神様そっくり
未満
第1話
神様みたいな女の子だった。
綺麗で、穏やかで。
仏様と同じ笑い方をする子だ。
神様は高校1年生の新学期と共にやって来た。
親の都合で転入した…とよくある自己紹介をした。
この学校は中高一貫の女子校で、編入試験も難しい。
才色兼備なんだ、と周りは頬を染めてヒソヒソ話す。
それを
目が合った者の心臓を喰う美しさを持つ少女だ。
長い黒髪を腰まで下ろし、日本人形のような髪型をしている。
スラッと高い身長に小さな細面。
雛人形そっくりの、しかし形の良いアーモンドアイが収まる雅で隙の無い顔立ち。
白いセーラー服がよく似合っていた。
そして見た目通り、しっとりとした甘い声でお姫様と同じくらい上品に話す。
声が大きいわけではない。
しかし詩を読むような声は実によく通り、パッと耳に入ってくる効果がある。
大正ロマン小説に出てきそうな、理想を詰め込んだ大和撫子だ。
クラスメイトは千代子を見つめて馬鹿みたいに惚けていた。
なるほど。美術品然り人然り、美しいものを直視した人間は動けないらしい。
上から目線でそう思った綾ではあるが、その実彼女も千代子に目が吸い寄せられていた。
「……」
綺麗だ、とは思ったけれど。
それ以上に、彼女を見ていると何だかゾワゾワする。
千代子があまりに美しいから…ではない。
彼女の空洞を思わせるドロっとした黒い目。
アレに言いようのない恐怖心を抱いたからだ。
例えるならば、幼い頃にヤケに恐ろしかった、ドアの隙間の暗闇とか。夏の真夜中とか…。
そういった言語化しづらい、湿度の高い濁った不気味さが千代子にはあった。
そう思って眺めていれば、ふとバチン!と目が合ってしまった。わずかに微笑まれる。
焦った綾はすぐに目を逸らした。
やっぱり苦手だ。綾は無意識にクッと目を細める。
まあ別に無理に関わる必要なんて無い。
時期に誰か話しかけるだろう…と他人事に思った矢先。
(あれ。1限目は移動教室のはずだけど、誰も話しかけない…)
彼女の気を引きたくて話しかける人は多いだろうと思っていた綾は、驚いて眉を少し上げた。
置き去りになってしまった千代子は、困ったように細い眉を八の字にして微笑む。
そのまま席を立ち、担任に場所を尋ねようとしたが。
「……音楽の場所分かんないでしょ。案内するよ」
綾は地毛である明るい栗色のハンサムショートを揺らして、廊下の方を指さした。
別に、親切心からではない。
珍獣の入ってる檻に指を突っ込んでみたくなるような。そんな自分勝手な興味本位からである。
そんな綾に向けて千代子はパチンと一つ瞬き。それからアラ、と顔を華やがせた。
「優しいのね、ありがとう」
風鈴によく似た声と、仏様によく似た笑い方だった。
綾は(あ、やっぱり。神様みたいだ)と小さく思って、口の中が乾いていくのを感じた。
◆
「背が高いのね。私は170cmだけど少し低いから…165cmくらいかしら?」
「うん、去年測った時は167くらい」
「私と身長同じくらいの女の子は初めて。ねえ、お名前を教えてちょうだい」
「千代田綾。好きに呼んで」
「あら、うふふ」
「…どしたの?」
「お揃いね。千代田と千代子」
1限目終了後も、綾は千代子と2人で廊下を歩いていた。
話に入ろうとする者は居なかった。
人外じみた美貌の千代子に気後れして、時間が経てども誰一人近づこうとしないからだ。
残念ながら「私が怖くないのね、面白い女」展開ではない。
綾だって普通にめちゃくちゃ彼女が怖い。
現に今。平気そうな顔をしているが、首には少しばかり冷や汗をかいている。
「あ〜ね。チヨチヨだね」
というわけで。
怖いのと眠いので早く話を終わらせたい綾は、夜更かし後の回らない脳で返事を返した。
しかもあんまりに眠いせいで、言い終わってから(あれ今何言ったっけ)と全てを忘れた。
ほぼ記憶障害である。
しかし千代子は語感がお気に召したようで「ちよちよ…ふふ」とくすくす笑う。
彼女は身動ぎのたびに芍薬の甘い香りがした。
ずっと隣で嗅いでいたい、と感情抜きで思うような良い匂いだった。
「理科室はここね。次から分かんなかったら他の子に聞きなよ。
明るい子も多いし仲良くなれると思うよ」
「でも他の子は私に話しかけなかったわ」
「……」
後ろ手を組んだ千代子はくるりと振り向き、優しく微笑む。艶髪が揺れた。
大きな窓を背に朝の日光を受ける彼女は、思わず縋りついて懺悔をしたくなるような…そんな脳天を突き刺す神々しさがあった。
「私、あなたと仲良くしたいのよ。綾ちゃん」
「…教室の場所案内しただけで?」
「それもあるけれどね」
「じゃあ何?」
「直感」
「そっか。神様みたいなこと言うね」
「…?私は綾ちゃんの方がよっぽど神様に思えるけれど」
「第一印象がダブることってあるんだ…もっと他の友達作りなよ」
「私には綾ちゃんが居るわ」
「……もうすぐチャイム鳴るよ」
「本当ね。また後で」
「だから他の子に案内してもらいなって」
「いや!」
やけに幼い声と笑顔でスパン!と断られた。
綾は困ったなあ、と思って短い髪を手櫛で梳く。
どうしたものか。頑張って突き放してみてもニコニコ笑うだけで、真に受けようともしない。
声かけたの、間違いだったかな…なんて遅すぎる後悔もしてみた。
◆
昼休み。結局あの後も2人行動が続き、仕方なく千代子と学校内を巡って案内をしていた時のこと。
「あの、千代田先輩!」
声に振り向くと、後輩らしき女の子が3人居た。
目をキラキラ輝かせている。
「えっと!い、一緒に写真撮ってもいいですか?」
「あ〜……」
淡い茶色の目をキロ、と動かして逸らす。
どうしよう、面倒だな、と思って綾は硬い笑みを浮かべた。
綾はこういうことが時折ある。
女子校あるあるで、綾には後輩にファンが多いのだ。最初は2、3人だったのが、学年が上がるにつれてどんどん増えてきた。
普段はこのように声をかけられることはそうそう無いのだが、たまにこういう子達がいる。
彼女はスペイン人の祖父に似てスタイリッシュな鋭い骨格と、貴公子然とした彫りの深い中性的な顔立ちを持つ。
それらにハンサムショートと高めの身長も加わり、一見性別が不透明だ。
要するに綾は大変容姿に恵まれているのだ。
しかも女子ウケど真ん中の王子様系。
オスカル様みたいな男装の麗人って感じ、と前に母親に言われたことがある。
ちょっと言っている意味は分からなかったが。
それにしても困った。今は千代子も居るし、どうにか上手く断るか…と口を開きかける。
その瞬間。千代子がスルリと後ろから抱きついてきた。肩に顎を乗せられた綾はびっくりして思わず「わっ」と小さく声を漏らす。
「こんにちは」
いわゆるバックハグと同じ体勢で、千代子の白蛇のように華奢な両腕だけが見える。
長い黒髪が首にかかってくすぐったい。
「ごめんなさいね。私、転校生なの。今は綾ちゃんに学校案内してもらってるのよ」
ニコ、と目を細めて綺麗に微笑んでいるのが横目に見えた。
だから邪魔をするな、と言外に告げたのだ。
後輩たちはキャア!と甲高い声をあげて、頬を紅潮させた。何だか「そういう」少女漫画っぽくてドキドキしたのだ。
西洋の王子様みたいな綾と、日本のお姫様そのものである千代子が触れ合っている光景は神秘的だった。
まあ綾は千代子のことが漢字小テストくらい苦手なので、残念ながら何も起こり得ないが。
後輩たちがキャアキャア言いながら去った後、綾は隣に戻った千代子をジッと見つめる。
「…時給600円でどう?」
「タダで良いわよこんなこと。けれど強いて言うなら…」
「なに?」
「お友達になって」
「やっぱこの話無しで」
ちなみにこの後、千代子との関係がかなり脚色された状態で後輩の間に広まることとなり、
綾は首に血管を浮かせながら耐え忍ぶことになった。
◆
「アラ、居た。お隣良いかしら?」
「帰れ」
「ありがとう。失礼するわね」
あれから数日経った昼休み。
本を片手に母の手作り弁当を食べていると、どこからかフラリと千代子がやって来た。
綾はいつも校舎裏の白ベンチで昼食を摂っている。
中々見つけづらい場所で、去年に仲良くなった用務員のおばさんに教えてもらったところだ。
静かで人が来ない。
大きな桜の樹が後ろに1本だけ生えていて、良い具合に影ができる。
たまにその用務員さんが学校で飼っている太ったブチ猫も来る。
かなりの優良物件もとい優良ベンチである。
そんな場所を、転校して間もない千代子が見つけ、ましてや綾がここに居ると当てるだなんて悪魔的な勘が無ければ土台無理だ。
綾は「この子妖怪なのかな」と思いつつ、片手で文庫本をパタ!と閉じた。
「…なんでここが分かったの?」
「綾ちゃんとしゃぼん玉がやりたかったの」
「答えになってないし」
横目で千代子を見た。綺麗な顔をしている。
やっぱり人間には到底見えない。桜吹雪の中なら尚更。
白い炎みたいに温度を感じさせない冷艶さだ。
羨ましいな、と純粋に思った。だからって仲良くはなりたくないけれど。
「しゃぼん玉やりましょ」
「え、嫌だけど」
「どうして?」
「本読んでたいし1人で居たいから。てか他の子からお昼誘われてなかった?」
「断ったの。綾ちゃんとしゃぼん玉がしたくって」
「へえ。私やるって言ってないけど」
「やらないの?」
「うん、やらない。じゃーね」
「……」
綾はお弁当を片付けて、立ち上がる。
そうして立ち去ろうとした瞬間。
千代子は紅の唇をツン、と尖らせて「2つ買ってきてしまったわ」と子供っぽく言った。
「え?」
「せっかく買ったのに」
「いや、あの」
「困ったわ…付き合ってくれないんだもの」
「……」
「……」
千代子は髪についた桜の花びらを取りながら、豪奢な睫毛を伏せていじけたように綾を見るのだ。
綾は「っはあ〜…」と大きくため息をつき、非常にゆっくりとベンチに座り直した。
ちょっとだけ罪悪感が生まれたのだ。
「うふふ。やったあ」
千代子は小さくバンザイをして黒水晶の美貌をほころばせた。
所々に滲む幼い仕草に、どうにも調子が狂うな…と思いつつ吹き具をもらった。
受け取る時にたまたま指がコツン、と触れる。
綾は少し黙ってから「手、冷たくない?大丈夫?」と聞く。
「冷え性なの」と返ってきたので、数分前まで熱々の味噌汁が入っていたスープジャーを渡してやった。まだ温かいはずだ。
目元を緩める彼女に、別に心配とかではないけど、とツンデレじみた言い訳をしてしまった。
さて、試しに軽く吹いてみる。
しかし力が入りすぎていたらしく、小さい泡が数個ポポ…と出てきたのみだった。
「……」
「ふふ、下手くそ」
千代子がふうっと吹けば、大粒のしゃぼん玉が次々に出てくる。
力を抜けばいいことに気づいた綾は、渋々始めたことを忘れて昇るしゃぼん玉を目で追いつつ試行錯誤し出した。
それをニコニコ見る千代子は。
綾に白い翼があればどんなにか…とひっそり思った。
だって彼女、絵本に見る神様のようなのだ。
透明な血が流れていそうなとっても綺麗な人。
真珠みたく白い手のひらが、ひらひら揺れる様は花びらみたいだった。
最初に目が合った時なんて、思わず見蕩れてしまった。
自分の青くて冷たい肌とは違う、暖かくて柔らかそうな白桃色の肌を羨ましく思った。
自分には無い明るいヘーゼル色の瞳に同系色の柔らかい髪。
高い鼻梁に鋭い顎、目に影をつくるほど長く分厚くて、淡い色の睫毛。
角度によってはドキッとするほど男性的にも女性的にも見える。
千代子は自分の顔が美しいことは当たり前に知っているが、系統が全く違うのでついつい見つめてしまう。
時代が違えば太陽神として信仰されてもおかしくない美しさだ。
沢山の人が彼女を囲んで「神様」と感極まった涙を流して……。
そこまで想像してふと、千代子は砂を噛んだような不快感に気付いた。
「…?」
あら。思ったよりも嫌なのかもしれない。
胸中に染み出た黒い嫉妬を隠したくて、彼女はシャボン液が入ったプラスチックの容器をコン、と中指で弾いた。
一方綾。千代子が真っ暗な目で見つめてくることにガン無視を決めこんでしゃぼん玉を飛ばしていた。
怖いっちゃ怖いが、この数日間でこの視線にも慣れてきた。順応とは恐ろしいものだ。
しかし、しゃぼん玉なんていつぶりだろうか。
小さい頃は好んでいたが、千代子が誘ってこなかったらこの先やる機会はそう無かっただろう。
あれ?そう考えれば、感謝するべき…?
(…いや待て、馬鹿か私は。半強制的に付き合わされたものに感謝も何も無い)
流石にギリギリで思い直したものの、千代子への苦手意識はかなり薄まりつつあるような気がする。
絆されたというか、何というか。
存外、彼女の隣で過ごす時間は穏やかで心地よい。
悪くない…と心のどこかで甘える自分が居る。
なので「またやりましょうよ」と弾んだ声の誘いにも、目を逸らして「…いいよ」と答えたのである。
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