都市と地方の狭間で
あだちよしなが
ある夜、小さな町のある酒場で
これは、私がとある小さな町で体験したある夜の出来事である。
その町は、母方の実家がかつてあった場所である。そして、母が青春時代を過ごした場所である。私は幼い頃に二、三度その土地を訪れたことがあったが、それはもう十年以上前の話であった。
出来心で久々に訪れたその町の様相はかつての記憶と違わず、昼は少し鄙び、夜になると少し賑わう、といったものであった。
その町に着いた夜、私はある酒場に入った———その前に、いくつか他の酒場を当たったのだが、そのどれに対しても、門前払いを食らったのである。それらの店は皆席が埋まっているようで、そのそれぞれの店の中からは、旧友、あるいは棲家を同じくするものなどの、仲睦まじいと思われる会話が漏れ聞こえてきた。
ある酒場に辿り着き、その店内に入ったら、やはりその他の店同様の賑わいがあった。自分は一人であったので、それに気圧されつつ、席はあるのかと訊いた
店主は、あるテーブルを指差した。そこでは、中年の男女が真ん中に座り、すでに語り合っていた。子供の頃に聞いた随分と懐かしい方言で。
「ここ、座りい」
男性の方が、私の母方の叔父——彼もまたこの街で小・中学生時代を過ごしていた——とよく似た口調で席を開けてくれた。自分はそれに少々の肩身の狭さ、それにある種のいづらさを感じながら座った。
酒場は、そこそこに賑わっていた。一人で座った私は、先ほどのいづらさを感じながら、そそくさにビールを注文したが、なかなか出てこない。テレビを見ながら孤独にビールが来るのを待つ時間は、なぜか一時間にも二時間にも感じられた。
ふと隣の卓に目を向けると、私とよく似た歳の男女が二人で語らっていた。彼らの話に、私は気づくと耳を傾けていた。
彼らの友達らしき人々の進路、それらがいづこにあるのか、という話であった。高校を出た後、彼らの高校における同級生は皆散り散りになっていった、という話。またあるいは、その進路がいかなるものであるか。彼らの話はその類のものであった。私は彼らの話を聞いていて、時々突っ込みたくなってしまった。彼らの脳内にある知識量というのは、私や私の高校時代にいた同級生たちに及ばないであろう、と考えてしまった。彼らの会話の端々から、知識の及ばなさを感じ取ってしまったのである、そしてそれは本人たちも自覚しているであろうことは想像に難くなかった。
しかしながら、なぜか私はその話を聞いていたくなった。自分でもどうしてその話が気になったのか、その時は分からなかったのかもしれない———心の底では、あることが気になったのだ。母が青春時代を過ごした、祖母が生まれ育った、この小さな街のことを。自分が生まれるよりも前に母方の家がこの街を出た、それ以降の話を。
考え事は増えた。ビールは空いた。もう一杯くらいと、自分は日本酒を頼んだ。次の日本酒は、ビールほどの間を開けず、わりかしすぐに出てきた。
歳の近いはずの彼らの話を聞いて私は思い知った。彼らと私とは全く別の人生を歩んでいるということを。そしてそれらは今後とも交わることがないということを。かつて母が過ごしたという町で、祖母と母の話を聞くにつけて抱いていた、そこにつながればその人間関係に入れるかもしれないという一縷の望みさえ、もはやそこにはなかった。自分は都会で育ち、人間関係に代替の効く環境に放り出されている、そして現に、そしてこれからも、自分は孤独を強いられている、という状況はもはや変わりようがない、ということを、痛いほど思い知らされた。彼らは地方のこの町で育ち、変わらない人間関係の中で過ごした。彼らの親の中には私の母や祖母を知っている人もきっといるのだろう、しかしその子供であるはずの私自身のこととなると、彼らにとってはもはや赤の他人なのである。この酒場でも、この街でも、自分は孤独であることに変わりはないのである。
以前訪れたとき、そこに住む母の友達の息子と知り合った——という思い出こそあった。だが、それももはや過去のものであると悟った。この街にもすでに新たな世代の、新たな共同体ができつつある。そしてここに自分の居場所はもはやないのである。
不思議なことに、そこに裏切られたという感情はなかった。それは自分の育った場所が違う、という一点のみの理由であった。自分にとってもそれは必然だったのかもしれない。
日本酒を飲み干すと、勘定もそこそこに私は立ち去った。外の雨は幾分か落ち着いてきたようだ。とはいえ、止むのにももうしばらくかかりそうな様子ではあった。えもいわれぬ寂しさだけが、自分の中に募った。夏の短い夜の、儚い出来事であった。
都市と地方の狭間で あだちよしなが @reman_y
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