第28話 伏せ籠

 お披露目会の宴の当日は、朝から慌ただしかった。水色の空が高く、よく晴れた日だった。


 お祖母様の金色の帯は赤蘇芳色の着物によく合った。帯揚げや帯締めは蕗子様が時間をかけて選んで下さった。着付けの途中にお梅さんは何度も綺麗だと言ってくれて、目頭を熱くさせていた。


 宴の席に着くと、わぁっと歓声が沸いた。初めてお会いする方や、以前屋敷でお会いした顔見知りの方も見えていた。歓迎されていると実感した――。

 女中さんたちが、次から次に食事を運び足りなくなった酒を注いでは忙しそうにしていた。


 宴にはもちろん紫哭様の姿もあった。部屋の片隅で一人で酌をしている。その姿をできるだけ視界に入らないようにした。

 ・・・先ほど廊下ですれ違った。一度目が合い、声を掛けようとすると。紫哭様はスッと視線を流し客人と話しなが横を通り過ぎていった。


「八千さん。良く似合ってますよ。とても綺麗です」

「・・・」

「八千さん?」

「えっ・・・あっありがとうございます。蕗子様も嫁がれた際にも、この帯を付けられたそうです」

「へぇそうだったのか。初耳だな」


 あの夜、雪華さんの元へ飛び出して以来、若旦那様と会話がぎこちない。

 翌朝、部屋に戻って来ると私に詫びた。雪華さんの薬がきれていたとか、昔から身体が弱かったとか、色々と話していた気がするけれど・・・。耳から耳へ抜けて行った。


 そのとき、吉右衛門様の歓喜の声に場が一段と盛り上がりを見せた。どうやら歌を始めたらしい。手拍子をしながら、吉右衛門様を見ると実に楽しそうに歌われていた。最初は緊張感のある宴だったけれど、酒も入り次第に賑やかな席となっている。


「えぇーここで一つ!大事な報告がある。我が息子同然に育てた甥の紫哭に――」


 まわりにくくなった呂律で、声を張り上げながら吉右衛門様は呼びかけた。雑談を続ける者がいる中で、吉右衛門様は紫哭様の方を見たようだった。


「なんと、見合いの話が出ておる!!」


 どっ、と場が沸き上がった。めでたい、めでたいと盛り上がりをみせると、次にどこの誰か、どんな娘かと矢継ぎ早に質問が飛び交った。横にいた若旦那様も、前のめりになり話に加わっている。

 私はその隣で、息を殺すように目を伏せた。


「えっ!?こないだ振袖を仕立てにきたお嬢さんって小春さんのこと!?」

「ほほう!なるほど、あそこの娘か。うむ、中々に名家の出だなー」

「以前からお嬢さんが紫哭のことをえらく気にっていたようでな」

「なんだよ、紫哭も水臭いな。教えてくれればよかったのに」


 漆の器にめかし込んだ自分の顔が薄く映った。


『契りは絶対だからね。なにがあっても、お前は壷玖螺の当主と結ばれる運命にあるんだよ――』


 お母様の言葉が耳元で囁いている。

 牡丹の髪飾りをくれたことも、クスノキで出会ったことも、優しく口づけをしてくれたことも・・・全てが通り過ぎていく。

 みなに取り囲まれる紫哭様の姿を遠く感じた。


 酒を持って来た女中さんに、着付けが苦しくなったと言い残し席を外した。


「うぅっ……」


 誰もいない部屋に入り、倒れ込むように足元から崩れた。遠くで聞こえる宴の声。部屋には月明りが薄っすらと照らしている。握りしめた拳に爪が喰い込んだ。息を吸い込むけれど、喉で詰まって上手く吸い込めない。

 そのとき突然、背後から抱きしめられた。苦くて甘い独特の香り――。


「し、こく・・・さま?」

「・・・よくわかったな。俺だって」

「わかります。・・・紫哭様の匂いがする。それに紫哭様くらいしかいません」


 胸の前で重なる腕を握りしめた。


「こんな風に、八千を優しく抱きしめてくれるのは・・・」

「蒼蜀だって優しいだろ」

「若旦那様は、他に好いている方が見えますから。・・・もう、もうどうすればいいか、わかりません」


 若旦那様と夫婦になることに迷いなんてなかったのに。例え私が妖であることを隠していても、いつか受け入れてくれればと思った。そうすれば、私も雪華さんと若旦那様の関係に目を瞑ることができる。

 でも今、自分の中から溢れてくる気持ちを抑えきれない――。 


「だったら、ここから逃げるか?俺と二人で」


 暗闇に火が灯されたようだった。けれど、帯に目が留まり、その火はすぐに消された。


「それができるなら、そうしたい・・・。でも、私は・・・若旦那様と結ばれなければ、ならないから」

「蒼蜀は他に好きな女がいるんだろう」

「でも若旦那様と一緒にならないと・・・。そうしないと、わっ私は、人の姿ではいられなくなる」


 紫哭様の方へ身体を向き直すし、その頬に手を添えた。赤い総の耳飾りが今日もついている。


「だから、紫哭様は・・・別の方と、幸せになっ」


 言い終わらない内に唇をふさがれた。啄むように何度も角度を変え重ねていく。息が追いつかない。ほんのりとお酒の苦味が広がっていく。


「泣くな・・・」

「な……いませ・・・。泣いてなど、いませ・・・。妖は、人のように・・・涙を流すことができないんです」

「泣いてるだろ。今・・・」


 かすれた声が落ちて来ると痛いくらい強く抱きしめられている。

 これが最後だと、決めて紫哭様の首にすがるように手を回した。心の中で、好きと告げた。心の中だけなら許される気がした・・・。

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