出会い

12歳のあの日。俺は、かけがえのない出会いをした。


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      数年前 ??? 5:24

      荒廃都市 スラム街 表通り

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……どれほど歩いて来たのだろうか。


俺は今、このいつもと変わらない寒空の下で、このいつもと変わらないスラムの中を、ただ一人歩いていた。


人気は無く、乱雑に立てられた街灯の明かりが辺りを照らす道だ。


あの曇り空が闇に包まれてから、もうだいぶ経つ。


……"あれ"から一週間とちょっとか…?


俺は元いた"組織"から抜け出し、ただあてどなく彷徨っている。


あの時はもう、銃声に爆発に叫び声に…なにもかもめちゃくちゃで、何があったのかは俺も良く分からない。


まぁ、もともとあんなトコ逃げ出してしまいたいと思っていたところだ。幸運だったと信じたい。


しかし幸運というのはどうにも長続きしないらしい。


気付いたのは2日目の晩くらいだっただろうか。


明らかに睡眠時間が短い。そもそも体が寝たいと思っていても、脳ミソがそれを許さない感覚がする。これじゃロクに寝付けやしない。


ようやく寝れたと思ったら、目覚める前と後で外の景色が全く変わってないときたもんだ。たぶん1~2時間そこらしか寝れてないんだろう。


…自分の体が他人とは違うことくらいは、なんとなく察していた。


12のガキだってのに力も体力も大人よりある。傷の治りだって早い。

骨折したら治るまで普通1ヶ月はかかるって聞いてのに、一週間経たない内に治っちまった。


今まではただ"仕事"をこなすにも何をするにも便利な体としか思わなかったが、まさかこんな副作用があったとは…


毎晩寝る前にブチ込まれてたあの薬。たぶんあれが俺には必要だったんだろう。


おかげで今は酷い有り様だ。


まず頭が痛ェし、胸の動悸が酷い。


息はずっと乱れててめちゃくちゃ苦しいし、外はクソ寒いってのに、嫌な汗がフキ出し続けている。


無限に湧いてくるこの形容し難い不安感は俺の心を蝕み続けて気が狂いそうになるし、夜通し歩き詰めたせいで足も限界だ。


おまけに腹が減りすぎて胃も痛む。


食い物は"組織"から逃げるときに幾らかパクってきた。何回か盗みもしたから、結構な数がある筈なんだが…


そう思いつつ、バックパックの中を覗き見る。


…クッキーみてぇなブロックが4本入った箱一つと、500mLの水が1本。


ケチって食えばあと2日分は持つだろう…………普通の人間なら。


どうやら俺はそうもいかないらしい。


こうなって気付いたが、俺は人よりも"燃費"が悪い。


丸一日程度なら食わなくてもやっていけるだろうと思って食事をケチったら、1日も終わらない内に意識を失いかけた。


だから今手元にあるこの飯は、どう見積もっても1日分しか無いのだ。


そしてその最後の1日分を消費する時間は、すぐそこまで迫っている。


さすがにマズい。またどこかで飯を盗まなくちゃならないが、目ぼしい標的がどこにもいない。


普段なら良いが今は体力的にも限界過ぎて、大人相手に実力行使とかもとてもじゃないが出来やしない。


……せめて"アレ"から盗めれば……


そう思いつつふと視界に入ったのは、ちょっとした小屋のような、ディスプレイのついたデカい箱だった。


そのディスプレイは眩しく辺りを照らしており、そして食い物やら飲み物といった"商品"を映し出している。


アレはたぶん、自動販売所かなんかなんだろう。設置してるのはあの大企業"エクセラ・メカニクス"らしい。


初めて見た時は、こんなクソ治安の悪ィスラムで無人販売かよ…とも思った。


だがわざわざこんなとこに置いとくだけあって、そのセキュリティは万全だ。


まずあの箱全体がデケェ金庫みてぇになってやがる。硬ェってたらありゃしない。


爆薬を持ち出しても穴一つ空かねぇんじゃねぇかと思う程だ。


次に"商品"を補充するためにある裏のドアには厳重な電子ロックがかかってやがる。


物理的なロックならピッキングでも出来たんだろうが…


そして最後に、自動販売所で異変を感知すると即座に通報が行って、エクセラのセキュリティチームが飛んで来やがる。あいつらは…本当にしつこい。


……何でこんなに詳しいかって?


そりゃ勿論、"やらかした"からだ。


俺は開かないドアは蹴破ればなんとかなるもんだと思ってたし、そうしてきた。


ここでもそれを実践し、そして痛い目を見た訳だ。


ったく来んのが早すぎんだよアイツら……お陰で余計に体力を消耗するハメになっちまった。


……ああクソ。ディスプレイに映る"商品"がどうにも恨めしい。まるで空腹を煽られてる気分だ。


俺は一刻も早くソコから離れたくて、すぐ脇に見えた路地へと逃げるように進んでいった。


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      数年前 ??? 同刻

        スラム街 路地裏

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休める場所を探し、ビルとビルの狭間、ほの暗い迷路のような道を歩いていく。


もう本当に限界だ──そう思った矢先、ようやく少し開けた場所に出た。


三方が壁に囲まれている小さな空き地だ。見たところ手付かずのようで、良い具合に人目につかなそうな場所。


よし。ここで休もう。


そう思い俺はその空き地に足を踏み入れた。


……しかし入ってすぐ、俺の背筋には緊張が走った。


……誰かが、倒れている。


入り口からは死角になる位置で、誰かが横になって倒れていたのだ。


先客だろうか?


何かあったらすぐ逃げられるように距離を取りつつも、俺はそいつをよく観察してみた。


…………体は小さい。体格的にも俺と同じか少し下くらいの女の子のようで、全体的にかなり痩せ細っている。特に手足なんかは、まるで骨と皮だ。


長い髪に、ボロきれみてぇな服。靴も履いてない。


顔はよく見えなかったが、息をしているようには見えない。


これは、おそらく──


「………餓死、か……」


……ここまでの道中でも死体なんて山程見てきた。それにちょっと前までは、その死体を"作る"仕事をさせられてたんだ。今更こんなので怖じ気付きはしない。


だが、今の俺にとってこの死体は中々キツいもんがあった。


もう頭がどうにかなりそうだったのもあるだろうが、コイツを見ていると"あと数時間後の俺の姿"をまざまざと見せつけられてるような気分に襲われる。


……空腹でぶっ倒れ…動くことも、助けを呼ぶことも出来ず、ただ胃の痛みを感じながら、ゆっくり…ゆっくりと意識を飛ばしていく。


そうは、なりたくはない。


せっかく掴んだ自由なんだ、そんな終わりは、いやだ。


ハッ、と我に帰った。目の前には、ただの死体が1つ転がっているだけだ。


そう、ただの、死体だ。


"こう"ならない為にも、やるべき事を再確認する。


まずいい加減飯を食わないとぶっ倒れそうだ。しかし流石にここじゃあ気分が悪すぎる。


せっかくなら睡眠もとっておきたかったが、今ので完全に目が覚めちまったし、どうせ元よりロクに寝られやしない。


とりあえずここは諦めて、歩きながら飯を食うことにしよう。後の事は……まぁ歩きながら考えよう。


そう思って、俺は踵を返し、この空き地から出ていく事を決めた。


来た道を戻る為、足を踏み出した──その時だった。


「──ッ!? 」


俺の耳が"何者か"を捉えた。後方からだ。


物が動いた音じゃない。俺にはわかる。確実に生き物の音だった。


まさか"アイツ"以外に誰か居たのか……?


いや、そんな訳がない。あの場所に隠れられるような場所は無かった筈だ。


じゃあ人間以外か?いや、それも違う。


ここら辺はもう人以外の生き物は虫くらいしか居ない。虫じゃああんなに"重い"音は鳴らせない。


それならば……じゃあ、まさか……


俺はさっきまで見ていた死体に目を移す。


どう見ても死んでいるようにしか見えない。俺はその死体をもう一度よく凝視した。


…………


……………


………………!


かすかだった。とてもかすかな動きだったが、指先が確かに動いたのをこの目で見た。


コイツ…まだ生きている!生きているぞ!


俺はソイツに声をかけようと歩みを進めようとして──止めた。


死んでたと思っていた人間が生きていた──


そんな驚きにつられるがままついソイツに駆け寄ろうとした俺を、冷静な俺が引き留めたのだ。


……助けて、どうするつもりだ?


よく考えろ。


確かに今俺が持っている飯を半分くれてやれば、コイツは助かるかもしれない。


しかし……俺はどうなる?


俺にとっちゃこの量の飯全部で1日やっていけるかどうかの量なんだぞ?


というか、何で俺はコイツを助けようだなんて思ってんだ?


しかも、見ず知らずの人間を助けようとか……幾ら不安感で脳ミソイカれそうだったからってバカにも程がある。


………それに、それにだ。


助けて、どうなるってんだ?


正直今の俺はかなりギリギリだ。まもなく飯は完全に尽きる。


……そんな中でコイツを助けた所で、結局すぐ2人揃って野垂れ死ぬ事になりかねない。


人を助けるなら、その"責任"は"最後"までとらなくちゃあならない。そう、"最後"までだ。


俺に、その"責任"が、背負えるのか?


ぬか喜びさせるだけさせて、結局死なしちまうくらいならば……


俺は"ソイツ"に背を向け歩きだした。


そうだ。それで良い。


コイツは、俺には助けられないんだ。


……そう、自らを正当化しながら。


そうだ。俺は正しい。何も間違ってなどいない。


俺は冷静だ。正しかった。これで良かったんだ。


そう。……これが……正しくて………


だから……


それで………


………………。


………ああ、クソッ。


俺はついさっきまでの思考を全部ぶん投げ、振り返ってアイツに駆け寄った。


正しさだとかなんだとか、もう知ったことか。


ただでさえ最悪の気分なんだ。これ以上クソみてぇな気分にされてたまるかってんだ。


感情の赴くまま、俺は彼女に声をかけた。


「……おい。聞こえてるか? 」


呼び掛けながら、軽く肩を揺する。


すると……


「ぅ……ぁ…? 」


かすかだが、彼女が呻き声を上げた。


うつむけていた顔を、ゆっくりとこちらに向ける。


長い髪の隙間から覗く瞼が、開いていく。


……その瞳に、生気は感じられない。


光は無く、まるで死人のような瞳だった。


俺はバッグの中にあった最後の飯の箱を開け、内袋を破る。


クッキーみてぇなブロックが4つある。2本取り出して彼女の前に見せた。


「ほら、食えよ」


彼女はそのまま固まっていた。まだ状況を飲み込めていないのだろうか。


「飯だよ。これ…くれてやるから。ほら、起きろって」


ようやく状況を理解したのか、彼女は目を見開いて、体を起こす。


がっつくように俺が持っていたブロックを取るや否や、勢いよく食い始めた。


一口一口食べ進める内に、さっきまでの死人のような瞳に、光が宿っていく。


よく見ると、涙を流しているようだった。余程腹を空かせてたんだろう。まぁ当然か。


「う"っ!……ゲホッ…ゲホッ……」


1本食い終わった所で、彼女の様子がおかしくなった。


あんまり勢いよく食い進めたもんだから、どうやら喉に詰まらせちまったようだ。


「あ~……あ~……」


バッグから水を取り出してキャップを開ける。


「ほら、水、水」


ボトルを差し出すと、これもがっつくように受け取り、勢いよく飲み始める。


ある程度飲んで喉が潤ったのか、今度はもう1本のブロックに口をつけ始めた。


さっきまでとはうってかわって、まさに"生き返った"とも言うべき様子だ。


……俺も食うか。


俺はそこら辺にあった適当な箱を彼女の前に引っ張って来て、向かい合うようにそのままそこに座り込むと、残った2本のブロックを取り出した。


……2本かぁ…


ただでさえ少なかった飯を半分くれてやっちまったせいで、1日分だったのが半日分になっちまった。


もう後のプランは何一つ思い浮かばない。


考え無しの、バカみてぇな選択だ。


……ちょっと気分がマシになっただけの。


まぁ選んじまったもんはしょうがない。


選択したのは俺だ。一度選んじまったからには、行き着くところまでいくしかない。


そう思いながら、ブロックを一口かじる。


……相変わらず質素な味だ。


「…ねぇ」


無心でそれを食ってたら、震える声で、彼女が話しかけてきた。


いつの間にか食い終わってたようだ。涙を浮かべ、語りかけてくる。


「……ありがと」


たったそれだけの、感謝の言葉。


しかし俺にとっては、人生で初めての感謝の言葉だった。


「……あぁ」


感謝を貰う事に慣れていない俺は、ただ無愛想に相槌をうつだけだった。


長く息を吐き、空を見上げる。


ビルの隙間から見える景色は、相変わらずの寒空だ。


昨日と同じ曇り空が、心地よい風と共に光を帯びてくる。


夜が、明けようとしていた。


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      数年前 ??? ??:??

          ???

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いい匂いがする。


なんの香りだろう。


とても心が安らぐような……ずっとこうしてたいと思うような香りだ。


この香りの正体は、なんだ…?


その答えを探る為、手を伸ばし……


……そこで目が覚めた。



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      数年前 ??? 8:30

        スラム街 路地裏

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いつの間にか寝ていたようだ。


…知らない他人がすぐそこに居たのにか?


ハァ……俺も相当"キてる"らしいな……


だんだん視界がハッキリする。


そうだ、アイツは……


そう思った矢先だった。


とてもきれいな、琥珀色の瞳。まるで吸い込まれそうなその瞳で、彼女は俺の顔を覗き見ていた。


ただ、じーっと。


「あ、起きた」


彼女がボソッと言う。


何故だろうか。俺は今無防備で、そこに知らない誰かが居る。


普通なら飛び起きて然るべきなのに、俺はどうにもそうはなれなかった。


今までで感じたことの無い程の安心感。


もしコイツが俺の目の前に銃口を突きつけてきても、そのまま受け入れてしまいそうな………


………って、何考えてんだ……


さっきまでのアホらしい思考を振り払い、俺は本格的に意識を覚醒させ、伸びをする。


何時間経った……?


上を見ると、もうとっくに空は明るくなっていた。だいたい3時間って所だろうか。


………3時間…?


…ウソだろ、今までで一番寝れてる。


まだ頭は痛ェが、それ以外はまぁマシにはなった。


ただデケェ問題が一つ残っていたのを思い出す。


……腹が、減った…


そうだ。昨日残り少ない飯を半分くれてやっちまったせいで、俺に残された時間はほとんどなかったんだった。


もう今ですらクラッとキてる。どうするか考えねぇと……。


「……どうすっかな」


そう呟いて思考を巡らせようとしたその時、彼女が口を開く。


「…何かお困りで? 」


…いやお困りで?って、そのお困りの元はお前で……


…………いや、違う。あの選択をしたのは俺だ。彼女に責任はない。


だが状況が悪いのは事実だ。とにかく相談するだけしてみる事にした。


「いや……飯がな、もう無いんだよ」


「いきなりこんなん言うのもアレだが……俺は人より燃費が悪くて……すぐにでも食い物を見付けないとぶっ倒れちまうんだ」


「……あー?…うん、えーと…」


「…つまり、"ご飯がたくさん要る"って事? 」


「まぁそういう事だ。どうにかしねぇといけないんだが……」


「ふーん……」


理解してくれて助かる。しかしコイツも空腹でぶっ倒れてたクチだ、あんまり期待は………


「ねぇ、スマホとか持ってる? 」


……なんだ、いきなり。


持ってるか持ってないかで言えば、一応持ってはいる。


"組織"を出る時にこっそりパクってきたものだ。


ただパスワードがわかんねぇせいで使い物にはならなかったが……


まぁどうせ役に立たねぇんだ、くれてやるか。


「ああ、持ってるが……パスワードはわかんねぇぞ? 」


「あーへーキへーキ。ちょっと"コレ"だけが欲しくてねぇ……」


彼女は俺からスマホを受けとると、手際良く背部のカバーを開く。


そこに入っていたのはスマホの"バッテリー"だった。


それだけを取り外してスマホを返すと、次はポケットからスマホのような何かを取り出した。


パッと見スマホのように見えるが、デザインが少し変だ。


その変なスマホのバッテリーと、さっき取り出したバッテリーを交換すると、その後は何かを試すようにその変なスマホを弄くりまわす。


しばらくすると……


「よし……イケる! 」


「あ?何が……」


「ついて来て! 」


作業を終えたと思ったら、俺の袖を引っ張りながら、彼女は空き地の出口へ向かって小走りで向かって行った。


……なんだってんだ?


俺はただ困惑するばかりだったが、まぁ俺と違って何か考えでもあるんだろう。とりあえず任せてみる事にした。


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      数年前 ??? 同刻

      荒廃都市 スラム街 表通り

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連れられるがままに辿り着いたのは、路地の入り口のすぐそばにあった自動販売所、その裏側にある扉の前だった。


……ちょっと待て。まさか……


嫌な記憶が蘇る。万が一セキュリティガードでも呼ばれてみろ、今の俺じゃあコイツを抱えて走るのは不可能だ。


俺は忠告する。


「おい待て、"コレ"に触るのは───」


「フフン、大丈夫だって。見てな」


俺の静止を遮ると、彼女はさっきの変なスマホを取り出し、電子ロックに近づけてなにか操作し始めた。


「ここを……こうして……」


「へへっ、相変わらずチョロいね~……」


何をするつもりだ……?


心穏やかならざるまま、俺は彼女の作業を黙って見ていた。


しかし俺の心を裏切るように、その結果は実に拍子抜けだった。


「ほい開いたー」


「はっ?──」


ピーッという音と、ガチャリという音。あの厳重なドアが、いともあっさりと開いてしまった。


ガードが飛んでくる気配もない。


俺はただ呆気にとられて呆然とする。


「ほら、何してんの。漁れるだけ漁ろうぜ? 」


「……ああ、そうだな、うん」


彼女に手を引かれて扉の奥に進む。


そこはまるで天国だった。


飲み物も食い物も幾らでもある。俺はまずパンだの豆だのの缶詰めと水、そしてレーションを幾つかかっさらい、バッグに突っ込んでいく。


次に目をつけたのは密封包装された肉。加熱要らずでそのまま食えるもののようだ。


俺はそれを手に取り、そのまま……


…………


食った。


流石に我慢出来なかった。凄ぇウマい。


今までの反動もあって、俺の胃袋には幾らでも入りそうだ。


とりあえず今さっさと食えそうな分だけは食ってしまうことにした。


ああ、久しぶりに活力が湧く感覚がする。今なら"ジャンカーズ"どもに絡まれたって逃げずにぶちのめしてやれそうだ。


周りを見ると、彼女はお菓子類を両手いっぱいに抱えていた。それと、幾つかの使い捨てバッテリーもポケットに突っ込んでいる。


彼女と目が合う。


まるで"にしし"とでも言うような笑みを向けてくる。俺もつい綻んでしまった。


「よし、そろそろ行くか」


バッグいっぱいに食い物を詰め込み、彼女も取るもんは取ったようだ。これ以上の長居は無用と判断し、声をかけた。


「しゃあーっ、いこーいこー! 」


俺は彼女を連れ、そそくさとそこを去った。


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      数年前 ??? 9:10

        荒廃都市 街道

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今俺達が歩いているのは、スラムとスラムの狭間にある、廃墟が立ち並ぶ広大な道だ。


"ジャンカーズ"しか居ないスラムと違って、"アニマータ"とも出くわす可能性のある危険な場所だが、まぁ問題は無いだろう。


なんてったって、腹が満たされたお陰で久々に最高のコンディションだ。


大抵の奴ならアイツを守りながらでも余裕でブッ飛ばしてやれる。…頭が痛ェのは相変わらずだが。


当分の食料はなんとかなった。新しい調達分も彼女がいれば大丈夫だろう。


というわけで、俺達は落ち着いて休めそうな場所を探していた。


「んふふ~。いやぁ大量大量~」


底抜けに明るい声で、前を歩いていた彼女が言う。


つい数時間前まで死にそうになってたってのに、今じゃ大量のお菓子を抱えてずいぶん上機嫌なようだ。


まぁ俺も最高の気分な訳だが。そしてそれは彼女のお陰でもある。


「……なぁ、お前さっきのアレって…」


彼女は凄い。あの自動販売所で何をしたのか聞いてみる。


「あぁアレ?ちょいとハッキングしたんだ~」


「ハッキングって…アレ、仮にもエクセラんとこの厳重なヤツだぞ…? 」


「エク…?まぁ知らんけど……」


「……いやぁでもまさか盗み一回やっただけで"ツール"の充電が切れるとはね……」


「最後に開けた奴は中身ほとんど空っぽでさー、ほーんと死んだかと思ったよ」


彼女が振り返り、俺の顔を見ながら言う。


「ありがと。助けてくれて」


「本当に、ありがとう」


とてもきれいな笑顔だった。


「あぁ……俺は…別に……」


人生で二回目の感謝だ。


しかし俺はまたも素直に受け取れなかった。


元々感謝されるのに慣れていないのもある。


だがそれ以上に、一度見捨てようとしたという事実が、後ろめたさを加速させた。


そのまま目を逸らしていると……


「ねぇねぇ」


無邪気に声をかけられる。


「なん──!? 」


返事を返そうと開いた口に、何かが突っ込まれた。


……飴だ。さわやかなレモン味だった。


……こんな無防備に口に何かを突っ込まれるなんて……もう本当にコイツから銃突きつけられてもそのまま受け入れちまいそうだな……


「美味しい? 」


「…んあ」


俺は飴を咥えたまま返事した。


「"オーカ"」


……どうした急に。


「"カグサメ・オーカ"。あたしの名前」


オーカ。それが彼女の名前のようだ。


「そうか。……助かったよ。オーカ」


「お前がいなけりゃ、俺は多分今頃ぶっ倒れてた」


「どーいたしまして。……で、キミの名前は? 」


「俺か?俺は……」


名前、か。


そういえばこれまでの人生で、ロクに"名前"と呼べるようなものを持っていなかったような気がする。


名前……思案を続ける内に、あるワードが浮かんでくる。


"灰色の狼"。


俺のターゲットになった奴らが、殺られる直前にそう言ってたんだったか。


「……名乗れるような名前は、無いな」


「ただ、何度か"灰色の狼"と呼ばれた事は、ある」


「まあ好きに呼べよ」


彼女は「ふーん」とだけ言うと、すぐさま、


「じゃああたしがつけてあげるよ」


そう言い放った。


なんだって……?


名付けるのか…?お前が?


……まあ良いか。好きに呼べと言ったのはこっちだしな。


オーカはそのまま何か考え込み出してしまった。


そしてしばらくして、ボソリと呟く。


「"レイラ"……」


「うん、これがいい」


「あなたの名前は"レイラ"。よし、決まり! 」


"レイラ"…それが俺の名前らしい。


なんだか腑に落ちないが、彼女が満足してるようなのでもうそれで良いだろう。


「"レイラ"ねぇ……」


「意味とかあんのか? 」


名前の意味を聞いてみる。


「ん~……」


「……ヒミツ」


「なんだそりゃ」


なんかもう笑っちまった。


彼女もつられて笑っている。


というか"灰色の狼"関係なかったなオイ。なんだったんだあのクダリ。


「これからよろしく。レイラ」


"よろしく"、か。


そうだな。俺は彼女を助けた。


助ける事を、選んだ。


助けるということは、責任を持つという事だ。


……良いぜ。その責任、最後まで背負ってやるよ。


「ああ。よろしく。オーカ」


彼女の顔を見つめて、そう言った。


無限に続くようなこの"荒廃都市"のド真ん中。


空は相変わらずの曇りだ。


吹いてくる向かい風は、相変わらずクソ冷てぇ。


しかし…気分は良い。


咥えている飴のお陰だろうか、吸い込む空気が、とても心地良い。


忘れもしない、12歳のある日の記憶。


人生最高の出会いだった。

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