲丸を構えた。


その姿勢は完璧だった。


まるで専門的に習ったことがあるかのようだ。


「それでは——」


**ヒュン!**


砲丸が飛んだ。


いや、「飛んだ」というより「消えた」という方が正確だろう。


あまりにも速くて、目で追えなかった。


**ドーン!**


遥か向こうで音がした。


校庭の端、いや、校庭を越えてその先の空き地まで飛んで行ったようだ。


「うわああああ!」


生徒たちが大騒ぎになった。


「今のどこまで飛んだ?」

「200メートルは軽く超えてるぞ!」

「人間業じゃない!」


田村先生は呆然としている。


「あら、ちょっと力が入りすぎましたね」


水野可憐は申し訳なさそうに言った。


「ちょっとって——」


僕は言いかけて、やめた。


もう慣れることにしよう。


結局、砲丸を探しに行くことになった。


生徒たちが総出で探した結果、校庭から300メートル離れた空き地で発見された。


「300メートルって——」


「世界記録の10倍以上だぞ」

「化け物か」


生徒たちは興奮と恐怖が混じった表情をしていた。


水野可憐の評判は、学校中に知れ渡った。


「万能少女」

「力持ちお嬢様」

「何でも解決してくれる人」


色々な呼び方をされるようになった。


でも、本人は相変わらず控えめで、注目されることを好まない。


「あまり有名になりたくないんです」


放課後、僕たちが一緒に帰る途中、水野可憐が言った。


「でも、皆さん感謝していますよ」


「そうかもしれませんが——」


彼女は複雑な表情をしていた。


「もしかして、嫌な思いをしたことがあるんですか?」


「嫌な思い、というか——」


彼女は少し考えてから答えた。


「昔から、この力のせいで色々と——」


「色々と?」


「普通の友達付き合いができなくて」


ああ、なるほど。


確かに彼女の能力を知ったら、普通の人は戸惑うだろう。


僕も最初は驚いたし、まだ完全には慣れていない。


「でも、田中さんは普通に接してくださるので嬉しいです」


「え?」


「最初は驚かれましたが、今はもう慣れてくださったみたいで」


確かに、僕は水野可憐の特殊な能力も含めて、彼女自身を受け入れ始めていた。


「僕は、水野さんは水野さんだと思っています」


「え?」


「力が強いのも、水野さんの一部ですから」


水野可憐は少し驚いたような顔をした。


そして、微笑んだ。


「ありがとうございます」


その笑顔は、今まで見た中で一番美しかった。



## 第五章 学園祭への道のり


それから一週間が過ぎた。


水野可憐の評判は学校中に広まり、「困った時は水野さんに頼め」という風潮ができあがっていた。


毎日のように、何かしらのトラブルが発生し、そのたびに水野可憐が解決する。


重い荷物の運搬、壊れた器具の修理、高いところにある物の取り出し——彼女の活躍は多岐にわたった。


「また頼まれちゃいました」


水野可憐が少し疲れたような表情で言った。


昼休み、僕たちは屋上で弁当を食べていた。


「今度は何ですか?」


「音楽室のピアノを移動してほしいと」


ピアノの移動?あの重いグランドピアノを?


「一人で?」


「はい。業者に頼むとお金がかかるからって」


それは確かに水野可憐なら可能だろうが、さすがに酷使しすぎではないだろうか。


「断ってもいいんじゃないですか?」


「でも、困っている人を見ると——」


彼女の優しさが、時として負担になっているのかもしれない。


「あ、そうそう。田中さん」


「はい?」


「来月の学園祭の件で、お聞きしたいことがあるんです」


学園祭?


「クラスで出し物を決めることになったのですが、どんなものが良いと思いますか?」


そう言えば、学園祭の準備が始まる時期だった。


「うーん、カフェとか劇とか、色々ありますよね」


「実は——」


水野可憐は少し恥ずかしそうに言った。


「皆さんから、私の——その、力を使った出し物をしてはどうかと提案されまして」


「力を使った出し物?」


「はい。例えば、重いものを持ち上げるパフォーマンスとか——」


それは確かに見世物としては面白いかもしれないが、水野可憐にとってはどうなのだろう。


「水野さんはどう思っているんですか?」


「正直言うと、あまり——」


やはり嫌がっているようだった。


「じゃあ、別の出し物を提案してみませんか?」


「でも、皆さん楽しみにしているみたいで——」


この優しさが、時として彼女を苦しめている。


その時、屋上のドアが開いた。


クラスの女子数人がやってきた。


「あ、いた!水野さん」


山下という女子が声をかけてきた。


「学園祭の件、どうですか?」


「あ、それは——」


「みんな楽しみにしてるんですよ。水野さんの超人的なパワー、一度見てみたいって」


他の女子たちも頷いている。


「そうそう、絶対盛り上がりますよ」


「他のクラスも注目してるみたいですし」


水野可憐は困った顔をしていた。


「あの、でも——」


「大丈夫ですよ。危険なことはしませんから」


「そうそう、ちょっとしたパフォーマンスだけで」


女子たちは興奮している。


水野可憐の気持ちなど考えていないようだった。


「少し考えさせていただけませんか?」


水野可憐が丁寧に答えた。


「うーん、でもあまり時間もないし——」


「来週までには決めないと」


女子たちはそう言って去って行った。


「大変ですね」


僕は水野可憐に声をかけた。


「はい——」


彼女は疲れたような表情をしていた。


「もし嫌なら、はっきり断った方がいいですよ」


「でも、皆さんの期待を裏切るのも——」


この人は本当に優しすぎる。


「水野さんの気持ちの方が大切ですよ」


「そうでしょうか?」


「そうです」


僕は断言した。


彼女はもう少し自分のことを大切にした方がいい。


放課後、僕たちは一緒に下校していた。


途中、またトラブルに遭遇した。


「助けて!」


商店街で悲鳴が聞こえた。


見ると、八百屋のおばあさんが困っていた。


店の看板が強風で飛ばされて、電線に引っかかっているのだ。


「あらあら、どうしましょう」


「消防署に電話しましょうか?」


通りがかりの人たちが心配している。


水野可憐が近づいた。


「大丈夫ですか?」


「ああ、可憐ちゃん」


おばあさんは水野可憐を知っているようだった。


この一週間で、商店街でも有名になっているのだ。


「看板が電線に——」


「見てみますね」


水野可憐は電柱を見上げた。


高さは15メートルくらいはある。


「失礼いたします」


彼女は電柱に近づいた。


「危険よ、可憐ちゃん」


「大丈夫です」


そう言って、彼女は電柱を——登り始めた。


いや、「登る」というより「駆け上がる」という方が正確だろう。


まるで忍者のように、電柱の表面を蹴って上昇していく。


「うわああ」


見ている人たちが驚いている。


あっという間に電線の高さまで到達し、引っかかった看板を取り外した。


そして、同じように駆け下りてくる。


「はい、取れました」


水野可憐は看板をおばあさんに渡した。


「ありがとうございます!」


「いえいえ」


見ている人たちは呆然としていた。


「今の何?」

「人間?」

「忍者?」


僕たちはその場を後にした。


もう驚く人たちの反応には慣れてしまった。


「また騒ぎになっちゃいますね」


僕が言うと、水野可憐は苦笑いした。


「そうですね」


「大変でしょう?」


「まあ、でも慣れました」


彼女は諦めているようだった。


翌日、学校に行くと案の定、昨日の件が話題になっていた。


「水野さんって忍者なの?」

「電柱を駆け上がるって、人間業じゃないよ」

「もう何でもできるじゃん」


クラスでも騒ぎになっている。


「おはようございます」


水野可憐が教室に入ると、一斉に注目を浴びた。


「水野さん、昨日の件聞きました!」

「すげーじゃないですか!」

「今度見せてくださいよ!」


生徒たちが興奮している。


水野可憐は困った顔をしていた。


「あまり騒がないでください」


でも、生徒たちの興奮は収まらない。


「学園祭の件、やっぱりアクションショーにしませんか?」

「絶対盛り上がりますよ!」

「他のクラスに負けません!」


水野可憐はますます困った顔をした。


「ちょっと考えさせてください」


「でも、期限が——」


そこに、担任の山田先生が入ってきた。


「おはようございます。学園祭の件ですが——」


先生も学園祭の話を始めた。


「各クラス、出し物を決めて報告してください。期限は今週末です」


時間がない。


このままだと、水野可憐は嫌々ながらもアクションショーをすることになってしまう。


休み時間に、僕は水野可憐に提案した。


「水野さん、もし良ければですが——」


「はい?」


「僕が別の提案をしてみましょうか?」


「別の提案?」


「カフェとか劇とか、普通の出し物を」


水野可憐は少し考えた。


「でも、皆さんは私の力を期待しているみたいで——」


「それでも、水野さんが嫌なことをする必要はありませんよ」


「田中さん——」


彼女は少し感動したような顔をした。


「ありがとうございます。でも、大丈夫です」


「大丈夫って——」


「皆さんに迷惑をかけるわけにはいきませんから」


この人は本当に自分のことを後回しにする。


昼休み、クラス会議が開かれた。


学園祭の出し物を決定するためだ。


「それでは、提案をお聞きします」


クラス委員の佐々木が司会を務めている。


「はい!」


山下が手を挙げた。


「水野さんのアクションショーはどうでしょうか?」


「いいですね!」

「賛成!」

「絶対盛り上がります!」


クラスの大部分が賛成しているようだった。


「他にご意見は?」


僕は手を挙げた。


「はい、田中」


「カフェはどうでしょうか?」


「カフェ?」


「普通にコーヒーや軽食を出すような」


「うーん、でも他のクラスもやりそうですし——」


「そうですね、ありきたりかも」


僕の提案は受け入れられなかった。


「じゃあ、劇は?」


別の生徒が提案した。


「劇も良いですが、やはり水野さんのパフォーマンスの方が——」


「インパクトありますよね」


結局、アクションショーが有力候補になってしまった。


「水野さん、いかがですか?」


佐々木が水野可憐に尋ねた。


「あの、実は——」


水野可憐が口を開きかけた時、教室のドアが開いた。


「失礼します」


生徒会長の高橋先輩が入ってきた。


「お疲れ様です。学園祭の件でお話があります」


「はい」


「実は、今年の学園祭のテーマが『みんなで作る学園祭』に決まりました」


「みんなで作る?」


「はい。各クラスが協力して、一つの大きな出し物を作ろうということになりました」


これは予想外の展開だった。


「具体的には?」


「全クラス合同で演劇をします。『シンデレラ』の現代版です」


「演劇?」


「はい。各クラスから数名ずつ出演者を選んで——」


高橋先輩の説明を聞いていると、これは良いアイデアかもしれない。


「主役のシンデレラ役ですが——」


高橋先輩は水野可憐の方を見た。


「もしよろしければ、水野さんにお願いしたいのですが」


「え?」


水野可憐が驚いた。


「美しくて、気品があって、水野さんがぴったりだと思うんです」


確かに、水野可憐はシンデレラにぴったりだ。


見た目も性格も完璧に合っている。


「でも、私は演技なんて——」


「大丈夫です。皆で協力してやりますから」


「そうですよ、水野さん!」


クラスの生徒たちも賛成している。


「水野さんのシンデレラ、見てみたいです」


「絶対似合いますよ」


水野可憐は戸惑っているようだった。


でも、アクションショーよりはマシかもしれない。


「どうでしょうか?」


高橋先輩が再度尋ねた。


「あの——」


水野可憐は僕の方を見た。


僕は小さく頷いた。


「頑張ってみます」


「ありがとうございます!」


こうして、水野可憐はシンデレラ役に決まった。


放課後、僕たちは一緒に帰りながら話していた。


「演劇なんて、初めてです」


「大丈夫ですよ。水野さんなら絶対にできます」


「そうでしょうか?」


「はい。それに——」


「それに?」


「シンデレラって、優しくて美しい女性の役ですよね。水野さんにぴったりです」


水野可憐は少し照れたような顔をした。


「ありがとうございます」


「僕も何かお手伝いできることがあれば言ってください」


「本当ですか?」


「はい」


これで、水野可憐も少しは楽になるだろう。


アクションショーをやるより、よほど良い。


「でも、一つ心配なことが——」


「何ですか?」


「もし演劇中に、何かトラブルが起こったら——」


ああ、それは確かに心配だ。


水野可憐がいるところには、なぜかトラブルがつきものだ。


「その時は、みんなで対処しましょう」


「そうですね」


でも僕は知らなかった。


学園祭当日、とんでもないことが起こることを。


翌日から、演劇の準備が始まった。


全学年合同の大きなプロジェクトで、みんな張り切っている。


水野可憐のシンデレラ役も評判になっていた。


「本当にお姫様みたい」

「声も綺麗だし」

「完璧なシンデレラね」


練習が進むにつれて、彼女の演技も上達していった。


元々気品があるので、お姫様の役は自然にこなせるようだった。


「すごいな、水野さん」


王子役の3年生の先輩も感心していた。


「ありがとうございます」


水野可憐は謙遜していたが、確かに素晴らしい演技だった。


一週間後、初めての通し稽古が行われた。


体育館に全校生徒が集まって、本番さながらの練習だ。


「それでは、始めます」


演出を担当する演劇部の部長が合図した。


物語が始まる。


水野可憐扮するシンデレラが登場すると、体育館がざわめいた。


「うわあ、綺麗——」

「本当にシンデレラみたい」

「完璧じゃん」


彼女の美しさと演技力に、みんな見とれている。


物語は順調に進んでいた。


継母や義姉たちのいじめのシーン、魔法使いの登場、舞踏会のシーン——


そして、いよいよクライマックスの舞踏会のシーンになった。


シンデレラ(水野可憐)と王子が踊るシーンだ。


二人は美しく踊り始めた。


その時だった。


**ミシミシミシ——**


舞台の床板が軋む音がした。


「あれ?」


みんなが首をかしげた。


**ミシッ!バキッ!**


突然、舞台の床が抜けた。


「うわああ!」


舞台にいた生徒たちが悲鳴を上げた。


王子役の先輩も床の穴に落ちそうになる。


「危ない!」


水野可憐が咄嗟に王子を支えた。


片手で軽々と。


「あ、ありがとう——」


王子役の先輩は呆然としている。


「皆さん、大丈夫ですか?」


水野可憐が周りを確認している。


幸い、怪我人はいないようだった。


「舞台が使えない——」


「どうしよう」


「本番まで一週間しかないのに」


みんなが困っていた。


「あの——」


水野可憐が手を挙げた。


「もしよろしければ——」


「水野さん?」


「舞台を直してみましょうか?」


「直すって——」


「床板を張り替えるだけでしたら——」


演劇部の部長が困った顔をした。


「でも、専門の業者じゃないと——」


「大丈夫です」


水野可憐は自信を持って言った。


「ちょっと見させていただけませんか?」


結局、水野可憐に任せることになった。


放課後、僕は手伝いに残った。


水野可憐一人では大変だろうと思ったのだ。


「田中さん、ありがとうございます」


「いえいえ」


でも実際には、僕ができることはほとんどなかった。


水野可憐が一人で、あっという間に床板を修理してしまったのだ。


「これで大丈夫だと思います」


完璧に修理された舞台を見て、僕は改めて彼女の能力に驚いた。


「本当に何でもできるんですね」


「そんなことありません」


「でも——」


「私にもできないことはたくさんあります」


「例えば?」


水野可憐は少し考えた。


「例えば——普通の女の子らしく振る舞うことです」


「普通の女の子らしく?」


「はい。力が強すぎて、つい——」


確かに、彼女の力は普通ではない。でも——


「でも、僕は今の水野さんが好きです」


「え?」


僕は自分が何を言ったのか理解した。


顔が赤くなる。


「あ、その、つまり——」


「田中さん——」


水野可憐も少し赤くなっているようだった。


「あの——」


僕が何か言おうとした時、体育館のドアが開いた。


「お疲れ様でーす」


演劇部の部員たちが入ってきた。


「うわあ、もう直ってる!」

「すげー、完璧じゃん!」

「水野さん、ありがとうございます!」


さっきまでの雰囲気が一変してしまった。


「いえいえ」


水野可憐は謙遜していたが、僕には先ほどの会話の続きが気になって仕方なかった。


僕は、水野可憐のことを——



## 第六章 学園祭当日の大騒動


学園祭当日がやってきた。


朝早くから学校に集合し、最後のリハーサルと準備を行った。


水野可憐は相変わらず美しく、シンデレラの衣装がよく似合っていた。


「緊張しますね」


「大丈夫ですよ。今まで完璧でしたから」


「そうでしょうか?」


「絶対に成功しますよ」


演劇は午後2時から開演予定だった。


それまでは各クラスの出し物や模擬店を楽しむ時間だ。


「田中さん、少し校内を見て回りませんか?」


「いいですね」


僕たちは学園祭を見て回ることにした。


各教室では様々な出し物が行われていた。


お化け屋敷、カフェ、ゲームコーナー、展示会——どこも賑わっている。


「楽しそうですね」


水野可憐が微笑んでいた。


こういう時の彼女は、本当に普通の女子高生らしく見える。


3年生のクラスで「力試しコーナー」というのをやっていた。


握力測定や腕相撲大会などだ。


「おお、水野さん!」


3年生の生徒が声をかけてきた。


「ぜひ参加してくださいよ!」


「え?でも——」


「握力測定だけでも!きっとすごい数値が出ますよ!」


周りの生徒たちも興味津々だ。


「どうしましょう——」


水野可憐は困っている。


「まあ、せっかくですし——」


僕も少し興味があった。


彼女の握力はどのくらいなのだろう。


「わかりました。少しだけ」


水野可憐は握力計を手にした。


「あまり力を入れすぎないでくださいね」


3年生が冗談半分で言った。


「はい、気をつけます」


水野可憐は握力計を握った。


軽く、本当に軽く。


**ピーピーピー!**


握力計のアラーム音が鳴り響いた。


「え?」


「どうしたの?」


「ちょっと待って——」


3年生が握力計を確認した。


そして、青ざめた。


「200キロ超えてる——」


「200キロ?」


「握力計の上限を超えたから、アラームが——」


周りの生徒たちが騒然となった。


「人間の握力じゃない——」

「化け物か」

「握力計壊れた?」


「あら、壊してしまいましたか?」


水野可憐が心配そうに言った。


「いえいえ、壊れてません。ただ、測定不能で——」


握力200キロ超え。


常識では考えられない数値だった。


「すみません、もう行きますね」


水野可憐は慌ててその場を離れた。


僕も後を追った。


「また騒ぎになっちゃいましたね」


「仕方ないですよ。でも、200キロって——」


「ちょっと力が入りすぎました」


ちょっと、で200キロ。


本気を出したら一体どのくらいなのだろう。


校庭では各部活動の発表が行われていた。


吹奏楽部の演奏、ダンス部のパフォーマンス、書道部の書道パフォーマンスなど。


「すごいですね」


水野可憐が感心していた。


「水野さんは部活には入らないんですか?」


「そうですね——どの部活も、私には向かないような気がして」


「向かない?」


「例えば運動部だと、つい力を入れすぎてしまいそうですし——」


確かに、それは問題になりそうだ。


「文化部はどうですか?」


「文化部も、何かと——」


彼女が何か言いかけた時、校庭の向こうで騒ぎが起こった。


「助けて!」


悲鳴が聞こえる。


「何事でしょう?」


僕たちは現場に駆けつけた。


見ると、模擬店のテントが強風で飛ばされそうになっていた。


中にいる生徒たちが必死にテントを押さえている。


「危険です!避難してください!」


先生たちが誘導しているが、テントの中には貴重な備品や食材が入っている。


簡単に諦めるわけにはいかない。


「どうしよう——」


「このままじゃテントが——」


その時、水野可憐が前に出た。


「少し手伝わせてください」


「水野さん、危険ですよ!」


先生が止めようとしたが、彼女は既にテントに近づいていた。


「皆さん、少し下がってください」


生徒たちが下がると、水野可憐はテントの支柱を両手で掴んだ。


**ゴゴゴゴ——**


強風が吹き荒れる中、テントはピクリとも動かなくなった。


「うわあ——」


見ている人たちが驚いている。


まるで巨大な岩のように、テントは安定していた。


「今のうちに中のものを運んでください」


生徒たちは慌てて貴重品を運び出した。


全て運び終わると、水野可憐はテントを離した。


**バサバサバサ——**


テントは再び風にあおられ始めたが、もう中身は空だった。


「ありがとうございました!」


「助かりました!」


生徒たちが深々と頭を下げた。


「いえいえ」


水野可憐はいつものように謙遜していた。


時間が経つにつれて、学園祭はますます盛り上がっていた。


そして、いよいよ演劇の時間が近づいてきた。


「そろそろ準備しましょうか」


「はい」


僕たちは体育館に向かった。


体育館は既に観客でいっぱいだった。


生徒だけでなく、保護者や地域の方々も来ている。


「すごい人数ですね」


「緊張してきました」


「大丈夫ですよ。水野さんなら」


準備が整い、いよいよ開演だ。


「皆さん、頑張りましょう」


演劇部の部長が最後の激励をした。


「はい!」


幕が上がった。


シンデレラの物語が始まる。


継母と義姉たちの登場、シンデレラの登場——


水野可憐が舞台に現れると、観客席がどよめいた。


「綺麗——」

「本当にお姫様みたい」

「完璧なシンデレラね」


演劇は順調に進んでいた。


みんなの演技も素晴らしく、観客も物語に引き込まれている。


魔法使いの登場、舞踏会への招待——そして、いよいよクライマックスの舞踏会のシーンだ。


シンデレラと王子が美しく踊る。


観客席からは「うっとり」とした声が漏れている。


そして、12時の鐘の音。


シンデレラは慌てて舞踏会から逃げ出す——


その時だった。


**ドーン!**


体育館の外から大きな音が聞こえた。


「何?」

「今の音は——」


観客がざわめいた。


でも、舞台の上では演劇が続いている。


王子がガラスの靴を持って、シンデレラを探しに行くシーン——


**ドドドドド——**


今度は地響きのような音がした。


体育館が揺れている。


「地震?」


「いや、違う——」


観客が不安になり始めた。


その時、体育館のドアが勢いよく開いた。


「大変です!」


先生が駆け込んできた。


「工事現場のクレーン車が暴走しています!こちらに向かってきます!」


クレーン車の暴走?


観客席が騒然となった。


「避難してください!」


「急いで!」


でも、体育館にはたくさんの人がいる。


すぐには避難できない。


**ドガガガガ——**


音がどんどん近づいてくる。


「急いで避難を!」


先生たちが叫んでいるが、観客席は混乱状態だった。


その時、舞台の上から声が聞こえた。


「皆さん、落ち着いてください」


水野可憐だった。シンデレラの衣装を着たまま、マイクを手に取っている。


「順番に避難しましょう。慌てなくても大丈夫です」


彼女の落ち着いた声が体育館に響いた。


不思議と、観客たちも落ち着きを取り戻した。


「後ろの方から順番に——」


その時だった。


**バリバリバリ——**


体育館の壁を破って、巨大なクレーン車が突っ込んできた。


「うわああああ!」


観客が悲鳴を上げた。


クレーン車は誰も運転していないようで、完全に制御を失っている。


このままだと観客席に突っ込んでしまう。


大惨事は避けられない。


その時、一つの人影が舞台から飛び降りた。


水野可憐だった。


シンデレラのドレス姿のまま、クレーン車に向かって走っていく。


「水野さん!危険です!」


先生が叫んだが、彼女は振り返らない。


クレーン車の前に立ちはだかった水野可憐。


まるでドレスを着た騎士のように見えた。


そして——


両手でクレーン車の前面を受け止めた。


**ドガアアアン!**


轟音と共に、クレーン車が停止した。


いや、「停止した」というより「止められた」というべきだろう。


水野可憐が素手で、暴走するクレーン車を止めたのだ。


「う、うそだろ——」


「あの子、クレーン車を——」


「人間じゃない——」


観客席からは驚きの声が上がっていた。


「皆さん、大丈夫ですか?」


水野可憐が振り返って声をかけた。


シンデレラのドレスが少し汚れているが、彼女は無傷だった。


「あ、ありがとうございました——」


先生たちが震え声でお礼を言った。


「いえいえ」


水野可憐はいつものように謙遜した。


でも、その姿は観客の目に強く焼き付いていた。


緊急事態は収束し、クレーン車は安全に撤去された。


幸い、怪我人は一人もいなかった。


「さて——」


演劇部の部長が困った顔をした。


「演劇の続きはどうしましょう——」


体育館の壁には大きな穴が開いている。


とても演劇を続けられる状況ではない。


「すみません」


水野可憐が前に出た。


「私のせいで——」


「何を言ってるんですか」


観客の一人が立ち上がった。


「あなたのおかげで、私たちは助かったんですよ」


「そうです!」

「ヒーローです!」

「ありがとうございました!」


観客席から拍手が起こった。


最初はまばらだったが、やがて体育館全体に響く大きな拍手になった。


「すごかったよ、水野さん!」

「本当のヒロインだ!」

「シンデレラより格好良い!」


生徒たちも興奮している。


水野可憐は少し照れたような顔をしていた。


「あの——演劇の続きは——」


「もういいじゃないですか」


王子役の先輩が言った。


「今日は水野さんが主役です」


「そうそう、現実のヒーローショーを見せてもらいました」


みんなが笑っている。


結局、演劇は中止になったが、誰も文句を言わなかった。


それ以上に素晴らしいものを見ることができたからだ。


学園祭が終わった後、僕と水野可憐は静かな屋上にいた。


「お疲れ様でした」


「こちらこそ」


夕日が校舎を赤く染めていた。


「今日は——大変でしたね」


「そうですね」


水野可憐は少し疲れたような表情をしていた。


「また騒ぎになってしまいました」


「でも、みんな感謝していましたよ」


「そうでしょうか?」


「そうですよ。水野さんのおかげで、誰も怪我をしなかった」


彼女は微笑んだ。


「ありがとうございます。田中さんがそう言ってくださると——」


「水野さん」


「はい?」


僕は意を決して言った。


「僕は、水野さんのそういうところが好きです」


「え?」


「困っている人を見ると、自分の危険も顧みずに助けに行く。そういう優しさが」


水野可憐は少し赤くなった。


「田中さん——」


「それに——」


「それに?」


「水野さんは、本当は自分の力を隠したいと思っているのに、人助けのためなら躊躇しない。それって、すごいことだと思います」


彼女は黙って聞いていた。


「最初は確かに驚きました。でも、今は——」


「今は?」


「水野さんの力も含めて、全部ひっくるめて、水野可憐という人が好きです」


僕は自分の気持ちを正直に伝えた。


水野可憐は少し涙ぐんでいるようだった。


「私——今まで、自分の力が嫌でした」


「嫌?」


「普通じゃないから。みんなから変な目で見られるから」


「でも——」


「でも、田中さんと出会って——」


彼女は僕を見つめた。


「初めて、自分のことを受け入れてくれる人に出会えました」


「水野さん——」


「ありがとうございます」


彼女は微笑んだ。


その笑顔は、今まで見た中で一番美しかった。


「僕の方こそ、ありがとうございます」


「え?」


「水野さんと出会えて、僕の毎日が変わりました。毎日が冒険みたいで——」


「冒険?」


「はい。次は一体何が起こるんだろうって」


僕たちは笑い合った。


「これからも——」


「はい?」


「一緒にいてもらえますか?」


「もちろんです」


水野可憐は微笑んで頷いた。


「でも——」


「でも?」


「これからも色々なことが起こると思います」


「大丈夫です」


僕は答えた。


「どんなことが起こっても、一緒に乗り越えましょう」


「田中さん——」


夕日の中で、僕たちは向かい合っていた。


「あの——」


水野可憐が何か言いかけた時、屋上のドアが勢いよく開いた。


「いたー!」


クラスメイトたちが現れた。


「水野さーん!」

「お疲れ様ー!」

「今日はすごかったね!」


さっきまでの雰囲気が一変してしまった。


「皆さん——」


水野可憐は少し困ったような顔をしていたが、嬉しそうでもあった。


「今日は本当にありがとう」

「みんなを救ってくれて」

「ヒーローだよ、ヒーロー」


クラスメイトたちが口々に感謝の言葉を述べている。


僕は少し残念だったが、でも水野可憐が仲間たちに受け入れられている様子を見て、嬉しくもあった。


「今度また、みんなでお疲れ様会をやろう」

「いいね!」

「水野さんの武勇伝を聞かせてもらおう」


「武勇伝って——」


水野可憐が困った顔をしている。


でも、その表情は以前よりもリラックスしているようだった。



## エピローグ 日常という名の非日常


それから一ヶ月が経った。


水野可憐は学校のアイドル的存在になっていた。


「困った時は水野さん」という風潮は変わらないが、以前のように一方的に頼られるだけではなくなった。


みんなが彼女を一人の仲間として受け入れるようになったのだ。


「おはようございます」


今日も僕たちは一緒に登校している。


「おはようございます。今日はどんな一日になるでしょうね」


「さあ、どうでしょう」


僕は笑った。


水野可憐がいる限り、平凡な一日になることはまずない。


学校に着くと、案の定、何かしらのトラブルが起こっていた。


「大変だ、水道管が破裂した!」


「水野さーん!」


生徒たちが水野可憐を呼んでいる。


「はい、今行きます」


彼女は軽やかに現場に向かった。


「でも、今度は僕も手伝います」


「田中さん?」


「一人で全部やる必要はありませんから」


「ありがとうございます」


僕たちは一緒に問題を解決しに向かった。


確かに水野可憐の力は特別だが、それだけが彼女の価値ではない。


彼女の優しさ、気遣い、謙虚さ——そういった人間性こそが、彼女を特別な人にしているのだ。


「田中さん」


「はい?」


「私、最近思うんです」


「何をですか?」


「この力も、悪いことばかりじゃないかもしれないって」


「そうですね」


「みんなの役に立てるなら——」


彼女は微笑んだ。


「それに、田中さんという理解者もいてくださいますし」


僕も微笑み返した。


「僕の方こそ、水野さんがいてくれて嬉しいです」


「本当ですか?」


「本当です」


こうして僕たちの日々は続いていく。


きっと明日も、明後日も、何かしらの騒動が起こるだろう。


でも、それも含めて、僕たちの大切な青春なのだ。


水野可憐という「力でねじ伏せる可憐な乙女」と過ごす、特別な日常。


それは僕にとって、かけがえのない宝物だった。


## おわり


---


※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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力でねじ伏せる可憐な乙女 トムさんとナナ @TomAndNana

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