第8話 沈砂池棟最終話 ― 技師の問いは次の現場へ
沈砂池棟の朝は、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。 魔力粒子選別フィルターの稼働から数日。沈降率は安定し、浮遊物の発生も抑えられている。 現場の空気も、どこか落ち着きを取り戻していた。
リオ=フェルナードは、沈砂槽の縁に立ち、ゆるやかに流れる水面を見つめていた。 この棟で過ごした日々が、彼女の中でひとつの節目を迎えようとしていた。
背後から、棟管理者である上司が静かに声をかける。
「リオ。次の研修先が決まったぞ」
リオは振り返り、少し驚いた表情を見せた。
「……沈砂池棟にそのまま配属ではなかったんですか?」
上司は端末を操作しながら頷く。
「当初はその予定だった。だが、今回の提案書と現場対応を見て、技師長から『想定以上に優秀だ』との評価があった。水処理棟を含む他部門への研修が決定した。次は水処理棟だ。配属は一週間後からになる」
リオはしばらく言葉を失い、やがて静かに頷いた。
「……ありがとうございます。沈砂池棟で学んだことを、次に活かします」
その日の午後、リオは沈砂池棟の技師たちに挨拶をして回った。 計測担当技師には「記録の精度が上がった」と言われ、運転管理技師には「現場の声を拾ってくれて助かった」と笑顔で見送られた。
最後に、カイのもとを訪れた。
「カイさん。本当にありがとうございました。提案書の書き方も、現場の見方も、全部教えてもらって……」
カイは肩をすくめて笑った。
「教えたってほどじゃない。お前が勝手に吸収してっただけだ。……そうだ、あのメモ帳。貸してくれ」
リオは少し驚きながらも、胸元から小さなメモ帳を取り出した。 表紙には「現場の気づき帳」と書かれている。彼女が日々の気づきを記録してきたものだ。
「これですか?……はい、どうぞ」
カイはページを一枚めくり、ペンを走らせる。 書き終えると、無言でリオに手渡した。
リオがページを開くと、そこには力強い文字でこう記されていた。
『現場は、問いを持つ者にだけ答える。 数字を追うな。水を見ろ。魔力を感じろ。 技師の武器は、気づきと記録だ。――カイ』
リオはその言葉を静かに読み、深く息を吸った。 そして、メモ帳の最後のページに、自らの言葉を記す。
『沈砂池棟で得た問いを、次の現場に繋げる。 私は、技師として成長し続ける。――リオ』
その夜、彼女は技術録の端末に「沈砂池棟編・完了」と記録を残した。 魔力と粒径、波動と構造――すべてが交差したこの棟で、彼女は技師としての第一歩を踏み出した。
一週間後、リオは水処理棟へと向かう。 新たな問いが、そこに待っている。
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