第2話 紆余
ようやく壷玖螺家へと着いた。玄関までやってくると、少し待つように言われた。一人きりになり、途端に緊張が込み上げてくる。息が浅くなっているのを感じ、胸いっぱいになるまで吸い込んだ。
しっかりと挨拶をしなければ・・・。ここに来るまでに何度も練習したんだから。
「ふぅー」
それにしても、いつも見ても立派なお屋敷・・・。庭にわずかに残る緑を見ていると、気持ちも和らいだ気がした。すると、中庭の方から人の声が聞こえてきた。
この声は、もしかして。胸を高鳴らせながら、中庭へ周り込んだ。
「ふふふ。蒼蜀様のお話は、いつ聞いても面白いですね」
「雪華(ユキハナ)が聞くのが上手いんだよ。ついつい話過ぎてしまう」
そこには思った通り、若旦那様の姿があった。一歩と近づいてみるが、雑談に花を咲かせる様子に、声の掛け方がわからなかった。若旦那様が笑みを零し、顔を上げた。私の姿に気がつくと、その笑いがぴたりと止まった。
「えっ!?八千さん!!」
若旦那様は目を見開き、慌てて腰を上げた。
「もう着いたんですか!ずいぶんと早かったですね」
「お久しぶりです。若旦那様。今し方、着きました」
「お疲れでしょう。さっ中に入ってください」
「あの、そちらの方は」
隣にいた女性は薄い唇を上げ、私に向かい頭を下げた。一つに結っている、長い銀髪が垂れ落ちて、白い首筋が露わになった。
「少し世間話をしていただけです。行きましょう。父も首を長くして待っています」
若旦那様に背中を押され、私は玄関へと向かった。
なんだろう・・・この底知れぬ違和感は。辺りに漂う白粉の香りは、まだ私が持たない色香をまとっているよう。
先ほどまでの晴天は、いつしか鉛色に変わり、冷たい風が吹き始めていた。
□□□
いつ来ても広いお屋敷だわ。迷ってしまいそう・・・。若旦那様に部屋へ案内される途中、客間にある欄間に思わず足を止めていた。
「どうかしましたか?」
「欄間が気になって。・・・鶴ですか?」
その欄間は渋み掛り、美しい木目を生かした細かな彫刻が施されている。よく見ると、鶴と人が彫られている。
「あぁ、珍しいでしょう。こっちから順に物語になっているんですよ」
「物語・・・?」
「はい。この家を建てた先代が、わざわざ職人に作らせたんです」
「先代とは、若旦那様のお祖父様に当たる方ですか?」
「なんでも偶然、通りかかった山道で鶴を助けたら、恩を返しにきたそうで。そのおかげで家業が繁盛したらしいですよ。ハハッ、本当かどうかは定かではありませんが、父は家宝だと言ってます」
若旦那様は、ふわりと飛んできた綿毛でも掴むような軽い口調で話していた。
「若旦那様は、そのお話を信じていないのですか・・・?」
「僕ですか?んぅ~」
顎に手を添え、考える仕草をした。眉を下げながら再び口を開いた。
「僕はあまり信じていません。結局は、人と妖は違う生き物だと思っています」
「・・・そうですか」
微笑みを向ける若旦那様に、とっさに返した笑顔は口元が震えそうになった。それを隠すように、隣に続く欄間の方へ肩を向けた。
若旦那様が部屋から出て行く。後ろ髪を引かれる思いでその背中を追った。
もう少しだけ見たかったけど・・・。
「こちらが八千さんのお部屋です。不便なことがあればなんでも言ってください。僕の部屋は隣ですから」
「隣なのですか?」
「はい。どうかしましたか?」
「いえ、あの・・・夫婦になるので。えっと、お部屋は若旦那様とご一緒かと思っていました」
「そっそれは、まだ祝言もまだなので!!八千さんもまだお若いですし」
若旦那様は目を泳がせたながら指で頬をかいた。
「それに予定していたとはいえ、突然のことでしたから・・・。あの、本当に良かったんですか?」
「なにがでしょうか」
「その僕なんかで・・・。八千さんはこんなにお綺麗な人だから。父が勝手に盛り上がっているようにしか見えなくて。もし八千さんに後ろ向きな気持ちがあれば、僕がなんとか父を説得しますから」
私は若旦那様の両手を包み込むように握ると目を丸くし、わずかに肩を上げた。もしかしたら、外を歩いて来たので手が冷たかったのかもしれない。
「八千は幸せにございます。優しい若旦那様と夫婦になれるんですから」
「八千さん。・・・それなら良いんですが」
「はい。あっそうだわ」
先に運ばれていた荷物の風呂敷を広げた。木箱に入れておいた髪飾りを取り出した。少し歪な形をした牡丹の髪飾り。それを髪に付け、若旦那様の方を向き直した。
「牡丹?・・・お似合いですよ」
「えと、これは――」
「そうだ今度、桜の髪飾りを探しておきます。きっとそちらの方が八千さんに似合うと思います」
向けらえた温かな言葉に、私は頷くしかできなかった。
――あんな昔のことを、覚えているわけないわよね。
いつの間にか、外から雨の音が聞こえていた。
「蒼蜀!どこなの、蒼蜀!?」
「母さん?」
「そろそろ時間ですよ。早く店に戻りなさい。午後から音喜多様が見えると言っておいたでしょう」
「そうだった。急いで戻らなきゃ」
荒々しい足取りでやってきたのは、若旦那様の母、蕗子(フキコ)様だった。
「すみません、八千さん。夕方頃には戻ります」
「はい。お気をつけて。いってらっしゃいませ」
若旦那様は廊下を走って行った。
外を見ると、やはり庭園は濡れている。蕗子様は若旦那様の、背中を見つめながら小さく息をついた。
「全く・・・」
「ご無沙汰しております、蕗子様。不束ではありますが、何卒よろしくお願い致し――」
「全く、あの人もどこから連れて来たか知らないけど・・・くれぐれも面倒はかけないように」
「はい。心得ております」
私の言葉を遮り、棘のある声色を胸に突き刺してくる。何度もお会いしているのに、蕗子様の態度はいつも厳しいものだった。
「吉右衛門様が部屋に来るようにと、すぐに行きなさい」
吊り上げた目で一度だけ見ると、足早に去って行った。
相変わらず冷たい方。まるで氷のような人だわ。蕗子様が笑った顔を、私はまだ見たことがない。・・・いつか、見れる日がくるのかしら。思わず小さく息が漏れていた。
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