第45話 伝説の漁師

「あなたは……?」


 突然の登場に目をぱちくりさせるルーナのそばで、エルザがぱっと目を光らせた。


「まさか、あんたは伝説の漁師ザップドス様か!?」

「伝説の漁師……!?」


 エルザの口から飛び出た言葉に、ルーナは興味を引かれて首をかしげる。

 一方、ザップドスは朗らかに笑い声をあげた。


「ホホホっ、まさか儂の名が若い娘にまで知られておるとはのう。――いかにも、儂がザップドスじゃ」

「やっぱり! あたしはエルザっていうのさ! こっちは仲間のルーナとシャチのアルス! 名誉騎士と守護獣なのさ!」


「る、ルーナです!」

「キュイ!(よろしくね、おっちゃん!)」


 愛嬌たっぷりに胸びれを振るアルスに、ザップドスは隻眼を見開いた。


「シャチ……そうじゃ、儂も昔、あの海を目指す途中で似たような生き物を見たわい」


「まさか――セレーネブルーを知ってるのか!?」


 エルザが身を乗り出す。

 ザップドスは豊かなあごひげを撫でながら、ゆっくりとうなずいた。


「いかにも。……ちぃと場所を変えようかのう。ついてこい」


 そう言うと、彼はゆっくりと歩き出した。

 ルーナたちは顔を見合わせ、自然とその背を追う。


「まさかザップドス様がセレーネブルーを知ってるとは思わなかったのさ!」

「意外なところに情報は転がっているものですね……」


 興奮気味なエルザに対し、ナミはあごに手を添えて静かに考え込む。

 そんなナミにルーナが小声で尋ねた。


「ところで、そもそもザップドスさんってどんな人なの?」

「ザップドス様はな、この辺りの海を知り尽くした伝説の漁師なのさ! 今は引退して、姿を見ることもなくなってたけど……」

「キュイ(なんかすごそう!)」

「そうね、アルス」


 そんな話をしているうちに、彼らは港の奥に建つ一軒の古びた酒場にたどり着いた。

 看板には、巨大な鯨が波をかき分ける姿が描かれている。


「酔いどれの青き鯨――儂が若いころから通っとる店じゃ」

「ずいぶん年季の入った酒場ね……」

「それだけ味があるということじゃよ」


 飄々と笑うザップドスに導かれ、ルーナたちは中へ入る。

 ただし狭い店内にアルスの巨体は入らないため、外で待たせることにした。


「ううっ、ギルドよりもっとお酒臭い……!」


 鼻をつまむルーナに、ザップドスは愉快そうに笑う。


「若いもんは皆そう言うわ。だが、ここは潮の男たちの心の港じゃ」


 店の中には年配の漁師たちばかり。

 壁の板には古い羅針盤や舵輪が飾られ、木の床には潮の匂いが染みついている。

 カウンターに腰を下ろすと、ザップドスは店主に声をかけた。


「エール酒を一杯頼むぞ」

「あいよっ、ザップドスの親父さん!」


 店主が注いだ泡立つエールを、ザップドスはぐいっと一気に飲み干す。

 喉を鳴らして飲み終えると、豪快に息を吐いた。


「カーッ! やっぱりここのエールは格別じゃ!」

「あの……酒盛りに来たわけじゃありませんよね?」

「堅いことを言うでない。酒場で酒を飲まんでどうする!」


 こけた頬を赤く染めるザップドスに、ナミはあきれ顔で肩をすくめる。


「それよりっ! セレーネブルーの話を教えてほしいのさ!」

「わたしも気になってました!」


 身を乗り出すエルザとルーナ。

 ザップドスはそんな二人を見渡して、のほほんとした笑みを浮かべた。


「まあまあ、そう急かすでない。――それはな、儂がまだ若僧だった頃の話じゃ」


 ザップドスはグラスを置き、静かに目を閉じた。

 その表情からは、長い時を経ても消えぬ記憶の痛みがにじんでいた。


「――あれは五十年前のこと……」


 低く響く声に、ルーナたちは自然と息を呑んだ。


「仲間と十人ばかりで、南の果てへ漁に出た。だがな、その先に普通じゃねぇ海があったんじゃ。月も星も消え、羅針盤は狂い、潮が逆流して船を押し返す。それでも前へ進むと、暗闇の向こうで――海が光った」


「光った……!?」


 ルーナが思わず声を漏らすと、ザップドスはゆっくりとうなずく。


「ああ、夜の海が、まるで空の星を映したように青白く輝いていた。波が光の筋を描き、海そのものが生きているようだった……。あれがセレーネブルーじゃと、儂は今でも信じておる」


 その語り口に、酒場のざわめきがいつしか消えていた。

 老漁師の言葉には、それほどの真実味があった。


「だがな……その直後に嵐が来た。船は裂け、仲間は一人また一人と海に飲まれていった。儂だけが、この片目を代償に生き残った」


 そう言ってザップドスは眼帯の下を指でなぞる。

 その仕草に、ルーナは胸を締め付けられる思いだった。


「そんなことが……」


「――だが、ただ一つだけ拾ったものがある」


 ザップドスは腰の革袋をまさぐり、小さな包みをテーブルの上に置いた。

 包みを開くと、中には月光を宿すように淡く輝く貝殻があった。


「これは……!」


「セレーネブルーの海底に沈んでいた光貝じゃ。普通の貝ではない。月が満ちる夜にだけ、青く光る。これが示す方角に潮が流れる――それが、あの海への唯一の道だ」


「潮が……光貝の指す方向に……!」


 エルザが息を呑む。

 ルーナもまた、青白く光る貝を見つめながら確信を抱いていた。


(やっぱり……セレーネブルーは存在する!)


 ザップドスは貝殻をルーナの手にそっと乗せた。


「この光貝を持っていけ。満月の夜、潮が北へ逆流する時――青き潮路が現れる。それを辿れば、セレーネブルーはきっと見つかるじゃろう」

「ザップドスさん……ありがとうございます。わたしたち、必ず見つけてみせます!」


 ルーナの瞳に宿る決意に、ザップドスはかすかに笑った。


「夢を追う者の目じゃな。忘れるな――あの海は、夢を見る者を試す。だが夢を信じる者にしか、道は見えねぇ」


 その言葉を最後に、ザップドスはグラスの底に残った酒を静かに飲み干した。

 ルーナたちは頭を下げ、胸に刻むようにその場を後にする。


 それから宿でしばらく情報を整理してから夜の港を出ると、満月が雲間から顔をのぞかせた。

 ルーナの手の中で、光貝がほんのりと輝き出す。


「アルス、エルザ、ナミ……見て。光ってる!」


『ほんとだ! きれい……!』

「これが青潮路の鍵というわけですね」

「ええ、――これでやっと、セレーネブルーへの道が見えたわ!」


 潮風が吹き抜け、光貝の輝きが夜の海に反射した。

 まるで彼女たちの新たな航路を、静かに照らすかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る