……弟ですから

「カイナ」


 カイナが目を覚ますと、初老の男性が目に入った。オールバックにしている黒髪に混ざる白髪が年齢を感じさせる一方で、兵士上がりの屈強な肉体からは若さも感じる。カイナとチェルの父親であり、イクスガルドの国王であるフートラ・ユーリィである。


 チェルが母親似なら、カイナは父親似だ。元老院の翁たちによると、カイナは若い頃の父に大層似ているらしい。


「ご当主……このような恰好で申し訳ありません」


「そのまま横のままでいい。チェルの相手、ご苦労だったな」


「また、犠牲者が出てしまいました」


「聞いておる。盗人の身元を確認したが、戸籍が存在しなかった」


「……不法入国者ですか?」


「おそらくな。そもそも、この国の住人が盗みをするなど考えにくい。大方、イクスガルドの治安悪化を狙って他所の囚人を送り込まれたのだろうな」


 チェルによる私刑はイクスガルドの住人であれば誰もが知っている。例え辛い境遇にあったとしても、法に裁かれることもなく殺される危険を冒してまで盗みに走るとは考えにくい。


 恐怖を利用した統治など決して認めることはできない。しかしチェルの私刑が国の治安に貢献していることも無視できない事実ではあった。今回も結果的にではあるが、チェルは違法に国へと入り込んだ人間を炙り出して見せたのだ。


「最近増えていますね……やはり、チェルの存在が原因か」


「であろうな。チェルを擁する国を相手にして、馬鹿正直に戦を仕掛けるなどしまい。もしも私がイクスガルドを狙う立場であれば、国自体の弱体化を目論むか、表面上は友好国を装い暗殺を狙う。今回の件も、暗殺の土台作りと言ったところか」


 聖剣が最強であっても、当のチェルの肉体はただの人間と変わらない。むしろ虚弱すぎるくらいであり、普段から野菜と果物ばかり食べている体は少し力を入れただけでも折れてしまいそうなほどにか細い。筋肉はおろか、贅肉も見当たらない薄く細い肉体は、健康的に心配になるほどである。


 そして、チェルの身体は普通の人間と同じく毒が効く。聖剣であろうとも毒物からチェルを守ることはできず、殺害の意思を持った人間が城内に紛れこんでしまえば暗殺の機会など山ほどあるだろう。


「暗殺……こちらには敵対意思は無いのだと、いくら訴えてもわかってはもらえませんね」


「先の戦の結果を見れば無理もあるまい。ただの田舎の小国であったイクスガルドが、歴戦の強国であるバンドットからの侵略を退けるほどの戦力を突然手にしたのだ。為政者であればまず警戒してしかるべきだ……狙われる身からすればたまったものではないがな」


 その戦果の殆どが当時まだ10にも満たない子供によるものであれば猶更のことだろう。チェルはイクスガルドにとっては英雄であると同時に、他国からすれば恐ろしい人間兵器でもある。排除できるのならしておきたいことだろう。


「イクスガルドは国を開き、国交を盛んにしようと励んでおります。先の戦はあくまで防衛であり、こちらからの敵対意思は無く、友好な関係を築き上げていきたいと使者を通じて何度も伝えもしている。それでもこの仕打ちを受けるとは……」


 国を開けば間者を送られる。国を閉じたとしても、それも攻める口実として使われてしまうのだろう。


 元々は侵略されかけた被害者であったというのに、今のイクスガルドはまるで悪の根城だ。近隣諸国の総力でチェルという強大な悪を討たんとする意思を感じてしまうのは、気のせいではないのだろう。


 チェルは非人道的な研究によって生み出された殺戮兵器だとか。夜な夜な国民を襲っているだとか。捕虜をいたぶって愉しんでいるだとか。外の国では、虚実が入り混じった噂が流れていると聞いたこともある。


「今のイクスガルドには敵が多すぎる。チェルにも大人しくしていてもらいたいものだが、難しいだろうな。今回の件で、またチェルの賛同者が増えるだろう。最近は取り巻きと共に増長するばかりで、もはや私の言葉も聞いているのかいないのか……」


 6歳で聖剣の加護を得てからこの6年、チェルは幼くして輝かしい戦果を挙げてきた。その内容はこの国の歴史と比較しても抜きん出ている。


 100年以上イクスガルドの発展を邪魔し続けてきた山猪の魔獣。矢も通さぬ硬い毛皮に岩をも砕く牙を持つ巨大な魔獣だったが、チェルは山に入ることもなく狩猟してみせた。魔獣の消えた山では自然が栄え、今ではイクスガルドにとっては重要な拠点でもある。


 強国バンドットの侵略からの防衛。兵力差が数十倍もあり、名の知れた猛兵が集うバンドットの兵士を前にして、チェルは味方に一切の被害を出すことなく蹂躙してみせた。


 圧倒的な力を持ちながらも、人の善性を微塵も疑わない純真無垢なチェルを慕う兵は少なくない。若い兵の中には信仰と呼べるほどの熱意を持っている者もいる。私刑による殺人すらも彼らにとってはチェルによる裁きであり、その被害が自身に及ぶ可能性など露ほども考えていない。


「しかし、周りの者が何と言おうとも私の後を継ぐのはお前だカイナ。人を導くのは人の心がわかる者でなければならぬ。民に恐怖されていながらも、その心に気づけないチェルでは民は導けぬ」


「ご期待に応えられず、醜態を晒してしまい面目次第もありません」


「むしろ、お前はよくやっている方だ。チェルを恐怖し近寄るのも拒む兵も多く、チェルを崇拝している人間を付き添わせたところで暴走を助長させるだけだ。お前がいなければチェルによる被害はもっと多かっただろう。今日も危険を顧みずにチェルの相手をしてくれた……改めて礼を言わせてくれ」


「……弟ですから」


「私もお前たち二人の父として力を尽くそう。お前一人にチェルを背負わせることはしない」


 フートラの瞳にはイクスガルドの王としてだけではなく、兄弟の父親としての感情が籠っていた。カイナだけでなく、チェルに対してもフートラは父としての愛情を持っている。


 しかし、今のイクスガルドにおいてはその愛情が枷となっているとカイナは考えていた。国のトップである王が息子を愛し、信頼しているからこそ、チェルという暴君が野放しになってしまっている。


 いくら正義の為とはいえ、個人であるチェルが勝手に処刑を行うなどあってはならない。聖剣による凶刃によって倒れた老若男女は現時点で112人にまで上っているにも関わらず、チェルはその自由を一切拘束されることなく生活できてしまっている。


 夫を裏切り不貞に走った女。店の金をちょろまかした爺。酒に酔う度に家族へと暴力を振るっていた男。民に横暴な態度を取っていた兵士。確かに誰もが悪事を働いていた。程度はどうあれ、罰を受けるべき人間だったのだろう。それでも、個人が勝手に殺していいわけではない。チェルのやっていることは、法治国家においては大量殺人となんら変わりない。


 多くの民が王であるフートラへと嘆願をしている。どうかチェルの凶行を止めてくれと。処刑、ないしは追放を求める声は少なくない。それでもチェルを野放しにし続けている王に対し、民の不満は膨れ上がるばかりだ。このままでは、いつか暴動が起きるだろう。


「……ありがとうございます、ご当主」


 そして、チェルを止めることが出来ていないのはカイナも同じだった。


 自分の正義を信じているチェルは説教を聞かず、聖剣の前では無理矢理に拘束することもできない。まずはチェルにカイナを認めさせる必要があるが、8本の聖剣の前ではその道のりも遠い。


 本当に止めたいのであれば、それこそ暗殺をするしかない。人の悪事を赦すことのできないチェルは人間の根本は善だと信じ切っており、まさかカイナが毒を盛るなど考えもしていない。やろうと思えば、毒殺はすんなりと成功してしまうだろう。


「……あまり無茶はするなよ。しばらく休め」


 それだけ言い残して、フートラは医務室を後にした。思いに耽るカイナに対し何か言いたげではあったが、結局は口にすることはなかった。

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