第4話「デッドロック」


 銀の閃光が霧を裂いた。

 最初の弾丸は空を切り、木々を揺らす。

 遅れて耳を打つ、爆ぜる音。

 森そのものが震えた気がした。


 魔女が銃を構えている。

 僕はその肩に寄せられたまま、目を見開くしかなかった。

 音は消えない。鼓動の奥でまだ続いている。


 霧の向こうで三つの影が歩を進める。

 魔女が放った弾丸をものともせず、一歩。また一歩。

 均等な歩幅と整った呼吸が、森の呼吸を上書きしていく。


「相変わらずだな。挨拶より先に、銃声か」


剣を払う。火花が散る。


「わざと外したか」


 無骨に長銃を担ぎ直し、低く吐き捨てた


 フレイルを指先で鳴らしながら前に出る。


「外した? 違うわよ。私たちを試してるんでしょ。――ほら、舐められてる」


 アレグロが視線だけで彼女を制し、淡く首を振った。


「試されているのは、いつも我々だ」


 ヴィヴァーチェが舌打ちしながらも、一歩、霧を蹴って進む。


「だったら撃ち返すだけよ」


 霧の向こう、魔女の片目が赤く光った。


 最初に飛び込んできたのは、小柄な影。

 ヴィヴァーチェ。

 鎖が唸る。鉄球が弧を描き、空気を裂いた。


 魔女は動かない。

 ただ、腕を傾け、銀を一つ放つ。

 火花。

 鎖と弾丸がぶつかり、弾ける金属の悲鳴が森に散った。


「早く眠りにつきなよ、魔女!」


「その音じゃ、子守唄にはならない」


 そこから、猛攻。

 ヴィヴァーチェが跳び、落ち、捻る。鉄球が地面を削り、反響で耳の奥が泡立つ。


 ヴィヴァーチェの隙──ほんの呼吸、一拍分。

 その薄い裂け目に、レガートの狙撃が差し込まれる。

 夜の長さを模した銃身は、黒の口をこちらへ、真っ直ぐ向ける。

 撃発。音が遅れてやってくる。


 不意の一撃でも、魔女は正確に撃ち落とす。

 黒い弾丸の軌道を溶かした。

 火花が飛び散って、一瞬、ほんのさなか、昼のように明るくなる。


「化け物め」


 レガートが低く、確かに呟いた声が聞こえた。

 魔女は次弾を悉く、跳ね除ける。


 瞬間に、アレグロが前へ出た。


 剣が三日月を描くように閃く。

 魔女が放つ弾丸と交差し、金属同士がぶつかり合い、弾ける音が耳を劈く。


「まだ復讐に踊らされているのか」


 剣と弾丸の間で、アレグロが問う。

 低い声で、しかし礼節の形をした、言葉の刃。

 紳士の所作のまま、刃だけは無慈悲に振り下ろされた。


「そういう脚本を描いたのは、"マエストロ"でしょう」


 魔女の返答は静かだった。


「脚本は変えられる。役者が変えたければ、だが」


「そうやって幕を下ろす芝居なら、最初から全てが茶番よ」


 切れ味はどちらも抜群で、ただ血が出ない。

言葉は刃。刃は言葉。


 銀弾が走る。


 アレグロは一歩分だけ踏み込みを深くし、レガートの銃口がその影に重なり、ヴィヴァーチェの鎖が三角形の頂点から落ちてくる。三つの線は、僕らを中心に綺麗な図形をつくる。美麗――だから、残酷だ。


 息が詰まる。

 怖い。けれど美しい。目を閉じられない。閉じている場合じゃない。


 魔女は僕を抱いたまま、再び弾を放つ。

 右へ。左へ。

 撃つたびに黒い弾が撃ち落とされ、鎖が逸れ、剣が弾かれる。

 彼女は一歩も動かない。

 ただ撃つ。撃って、全てを押し退け、弾き返す。


「底が見えんな、弾丸の」


 レガートが唸る。


 魔女は笑わない。目だけが赤く燃えている。

 何を宿して燃えているのか、定かではない。


 三人は再び陣形をとる。

 鎖が絡め取ろうと迫り、長銃が隙間を狙い、剣が正面から押し込む。嵐のような猛攻。


 けれど魔女は崩れない。


 弾丸が鎖を砕き、狙撃を弾き返し、剣を滑らせる。

 銀の光は絶え間なく溢れ、霧を白く染めた。


 僕はただ見ていた。

 恐怖も畏怖も、言葉にならない感情も、全部が胸で暴れていた。

 それでも目は離せなかった。焦がれている。


 どれほど続いただろう。

 金属と火薬の音が重なり合い、森の夜を埋め尽くす。

 やがて互いに呼吸が荒くなり、動きが鈍る。


 魔女の銃身にも熱が立つ。彼女はそれでも一歩も動かない。支える腕の力を緩めない。僕を中心に夜が回る。


 剣が止まる。

 銃口が下がる。

 鎖が垂れる。


「これ以上は」


 アレグロが、切っ先を僅かに下げる。言葉を置く場所を選ぶように、一拍置いてから、続ける。


「泥仕合だな」


「ええ、そうね」


 魔女も銃口を下げる。左目の灯りが薄くなる。


 ヴィヴァーチェが大きく舌打ちして、鎖を肩に掛けた。


「つまんない」


「面白がれるうちは、互いに退くのが正解だ」


 レガートが低く言い、長銃のボルトを引いて空撃ちを一度だけ鳴らす。名残りの音。儀礼の音。


「殺し切れないのは、どちらも同じ」


 魔女の声も低い。


 霧の中でしばしの沈黙。

 互いに決定打を打てないまま、ただ疲労だけが積み重なっていた。


「次は、扉の向こうで会おう」


「鍵はたいてい、あなた達が持っている」


 彼女の返事は皮肉に見えて、事実だった。


「行くぞ」


 アレグロの合図で、三人の影は、霧へ溶けていく。

 靴音が遠ざかり、やがて静寂が戻る。


 風が戻り、葉の表裏が遅れて向きを変え、火花の匂いが、湿った土に吸われていく。


 彼女は、ようやく僕の肩から手を離した。体が軽くなったのに、膝が笑う。僕は遅れて息を吐く。湿った空気が肺を焦がし、すぐ冷える。


 震えていることに、そのときやっと気づいた。


 魔女は銃を下ろし、懐へしまい込む。


「目を閉じなかったわね」


 僕の瞳を真っ直ぐと見つめ、そう言った。


「言われたから」


「命令じゃないアレは。お願い」


 魔女は、コートに飛沫した砂埃を取り払う。


「怖かった?」


 僕の顔を覗き込むように問う。


「わかりません。─――でも、綺麗でした」


 答えてから、自分の言葉に少し驚く。綺麗は、褒め言葉じゃない。残酷と同義だ。

 彼女は、ほんの少しだけ目を細めた。それが笑いなのか、笑うという動作なのか、判断できない。


 ああ、でも。


 彼女はわずかに笑った気がした。


 霧の奥で鳥が一羽鳴き、夜がまた落ち着きを取り戻していく。

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