第3話 笑顔の体温

 叔母は、私を可愛がってくれた。きっと、叔母の娘がすぐに仲良くなってくれたからだろう。そのうち私に情が湧いて、娘が死んでも良くしてくれた。

 けれど、時々向けられる視線が辛かった。


 なんで、自分の娘はもうおらず、他人の娘を養っているんだろう。

 多分、そんな思い。


 こんな風に思うのはきっと酷い裏切りで——。私は冷たくて悲しい感情を抱いた。

 私は、本当に叔母に感謝している。

 けれど、私も叔母も、辛い日が続いた。それは、あの日が来るまで、長く。


 ある朝のことだった。

 起きてこない叔母を起こそうと体をゆすった。

 布団越しでも分かった。人間の——生きている人間の触り心地じゃない。

「叔母さん……?」

 違う、よね。だって私、本当に叔母さんのこと嫌いじゃなかった。良い人だと思ってる。私、わたし、ねえ、叔母さん?


 叫び声に、隣人がやって来た。青ざめた顔でどうした、と言われた時に、初めて自分が泣き叫んでいたことを知った。


 続々と村人たちが集まって来る。医者は自然死でしかあり得ないと言った。殺されたようには見えないと。

 どうして、殺人が疑われたんだろう。考えるだけ不毛だけれど、そう思った。

 苦しかった。私は叔母を恨んでいたんだろうか。嫌っていたのだろうか。だから、祟り殺してしまったのだろうか。


 私は、私をどうするか話し合う村人たちの横で、死人の手を握っていた。——雪のように、しかし決して溶け消えることのない、冷たい手だった。




「こんばんは」

「⁉︎」

 上り框に、昨晩の男の人が座っていた。その膝の上には眠っている妖狐さん。

「あっ、そ、その……」

「急にお邪魔してごめんね。まだ起きているようだったから。……家主が眷属を招いてくれたから、俺もお邪魔できるってわけ」

 優しい笑顔の彼が、そっと妖狐を撫でる。

「一つ、案があるんだけれど、君に協力してもらう必要があるかもしれない」

「! 本当ですか! もちろん、もともと私のお願いです、協力させてください!」

 身を起こした私に、彼は声を洩らして笑った。


「ようやく、『私のお願い』って言ったね」


「え? 私、言いませんでしたっけ……」

「今までとは、意味が違う。ようやく自分から、何としてでも叶えたいって言ってくれたね」

 彼は安堵したように笑う。

「君があんまりにも消極的だったから。叶ったら御の字、って感じがしてたよ?」

「それは……」

「言わなくて良いよ。莉月——こいつから聞いてる」

 深く澄んだ湖のような瞳が、真っ直ぐ私の目を見る。


「絶対に、助けてあげるから」


 私はぎゅっと目を瞑る。

「……はい」

 そうしないと、涙がまた溢れてしまいそうだったから。そうしたらきっと、彼を困らせてしまう。

 ……逆境には、慣れたつもりだったのに。



「それで、作戦なんだけど」

 彼は悪戯っぽく笑った。


「俺と莉月で氾濫の犯人を下流に追いやる」


「そ、そんなこと……」

 危険じゃないんですか、と言う言葉の前に、彼の体が薄れ始める。

「あそこにいるのは成り立ての龍なんだ。次の豪雨まで何とかもたせる。その時に橋が落ちなければ、俺たちの勝ちだ」

「あ、あの、かっ、身体が」

 彼はまた笑う。

「聖域の外にいると消耗するからね。大丈夫、莉月は影響を受けないから」

 この人はいろいろな笑顔を見せてくれる。そのぐらい、いつどんな感情だって笑顔でいる。

「あの、お名前……! 教えて頂けませんか⁉︎」

 彼は、ちょっと驚いた顔をした。

「ああ……そう、だね。名乗った方が良かったか。でも、俺はただの産土神うぶすながみ——氏神うじがみだから……」

 彼は少しの間、目を伏せる。

「俺は香久耶かぐや。香久耶って呼んで良いよ」

「じゃあ、香久耶さん。橋が落ちない理由、香久耶さんのおかげって事にしたらどうですか?」

「……俺の?」

 彼の体が薄れていくのを止める。

「はい。妖狐さん……莉月さんから私、『信仰心をなくしているからぱぱっと解決できない』と聞いてます。なら、信仰心を何とか回復して……!」

 彼は驚いた顔のまま、暫く固まっていた。

「あ、あの……賭けですけど、もしかしたらもっと信仰心を失っちゃうかもしれないけど……」

 上目遣いに見上げると、彼はくしゃっと微笑った。悲しそうにも、嬉しそうにも見える笑顔だった。

「ありがとう。……ちょっと、考えさせて。凄く良い案だから……考えてみる」

 ふわっと風が吹いて、彼は消えていた。

「……よろしくお願いします」

 私はそっと妖狐さんを抱き上げて、一緒に布団に入った。

 生き物の体温がした。




 身体だけになった叔母を見つけた。

 その時の、村人たちの冷えた目を覚えている。

 私はただ、叔母の冷たい手を握ったまま放心していた。


 夜になって、叔母と引き離されて、ようやく感情が動いた。

 困惑、不安、寂しさ、恐れ。

 葬式の最中、喪主に立つ私への視線。冷たく、寒く、怯えを孕んだ、差別の視線。


 ぷつん、と私の中で何かが切れた。それが最後の糸だったのだと思う。

 ——とうとう、居場所を失った。

 ただ涙を隠すように俯きながら、宙を舞うその言葉から必死で目を逸らした。

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