第2話
次の日は宿で朝食を摂って、バルラン湖に向かうことにした。都合よく会えるかどうかは分からなかったけれど、行ってみないと旅は進まない。たった一つ掴んだ噂話だから、野放しには出来なかった。
町の外の森を行くと、ぎゃあぎゃあと鳥の声がしてちょっと怖くなる。思わずアーティ様の鎧に掴まると、訝しげな顔をされた。慌てて離す。やっぱり嫌われてるんだろうか。学園長がどんなスカウトの仕方をしたのかも分からないし。
「この先がバルラン湖だそうだぞ、リリアナ」
「『そうだ』?」
「有翼族は鳥の声が聞こえるからな。だから道に迷うことも無い。最短で辿り着ける。もっともお前が俺の翼に着いて走って来られればもっと早いが」
「す、すみません、自信がありません」
「あってどうするそんな自信。と、バルラン湖だ」
「あ、その前に」
「あ?」
「お昼ご飯のサンドイッチ、昨日買ったんです。濡れてしまったら食べられないので先に食べませんか?」
「お前……」
呆れた目で見られて、何か変なことを言ったのだろうかと思う。だってパンが湖の水で湿ったら食べられたものじゃないだろう。だから先に昼食を提案したのだけれど、何かまずかっただろうか。サンドイッチは嫌いだっただろうか。ハッと初めて心底からおかしそうに笑って、アーティ様は手を差し出す。
「え?」
「サンドイッチ。食うから寄こせ」
「は、はいっ」
ぽふ、と鎧の内側の手に渡すと、すんすん匂ってからアーティ様は食べる。私も匂ってみたけれど、まだ腐ってはいないようだった。見切り品を買って来ただけにちょっと心配だったのもあるけれど、大丈夫なようだ。バスケットの通気性が良かったのも、助かった点だろう。ちょっと乾いてるけどマヨネーズなんかで食べられる味だ。
「美味いな、中々。甘いものばかり食べていたからこういう味は初めてだ」
「甘いもの? てすか?」
「木の上の方に生った果実やらな」
「鳥さんみたいです」
「大して変わらない。昨日の豆も美味かったが」
「それは良かったです」
あんぱんはどうやら甘いものだったらしい。匂いからして菓子パンだとは思ったけれど、まさかアーティ様がそっちを取るとは思っていなかったので、これからは果実も甘いものを買おう。お腹をポンッと叩くと、アーティ様もぽんっと叩いた。がちゃん、と鎧が鳴る。
と同時に、私たちを水の檻が包み込んだ。
「え、え!?」
「リリアナ、俺の後ろに隠れろ!」
「ひゃっ」
抱えられてだけどそっち側も水の檻に包まれていて、四面楚歌、と言う単語が頭に浮かぶ。そんな場合じゃない。私は火魔法で檻の一部を蒸発させた。気付いたアーティ様がそこから外に出る。あら、と声がしたのは木陰からだった。
「なんだ、ゴブリンか何かかと思ったら人間だったんだ。それに有翼族。珍しい組み合わせね?」
鈴を転がすような声で、彼女は喋る。上半身に鎧を付けて、片手には水で出来たレイピアを持っていた。噂に聞いた通り――だけど。
彼女が騎士なのかは分からない。突然閉じ込めて来るような物騒な人が騎士様だと思いたくないのも本音だった。あの、と私はアーティ様の腕をじたばた抜けて、彼女と向き合う。
不思議な心地。アーティ様が発しているのと同じ、だけど真逆の気配。人間の、多分女の人だ、彼女は。髪は後ろで纏めてお団子にしているから、私より長いだろう。邪魔だから纏める。切るまで行っていないのは、彼女の乙女心だろう。そんな可愛い所を持っている人なら、悪い人じゃないのかもしれない。
だから私は問いかける。率直と、簡潔に。
「私たちは魔王を倒す四人の騎士様を探して旅をしているものです。あなたは、騎士様ですか?」
きょとんっとした顔は水色の眼をしていた。髪はアーティ様より色の薄い金髪。スカート姿でも足捌きはむしろやりやすいという。長いスカート姿の彼女は。
彼女は――あははははっと笑って見せた。
「私が騎士に見えるの、お嬢さん。それならちょっと早とちりだと思うわね、私はただの森の番人よ。ちょっと魔法が使えるだけ、それだけでしかない」
「騎士様に身分の貴賤や条件はありません。先代の探索者である方が言っていました、私がそう感じたものが騎士なのだと――私はあなたにそれを感じている。そこはアーティ様も同じです。同じ気配を、あなたから感じます。それにあの水の檻、とても『少し』魔法の使える人の繊細さではありません。そのレイピアだって、水で出来ている」
「……よく見ている」
「はい。観察するのだけは得意なんです、弱いから。おまけに私は火属性、水属性のあなたと真っ向から戦ったら負けるのは必至です。怖いから観察する。そして私は結論を出す。――あなたは、水の騎士様ですね?」
『火』、『水』、『風』、『土』の四属性は極まると変化する。水は『時』を操るものに、火は『光』を放つものに。だからこの人は多分、時を操る騎士様になるだろう。私はそれが何となく、分かる。否、もしかしたらもう『時』を持っているのかもしれない。未来から帰って来たのかもしれない。そのぐらいに強い魔力を持っている。
ざんっと音がして、水の檻は地に落ちる。ふーっと面倒くさそうに髪を引っ張った彼女は、困ったように微笑んで見せた。
「いつも失敗するわね。やっぱりあなたには敵わないわ。リリアナ」
「どうして私の名前を――?」
「一つ訂正しよう、少女よ。私は水の騎士じゃない。――時の騎士だ」
やっぱり。
「あなたがこの時間に戻ってきたと言うことは――私たちは負けるのですね、魔王に」
「まあ、そゆこと。だからここで私が抜ければ、もう少し時間を稼いでレベルアップできるかと思ったんだけどね」
「レベル不足で負けるのですか? 私たちは」
「うん。圧倒的に敵が強かった。でもここで会えたのがアーティなら、丁度良いか」
「な、何が丁度良いんだよ」
狼狽えた声を出すアーティ様に、すっと彼女は水の剣を向ける。
「私が稽古を付けられるってことさ。アーティ」
「あの――あなたの、お名前は?」
「ん? そうだ、名乗ってなかったね。レィト。レィティス・ダグラス」
「でしたら暫くの間、私も稽古をつけて頂けないでしょうか。レィト様」
「リリアナ?」
「私もアーティ様と同じ、属性は火です。鍛えられたら、上位魔法も使えるようになるかも――」
「……私、スパルタよ?」
「構いません。強くなるためなら、むしろ望むところです」
「お、俺を置いて話を進めるなっ!」
「あら、アーティは怖い? 水を扱う私が」
「誰もそんなことは言っていない! そんなことより、俺たちが負ける未来と言うのをもう少し具体的に教えろ!」
「それは出来ないわね」
「なっ」
「そう言うお約束だもの。時の魔女と言うものは。流れる物を司る、それが時の騎士の宿命。何度でも何度でも。一度として同じ敗北はないから、精々強くなることに集中しなさい。ていっ」
「づあっ」
水鉄砲のようなちょろちょろしたものをレイピアから鎧に掛けられて、アーティ様はもだえる。鎧も水に弱いのだろうか。じゅうっと焼ける音がして、水は蒸発していく。私もレィト様に火炎竜を繰り出した。だけどそれはすぱっと水の刃で断たれてしまう。
確かにここで修行するのは、良いのかもしれない。二人がかりで彼女を倒せるようになるまで。他の二人の騎士様探しは、それからでも遅くないだろう。幸い魔王はまだ目覚めたばかりで、どこの国にも侵攻はしていないわけだし。
だからと言って油断はできないけれど。私はアーティ様の背後に火蜥蜴を走らせる。ぎゃおお、と出て来たのはゴブリンだった。アーティ様が炎の剣でとどめを刺す。ほらね、とレィト様は言う。
「ゴブリン一匹に気が付けない今のあなたじゃ、魔王討伐は無理ってもんでしょ。アーティ」
「気安く俺の名前を呼ぶなッ!」
「す、すみませんアーティ様っ」
「お前は良い、リリアナ! レィティスとか言ったな。必ずお前を倒して、上位魔法を手に入れてみせるぞ!」
炎の剣を構えたアーティ様に、水のレイピアで立ち向かうレィト様。私はちょっとだけおろおろして、それから、レィト様に向かうようにした。二対一は反則っぽいけれど、それ以上にレィト様はお強いから、どうにかなるだろう、なんて。
火魔法を放つ。水のレイピアに切り刻まれる。炎の剣が突っ込んで行く。
簡単にそれは消し去られた。
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