カエデ―稜夏高校服飾部―

くらげ

プロローグ 2年3組のとある生徒の話

“都立高校”と言えば、想像するのは都心にある高校なのだろうが、この高校は違う。見渡す限りの緑に囲まれたここは【都立稜夏高等学校】。可もなく不可もない成績の生徒が集まる、極々普通の高等学校である。


「…で、ここは…」

英語の授業中。教室の中にいる生徒の殆どが真面目にノートに向かっている。そんな中、その生徒だけは黒板など見ていなかった。視線の先は窓の外。窓の外では、雲一つない青空をキャンバスにして、カラスが群れを成している。

暫くすると、その生徒は我に返ったようにノートに向かった。ノートの上で軽やかにペンが躍る。机の上には、開かれてもいない教科書が乱雑に置かれていた。記名欄には、片仮名で“ホダカ”と記入されている。

「…」

数分後、ノート上には箇条書きがいくつも出来上がっていた。心成しか満足そうな顔をしている。

そのとき。

英語教師が黒板をチョークでコンコンと叩く。その動作だけで、教室の空気が一気に変わる。

「……Hodaka,what did the teacher just say?(穂高、今先生なんて言った?)」

もう一度黒板をチョークで鳴らすと、漸くその生徒は教師の方を向いた。そして少々考えた後、微笑を浮かべて同じく英語で答える。

「…I didn't understand,please repeat.(分からなかったので、もう一度お願いします)」

その瞬間、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

「……今日はここまで、礼」


― ― ― ― ―


時と場所が変わり、放課後の職員室。多くの教員が淡々と事務仕事を片付けていく中、一部では異様な空気が漂っていた。

「…穂高、一回くらい真面目に授業受けたって罰は当たらないぞ」

担任である洞島は、呆れ果てた目で穂高に告げる。この生徒を職員室に呼び出すのは、これが初めてでは無かった。

「はは、気が向いたらそうします」

「その台詞、前回も前々回も聞いたような気がするのは俺だけか?いつになったら気が向くんだお前は」

呆れた目を向けたまま、洞島はコーヒーを啜る。中身はブラックコーヒー。今の洞島には、精神的にその苦さが心地良かった。

「…大体お前には、ちゃんとやったら良い成績が維持できるくらいの実力があるだろ?この間の定期テストだって、全教科90点以上普通に取れてたじゃないか。なのに成績表は“授業態度”だけで減点されてオール3、稀に4… 実力があるのに、これじゃあ大損だ」

「…」

黙ったまま口を開こうともしない穂高に、洞島は小さく溜め息を吐く。

「……お前、いっそのこと部活にでも入ってみたらどうだ?考え方が変わる」

グレーのマグカップを机に置いて、洞島は穂高に告げる。

「嫌ですよ、めんどくさい」

穂高は言い放つ。それはまるで、放課後を態々潰してまで部活なんてやっていられる人の気が知れない、というように、否定的な一言だった。

「何事も経験。どうせ学生のうちにしか出来ないんだ。その一言で終わらせるんじゃ無くて、何でもやってみろ」

そう言って洞島が渡したのは、1枚の白い紙。そこには黒字のゴシック体で、大きく“入部届”と書かれていた。

「抵抗があるなら試しに、俺が顧問やってるトコに見学しに来たら良い」

「…」

穂高は渡されたプリントを渋々鞄の中に仕舞う。そして、鞄を持って職員室の出口に向かって歩を進めた。


「…………先生。部活、名前なんですか」

扉の前まで来たところで、ふと、穂高が振り返って問う。

「………【服飾部】だ。なんだ、興味が湧いたか?」

「…別に。聞いてみただけです」

洞島の顔が僅かにニヤついている。それに気付いたのか、穂高は扉に向き直った。

「いつでも良いから、取り敢えず来てみろ」

「…

じゃ、サヨナラ。その言葉だけを残して、穂高は今度こそ職員室を後にした。通常であれば先刻のように、穂高の“気が向いたら”は信用できないと憤慨するところだ。しかし、何故か洞島の心境は穏やかだった。

「……気が向いたら、か」

何故か、は信用できる気がするよ。その一言は、コーヒーと共に飲み干された。


これは2年3組の、とある生徒の物語である。

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カエデ―稜夏高校服飾部― くらげ @haruka-2025-0730

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