エピソード5 眠らない街とコーヒーの香り
大都市ネクスシティ。
誰が呼んだか、通称『眠らない街』。
日々繰り広げられるヒーローとヴィランの手に汗握る死闘。
それが繰り返されるたび、観客と化した市民が画面の前で拳を掲げる。
彼らが眠らない限り、街が闇に包まれる時はない。
しかし、郊外となると話は別だ。
光には必ず影があるように、ネクスシティの全てが常に眠らないわけではない。
人々から忘れられたように、ここには夜本来の空間が広がっているーーー
『速報です。R市内の銀行を襲撃した3人組の強盗ヴィランが、先ほど全員逮捕されました。警察、並びにヒーロー協会本部によりますと今回のヴィランはーーー』
「いや〜、やはり夜は静かが1番ですねぇ。やかましい歓声ってのは、どうも疲れます」
ネクスシティ、K市内の道路。
間隔をあけて並ぶ街灯が道を照らすが、それでも夜の暗さは消せない。
光の届かない場所は黒一色に染まり、そこにいる全てを飲み込む。
闇の静寂を引き裂いているのは黒いバイクと小さなラジオのニュースキャスター。
そして、今回の事件の手柄を盗んだダークヒーロー。
『ーーーまた、今回、自称ダークヒーローのナイトメアがヴィランを銃撃した件に関して、ヒーロー協会は「奴は無駄にヴィランを傷つけて手柄を盗んだ。最低最悪のクズだ」と非難しております』
「ひどい言い分ですねぇ。だったら盗まれる前に、そっちが手柄を立てろって話です」
最低最悪のクズ…もとい、ナイトメア本人だ。
黒いスーツとネクタイが夜風に激しく揺れる。
背中に残るのは、風とニュースの声だけ。
「………ま、"最低最悪のクズ"ってのは、否定できませんがねぇ」
……………。
………。
……。
…。
しばらくして、ナイトメアはバイクを一軒の建物の駐輪場に停める。
ビルが立ち並ぶネクスシティの中では、やけに小ぢんまりとした建物。
黒レンガの壁が夜の暗さに紛れ込んでいる上に、閉められたカーテンが窓すら闇の中に隠す。
外観はもはや大きな影そのもの。街灯が無ければ、そこに気づくことすら時間がかかるだろう。
照らされたドアに刻まれているコーヒーカップのイラストと【Café 〜Paix Noire〜】の文字。
黒い木製の扉は光を反射しながら、ドアノブに【Close】の看板を下げている。
バイクから降りたナイトメアは、ぶら下がった看板を見ずに扉を開く。
"カランコロン"
戸が開いた途端、ドアベルと共に影の中から様々なものが解放される。
瞳の中に広がる、暖かいオレンジの淡い光。
鼻の奥まで満たされる、カフェ独特のコーヒーの香り。
鼓膜をくすぐる、レコードのジャズミュージック。
閉められた扉に隔たれていたものが、一気に解き放たれ、ナイトメアを包み込む。
広くない店内を進み、無人のカウンター席に腰を下ろし、奥の人物に目を向ける。
白いシャツに黒いエプロンの女性。
淡い栗色の髪がまとめられ、両耳には金色のピアスが開けられている。
彼女は席についているナイトメアに目をもくれず、背を向けてグラスを磨いている。
ジャズの曲しか聞こえない、無言の空間がカフェ内に漂う。
レコードが曲を終え、無音となった瞬間、彼女が静寂を破った。
「表の看板が見えなかったのか? 今日はもう店じまいだ」
声は凛として、それでいて澄んでいる。
感情は薄く、落ち着いてはいるが、その言葉には勝気な性分が見え隠れしている。
その声を聞いたナイトメアは口元を緩める。
ジャスティスら、他のヒーローたちを皮肉るときによく見せている、悪い笑みだ。
「それはないでしょマスター? 仕事終わりに一杯やりに来た客に向かって失礼ですよ」
頬杖ついたナイトメアの言葉が届いたのか、マスターと呼ばれた彼女はピタッと動きが固まる。
油の切れた機械のように、ゆっくりとぎこちなく首を回して、ようやくこちらに顔を向けた。
目尻を歪め、細くなっている薄いネイビーの瞳。
額に皺が寄っている、ツヤのある肌。
年齢にそぐわない、若々しいその見た目も、苦虫を噛み潰した表情で台無しになっている。
「はぁあぁ………」
「露骨にため息つくの、やめてもらえます? 」
マスターは腕を組んで、目の前のナイトメアを睨む。
その態度と表情は、明らかに客に対するそれではない。
「ようやく仕事が終わって、一息つこうとした直後に厄介者が来られた者の身にもなれ」
「減るもんじゃないでしょ? むしろ、売り上げアップですよ」
「よく言えるな、お前。お前が勝手に放り出した仕事、誰がやったと思ってるんだ?」
「それもいいじゃないですか。お客さん来てました? ……来てないんでしょ? 」
自称ダークヒーローとカフェのマスターの睨み合いが続く。
淡い光やジャズ、コーヒーの香りと全く似合わない緊張感が、二人の間に駆け抜ける。
壁時計の長針が僅かに動いた時、マスターの方が折れたようだ。
「……注文は? 」
「いつもので」
「だろうな」
マスターは嫌々ながらも、慣れた手つきで紙袋からコーヒー豆を出す。
ミルが回るごとに、店内にコーヒーの香りが広がっていく。
「ラジオで聴いたぞ? お前、とうとうエースヒーローの手柄まで盗むようになったとはな」
「盗むだなんて心外な。いつまで経っても動こうとしない連中の代わりに、この私が動いただけですので」
「……確かに、随分と遠回りをしているとは思ったな」
「でしょ〜? 」
挽いた豆をペーパーフィルターに入れ、お湯が注がれる。
黒茶色の雫が一滴、また一滴と落ち、香りがピークに達する。
「しかし、まさか"元同僚"の手柄も平気で盗むとはな」
湯気に紛れて、こちらを見るマスターの瞳が鋭くなる。
その言葉と視線を受けたナイトメアはの笑顔が、自然と消える。
数秒前の皮肉を言う時の表情が、途端に冷たいものへと変わる。
「………色々あるんですよ。こっちには、こっちなりに」
ナイトメアの視線が壁にかけられたサイン色紙と写真に移る。
【YOUR HERO JUSTICE!!】
【〜nightmare〜】
太く、そして力強く書かれたサインの隣に並ぶ細い文字。
満面の笑みとポーズを決めるジャスティスと、めんどくさそうな表情の自分の写真。
それらはかつて、自分自身がヒーロー協会に所属していたヒーローだということを、語らずに伝えている。
十数年前、デビュー当初。
ジャスティスは当時からネクスシティナンバーワンの実力者だった。
あの頃、"ヒーロー協会二強"と呼ばれ、後輩や市民にもてはやされた日々。
サイコキネシスを武器に、ヴィランを徹底的に叩きのめしていた自分。
……今思えば、"ナイトメア"の黄金期だったのだろう。
だが、地位も名誉も力も自ら捨てた今、写真もサインも色褪せた過去だ。
胸の奥が踊る代わりに、黒い何かがジワリと広がる。
「…それなら、私も深追いしないがな」
コーヒーサーバーに注ぎ終えたマスターは、それだけ言うと、次の作業に入る。
冷蔵庫から出したラップに包まれた焦げ茶色のドーナツをオーブンに入れる。
オレンジの光の中で、黒い影が少しづつ膨らみ始める。
その都度、店の中にコーヒーの香りに加えて、チョコの甘い香ばしさが混ざり合う。
「でもな、アルバイトの癖してまともに仕事しないのは、流石に感心しないぞ」
コンロの上で鍋がかき混ぜられていく。
オーブンから出てるドーナツの香りと似ているが、微妙に異なるものが徐々に強まり始める。
白い湯気と共に、ほろ苦いカカオの芳香がナイトメアを包みこんでいった。
「街にヴィランが出るたび、仕事放り出して手柄盗みに行くの、いい加減やめろ。今月で何回やったと思ってるんだ? 」
「……さぁ? でも別にいいじゃないですか。あんまお客さんこないんだし、一人でも全然大丈……」
「それがサボりの言い訳になるわけないだろうがぁ!! 」
「痛い痛い痛い! 鼻引っ張らないでくださいって! 」
ナイトメアの鼻が彼女の指で引き伸ばされたその時ーーー
"チンッ"
「焼けたか」
オーブンの軽い音にマスターは指を離す。
焼き上がったドーナツに、鍋で溶かしていたビターチョコのソースをかける。
焦げ茶色の生地が、さらに濃い黒に染められる。
真っ白い皿に乗せられた黒いドーナツは、照明の光を小さく反射する。
その隣には、夜空のように濃い黒色のコーヒーとカップ。
覗き込んでも全くそこが見えない。むしろ、波打つ水面にに自分の瞳が反射している。
「お待ちどう様。『ミッドナイト・コーヒー』と『DD(Double Dirty)チョコ』のドーナツだ」
「あ、ありがとうございます。イテテ……」
赤くなった鼻をさすりながら、まずはコーヒーを啜る。
舌に触れた瞬間広がる、痺れるほど濃く、そして強い苦味。
しかしその後に顔を出す酸味。
香ばしい香りが鼻の奥をくすぐり、喉の奥まで温もりが伝わる。
そこにすかさず、ドーナツを一口。
生地が控えめな甘みを口の中で作り出し、それに合わさる、ビターチョコソースの苦味。
僅かな甘みと苦味。それでいて、確かに残る、チョコの風味。
それがコーヒーの強い苦さと溶け合う。
絶品というわけではないのだが、何度も頼みたくなる、そんな魅力を持った二品だ。
「ふーむ。一品ずつは微妙なものですが、合わさるとこうもやめられない味になる。不思議なものですねぇ」
「……悪かったな微妙で。そう言う割にはそれしか頼まないよな」
「別に〜? ただ、他のメニューよかマシなだけですよ」
「はっきり言うなお前……」
マスターの眉が歪む。
ナイトメアは気にせず、コーヒーとドーナツを堪能する。
しばらくは、自分だけの時間を楽しもうと彼が心に決めた直後ーーー
「言い忘れてたが、コーヒー代とドーナツ代、お前のバイト代から差し引いとくからな」
「ブフゥッ!! 」
芳醇なコーヒーの霧が、口から飛び出した。
「ゲホッ!ゴホッ! 何でバイト代から引かれるんですかぁ! 違法でしょそんなのぉ! 」
「ロクに働いてないやつに違法もクソも言われたくない! 仕事放り出された上に、皮肉言われるこっちの身にもなれ!! 」
「だからって給料から引くのはないでしょ! ここの家賃とかもあるんだし! 」
「家賃滞納者だろうがお前ぇ! 」
暖かな光の下、コーヒーの香りと二人の叫びが混じり合う小さなカフェ。
"眠らない街"の賑やかな声が、また一つ増えたようだ。
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