料理人の平凡が奪われるまで
しがない受験生
プロローグ
前菜
俺は
去年調理師学校を卒業して、福井駅前の高級ホテルで修行させてもらっている。
同期の奴らは名古屋やら東京やらへ行ったらしいが、
成績最下位だった俺を受け入れてくれるのはここくらいだった。
最近は皿洗いなんかの雑用から解放され、
ちょっとずつ厨房に立たせてもらったりしていた。
「西園寺、明日の競りで甘エビを仕入れてきてくれるか?」
料理長からの指示を受けて、ホテルのドライバーと一緒に三国港へ向かう。
競りは夜が明けるより早く始まるため、前日のうちに港の近くまで行って、
仮眠を取った上で競りに望むのだ。
冬の北陸は常に薄暗い雲がかかっており、
物悲しい空気と凍った路面に包まれている。大阪のきらびやかな街で過ごした学生時代、
こんなところに居るとは思ってもいなかった。
でも、排気ガスとうるさい路上ライバーから解放され、うまい空気を吸うのも悪くない。
キキッ。
港の駐車場にトラックを止め、仮眠を取ろうと目をつむる。
「眠れねぇ..」
ドライバーと思わずハモった。2人に挟まれてスチールの空き缶が2つ並ぶ。
やっぱりコンビニでコーヒーを買ったのは間違いだった。
今寝れないと絶対寝坊する、そして競りに間に合わずに料理長にしこたま怒られる。
それだけはなんとしてでも避けなければならない。
「落ち着いた曲でもかけてみますか。」
SNSで何万回と聞いた、テレキャスターの神秘的なデュエット曲が耳を抜ける。
「駄目だ。寝れん。」
「ちょっと外でも出てみる?」
「何考えてるんです!?外氷点下ですよ!?」
そうだ。ここは北陸だ。
「眠れないからちょっと散歩しよう。」で凍え死ぬ世界。
雪が降っただけでパーティーピーポーになっていた少年時代を疑うほど、
ここで雪は割と生活の一部。
雪でテンションぶち上がってるガキどもは、1週間ほど冬の北陸に住ませたほうがいいと思う。
眠れない男2人を横目に、野良猫は宇宙を目指していた。
冬の北陸はほとんど晴れない。
太平洋側では空気が澄んで星がきれいに見られるらしいが、
こっち側ではその理は通じない。星が恋しいのだろうか。
それとも、満点の星とイルミネーションの中、
「やっぱり今年も雪は降らなかったか〜」
なんて言ってホワイト・クリスマスとやらを切望するカップルでも想像しているのだろうか。
そんなやつは本当にこっちに引っ張り出そうぜ(非リア充の叫び)。
そんなことを考えて小一時間、気づいたらドライバーはもう寝ていた。
めぐ◯ズムなんかつけてやがる。
ずるい。俺はただの黒アイマスクなのに...!
諦めて明日の時間を確認してとっとと寝てやることにした。
「競り 18時30分から」
競りの時間が変わっている...!?
決めた。俺はゆっくり昼まで寝よう。
そしてコイツは何事もなく夜が明ける前に起きてもらって、寒い中1人うろついてもらおう。
「ったく...なんで教えてくれなかったんですか...!」
「そんなん確認不足っすよ..笑いいの仕入れられたんだからいいじゃないっすか。」
案の定、マイナス2℃の中30分彷徨ったらしい。
「め◯りズムなんてお高いものつけて眠れぬ俺を横目に気持ちよさそうに寝てた罪」、
これにて刑期終了。
「ほほう...。ドライバーに対してその口ですか...ニヤリ。」
「え?」
「それでは、あとは自分のお財布でなんとかしてください。」
口をあんぐりとあけたまま、トラックが走り去っていく背中を見つめていた。
時刻はまもなく21時。極寒の
「ニヤリって口に出して言うやつ、初めて見たな。。」
乗せてもらう側であることを忘れていた。
どうやら、電車を乗り継いで帰ってこいということらしい。
幸いなことにもうまもなく福井方面に行ける電車が出る。もう乗ってしまおう。
昨日も見た気がする野良猫を横目に改札をとおり、少しでも早く列車に乗り込む。
もちろん、駆け込んだらマナー違反なので精一杯歩く。
「
大阪にいた頃は何も感じなかったが、くっそ寒い中、
切符を買う時間を省いて車内に入れるのはマジでありがたいとつくづく思う。
えちぜん鉄道
途中、美肌温泉で有名な
凍えた体を温泉に突っ込みたい衝動を抑え、
料理長に事情を話したら、まさかの直帰をOKしてくれた。
田原町に到着。最寄り駅、
「おう,,,マジか,,,。」
次の列車は20分後。気温は5℃。大体冷蔵庫の中。もうヤダ。
ここ田原町は、「サラダ記念日」などで知られる
この田原町をそのまま取ったのかと思われがちだが、奇跡的に本名なんだとか。
「無理ッ!サビィ!」
考え事をして乗り切ろうとか思ったけど思考が甘かった。
このあと、もう10分ほど悶絶した。
「はっ!?ここは!?」
ヤバい。寝過ごした。
『まもなく、
ここで、俺のすべてが終了した。
この時間、
そして、最寄りの神明駅は2駅前。詰んだ。
ちなみに、西山公園駅のすぐそば、西山公園は、春にはおよそ5万株のツツジが見頃を迎え、
「つつじ祭り」なんてものもやっている全国随一の名所。
そして隣接する西山動物園は、小規模であるものの、
日本屈指のレッサーパンダ繁殖に成功していて、
「レッサーパンダの聖地」などとも
あと、メガネフレームの一大生産地、
ベンチがメガネだったりもする。
「そんなことを考えている場合ではない!!」
車内は運転士さんと俺2人。必死にどうするか考える。
神明まで歩くのは論外。友人に泊めてもらうか?
いや、時間が遅すぎるしそもそも友達がいない。
となると高いけどホテルかな...。一旦検索をかける。
「鯖江 ホテル」検索。
「おっ!
次の福鉄西鯖江駅に1つ発見。金なんかどうでもいい。すぐにここに駆け込もう。
このとき、財布には1万も入っておらず、
しかもここが3つ星ホテルであることをこのとき焦っていた俺は気づくはずもなかった。
『まもなく、西鯖江です。』
「扉が開いたら即ダッシュ。扉が開いたら即ダッシュ。」
念仏の如く繰り返す。
時刻は23時を回っていて、毎秒寒さは増していく。一瞬たりとも油断はできない。
プシューッ、ガシャン
「さぁ開きました!西園寺選手、走る!走る!走る!」
眠気を必死に抑えるため、セルフで実況するスタイル。
駅員に見られて恥をかく前に改札を抜けてしまおう。
しかし、トラックの中での睡眠は思ったより体に来るものだ。
睡眠欲も体ももう限界...。
ピピッ
ICOCAが反応する。さらに走る。
ズドっ
道路の割れ目につまずいた。こんなときに。
重い体を持ち上げようと力を振り絞る。しかし睡眠欲が邪魔をした。
目を閉じ、ビルから落ちるような感覚に襲われた。
そしてこの日、俺はこれまでの平凡を失った。
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