道志の檻
@GARUDEN
第1話
道志の檻
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、および特定の事件とは一切関係ありません。登場する場所や設定は、物語を構成するためのものであり、現実とは異なります。
消えた道、澱む瘴気
山梨県道志村。その名は、かつて幼い命が闇に消えた忌まわしき記憶と深く結びついている。昼なお暗い森の奥深く、木々の間から漏れる陽光すら、どこか生気を失っているように感じられた。
ソロキャンプの静寂を求めて足を踏み入れたはずのこの地に、まとわりつくような不吉な予感が、私の肌を粟立たせていた。「ゆるキャン△」の明るい喧騒は遠い幻影、今はただ、深淵の底から湧き上がるような冷たい空気が、焚き火の熱をかき消していく。
隣のサイトでは、大学生らしき男女4人が楽しそうに騒いでいる。そのうちの一組は、焚き火の光に照らされ、互いに寄り添っていちゃついていた。若いっていいな、と少し羨ましく思いながら、私は暖かいコーヒーを一口飲んだ。
静寂を破るように、甲高い悲鳴が夜の闇を切り裂いた。
「きゃーっ!」
私は反射的に立ち上がった。声は隣のサイトからだ。次の瞬間、ひとりの女の子が私のテントめがけて走ってくる。
「助けて!お願い、助けて!」
息を切らして駆け寄ってきたのは、隣のグループの女の子、結衣だった。彼女の顔は恐怖に歪み、その視線の先には、ジェイソンを思わせるホッケーマスクを被った男が、大きなナタを振りかざして美咲に襲いかかろうとしているのが見えた。結衣の瞳には、私に助けを求める強い光があった。
私は咄嗟にテントのポールをつかみ、男の横っ腹を思い切り突いた。鈍い音とともに、男はよろめき、その隙に私は持っていた薪をナタを持った手に叩きつけた。男は「ぐっ」と呻り、ナタを落として森の奥へと逃げていく。
そこに、もう一人の男、隼人が笑いながら現れた。
「はは、びっくりしたか!ドッキリだよ!」
彼の手に握られていたのは、おもちゃのナタだった。どうやら全てドッキリだったらしい。安堵と同時に、怒りにも似た感情がこみ上げてくる。
「まったく、驚いたわよ!」
「チッ、つまんねー」隼人はそう言いながら、「お兄さんが思いの外強くて、拓也が演技に入っちゃって、もう。逃げちまったじゃねーか」と話す。
「お兄さん、すみませんね!せっかくだから、一緒に飲みましょうよ!」
結衣に誘われ、私は焚き火を囲むことになった。結衣は、さっきまでの恐怖が嘘のように、私に懐いて話しかけてくる。話すうちに、お互い惹かれ合っていくのを感じた。
しかし、なかなか拓也が帰ってこないことに気づいた。ドッキリにしろ、戻ってこないのはおかしい。私たちは二手に分かれて彼を探すことにした。私は結衣と、隼人は美咲と組んで、それぞれ森の奥へと足を踏み入れた。
裏切りの予感
薄暗い森の中を歩きながら、私は結衣と話した。彼女はしきりに私に褒め言葉を投げかけ、その度に不安げな表情を浮かべた。
「…昔ね、隼人と二人で、よくこうして森を歩いたの。あの頃は幸せだった。私の体のこととか、未来のことをたくさん話して…あの子の名前まで決めてた」
結衣はそこで口を閉ざし、不安げな目で私を見つめ、まるで助けを求めるようにじっと見つめている。そんな彼女の様子に、私は少しずつ惹かれていった。
しばらく進んだところで、私は拓也が倒れているのを発見した。
結衣は「死んでる」と呟いた。
拓也の名を呼ぶが、返事がない。嫌な予感がして、彼に駆け寄ろうとした瞬間、結衣が私の腕を強く掴んで止めた。
「そんな…」
呆然と立ち尽くす私に、結衣は震える声で言った。「早く、隼人たちに知らせなきゃ…!」
私は直感的に、拓也の息づかいが感じられるような気がしたが、結衣の強い力に引っ張られ、その違和感を振り払った。
その時、甲高い悲鳴が夜の闇を切り裂いた。
「きゃーっ!」
美咲の声だ。声は、私たちのいる場所から遠くない、焚き火の方角から聞こえてきた。嫌な予感が全身を駆け巡る。私は結衣の手を強く握り、走った。
狂気の露呈
隼人と美咲が、血のついたナタを持ったジェイソンに襲われているのが見えた。
ジェイソンは隼人にナタを振り下ろした。ナタは隼人の肩をかすめ、その瞬間、隼人はかすかにジェイソンと目を合わせ、小さく頷いたように見えた。そして、その衝撃で彼は頭から地面に倒れ込んだ。
ジェイソンは、その場に崩れ落ちた隼人を一瞥すると、美咲へと向き直った。美咲は恐怖で震え、ジェイソンに襲われる。私は必死に反撃し、なんとか撃退することに成功した。彼はナタを落とし、森の奥へと逃げていく。
「大丈夫!?」
美咲は震えながら、私の腕にしがみついてきた。
「は、はい…、ありがとうございます…っ」
私は美咲の手を握り、結衣と合流した。その姿を見て、私は胸の奥底で、彼女を守りたいという感情が湧き上がってくるのを感じた。私たちは三人で、再び必死に逃げ出した。道なき道を走る私たちを、ジェイソンは執拗に追いかけてくる。
私は意を決し、美咲と結衣に「隠れていろ」と告げ、ジェイソンに立ち向かった。ナタを交える激しい格闘の末、私は疲労困憊し、膝をつく。ジェイソンのナタが振りかざされ、私の頭上めがけて振り下ろされたその瞬間、横から飛び出してきた結衣が、手にしたナイフでジェイソンの頭部を打ちつけた。
「しっかりして!逃げるわよ!」
結衣は私を助け、ジェイソンは一瞬怯んだ。その隙に、私はホッケーマスクを外した。
その顔は、拓也だった。彼の目には、焦りと、微かな苛立ちが浮かんでいる。
「……嘘だろ、拓也!」
私は信じられない思いで、拓也を見つめた。その瞬間、結衣が冷たい目で拓也を見下ろす。血を吐きながら倒れる拓也に、彼女はゆっくりと語り始めた。
「拓也、隼人を殺してくれて本当にありがとう。感謝してる。本当はね、私のお腹には、隼人の子供がいたの。隼人にそう言ったら、彼は冷たい目で『金にならないガキはいらねえ』って言って、私に中絶を迫ったの。私と、この子を捨てて、美咲ちゃんを選んだ。だから、私は拓也に隼人を殺させた。拓也は私の計画の駒だった。死んだふりまでさせてね。拓也は、私の言うことなら何でも聞いたから」
拓也の瞳は、結衣への愛と、その愛が利用された絶望に揺れ、やがて光を失っていった。結衣の瞳は、これまでの悲鳴も震えも、すべて演技だったと物語っていた。そこに、かすかな独占欲が光る。
「美咲は、あなたのことが好きみたいね。でも、あなたは私のものよ」
私は彼女の口から語られる真実に言葉を失い、隣に立つ美咲を見た。彼女は恐怖で震え、結衣の狂気に満ちた目に怯えている。私はこの時、結衣に対する恐怖と、美咲を守りたいという強い思いに突き動かされていた。
結衣は私を静かに見つめ、その口元に狂気じみた笑みが浮かんだ。
「ねぇ、あなた。美咲を殺されたくなかったら、私に従って」
その声は、森の静寂に不気味に響いた。私は、結衣の歪んだ狂気と、美咲を守りたいという感情の間で葛藤した。美咲は、震える声で言った。
「あなたと、生きる」
その言葉を聞いた結衣は、満足そうに微笑み、私に顔を近づけた。私の耳元で、彼女は囁いた。
「美咲は、私に逆らえない。そして、あなたもね」
彼女の冷たい唇が、私の唇に押し付けられた。私は拒絶する間もなく、その一方的な行為に凍りついた。それは愛でもなく、情欲でもない、ただの支配欲だった。彼女の瞳は、私を完全に手に入れたという確信に満ちていた。私は、結衣の狂気の檻の中で、ただ震えるしかなかった。
裏切りのナイフ、そして真実
結衣は、私たちを焚き火の場所へと戻らせた。彼女は私たちに座るように命じ、満足そうに見つめた。その目は、私と美咲をまるで自分の所有物のように見ていた。
「さあ、私の孤独な夜を、あなたたちで埋めてちょうだい。私の前で、永遠の愛を誓ってひとつになって?ふふ…」
結衣の言葉に、私は絶望の淵に突き落とされた。それは、私たちの魂を穢し、彼女の支配を永遠のものとするための儀式だった。結衣は美咲の服に手をかけ、引き裂いた。私は美咲を見た。彼女の瞳は恐怖に歪み、今にも壊れてしまいそうだった。私たちは、結衣の狂気の檻の中で、ただ震えるしかなかった。
しかし、その時、背後から冷たい声が響いた。
「面白いことを言うじゃねーか、結衣」
そこに立っていたのは、死んだはずの隼人だった。彼の顔は血まみれだったが、傷は浅く、目は鋭い光を放っていた。美咲は驚きに目を見開き、私は一瞬にして事態を理解した。
結衣が語ったことは、全てが嘘だったのだ。
「…隼人!」
結衣の声が震える。
隼人はゆっくりと私たちに近づくと、冷たい目で結衣を見据えた。彼の口元には、微かだが、目的を達成した者特有の、冷笑めいた笑みが浮かんでいるように見えた。
「嘘だ。お前が妊娠してるなんて、俺は全部知ってる。それは、お前が俺をストーキングしている間に考えた、お前の中だけの物語だろ。お前は昔、俺にフラれて、それが信じられなくて勝手に俺の人生に入り込んできた。そして俺が美咲と付き合ってることを知って、美咲を邪魔に思った。だからこのキャンプを利用して、俺たちを殺そうとした。そして、偶然現れたこの人を、新たな支配の対象として選んだんだ」
隼人の言葉は、結衣が語った「真実」とは全く異なっていた。彼の声は、静かだが、怒りと悲しみが混じったものだった。しかし、その瞳の奥には、一瞬だけ、冷え切った、感情の読めない光が宿り、すぐに消え去った。
「俺が拓也に殺されたと思わせたのは、お前の歪んだ計画がどこまで続くか知りたかったからだ。あの日、お前が俺に振られた後、拓也は俺のところに来たんだ。お前の異常な執着に怯えながらも、どうにかしてお前を守ろうとしているって。俺は君の狂気を暴くために、拓也に協力を求めた。彼は苦しそうに、それでも君を救うためにって、頷いたんだ」
「そして、お前がこの森で起きた、昔の事件の真犯人だと知っている。あの時、行方不明になった子供は、お前が隠したんだろう?美咲という名前を聞いて、お前はまた同じことを繰り返そうとしていると思った。だから、美咲を助けるために、俺も死んだふりをした。お前の狂気を暴くために…」
隼人はそう言いながら、懐からナイフを取り出した。
結衣は動揺し、後ずさりながら自分のナイフを構えた。
「嘘よ…!嘘…!」
結衣は叫んだ。しかし、彼女の目は恐怖に満ちていた。その時、かすかに息をしていた拓也が、血まみれの体でゆっくりと立ち上がった。彼の目は、結衣への愛と、その愛が利用された絶望と憎悪に満ちていた。
「…拓也?」
結衣の声が震える。拓也は何も答えず、よろめきながら地面に落ちていた斧を拾い上げた。それは、彼がドッキリで使っていたおもちゃのナタではなかった。本物の、キャンプで薪を割るための斧だ。彼は無表情で結衣に近づいていった。そして、渾身の力を込めて、斧を振り下ろした。
結衣は、悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ちた。彼女の瞳からは、もう光が失われていた。
拓也は、そのまま力尽きて斧を落とし、地面に倒れ込んだ。彼は最後の力を振り絞って、地面に這いつくばったまま、誰にも聞こえない声で、ただ一度だけ、ある人物の名前を呟いた。
隼人は、私たちに静かに告げた。
「この場所の呪いを断ち切るために、俺は美咲ちゃんを探している人たちに、真実をすべて話す。君たちも、俺に協力してくれねーか」
彼の目は、哀しみと決意に満ちていた。私は美咲を見た。彼女は頷いた。私たちは、この忌まわしい場所で起きた出来事を、すべて隼人に語ることを決めた。
隼人は、私たちの話を聞き終えると、静かに言った。
「ありがとな」
隼人は、私と美咲の手を握りしめた。彼の瞳には、これまでの絶望とは違う、小さな希望の光が宿っていた。
夜は、再び静けさを取り戻した。私たちは、焚き火のそばで、ただ呆然と立ち尽くしていた。この森で起きた出来事は、あまりにも現実離れしていた。美咲は、恐怖で震えながら、私の腕にすがりついた。私は、ただ静かに彼女を抱きしめることしかできなかった。
夜明けが近づき、私たちは3人でこの忌まわしい場所を後にした。この森で起きた出来事は、永遠に私たち3人の秘密となるだろう。
そして、私がこの村を後にする時、ふと目に入ったのは、キャンプ場の入り口にひっそりと置かれた古びた看板だった。
『道志村へようこそ。美咲ちゃんを探しています。』
その看板の文字は、薄れ、雨風にさらされてはいたが、私にははっきりと見えた。あの夜、私たちが聞いた「美咲」という名前の叫び声。そして、隼人が美咲を、結衣の狂気から守ろうとした真実。私たちの目の前で起きた出来事と、数年前にこの場所で起きたとされる悲しい出来事が、なぜか重なって見えた。
この森は、ただのキャンプ場ではない。まるで人の負の感情を吸い上げて、歪んだ物語を繰り返す場所なのかもしれない。しかし、私たちはもう、その檻の中に閉じ込められてはいない。私たちは、お互いの手を強く握りしめ、二度と後ろを振り返らなかった。
*この作品は、人間の心に潜む歪んだ感情や狂気をテーマにしたフィクションです。特定の事件を消費したり、誰かを傷つける意図は一切ありません。物語として楽しんでいただければ幸いです。
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