第12話 ロジカルシンキングの導入と選択

反応槽の沈黙は、依然として続いていた。 DO値は低下したまま、微生物群の活性も戻らない。 魔力波の位相ズレ、流入水温の変動、微生物相の変化――要因は複雑に絡み合っていた。


リオ=フェルナードは、分析端末の前で眉をひそめていた。 「何が原因なのか、はっきりしない……」


その時、背後から静かな声がかかった。


「フェルナード。思考を整理するなら、ロジカルシンキングの手法を使ってみるといい」


声の主は、魔力技師ユリス=グレイ。 波動制御装置の設計を担当する、沈着冷静な技師だった。


「ロジカルシンキング……ですか?」


「そう。技術者にとって、複雑な現象を分解し、構造的に理解する力は不可欠だ。 まずは、基本的な思考法から説明しよう」


ユリスは魔力投影式ホワイトボードを起動し、中央に「論理的思考の基本」と記した。


「演繹法と帰納法、聞いたことはあるか?」


リオは頷いた。


「演繹法は、一般的な原理から個別の結論を導く方法。 たとえば、“微生物は温度に敏感である”という原理から、 “流入水温が低下すれば活性が下がる”という結論を導く。 一方、帰納法は観察された事実から一般的な法則を導く。 “今週のDO値低下はすべて夜間に発生している”という観察から、 “夜間の魔力波に異常がある可能性”を推定する」


リオはメモを取りながら、思考の軸が整理されていく感覚を覚えた。


「次に、情報を構造的に整理するフレームワークだ。 代表的なものに、MECEとピラミッドストラクチャがある」


ユリスはホワイトボードに二つの図を描いた。


「MECEは“Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive”―― つまり、漏れなくダブりなく情報を分類する手法だ。 たとえば、反応槽の異常原因を“物理的・生物的・魔力的”の三軸に分けるのはMECEの考え方に近い」


「ピラミッドストラクチャは、結論を最上位に置き、 その根拠を階層的に並べる構造。 “反応槽の沈黙は魔力波の位相ズレによる”という結論に対して、 “DO値低下”“微生物相の変化”“波動制御装置の誤差”などの根拠を下層に配置する」


リオは目を輝かせた。


「なるほど……情報をただ並べるのではなく、構造として捉えるんですね」


ユリスは頷いた。


「その通り。そして、今回のように原因が複雑に絡み合う場合は、 ロジックツリーが有効だ。問題を“結果”として中央に置き、 そこに至る“原因”を枝分かれで描いていく」


ホワイトボードに「反応槽の分解効率低下」と記され、三つの枝が伸びた。


【物理的要因】 ・流入水温度の低下 ・曝気装置の出力変動 ・撹拌の不均一


【生物的要因】 ・微生物相の構成変化(アエロバクター減少、バシラス増加) ・ボルティケラの形態変化(釣鐘部縮小、軸の節形成) ・汚泥の沈降性低下


【魔力的要因】 ・魔力波の位相ズレ(午前3時の乱れ) ・振幅の低下 ・波動制御装置の自動復旧による誤差


「このように整理すれば、どの要因がどこに影響しているかが見えてくる。 次は、各要因の“影響度”と“発生頻度”を評価してみよう」


リオは各項目に「高・中・低」の評価を付けていった。 魔力波の位相ズレと微生物相の変化が、最も影響度が高く、発生頻度も中程度以上だった。


「この二つが、今回の沈黙の主因かもしれません」


「そうだな。魔力波の位相調整は、反応槽の共振を回復させる鍵になる。 ただし、制御装置の再調整には、波動設計の再検証が必要だ。 それは、君の役割じゃない。だが、提案はできる」


リオは気づき帳を開き、今日の記録を残した。


ロジカルシンキング導入。演繹法・帰納法・MECE・ピラミッドストラクチャを学習。 ロジックツリーを用いて原因を三軸で整理。 魔力波の位相ズレと微生物相の変化が主因と推定。 波動制御装置の再調整提案に向け、影響度評価を実施。


その日の夕方、リオはセイ主任に報告を行った。


「反応槽の沈黙について、ロジカルシンキングの手法を使って原因を整理しました。 魔力波の位相ズレと微生物相の変化が、最も影響していると考えられます。 波動制御装置の再調整を、魔力技師に提案したいと思います」


セイは報告書を受け取り、静かに頷いた。


「よく整理したな。現場の観察と分析を、構造的に繋げられるようになってきた。 提案は通す。ユリスにも話を通しておく」


リオは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。次は波動設計の再検証に向けて、現場データを整理します」


夜の水処理棟は、魔力波の周期に合わせて静かに脈動していた。 リオは反応槽の縁に立ち、沈黙の水面を見つめた。


「問いを持つ者にだけ、現場は答えてくれる。 この沈黙も、きっと何かを語っている」


彼女の目は、次の仮説に向かっていた。

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