記憶の運び屋
紡月 巳希
第三章
侵食する影
スマホの画面に表示された「不正アクセス検知」のメッセージ。そこに並ぶ無数の不可解なコードが、喫茶店「メメント・モリ」の穏やかな空気を一瞬にして凍りつかせた。私は震える手でスマホを握りしめ、カイトの表情を覗き込む。彼の灰色の瞳には、これまで見せたことのない、強い警戒心が宿っていた。
「これ…何なんですか、カイトさん?」
私の問いに、カイトはカウンターからゆっくりと体を起こした。その動きは滑らかで、一切の無駄がない。まるで、この状況を予見していたかのように。
「あなたの記憶に混じっていた『ノイズ』は、ただの断片ではありませんでした。それは、誰かから不法に奪われた『盗まれた記憶』の一部。そして、その記憶を悪用し、あるいは隠蔽しようとする者たちがいます。」
カイトは、私のスマホの画面をちらりと見て言った。
「あなたがその記憶に深く触れたことで、彼らは『記憶の運び屋』である私に、そしてあなたに気づいた。彼らは、盗まれた記憶が暴かれることを、何よりも嫌います。」
私が喫茶店に来たことで、カイトまで危険に晒してしまった。その事実に、胸が締め付けられる。
「私のせいで…すみません…。」
「謝る必要はありません。」カイトの声は、再び静けさを取り戻していたが、その奥には確固たる決意が感じられた。「あなたが真実と向き合おうとしている。それは、私にとっても、避けられないことです。」
その時、喫茶店の外から、微かな電子音が響いた。複数の足音が、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ近づいてくるのが聞こえる。窓の外に目を向けても、薄暗い路地には何も見えない。しかし、確かに何者かの存在が、すぐそこまで迫っていた。
「彼らは、盗まれた記憶、そしてあなた自身が持つ真実を、完全に消し去ろうとするでしょう。」カイトは、私が第一章で記憶を預けた、あの古びた木箱をカウンターに置いた。
「この木箱は、記憶を一時的に保管するものです。そして、記憶の運び屋の道具として、周囲の記憶や認識に干渉し、一時的に『幻影の帳(とばり)』を張ることができます。これを利用して、彼らの追跡を一時的にかわす。」
私は彼の言葉に耳を傾けた。記憶を保管し、幻影の帳を張る。彼が「記憶の運び屋」である以上、その能力は、私の常識を超えている。
「私がここで彼らの侵入を足止めし、同時にこの『幻影の帳』を最大限に展開します。その間に、アオイさんはこの箱を持って、奥の扉から逃げてください。この喫茶店は、ただの店ではありません。別の場所へと通じる裏口が存在します。」
カイトは、喫茶店の奥にある、普段は従業員専用だと聞いていた扉を指差した。彼の言葉は冷静だが、その決断の重さがひしひしと伝わってくる。彼を一人残して逃げるなんて、できるだろうか。
「でも、カイトさんは…?私だけ逃げるなんて…。」
「心配いりません。」カイトは静かに微笑んだ。その表情は、私には初めて見る、どこか諦めにも似た、しかし強い意志を感じさせるものだった。「私はこの店の店主です。そして、『記憶の運び屋』は、そう簡単には捕まりません。あなたが持ち去るその記憶こそが、彼らが最も求めているものですから。」
入り口の扉が、ゆっくりと開く音がした。漆黒のスーツに身を包んだ男たちが、まるで影のように現れる。彼らの顔には表情がなく、その存在自体が冷たい圧力を放っていた。
「記憶の運び屋か。そして、その記憶を持つ者も…。」リーダー格の男が、無機質な声で言った。
カイトは、私の肩をポンと軽く叩いた。その手が、まるで私の心を落ち着かせるように、温かかった。
「アオイさん、行ってください。あなたの記憶の真実を、あなた自身で見届けて。」
私は迷った。しかし、カイトの瞳の奥に宿る、私の安全と未来を願う強い覚悟を感じた。そして、この喫茶店に来て、少しだけ見え始めた真実を、ここで終わらせてはならないという衝動があった。私は木箱を抱きしめ、カイトが指差す奥の扉へと駆け出した。
扉を開けると、そこは薄暗い通路になっていた。私は迷わずその奥へと進む。背後からは、カイトと男たちの争う音が聞こえてくる。金属がぶつかり合うような音、そして、微かな電子音。私は振り返りたい衝動に駆られたが、カイトの「あなたの記憶の真実を、あなた自身で見届けて」という声が、私を突き動かした。
通路の先は、下へと続く階段になっていた。私は暗闇の中を駆け降りる。この記憶の旅は、私が思っていたよりも、はるかに危険なものだった。そして、この先に何が待ち受けているのか、カイトとの再会は叶うのか、私にはまだ分からなかった。私は、カイトが私に託した木箱を強く握りしめた。
記憶の運び屋 紡月 巳希 @miki_novel
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