「横谷小春」は殺された

いわうみ

第一章 はじまり

第1話 既視感

 九月二十三日 

 暗闇で一人の少女がなにか言っている。よくは聞こえない。今にも消えてしまいそうな、か細い声だ。俺はその子を知っている。知っているはずなのだ。誰かは分からないが、直感的に「知っている」ということだけが分かるのだ。その子の表情は暗くて見えない。少なくとも笑顔ではないのだろう。

 パッ

勢い良く飛び起きた。体中は汗でびっしょりと濡れている。肌を滴るそれが、すべてを物語っていた。

「また…か」

最近、夢見が悪い。毎日毎日、同じ夢を見る。夢の中の誰かは何かを伝えようとしている。しかし、それが何かは分かりそうもない。

目覚めてすぐに布団を畳み、部屋の隅に寄せる。そして、殺風景な部屋の中にはその布団だけが残される。

「眠い…」

起きるのを拒む瞼をこじ開け、洗面台へと向かい、手に掬った水を顔にぶっかける。水道の水が冷たい。氷のようだ。

「よし! 今日も頑張るぞ」

そう意気込んで、出勤の準備を整える。朝ごはんはコンビニで買えば良いだろう。俺は仕事着に着替え、玄関のドアを開けた。


 朝の会開始のチャイムがなる。ここから、俺の一日が始まるのだ。

「チャイムなったぞー。席着けー」

「はーい!」

 子ども達の元気な声が教室にこだまする。

「みんな席着いたか? よおし! 出席取るぞー」

子ども達の名前を一人一人呼んでいく。そして、サ行が終わりだタ行に入る時、違和感を感じた。一人足りないのだ。両親からの連絡も入っていない。

「あれ? 茅島は欠席なのか? 何か茅島のことで知ってる人いないか?」

様子を見る限り、誰も知らない。そんな感じだった。

「ああそうだ。 凪、何か知ってるか?」

凪は茅島と仲が良い。そのため、彼女なら何かしら知ってると思ったのだ。風邪だとか、ズル休みだとか。

「え? 分からないです」

「分かった。みんな! ちょっと待っててくれ。親御さんに連絡してみるから」

こうなれば、こっちから電話する他ない。俺は生徒達に静かに待っているよう指示し、職員室に向かう。

 教室を出てすぐ、児童達の騒がしい声が聞こえてきた。分かってはいたが、小学生が大人しく先生の帰りを待つ訳がない。しかし、今は注意している暇もない。直ちに、確認を急がねば。


 職員室にある固定電話の受話器を取る。そして、茅島の母の電話番号を入力する。電話の呼び出しコールが鳴り響く。ただ、鳴り響く。鳴り響き続ける。その後、「電話に出れません」。その文言だけが、俺の耳にこぶり付いた。何度も何度もかけた。しかし、応答はいずれも無かった。

「川島先生、どうなさいました?」

「あ…校長先生。それが…」

どうしようもなくなった俺はしかたなく、校長先生に要件を話すことにした。校長先生は上下関係の有無にも関わらず、みんなに敬語を使う。そんな人なので、いいアドバイスをくれると考えたのだ。

「ほお…なるほど。応答が無いと。それなら、欠席扱いにしちゃって良いですよ」

「そうですね。そうするしかないですよね」

しかし、こちら側としても、児童の欠席理由が分からないと心配だ。

「念のために放課後、茅島さんのお家へ伺おうと思います」

「それはいいですね。本当にありがとうございます。川島先生は児童思いの良い先生だ」

「いやいや、滅相もないですよ。そろそろ、戻りますね」

「頑張って下さいね」

こんな感じで、みんなを褒めては元気付ける。だから、信頼される。俺もこんな先生になりたいもんだ。


 教室に戻ってきた俺は休み時間を挟み、チャイムと同時に二時間目の授業を開始した。この時間は国語だ。黒板には「主人公の気持ちが第一だん落と第四だん落でどう異なるかを読み取ろう!」と今日の授業の目標を書いた。児童の学年に合わせた漢字を書くのは意外に難しい。何年生でどんな漢字を教わるかなんて、覚え切れない。

「先生! それ習ってないです」

「え? これか?」

「異」の字を指差す。そしたら、彼女は小さく頷いた。そう、こういうことが起きるのだ。

「ごめん! 平仮名にするね」

その漢字を平仮名に書き換える。ふと見ると、真剣な表情で授業を受ける子、友達と話している子。そして、ここにはいない子…。各々の個性が輝いていた。

「そこ、うるさいぞ。静かに」

「はい!」

それは実に引き締まった声だった。みんな返事だけは達者のようだ。

 気が付くと、授業は残り五分となっていた。キリが良いから、この時間はこれで終わり。

「よおし、今日はこの辺りで終わり! あと五分、寝ててもいいぞー」

「よっしゃ!! 先生優しいー」 

喜んでる。喜んでる。とても、気分が良い。しかし、やはり全員がいないと何か引き締まらない。


 授業が終了し、休み時間に入った頃、ひとりの児童が俺のところにやってきた。

「せんせーい。心那なんで休みなんですか?」

「連絡しても出ないから、先生も分からないんだよ」

変に隠したりはせず、事実をしっかり話した。あらぬ噂をたてられても困る。

「ふーんそうなんですか…。敬老の日に行くとか言ってたキャンプの話、気になるんだけどな…」

その言葉を聞いた瞬間、嫌な汗が垂れるのが分かった。見に覚えのある胸騒ぎがしたのだ。その原因が俺には分かった。三年前、そのまた三年前、さらに遡って三年前…。そして、あのときも。同じだったから。

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